赤朽葉家の伝説
-せかいは、そう、すこしでも美しくなければ。-
前回読んだ「少女七竈と七人の可愛そうな大人」と同じ桜庭一樹の本。この作家、久しぶりにアタリかもしれない。この人の書く文章はとても美しい。美しい言葉から、美しい情景が描かれ、美しい物語になっていく。中国山脈のおくに隠れ住むサンカの娘が輿入れした、タタラで財を成した製鉄一族、赤朽葉家の盛衰を描いたこの本は、「白夜行」ばりの激動を白夜行以上の美しさで描く。
千里眼の目を持ち、山の子供から地方豪族長男の嫁になった赤朽葉万葉。その千里眼が写すものは幸福な未来ではなくほとんどが希望を失ってしまう未来ばかりで、その宿命を予め知りながらも生きていく万葉と、翻弄されつつも繁栄を極めていく赤朽葉家が生きた高度経済成長という、日本最後の神話の時代。
豊かな時代に万葉の娘として生まれた、毛毬。その豊かさゆえか信じる所と現実を見失った青春の中で訪れる、受験戦争からのプレッシャーから逃れるために管理売春に身を染めていった親友・蝶子の死。自ら作り上げたバブルによって自らが殺められる、巨と虚の時代。
ある意味では、万葉によってこの世に生を受けることを宿命付けられていた毛毬の娘、瞳子。高度経済成長の時代に自分達で時代を作っていった万葉。バブル崩壊の時代に過労死で倒れる毛毬。そんな偉大な祖母と母の存在に怯え、何者にもなれず何も語るものをもたない、平成の瞳子の時代。
万葉、毛毬、瞳子と3代にわたる赤朽葉家の女の物語の中で、昭和の終わりに生まれた僕が一番惹かれるのは戦後から始まる万葉の時代と、万葉の生き方。家族に捨てられた文字も読めない万葉は、激しくもしっかりと生きていった。その万葉を見て僕は瞳子と同じように、僕たちがその時代の人としてしか生きられないとするならば、僕らはどうやって生きていけばいいのかと思う。
電車に飛び込んで自害した、万葉の親友黒菱みどりの兄と、万葉の生みの親がいたかもしれない山中の箱が整然と並ぶくだりの描写は、華やかな時代の儚い、美しさと醜さの間にある、生と死の間に流れる長い時間を一瞬で描ききっていて、この本で唯一泪が出た。
万葉のまわりの人々が次々と亡くなっていく物語が描かれるけれど、それは万葉が生きていく様を描いているように思えた。いつかぜひ、何も語る物がないといった瞳子自身の、万葉や毛毬の話ではない瞳子自信の物語を聞いてみたい。

