人柱
原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。
ちょっと長い文章ですが、時間を割いて読む価値はあるかと。僕自身は、原発は危険な物だと思うけど、人間が自重するか、それが出来ない場合で尚かつ代替策がないなら「しょうがない」と消去法的に肯定している。人間が未来永劫自重することはあり得ないと思っているので。代替えも、あるのでしょうか?そこは僕はあまり知識がありません。
原発は、どう考えても危険。安全だというなら、東京電力の社長室の隣に、文部科学省の隣に、国会の隣に原発を造ってそれを証明することができるだろうか?彼らは絶対に造る事ができない。そして福井や福島、新潟に造る。(国会の隣に作れば、首都機能移転問題は簡単に解決しそう。)
彼らは、地域振興になっているという。電源立地地域対策交付金や、関連産業・雇用などで、地域が潤っているという。潤っていると言えば聞こえがいいけれど、昨年度の福井県の県税収入1,041億のうち13%の137億が原発関連で、敦賀市職員の人件費53億のうち13%の7億が前述の電源立地地域対策交付金でまかなわれていて、振興の域を超えた、もう亡くす事が出来ない麻薬のようになっているのではないだろうか。(もちろん福井も悪い)。
何がうれしくて、中越地震の時、柏崎は地元が停電しているのに、地元の原発で東京に電気を送ったのだろうか。福井で生まれて、東京で働いていると、なんとも複雑。原発は、現代の人柱なのだろうか。なんだか共食いをしているような心境に陥る。
必要があって今ある。それは確かに自分が生まれる前から自分の知らないうちに造られたものかもしれません。でも当時それらを動かし始めた人たちは少なからず未来の為に、恐らくは当時子供であり、今は大人になった我々の生きる時代の為にと思って原子力発電を始めた部分もあると、私は思います。
そして、現在、実際にそれに支えられている現実がある。
「原発がどんなものか知ってほしい」に対する検証・反論をまとめたページ。この記事の他にも原子力に関するFAQなどかなり知らなかったことを知ることが出来る。原文は挑戦的なので、僕が読んでいても大げさな表現が多い(事実関係の誤りなどはわかりませんでしたが)。そして、結果的に反原発思想によって支えられた文章になっている。「Re」の文章は、ただ反論しているのではなく、理想と現実を見極めて、現状可能な手段で後生にバトンをつないでいこうという意志を持った文章に読めた。
ただ、所々「Re」にも脆弱な部分が見え隠れする。JCO事故の件を、想定していなかった出来事だと定義しているけれど、他の事案と違ってそういうケースが発生した時のリスクが極めて高いと言うこと。麦茶と間違えてそばつゆを飲んだのとは訳が違う。
「アメリカで原子力発電が再開されるように、現実にこの世界を支える為に、まだ原子力は必要なエネルギーだと思います。だから続けるんです。」と「Re」の著者は語る。リスクは高いが唯一の選択肢である原子力というものをきちんと人間の制御下に置き利用しようという意志が強く感じられ、現に僕は彼らに支えられて、彼らの造った原発からの電力でこの文章を書いている。
最初の僕の文章では、そういった現実的視点からの消去法的肯定論者であるということ、そのリスクを福井や福島や柏崎などの地方が偏って負担し、補助金によって抜け出したくても抜け出せなくなっている状況を、釈然としなくても受け入れなくてはいけない、リスクを負っている福井生まれの、そしてその恩恵を受けている東京在住の一人として書たつもり。
僕は数年か数十年後か分からないけれど、福井に帰りたいと思っている。僕は、原発が安全に運用されることを望むし、それを運用している人たちに感謝こそせよ反感は持たないけれど、心のどこかで納得しきってはいないのだ。

読みました。ちなみに私も、消去法的肯定派です。
風力だの地熱だの潮力だの言われてますが、発電効率の点では原子力に及ぶべくもないのが現状なので。「人間が未来永劫自重することはあり得ない」という意見に賛同できる、ということもあるのだけど。
で、読んだ感想としては。
後半の結婚差別云々の話って、まるで岡林信康の『手紙』みたいな話で哀しいことこの上ないんだけど、じゃあ、本当に原発だけが悪いのかというとそうもいえないんじゃないかと思う。「原発」という言葉を見聞きした瞬間に、目を閉じ、耳をふさぎ、理解しようとするスタンスを放棄する。結果、うわさ話レベルの聞きかじりでこんな悲劇を生み出す……なんてケースも少なくないんじゃないかな。
たしかに、ことごとく情報を隠蔽し改竄してきた原子力行政に非難されるべき点が多いのは間違いない。でも、この記事(「原発がどんなものか知ってほしい」)も含め、さまざまな原子力関連情報にアクセスして自ら判断する姿勢をとることも、原子力発電の恩恵を受けている生活者には必要なんじゃないかと思う。
行政は〈原子力のいい話〉を流すし、マスコミは〈原子力の危ない話〉を流して危機感あおるし……どちらも併せ呑んで、かつ周辺情報にもアクセスしないと冷静な判断ができないもの。「原子力行政が信用できない」から聞く耳持たないんじゃなくて、不信感ありありで疑ってかかる姿勢でもかまわないから、とにかく見て、聞く、と。
まあ、そんなことから、消去法的肯定派となって現在に至っているわけですが。
それにしても、この記事は読み応えありますね。