国防
第六十五代防衛庁長官 石破茂氏の日本の国防論。
与党も野党もいってることの理屈は一応通ってる(通そうとはしている。)どっちが正しいのかは決断してから数十年して歴史の流れを見ないと今は判断できない。ただ、今後平和でいられる確率が一番高く、自主性も高いのは石破さんの話ではないか思った。国防→戦争→危険→思考停止よりは安全にいられるのではないかと。
第六十五代防衛庁長官 石破茂氏の日本の国防論。
与党も野党もいってることの理屈は一応通ってる(通そうとはしている。)どっちが正しいのかは決断してから数十年して歴史の流れを見ないと今は判断できない。ただ、今後平和でいられる確率が一番高く、自主性も高いのは石破さんの話ではないか思った。国防→戦争→危険→思考停止よりは安全にいられるのではないかと。
Blogを書いてる人はためになる本だと思う。NHKの週間こどもニュースでキャスターをしている著者の、どうやって子供達に伝えるべき情報を集め、整理・解釈し、分かりやすく伝えるかという試行錯誤が書かれている。新聞のスクラップの取り方からメディアリテラシーについてまで、幅広く小ネタがいっぱい。
メディアリテラシーの箇所が面白くて、「国連(United Nation)」は正しく訳すと「連合国」、「PKO(Peace Keeping Operation)=平和維持活動」は「平和維持作戦」、「規制緩和」は「Deregulation=規制撤廃」なんですってさ。そんな微妙な”誤訳(?)”で情報が「つくられていく」課程を示して、健全な懐疑心をもつべしと説く。
よく「本をいくら読んでも内容が覚えられないんですが…」と質問されることがありますが、わたしだってそんなことは出来ません。(中略) でも、せっせとやっていると、少しはたまってきます。穴だらけのバケツで水を汲んでいる状態なので、どんどん忘れていきますが、少しは残る。そこに意味があるのではないかと思っています。
穴だらけのバケツとしてはありがたいお言葉(汗)。
テレビ化されててたことを買ってから知る。(フジテレビ系:ビックマネー! 浮き世の沙汰は株しだい)保坂遥が長谷川京子っていうのが本を読んでると全然あわないんだけど、面白かったんだろうか。
傷害事件があったのは2004年10月末。この本が発売されたのは2004年11月9日。事件が起こる直前にどんなことを書いていたのかという程度の気持ちで買ったのだけど、得るものは多かった。
春夏秋冬
人生には、春夏秋冬があると思う。
そして、季節の季節のはざまに、春でも夏でも秋でも冬でもない季節があるように、人生にもそんな変わり目のない季節がある。
そのとき、風の吹く方向が変わる。
僕もそんな時期なんだろうか。
おわりに
テレビを見てくれているからといって、ぼくのファンだとは限りません。…タダですしね。
でも、本は違います。本屋に行って、お金を払って、自分で読まなくてはいけません。だから、本を買って切れた人は、ぼくのファンだと思います。
ぼくから見ると、信頼できる人で、仲間なのです。
左:イチロー 北野武 キャッチボール(著:「キャッチボール」製作委員会)
右:天才セッター中田久美の頭脳(著:二宮清純)
イチローの方は、2003年春にBS-i・BSフジ共同特別番組として放送された内容の書き起こし。中田久美の方は、過去東洋の魔女と呼ばれ最強だった日本のバレーボールが、企業の業績悪化による廃部で衰退している現状(どこかで似たような話が…)を打破する策をコートの中から分析したノンフィクション。同じスポーツ繋がりだからか、無意識に続けて読んでいた。
二人のアスリートは、おもしろいほど同じ事を語っている。「相手との複雑な心理戦を戦わす中では、何も考えていない選手が一番怖い。」「プレイしている自分と、客席から自分を見ているもうひとりの自分。二つの脳を使い分け、俯瞰した視点を持つ。」「勝った負けたで一喜一憂するのではなく、なぜ勝ったのか、なぜ負けたのかを考え、悪い部分にも目を向けないと結果オーライでは進歩がない。なぜ勝ったのかを説明できる事が大切。」などなど、極めたものの境地は同じような所に行き着くということか。
最も興味を引かれたのは、中田久美がなせセッターのポジションに活路を見いだしたのかというくだり。ケガをし長いブランクの後復帰した中田久美は、自分に足りないものは何か、どうすれば生き残れるのか、勢いだけでやってきてそれを失った今、どうすればいいのか深く考える。そこで見いだしたのが、これまで勝負してきたセンスと体力が落ちた分知恵とキャリアで勝負し、人を使うのではなく、合わすのでもなく、活かすことで力を生み出すという道。
なんだか他人事とは思えず、いろいろと自分自身に置き換えて考えた。

-あなたは、一人分の幸福をその手に持っているのよ。-
お酒を飲みながら本を読むのは初めてだった。数日前に家で某氏と飲んだ「神の河」が3分の2くらい残っていたので、ちょっと肌寒い霧雨の中を自販機まで買いに行ったiPodプレゼントのシールがついた烏龍茶で割って飲みながら、ページをめくる。
同名の映画が気になって買った本なんだけど、映画そのものはまだ見れていない。「もうひとつの物語」と書いてあるから、たぶん本編とは違う物語なんだろうと思う。最後まで読んだら、本編とどう繋がるのか、何となく分かるような気がした。
よくある「パイロットフィッシュ」的な、最近で言えば「世界の中心で愛を叫ぶ」的な流れの物語なのだけど、一人一人のすれ違う想いをこんなに綺麗に書いた本があるのかと思ったりした。綺麗なんだけど、実離れしているわけでなく、最近感じた気持ちに重なるところが多くて、なんかしらんがつらかったりした。
ノウハウを細かく分けて書かれている本は読みやすいけど、こういう時間をかけて一つ一つの言葉を重ねていく物語を読んで得られる、この心が締め付けられるような不思議な感覚。それはそれでまた、大切なことのような気がした。(飲んで書いて撮ってるのでようまとめきらん。)寒かったので、この日は毛布を出して寝た。

社内では、「論客」や「切れ者」という評価の高い若手社員が、あるプロジェクトの企画案を、関係各部署に提案しています。
この若手社員は、極めて「論理的」に、なぜ、そのプロジェクトを実施すべきかを説明しているのですが、なぜか、会議の雰囲気は重いのです。
(中略)
では、こうした熟練のマネージャーは、いったい何を批判しているのでしょうか?
実は、彼らは、若手社員の語る「論理」そのものを批判しているのではありません。彼らは、若手社員の持つ「論理で割り切れるという姿勢」を批判しているのです。
すなわち、現場経験の豊かな熟練のマネージャーは、体験的に知っているのです。「論理で割り切れる」という姿勢でプロジェクトを進めていくと、必ず、見落としてしまう「大切な何か」があるということを。
さて、こうした熟練のマネージャーの抱いている感覚を、敢えて言葉にするならば、「企業とは生き物である」といった感覚なのではないでしょうか。少し難しい表現を使えば、「企業とは、単純な論理では理解することが出来ない複雑な生命体である」といった感覚です。このことを、分かりやすい例を挙げて説明しましょう。
例えば、「魚の解剖」を考えてみるとよく理解できます。我々は、子供の頃の理科実験で行ったように、魚をメスで解剖して五臓六腑に腑分けし、骨や内臓や神経などを詳しく調べ、魚というものの「仕組み」を整然と理解することは出来ます。
しかし、こうして腑分けして整然と理解した結果、失われてしまう「大切なもの」があることに気づくのではないでしょうか。それは何でしょうか?
魚の「生命(いのち)」です。
なぜならば、こうして腑分けした魚をもう一度ぬいあわせてもとの形に戻してみても、もはや失われた「生命(いのち)」は戻ってこないからです。
僕はただ、魚を解剖して楽しんでいただけなのかもしれない。じゃあ、今目の前にあるものは何なんだ。ばかたれ。あほたれ。あーでも、そうでもないかも。