つれづれなるまゝに、日くらし

2008/06/05(Thu) Book

徒然草を、初めてきちんと通して読んでみた。これまでとある一説とかはちらほら目にしていたんだけれど、そういえばきちんと読んだことないなぁと思い。幸いネットに結構あがっているので、徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)という結構フランクな訳のやつで読んでみた。

なんだか、ブログみたい。誰かがこんな事言ってたよという話もあれば、うわさ話もあり、時々ほほうとうなるものもあれば、意味が分からないのもあり。しかし、日本人って今も昔もこういうつらつらとした文章を綴るのが好きなのですかね。時代のうつろいの中で古ぼけてしまったものもあれば、未だに光り輝いているものもあり。以下個人的に響いたものをフランクな訳とともにいくつか。

徒然草 第三十八段

迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

(訳)迷える子羊が、名誉、利益をほしがることを考えてみると、だいたいこの程度のことだ。すべてのことは幻であり、話題にすることでもなく、お願いすることでもない。

徒然草 第五十九段

命は人を待つものかは。

(訳)命が人の都合を待ってくれるだろうか?

徒然草 第九十一段

「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。

(訳)たとえば「日柄の良い日に悪いことをすると、ろくな事が起きず、日柄の悪い日に良いことをすれば、きっと良いことが起こる」なんて言ったりするけど、物事の良い悪いは、人の心の問題で、日柄なんて全然関係ないのであった。

徒然草 第百二十七段

改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。

(訳)直してもどうにもならないものは、ぶっ壊した方がよい。

徒然草 第百二十八段

すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。

(訳)なんだって、心がある生き物を見て、優しい気持ちになれないとしたら、人間じゃない。

徒然草 第百三十七段

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。

(訳)さくらの花は満開の時を、月は影のない満月だけを見るものだろうか? 雨に打たれて雲の向こうの月を恋しく思い、カーテンを閉め切って春が終わっていくのを見とどけないとしても、それはまた、ふんわりとした気分になってくるものである。

徒然草 第百五十五段

春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。

(訳)春が終わると夏がやって来て、夏が終わると春がやって来るのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏の中には秋の空気が混ざっている。秋はだんだん寒くなり、十月は小春というように暖かく、草も青み出して、梅の花が蕾みだしたりもする。


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