沈まぬ太陽
恩地には、もはや止めようもなかった。管笠をかぶった白衣姿が次第に遠ざかり、鈴の音が消えていくのを見送った。保証金を以てしても、控訴を以てしても、償えるものではなく、自らが死者の霊に近づき、弔い慰めるほかない遺族がいることを悟った。そう思い至ると、恩地は、遠ざかっていくお遍路に、合掌した。
日本航空(JAL)をモデルにした国民航空を舞台に、労使交渉で会社と争った労働組合委員長恩地元がうけた流刑のようなカラチ・テヘラン・ナイロビへの10年の左遷の経緯が描かれる「アフリカ編」、1985年8月12日から始まる日本航空123便墜落事故をモデルにした航空機事故を遺族係となった恩地の視点で描く「御巣鷹山編」、新会長とともに会社の腐敗を正そうとする「会長室編」の大きく3つに分けられる全2,320ページの物語。
フィクションとはいえ、かなりの部分が事実を下にしたストーリーになっている。最初は御巣鷹山以外の部分、たとえば10年もの海外左遷なんてフィクションだろうと思っていたら、モデルとなった小倉寛太郎という人は実際にそんな経験をしている。ただ、小倉寛太郎自身は小説の恩地のように御巣鷹山の遺族係は担当していなかったりする。こういうフィクションとノンフィクションが入り交じる作品なので、当事者である日本航空からしてみれば事故を起こした加害者の腐敗した大企業として描かれ気持ちのいいものではないだろうけれど、2,000ページ超の物語をじっくり読める人間なら純粋にフィクションとして楽しめるのではないかと思う。
労使交渉で会社側を追い詰めた故に左遷される10年を描く「アフリカ編」と恩地元という主人公に、最初はなじめなかった。「労働組合」という価値観そのものが共感の前に理解さえしがたかったし、その極端な要求や落としどころを定めないやり方などが、10年の海外左遷は極端にしてもそら冷遇されるよとさえ思ってしまう。さらに、自分だけならまだしも家族までアフリカに巻き込んでいく恩地のやり方に、そんな腐った会社を辞めて別の所でリスタートすればいいのにと思いつつも、そういう時代だったのかなぁと思ったり、白い巨塔で言うところの里見と財前のような明暗をくっきり描く作家の描写力に引っ張られて読み進めた。
東京航空交通管制部が国民航空123便の異常に気づいたところから始まる「御巣鷹山編」は圧巻の一言で、事故後子供の見つからない片足を探す母親や、なんとか五体満足にしようと何度も遺体安置場に通う妻の下りには涙が出る。遺族係となった恩地の目を通して描かれるそういった遺族の姿を見ていると、アフリカ編では違和感を覚えた恩地といつの間にか気持ちが一つになっているのに気づく。ただ、事故の原因としてボーイング社の圧力隔壁の修理ミスを採用するならば、事故の元凶を会社の腐敗体質と安易に結びつけて悪の会社側とそれを正そうとする主人公という展開に結びつけるのはちょっと安易すぎるかなぁと感じる(あくまでフィクション小説の展開についての話)。
事故後の立て直しと民営化をにらんで送り込まれた新会長と恩地がともに再建を目指す「会長室編」は、白い巨塔と同様、いつの時代も変わらない人間の闇の部分をこれでもかと見せられ、どうしようもない絶望感に陥る。ただ、一部の菩薩的な人は別として、突き詰めたところ大多数の人間は自分のために生きているという本質を描いているように思う。人の上に立つ人ほどそうであってはいけないんだけど、人の上に立つ人にほどそういった誘惑が多くなっていく社会システムのジレンマ。そういった人間の本質を見るに、大なり小なりこういったことは繰り返されてしまうんだろうなと、読了後にぽつりと感じる。





