隠された風景

2007/09/02(Sun) *Pickup, Book

隠された風景 表紙
隠された風景
死の現場を歩く
福岡 賢正 (著)

-無数の「死」があるからこそ我々の「生」がある。
 そして人が自らの「生」を実感するのは、
  他者の「死」にふれた時である。

 その「死」と生活の場で身近にふれることができなくなったことが、
  「生」をかけがえのないものとして慈しむ契機を
   人々から奪ってしまったのではないか。-

僕のブログはよく「暗い」といわれる。本人としては、静かに、普段あまり考えることのないそういう暗いとされているものをきちんと見つめることは大切だと思っていて、しかもそんなことを普段の生活の中で真面目に考えることはないのでブログで書いているのだけど、そんな事をしていると暗いと言われるのかもしれません。特に最近は祖父の死が会ってから、死や宗教といったものについて書くことが多いので、なおさらそう見えるのかもしれません。

普段一日中パソコンに向かって仕事をしていると、「生きている」と思うことはほとんどない。そんな僕が、祖父の「死」と触れることで、「生」を感じ、考えることが出来た。その経験や、最近考えたことが一つに繋がったのがこの「隠された風景」という本で、「野犬などのペットを殺す動物処分」、「牛や豚などの屠畜」、「人間の自殺」という普段の生活からは「隠された風景」に焦点を当てた本でした。

命は大切だ。犬や猫などのペットも、牛や豚などの家畜も、人間の命と大切さはなにも変わらない。その考えの基に動物愛護を訴え、保健所が動物を殺すことや、屠殺することを非難する人たちがいる。僕はどちらかというと、命が大切と言うところまでは同意するけれど、生きる上で必要な悪だと、この本を読むまでは思っていました。それは、ただ真剣に考えたことがなかったから。著者はその様子を下記のように示す。

つまり、日々動物の肉を食しながら、「動物を殺すことは残酷でいけないことだ」と考え、その仕事をしている人たちに白い目を向ける。そんな漫画のようなことが今もまかり通っているのである。その傾向は「動物好き」を自認する人たちにことさら強い。肉を食べるものが、家畜を育てたり、屠畜して肉をつくる者から完全に分離されていて、そこから目をそらすことができ、いのちをもらう事に伴う心の痛みを感じなくてすむ仕組みになっていることが、その劇画化された構図を支えている。

小鳥や犬や猫をペットとしてかわいがったり、すぐ「かわいそう」を口にして、すぐ涙を流す子どもたちが、他人が殺したものなら平気で食べ、食べきれないと言って平気で食べ物を捨てると言うことが、わたしには納得いかないのだ。わたしには、「生きているものを殺すことはいけないこと」という単純な考えが、「しかし、他人の殺したものは平気で食べられる」という行動と、何の迷いもなく同居していることがおそろしくてならない。

この本を読むのはしんどい。今まで目を背けてきた部分だから。でもしっかり読んでいくと、今まで見ていなかった所を直視すると、見えてくる風景がある。

(屠殺を経験した小学生の感想文)
私は、ころされた豚を見てなきました。でも、できあがった肉は、ないたことなんか、すっかりわすれて食べていました。私がないたのは、見せかけだけのなき方だったと思います。もし本当にないていたら、肉なんか見る気にもなれなかったと思います。私は、あの時、なぜないたかふしぎです。かわいそうでないたのか、それとも、自分をやさしくみせかけようとしてないたのかもしれません。

そして著者が提示した一つの答え。僕はそれに、共感すると言うよりも、納得をする。そうやって僕らは生きているし、それを手助けするために宗教があったりする。そして、僕が「死」に触れて「生」を感じたことも、とても自然なことだったのではないかと、今は思う。

人が生きるために他の生き物のいのちを絶つことは「殺す」ことでは決してない。自分の中で「生かす」ことなのだ。いのちを奪うだけで何も生かすことのない人や動物の殺戮とは、全く性質を異にする。

我々は「死」を身の回りから遠ざけてきたのと同様に、「死」を「生」に変える土を「汚いもの」として疎んじ、土から離れた生活を追い求めてきた。それは我々が「いのち」の循環性に目を向けず、一回限りの「自我の生」のみにこだわった文明を育ててきたということを物語っている。

「いただきます」とは「命をいただきます」なのだ。
一度読んでみて欲しい。ただそれだけ。

Related Entry

2 Responses

  1. テツ編 says:

    寡聞にしてこの本は知らなかったのですが、関連本としては、森達也氏の『いのちの食べかた』がおすすめですね。加えて、森氏の映像作品である『1999年のよだかの星』も。今ならYouTubeにあがってます ;-)

    それにしても。
    「とさつ」が漢字変換できないのは、私は言葉狩りではないかと思うのだが。

  2. iwagoro says:

    屠殺が変換できないのは僕もこの記事を書いてて気づいたんですが、なんだかなぁという感じでした。辞書にも載っている言葉なのに。