徒然草
人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覚ゆれ。
この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士も測るべからず。己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。
(徒然草 第143段)
今日一日は、女性アナウンサーの自殺で持ちきりだった感がしました。僕自身はテレビでちょっと見たことがあってかわいい人だなぁという程度の印象しか持っていなかったので、びっくりはしたけれど身内の永眠時に感じたときのような空しさほどではないという程度でした。
ジャーナリストでもないのでその原因を邪推しようとは思わないですが、とても印象的だったものが一つ。そのアナウンサーが自殺の二日前、最後に出演した生放送番組がネットに上がっていました。その番組の中では今からすれば皮肉な事に富士の樹海で自殺志願者を取材する特集のVTRが流され、スタジオのゲストがいろいろとコメントしていました。
「本当に死にたい人はいない。自暴自棄になっているだけ。」「格差が生んだ」「誰かと話すと気持ちが楽になる」「上手に自分の気持ちを吐露し人から力をもらおう」「弱音を吐けない人はつらい」「どこかにサインが出るからまわりの人が気づいてあげよう」と何人かがコメントをした後に映ったその司会の女性アナウンサーの顔は、いつもの彼女の顔でした。
実際の所その時点で心を決めていたのかこの収録の後に何かがあったのかそれは分かりませんが、投げかけられた言葉のなんと無力なこと。「どこかにサインが出るからまわりの人が気づいてあげよう」と言われても、それを言っているコメンテーターさえも気づかないほど穏やかな彼女の笑顔は、もう亡くなってしまった今の時点で見ても、それが死を決意した人の顔であったと気づけるだろうかと思います。
アナウンサーのブログでのエントリはたしかに異様なものですが、まわりの人がそれを読んで気にして声をかけたとしても、その笑顔で「大丈夫」と返されたらそれ以上何もしようがないように思います。自殺を予防する活動もいろいろありますが、今回のことを見ていると本当に自分の中で決めてしまった人にはどうしようもないのではないかと、それこそ亡くなった人はどんな事をしても生き返らないのと同じように、周りの人間にはどうしようもないのではないかと思ってしまいます。