棺の重さ、お骨の重さ。
通夜の夜のブログでは余裕をかましてましたが、やっぱり葬式は嫌なものです。翌日一気に疲れが来て、告別式のお経が眠くて仕方がなかった。お経をあげているご縁さん(住職)の声に聞き覚えがあるなぁと思ったら、僕が小さいときからずっと家に来てくれている人だった。小さいときは何しているのか意味がわからなかったけど、なるほどねぇと一つつながった。
夏の祖父の時もそうだったけど、今回も出棺の時に棺を持った。式場の人に「若い男性の方お願いします」と言われると、親戚はみんな年寄りばかりで、必然的に僕になるのだ。棺の重さは、なんというか独特。木の箱を持っている感じとも、人を抱きかかえている感じでもない、他のなにものでもない重さと感触。
そしてそれから2時間ほどで、お骨になる。105歳の曾祖母のお骨は、75歳の祖父のお骨より小さいけれど、ものすごくしっかりと残っていた。この年ですごいと言ったら、昔の人の方がきちんとした食生活をしているのできれいに残るけど、若い人ほどぼろぼろな事の方が多いと斎場の人が教えてくれた。あまり例えるのはよくないけれど、ポテトチップスを持っているような軽さと質感。そしてまだ伝わってくる熱気。
本来人のお骨なんてあまりよろしいものではないけれど、僕はお骨になったのを見ることで、ああこれでもういなくなったんだなと良い区切りというか諦めになり、他の親戚もそうだったけど、笑顔になるのだ。でもまあ、棺の重さも、お骨の軽さも、できればあまり持ちたくはない。

昔、ばぁちゃんが死んだとき斎場で骨を拾いながら、ひとが亡くなる=無くなる、ってことに妙に感心してしまったことを思い出した。
そんで、お坊さん(姉の同級生)に話したら、
「知っているひとが死ぬってことを体験することは大事よ?。
自分も死ぬってことを覚悟できるし、家族にも受け入れてもらえるようになるんだよぉ。
そうすると死んだことじゃなくて、生きていたことを覚えていてくれるはずだからねー。」
なんてことを、聞かされた。