怒られる事のありがたさと、怒ることの難しさ。
2003/09/27(Sat) Diary
works, today 0925/03 – altba | shinzo | shinzlog
別のプロジェクトの状況を確認するとデザインが進んでいない。なぜこんな簡単なことが出来ないんだよ、と、怒鳴りたくなるのを抑え、幾つかのアイデアを出し、簡単なデザインスケッチを起して送る。彼らは決めどころを欠きながらレイアウトをこねくり回して時間を浪費している。本当はここで横に座ってデザインのプロセスを教えるべきなのだが、僕も時間に終われている状況。しかし、その勘違いを指摘し、思考と作業の順番が違うことを言い続けながら育つのを待つしかない。デザインは感覚での作業の前に充分な考察が必要不可欠。思いつきと考えとは違うのだ。
今になってようやく思い始めたことであるけれど、怒ってもらえるのはありがたいことなのだなと。(怒られてる時は腹立ちますが。)
自分が怒る方になって分かったのは、怒るのってその人にとって凄いパワーと時間を浪費して、なおかつ難しいことなんだなということ。しかも、ただその人をけなす為に怒るのではなく、そうじゃないんだと分かってもらってがんばってもらうのは、なかなかできない。ていうか自分は出来てない。
以前「怒ったらそれ以上のものを出してきてくれるだろうという見込みがあるからお前を怒ってるんだ」と言われたことがあって、「ホントかよ」とその時は思ったけど、自分が怒る側になってみると、見込みがない人には怒ることもあきらめて他の人に頼んでしまう。自分がそうされたこともあった。
そんなことを思うようになったのは、自分を怒る人がいない環境に来てから。それはそれで、自分で自分を見張らないといけないので、精進出来る環境ではあるのですが。

怒られている方にとっては、怒っている人の先入観ばかりで自分が怒られているように感じてしまいます。
自分が本当に自信喪失する瞬間でありますし、学校をやめたくなりますが、今の自分から学校をとってしまったら何も残らないから我慢して学業に取り組んでいます。他者と私に対する態度の違いに対して本当に辛く感じていますが、見込みがあるから怒られるんだと言い聞かせてがんばっていこうと思います。
>みか
こんな所でこんな話しも何ですが。
学校は、高校までなら我慢していった方が思うし、大学なら自分がしたいこと決まっていてそれにあった所なら続けてそうでないなら働け?、って感じです。
ワガママや独りよがりにならない程度に、他人のことはポジティブに解釈してしまった方が楽ちんな気がする。
みかといえば、中学の時の席替えで数回連続隣になった女の子がみかという名前だった覚えが。
全然関係ないけど、自信って「自(みずから)」が「人」に「言」うことによって『自信』になるのだね。ふにふに。
私もよく、人に対して怒りをあらわにするのって難しいなって思う。
ただ怒りを表すだけなら自分勝手でいいんだろうけれど、そうではなくって、相手のことを考えるからこそ、またよくしていきたいって思いがあるからこそ、その気持ちを伝えたくて・・・っていうものだから。
怒りって書くとここでは違うな。指摘?助言?話し合い?意思疎通?
いい言葉が思い浮かばないので、その他の人の意見求ム。笑
>つん
コミュニケーションと言っちゃうと身も蓋もないか(汗
ふらふらして頭回ってないです。