自分をグーグル化する方法

効率が10倍アップする新・知的生産術
–自分をグーグル化する方法
勝間 和代 (著)
情報には「空・雨・傘」の3段階がある。
「空」というのは私たちが空を見上げた時の事実です。
「雨」というのはその空を見たときの私たちの解釈です。
「傘」というのはその解釈に対しての行動を指します。
上の引用した部分くらいかな。為になったのは。

効率が10倍アップする新・知的生産術
–自分をグーグル化する方法
勝間 和代 (著)
情報には「空・雨・傘」の3段階がある。
「空」というのは私たちが空を見上げた時の事実です。
「雨」というのはその空を見たときの私たちの解釈です。
「傘」というのはその解釈に対しての行動を指します。
上の引用した部分くらいかな。為になったのは。
僕がゲームを創る際に、取材や調査を徹底的にするのもクライトン達の影響がある。一つのゲームを創るのにそれこそ、何百冊の本を読む。図書館に通う。難解な論文にまで眼を通したりする。ドキュメント映像を含む、膨大な量の映画や写真を観る。最近ではインターネットも利用する。国内はもとより、必要とあらば海外まで取材に出かける。生きた人にも話を聞く。知らない世界を作り出すにはこれらの地道な作業が必須なのである。
メタルギアシリーズを創ったゲームデザイナーのブログをまとめた本。僕はこの人自身に興味があったので問題なかったが、MGS4の事を知りたくて読むとあまり書かれていないのでガッカリするかもしれない。僕自身はMGシリーズはプレイした事がなく、MGS3とMGS4のプレイ動画をニコニコ動画で見た程度ですが、その構築された物語の世界が好きで、それを創った人に興味がいった。
FFもそうだけど、MGSはゲームのくせにムービーが大半を占める。中学生頃はそういう風潮がいやだったけれど、最近の僕はあらゆる事にジャンルを区切る事が嫌になってきたので、すんなり受け入れるようになった。
僕はこういう本が嫌いだった。キムタクと同じ服を着てもキムタクにはなれないのと同じように、プロセスを観たって同じクリエーターにはなれないのだ。でも今回はこの人はあのゲームを創る中で不安を感じたりしなかったのだろうか、という疑問を感じていたので、それを解決できないかと思って買ってみた。
結果から言うとあまり解決できなかったのだけれど、ものを創る人は同じような事を考えるのだな、とは思った。僕は最近、自分のやっている事が正しいのかどうか不安になる事が多いので、この人とジャンルは違うしこの人のようになろうとは思わないが、少しだけ肯定されたような気がした。一人で、勝手に。
「女房によると、千晶は死ぬ前にシャワーを浴びたようです」
「シャワー?」
「ええ。後からわかったらしいんですが、そういう形跡があったそうなんです。夜中にシャワーを浴びて、下着も新しいものに取り替えていたそうです。そのことを女房は、私にもずっと黙っていたみたいです。だから、その、どういうことがあったのか、女房はうすうす感づいていたんじゃないかと思うんですがね」
一人の女の子がレイプされ殺害される。その父は、何者かの密告によって犯人のヒントを得る。犯人は未成年、警察に連絡して逮捕されても、少年法に守られ数年で娑婆に出てくる流れが容易に想像できる。それならばいっそ自らの手で。という話。
物語を盛り上げるためか、犯人の少年は鬼畜として描かれ、犯人を追う被害者の父親は殺してやりたいという感情と理性との間で激しく揺れ動く。物語としては十分スリリングで一気に読んだのだが、途中から作者がこの問題にどういった結論を付けるのかがずっと気になっていた。
それを書いてしまうと面白さが半減するので書かないけれど、自分なりに感じたところとしては、本の中である登場人物も言っているけれど、刑法自体の不完全さと、警察はその不完全な刑法に遵守した社会を保つ組織であって、厳密異な意味で市民の安全を守っているわけではないのだなという事。
自分でも結論が出ない事のひとつが、「そもそも加害者を更正させる必要があるのか」という点。実際に更正するかしないかは関係なく、そもそも殺人などの重大事件を犯した人間に、更正させる機会そのものを与える意味があるのかと言う事。現状、被害者はその後の人生全てを奪われるが、加害者は必ずしもそうではない。
人権やその人にとってのその後の人生などよく言われる理屈はすべて加害者にも言えるが被害者にも言える。現状のように殺されるリスク(全てが終わり)よりも殺すリスクが低い(社会復帰可能)社会だと、殺したもの勝ちになって、社会システムとしてバランスがおかしいように思うのだけれど。そこさえ解決できれば少年法の問題も刑法第39条(心神喪失者の行為は罰しない)も解決できるように思うが。解決というか、大多数が納得できる案と言うか。

Google 既存のビジネスを破壊する
佐々木 俊尚 (著)
つまり法や市場原理、モラルといった伝統的な制約だけでなく、ソフトウェアやシステムなどのアーキテクチャによっても人々の行動を制約し、規制することは可能なのである。そして、グーグルという司祭の権力は、まさしくアーキテクチャによって成り立っている権力システム以外のなにものでもない。
2006年の本だけれど、2年たった今読んでもその主張がおおむね現実に起こっているのはさすがだなと思う。アドセンスやGoogle Newsなどが既存ビジネスを破壊し、ネットの向こう側への依存度を高めることの功績と、Googleが神となり全てを統治してしまうことの危険性と、それだけの権力を手中に収めながらそれを司るGoogleの自覚の無さには基本的に同意。
人間は、見えているものについてはあれこれ善し悪しを語れるけれど、こと見えていないのもになると、それを意識することはなかなか難しいものだと思う。たとえば、今日の朝日新聞サイトにはCO2排出を半減する新技術開発の記事があり、CO2による温暖化のことを考えることが出来るが、そもそも今の地球温暖化が十年前くらいによく騒がれていたオゾンホール拡大を防ぐためにフロンガスの使用を規制しようという動きの結果として起こっていると言われている事は、それを訴える記事がないため気づきにくい。(オゾンホールがなくなれば当然温暖化は加速する。)
ネットについても当然それは同じで、GoogleかYahooの検索エンジンに引っかからなければそれは存在していないのと同じ。でも、それに気づく事は少ない。これは、情報の取捨選択をしている新聞やテレビメディアも、Appleがソフト開発者に開発できるソフトに規制をかけているiPhoneも同じで、これを完全になくす事は出来ない。ので、大事なことは「規制されている事」に気づく事であると思う。
個人的にも、1社のサービスへの依存はなるべくしないように注意している。メモはEvernote、写真はFlickr、メールはGoogle、メッセンジャーはYahoo・MSN・Googleの3つと利用するサービスの分散はもちろん、データそのものをネット上に預けてしまう事によるデバイスへの依存の分散も。まあとはいえ、適度に囲い込まれる気持ちよさはiPhoneで実感しているので、現状Apple依存がちょっと高いのが懸案事項だったりする。
宗教はインチキだ、という反応は、しばしば宗教に対して食わず嫌いになりがちです。宗教、とりわけ「創唱宗教(引用者注:キリストなどの特定の神を定めている宗教)」は、人類が培ってきた大切な叡智だといってよいでしょう。その叡智と無縁に生涯を終わるのはいかにも残念だ、というのが私の思いなのです。
先日読んだ本と同じ著者で、前作と対をなすような位置づけらしい。前回と同じく、読む前に自分が感じていたところと大筋は同じ主張で、それの裏付けとなる歴史的な背景や著名な宗教家の言葉を引きながら書かれていた。
「生老病死」という言葉があって、生まれること、老いること、病に伏せること、死を迎える事というのは、人間がその人生において逃れることが出来ない四つの苦悩という意味らしい。生はよく分からないし、老いはまだ経験しておらず、それほどの病に伏せったこともないが、死が苦況だというのはここ数年の近しい人の死でなんとなく理解できる。
個人的に、宗教は「よくできたフィクション」だと思っている。なので、神とか仏とかそういうのがいるとは全く思っておらず、むしろ嘘だと思っている。でも、嘘と分かった上で積極的に肯定している。人類が誕生したときから存在しており、何世紀にもわたって廃れることなく受け継がれている「よくできた物語」だと。
自分の死は分からないが、身近な人の死というのは結構こたえる。虚無感は時が過ぎれば薄らぐが、ほおっておいて完全に消えてなくなるというものではないと思う。おそらく、老いや、自分の力ではどうしようもない病なども、同じ性格のものだろうと思う。だけど、自分ではそういうことを経験するのは初めてかもしれないけれど、人類は過去ずっとそういう事を経験してきていて、それを解消するために編み出されたのが「宗教」だと思う。
誤解を恐れずに書けば、「生老病死」にぶち当たったときに、手っ取り早くそれを解消してくれるのが「宗教」だということ。僕の場合は、祖父が亡くなったときに「現代語訳 般若心経」という本を手に取り、「『生まれた』という認識も『滅した』という認識もありのままの実相ではなく、じつは脳内に現象した大雑把な『概念』に過ぎません。解けないほどに絡み合った関係性を、とりあえず無視してザックリ切った認識と見るしかないのです。」という一文に出会い、自分の中で何かがストンと腑に落ちた。
なので、おそらく、病だとか、うまくいかないこととか、そういうことで宗教を頼ったりはしないだろうし、自分以外の誰かにそれを押しつけることもしない。あくまで自分が生きていくときに糧となる「人類が残した精神の文化遺産」であって、それを使わせてもらっている。という位置づけ。だから「生老病死」という壁にぶち当たるまでは必要性を感じないだろうし、必要としない人もいるかもしれない。
ただ、「生老病死」の時だけ頼るにはもったいないほどの生きる上でのヒントが書かれているので、著者と同じく食わず嫌いするのはもったいないなぁと思う。そういう感じなので、そういうまっとうな宗教の部分と、政治介入している某教団のようなものがおなじ「宗教」というくくりになってしまっているのはとても残念だと思う。
このように見てくると、読者の多くも、自分たちが「自然宗教」の「信者」であることには反対されないであろう。さらにいえば、初詣やお盆、春秋の彼岸はいづれも重要な年中行事であることからも分かるように、日本人は年々歳々同じ行事を繰り返しながら、いつしかしか「自然宗教」に同化されているとも言える。
「自分は無宗教だ」という人が結構いるが、そういう人は「日本教(本書で言う自然宗教)」とでもいうようなものを信じてるんじゃないか、と思っている。元々は神道、仏教というきちんとしたものが長い歴史の中で一般化、混在化する経過を経て「宗教」から「習慣」になっただけで、大多数の日本人が盆に墓参りをしたり死んだら葬式をして、という宗教行為をやってるじゃん、と。
なぜそうなったかといえば、多くの日本人が仏教やキリスト教のような「宗教」と、オウム真理教や足の裏なんとかのような「カルト」をひとまとめにして捕らえてしまったために、「宗教」という言葉に対してネガティブなイメージを持っているからではないか。戦争も関係しているのかもしれない。
という仮説をもって読んだ本なのだけど、おおむねおなじような事が書いてあった。「習慣」化については、自治体が行う地鎮祭が政教分離に反するのではないかという裁判で「社会の一般的習慣に従った儀礼は宗教行事ではない」という判例が出ているらしく、社会全体として習慣化した宗教は宗教ではない、という認識なのだろう。
そうなった経緯については、かなり細かく歴史的な経緯が書いてあるのだけれど、その中でも明治維新によって天皇家にフォーカスがあたったことで、日本のその他の宗教全体に対して大きな混乱が生じたとあった。たしかに著者のいう考え方で行くと昨今の靖国問題の根本の原因ではないかと感じるけれど、組み立て方が単一すぎるのでこれは天皇家側からの視点で書かれたものも読んでみたい。

iPodをつくった男
スティーブ・ジョブズの現場介入型ビジネス
大谷 和利 (著)
(アップルはパッケージにもこだわるという下りで)
他のメーカーから見ると、そこまでパッケージングに凝るのはコストの無駄である、ということになるのかもしれない。しかし、そういう会社でも、本社のロビーや応接室には予算を割いて立派なデザインを施す。そこを訪れるのは、ほとんどが取引先の人間であり、エンドユーザーが訪れる機会はないに等しいにもかかわらず、である。
ネットで拾えるネタが多いですが、さらっと読むにはいいんじゃないでしょうか。ていうか、やっぱりG4 Cubeって失敗扱いなのか。。。初めて買ったMacがG4 Cubeな僕としては、MacBook Airからも同じ匂いがプンプンするのですが。
メディアはこぞって「政治が悪い」「政治家が悪い」と報じる。私はそれだけのせいだとは思わない。コモンセンスを持たない、私利私欲やブームで一票を投じる品格なき有権者が、政治家の品格を貶めている。
以前安倍総理が辞めたときに「国民が悪い」というようなことを書いたことがあるけれど、それと似たようなことを書いている。政治が悪いのは、国民のせいであるとはっきり書いてあって、その通りだと思う。
有権者が趣味趣向や私利私欲、ビジュアルで政治家を選ぶため、政治家も選挙に通るために志を忘れて大衆迎合する。メディアも、有権者の興味に合わせて不倫だなんだと報じまくるので、悪い循環が続いてしまう。
ちょっと変な理屈かもしれないけれど、安倍さんに期待していたのは、あの人の言っていたことに共感できたこともあるけれど、親から継いだ地盤があるので大衆迎合しなくても選挙を通ることが出来、自分の主義主張をまげなそうだ、という観点からだった。まあ結果的にはだめだったんだけど、またやるなら応援したい。
警視庁捜査一課特殊犯捜査係の覆面捜査部隊「トカゲ」が活躍する本格的な刑事物、ということでそのネーミングに惹かれて買ったんですが、「トカゲ」はそんなに活躍しない。
何の前振りもなく突然事件が始まり、そのストーリを追うなかでキャラクタが少しづつ登場してくる。一応ミステリチックなのですが、何となく気づけるし後半でネタ晴らしされるのでそんなにインパクトがあるわけではなく、その予想される結末に向かって淡々と進んでいき、事件解決と同時になんの後書きもなくスパッツと終わる。
臨場感と緊迫感はあるのでつまらないわけではないのですが、なんというか余韻がなさ過ぎて。
桜宮は花盛り、青いすみれに白百合の花…
チームバチスタシリーズの本作。これでシリーズで読んでいないのは「ブラックペアン1988」だけかな。他の作品と違ってエキセントリックなキャラクタが少ないので物足りないと感じるかもしれませんが、個人的にはそれでも魅力的なキャラクタが多く、一気に読めました。
ストーリーが、バチスタシリーズの中では一番好き。徐々に明かされる複雑に絡み合った人間関係と、罪と罰というか業のようなものの存在。もう少し肉付けしてあればいいとは思いましたが、それでも十分考えてしまう組み立てでした。
キャラクタの中では、桜宮すみれという女医が秀逸。すみれと双生児の小百合というもう一人の女医といい感じに性格が別れていて、すみれはどちらかというと活発な方。主人公天馬との関係や孤軍奮闘するその姿がとても魅力的。
なので、物語の最後はすみれへの綺麗な余韻を残して追われるのかなあと思っていたら、思わぬ形でのどんでん返し。物語全体を通してみれば最後のいいスパイスにはなっているけれど、すみれのことを考えるとちょっとなぁと後ろ髪を引かれたまま読了。もういちど読み返したい本です。