裁判員制度はこの国の世論を進化させるのか?

2008/11/13(Thu) Society

「裁判員です」話していいのは…家族○、匿名ブログは△ – 朝日新聞

法律では「何人(なんぴと)も」とあるので、自ら公にしてもいけないし、知人が選ばれたことを誰かに話すのもダメだ。裁判員が事件関係者から危害を加えられないよう保護するための規定とされる。

最近はやりのブログ。日々の身辺雑記をつづる人も少なくない。筆者の素性が分からない場合は大丈夫そうだが、匿名のブログや会員制サイトでも、他の公開情報と照らし合わせて筆者が簡単に特定できる場合は危ない。

もっとも、この規定に罰則はないため、違反しても、罪に問われることはない。

以下、なるべく調べて書いていますが、誤りがあったらごめんなさい。約1年前に「斎戒沐浴」というエントリで裁判員制度に触れましたが、この制度については結構注目していて、日本の世論形成に大きな影響を与えるのではないかと思っている。

ちなみにこのブログは実名で書いているので、仮に選ばれても僕はこのブログでは裁判員に選ばれたということも、実際に裁判に参加して裁判員同士でどういった議論があったかも書いてはいけないことになる。でも、たとえば2chで書くとしたら一応書き込みだけでは個人を特定されないので大丈夫なのかな?

ただ、裁判自体は一般に公開されており傍聴することも出来るので、どういった裁判が行われ、裁判官・被告・検察の間でどういった議論があり、どういった判決が出たかを書くこと自体は問題ないはず。問題なのは、裁判官と裁判員の間でどういった議論が行われたのか、を書いてはいけないということらしい。

一年前のエントリでは「人を裁く」という負荷に民間人が耐えられるのかなという疑問を書いた。それはそれで今も感じている懸念なんだけれど、この制度にひとつ希望があるとすれば、この制度により民間人が社会や司法に参加し、一人ひとりが国や社会について関心を持つことで、この国の政治がより活発なものになるのではないか、という事。一方に流れやすいこの国の世論が複雑多様化することで、多少精度を上げて安定性が増すのではないかと願っているんだけれど。


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