引用祭り
過去の自分のdeliciousより。古いのもあるのでいくつかリンク先が無くなっていたりしますが、まあ。
自分が100パーセント許されることを期待しながら、相手を1パーセントも許さない人間だったのよ。そういう人間が他人を愛せると思う?
altba | shinzo | shinzlog | look forward | entry archive (October 31, 2003)
そういう意味で、健全な上昇志向をもっている人には、僕が知っていることや、経験してきたことを、教えたり話すことを、これからも続けていくと思います。そして、それによって知らないことを逆に教えられる、という自分の学習を続けたいと思います。でも、僕は自分が学ぶので精一杯です。僕には、健全ではない上昇志向を基に、デザインを利用しつつデザインの力を馬鹿にするような意識の人に「そうではないんだ」という事を説いていくほどの余裕はありません。それよりも、「もっと良いものを。もっと先へ。もっと役にたつものを。」と思っている人たちと、デザインというものを考えて行く時間を大切にしたいと思います。よろしくお願いします。
素直さや謙虚さが足りないと、単に怒られていると思ったり、逆切れしたりして、助け舟をみすみす逃してしまうのです。
切込隊長BLOG(ブログ) – 「自分は要らない存在じゃないか」と悩んだ人と考えるトピック
その多様性こそが存在の証であって、一人の人間が、たとえ自分の存在に疑いを持ったとしても、そこに在る限り理由なく人は継続されるのである。
事実の記述が非難として感じられるなら、非難しているのはわたしではなくあなたの良心だ。
ただ、生き物っていうのは動態だからね。動いてる。静的な存在じゃないから。だから、同じ人間でもね、ものすごく愚劣な瞬間があったり、それからなんかやたらに高揚してね、あるいは実に思いやりに満ちたり、そういうふうに揺れ動いてるものなんですよ。
この世でもっとも罪深い行為は殺生でも姦淫でもないと私は思う。たぶん最悪の罪は無知でいることだろう。さらに自分が無知であるのをいいことに偏狭な正義をふりかざすやつが一番始末におえない。しかしこれは私自身も偉そうなことはとても言えそうにない。私も常に恥ずかしくなるくらいに無知だからだ。
僕が言いたいのは、「やりたくないことをやるな」ということでなくて、「意味のないことをやる」ということに対して、緊張感をもって生きる、そういう姿勢を持つべきだ、ということです。
404 Blog Not Found:義務教育は押しつけでもいいのではないか
社会があなたの個性を受け入れるとは限らない。闘争するにしても逃走するにしても折り合いの付け方は身につけといた方がいいよ。
「今、僕が立っている世界は、ごみ箱の中さえ、子供の頃から憧れていたブラウン管の向こうにあるモノじゃないか」
