永平寺 宮崎奕保の教えと未熟者の疑問

2008/01/21(Mon) Clip

「一生学べ」永平寺106歳の住職の言葉から | Lifehacking.jp

花が咲く事、虫が鳴く事、これらは毎年ほとんど変わりがない。これが法であり、法に従っているということが大自然である。自然はほめられても、ほめられなくても、時がくれば花を咲かせて、やがて去ってゆく。

年始に亡くなった、福井県 曹洞宗大本山永平寺の貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師の言葉。世俗にまみれた僕なんかにははっとさせられる言葉が多い。「環境と私とは一つである」とか、公私ともに本当にその通りだと思うし、今は「悟りとは、平気で生きる事」と思える自分も過去の自分を再度反省させられたりする。

それはそれとして。これから書くのは皮肉ではなく本当に疑問なのですが、いろいろな教えの中には、それは寺に住んで寄付だとか冠婚葬祭のお布施でお金をもらっていればこそ出来る事なのではないかと思うようなものもいくつかあるように思う。世間の人間がそれを手本に「目指そう」とすることは出来るかもしれないけれど、世間の仕事をしながら本当にその状態になるのは不可能というか、そうなったらもはや世間ではやっていけないのではないかと思う。

そして、それをすべて実行してすべての人間が無欲になったとしたら、はたして社会は回っていくのかなとも思う。ずっと江戸時代の生活のまま停滞してしまいそう。それが理想の世界と定義しているのかな。もっとも「今の社会が非人間的なことをやっているのです」と言われればそれまでなのですが。

たとえば医療とか、今は若干無理に人を長らえさせようとしている感がないではないけれど、そういう技術的な発展とかが皆無になって、怪我したらそのまま死んでいくみたいな事になりそう。それはそれで自然の摂理ということになるのだろうか。僕の理解が足りないのか、はたまた僕の考えが世俗に犯されすぎているのか。繰り返すけど皮肉ではなく本当に疑問なのだ。

宮崎奕保禅師(NHKで放送された永平寺・宮崎奕保禅師の言葉。)


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