Archive for the ‘Clip’ Category

please love me

2007/12/10(Mon) Clip

ぶちの子犬

うちのコロに似てる。

斎戒沐浴

2007/12/07(Fri) Clip

死刑、初の氏名公表 法務省、3人執行と発表 – 朝日新聞

法務省は7日、3人の死刑を執行した、と発表した。法相が執行命令書に署名しなくても執行が進む「死刑の自動化」を提案した鳩山法相の下での初めての執行となった。発表にあたり、同省は初めて、対象となった死刑囚の氏名と犯罪事実、執行場所を公表。「情報公開することで死刑制度に対する国民の理解を得られる」との狙いから、実施の事実だけを伝えて氏名などは一切公表しない従来の方針を転換した。

「斎戒沐浴してサイン」 死刑執行で鳩山法相 – 朝日新聞

鳩山法相は7日昼、衆院法務委員会で、委員からの質問に答える形で死刑を執行したことを明らかにした。そのうえで「国家権力によって人の命を絶つわけで、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して(執行命令書に)サインをさせていただいた。大きな心の痛みを感じるが、法に基づいて粛々と実行しなければいけないということで、逃げることのできない責務と思って執行させていただいた」と話した。

斎戒沐浴(さいかいもくよく)
神仏に祈ったり、神聖な仕事をする前に、飲食や行動を慎み、心身を清めてけがれを取り去ること。

こんな言葉あるのね。今までも執行状況って報道されていたけど、一応マスコミ調べという建前でしたが、公式に発表されることに。僕自身はこの刑自体は賛成なんですが、オフィシャルに執行が公表されるとどうなるのかと考えてみた。

再来年に裁判員制度(まだよく知らないけど)が始まって、普通の人が裁判に参加する事になると、大きい事件では裁判員が死刑(あるいは死刑回避)を求めることも出てくる。その人が死刑と判断し、その通りの判決になった場合、最終的にそれから数年後に死刑執行のニュースが流れる事によって、自分の判断によって人間を一人間接的(と言えるのかどうかは難しいけど)に殺した事が周知されるになる。あるいは死刑回避を主張したが死刑となった場合に、その人的には自分の判断に反して人が殺される事になる。

はたして、その精神的負荷に人は耐えられるのだろうか?理論的には死刑にすべきだと100%納得していても、そればかり考えていられる裁判官ではない市民にとっては、簡単に表現すると「結構しんどい」事だと思う。そうなると、判決が全体的に被告寄りになってしまう気がする。有罪無罪の判断が誤るケースもある程度出てくるだろうけれど、量刑が軽くなるケースは多々発生すると思う。(そもそも、裁判員制度自体が、死刑制度に反対する公明党主導で導入されてたりする。)

死刑制度というより裁判員制度寄りの話になってしまったけど、こればかりは国民性の影響も大きいから、他国の事例が応用できず運用してからのでたとこ勝負になりそう。まだあまり裁判員制度については議論されていないけれど、来年あたりになったら議論が活発になってきてこの辺も話題になるのだろうか。

「大人になったジブンへ」を見てまとまった、今興味がある事。

2007/12/03(Mon) Clip

広告って何でしょうね。最近技術系の情報と同じくらいマーケティングについても読み漁っているのですが、その中で「広告は企業や商品をいかに知ってもらうか。知ってもらわないと何も始まらない。」という事と「インターネットは(テレビなどのマス媒体に比べて)コミュニケーションコストがもの凄く安いメディア」という事が印象に残る。僕らがやっているような広告媒体を、クライアントがどう考えて使っているのか、逆にどう使われているのか。

クライアントがどういう目的を持ってマーケティングをして、その中の一つの手段として僕らのいる広告媒体がどう使われて、その媒体はどういう考えを持って運営され、どういう技術でもって最終的に生活者と接するのか。その一連の流れがどうなってるのかを知って、そもそもどうあるべきかとそれをどう実行するかを知りたい、というか実感として理解したい。「なんで?」と聞かれても、「何であの子が好きなの?」という質問と同じくらい、答えようはないのですが。

みんないっしょ。

2007/11/19(Mon) *Pickup, Clip

[N] 浦和の中心で愛を叫べ

だからもう一度、ここに戻ってきました。ここで書き続けます。また、どうぞよろしく。

みんないっしょなんだねと思った。身近な人でも亡くなってしまうということも、その後のふわふわしたような気持ちも、その後も生きていかないといけないことも。絶望のようで、安心感もある、不思議なルール。

知っていることと、理解する事ってやっぱり違うくって、よく「なにげない日常が一番幸せ」みたいな事が言われますが、そうだなぁと思います。「なにげない」って、「何もない」わけではなくって、家があって、親がいて、兄弟がいて、ペットの犬とハムスターがいて、友達がいて、会社があって、、、と結構いろいろあるのです。

でもそれは、ある日ふとそれらのどれかが欠けるまで、見えてこないものなのです。そして、欠けるともう元には戻らないものなのです。

赤ちゃんポスト

2007/11/12(Mon) *Pickup, Clip

「赤ちゃんポスト」に半年で8人 多くは乳児院に – 朝日新聞

熊本市の慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」の名称で赤ちゃんポストの運用を始めてから10日で半年になった。これまで新生児から3歳までの8人の子どもが預けられ、住所がわかったケースはすべて熊本県外からだったという。親が引き取りにきたケースもあるが、多くの子はいま、乳児院にいる。小さな命をどう育むのか、救ったその先にも課題が横たわっている。

考えがまとまっているわけではないですが、今思っている事を少しだけ。

「後先考えずに産んで面倒を見きれなくなり子を捨てる無責任」と、「赤ちゃんポストで引き取った後のことがまだあやふやな状態で運用を始める無責任」。前者は何も生まないどころか殺めているけれど、後者は少なくともいくつかの命を繋いでいる。その同じ「無責任」の差はとても大きいと思う。

マンガ「ブラックジャックによろしく」でも似たような話があった。緊急出産で障害児が生まれた両親が、出産に際して親への手術の同意がなかったとして生まれた子供の認知を拒否する話。その話の中では、主人公が悩んだ末に「医者は生まれた後の事まで責任を持つ必要はなく、ただ目の前にある命を助ければいいんだ(超要約)」という結論を出す。読んだ時の僕はそれに賛成も否定もしなかった。

そもそも、人が生まれるというひとつのイベント自体が、計画性やきちんとした知識やといったロジカルな要素とは無縁のものなのではないかとも思う。逆にそういった思いこみが強いほど、生まれた以降その思いこみとのギャップに悩まされてしまうのではないかと思う。欲しくても出来ない人もいれば、事情は多々あれ生んだのに捨てる人もいる世の中。

僕は、きちんと考えた上で、宿ったのに事情があって堕ろしてしまう人や、生んだのに捨ててしまう人、他の人の体を借りて生もうとする人を否定したくない。そにれいくらそういう事を防止しようとしても、どうしても出てきてしまう事だと思うから。それよりも、そういう経緯で生まれた子供や、まわりの手助けがあれば生まれてきたかもしれない子供を生かす方に力を注いだ方が、意味のある事だと思うから。読み返してもいまいちまとまりませんがこのへんで。

エレベーターのボタン

2007/10/31(Wed) Clip

エレベーターには裏技があるらしい

エレベーターには裏技があるらしい。

エレベータのボタンを押し間違えた時に、それを訂正するテクニックがあるというブログを読んだ。

僕が働いている会社のエレベーターは日立製である。日立の場合、キャンセルしたい[階数ボタン]を押し続けるとのことだ。

こういう文章書いてみたいなぁ。

道路交通法の改正

2007/10/25(Thu) Clip

飲酒運転大幅減、同乗罪など71件・改正道交法施行1カ月 – 日経新聞

警察庁は25日、飲酒運転者本人や周辺者への罰則を強化した改正道路交通法の施行後1カ月(9月19日-10月18日)の取り締まり状況をまとめた。飲酒運転の検挙件数は、昨年10月と比べて3124件少ない5625件(うち逮捕者501人)で、大幅に減った。(中略)

飲酒事故は350件(前年同期比243件減)。うち死亡事故は17件(同9件減)だった。

交通死亡事故者には、事故発生から24時間以内に死亡が確認された場合にしか対象にならないので、医療技術が優れている今だと一時的に救命して24時間以降に亡くなる人も多いんじゃないかと思う。こういうことって、自分はしちゃいけないと考えることは多くても、その被害に遭う事もあると考えることは少ないんじゃないかと思う。陳腐な言葉しか思いつかないので、多くは書きませんが。

無いものねだり

2007/10/17(Wed) Clip

ある個人史の終焉 – after game over

長く住んだせいで徐々に関西弁が浸透していたこの頃の彼女の言葉から、慣れ親しんだ怪しげなイントネーションが消えて、びっくりするほどにうつろな標準語が隣に座っている女の子からするすると流れてきたとき、僕は自分の無力を知った。だから僕は何も言えずに、ただ彼女の肩をぽんぽんとたたいた。

いろいろ理屈をつけて考えないようにしたりそれをバネにしたりは出来るけれど、やはり人が当たり前に持っているものを持っていない事は少し悲しいし、当たり前に持っている人がうらやましいと、これを読んで思った。

「好き」の種類

2007/10/16(Tue) Clip

CMSとモバイルとフィードと四畳半社長: 彼女の書いた本

僕はエヴァンゲリオンとおなじくらい彼女が好きだったけれど、そのとき僕は別のことに夢中で、いつのまにか彼女は結婚してしまった。

好きにもいろいろある。
カレーが好き、お父さんが好き、ガチャピンが好き、コンピュータが好き。

言葉は気持ちと結びついて初めて意味を持つのだなと、今更ながら思いました。

子会社の解散及び清算について

2007/09/28(Fri) *Pickup, Clip

子会社の解散及び清算について

ストアファクトリーは、2006年7月に、サイバーエージェントグループで培ってきた経営資源を活かし、ドロップシッピング関連事業を行うため設立いたしましたが、当社グループの事業再編および経営の効率化を図るため、同社の解散及び清算を決議いたしました。

CA、DS事業から撤退。子会社を清算 : Venture Now

一連の流れについてサイバーエージェントは、「今回の解散および清算は不採算事業の閉鎖という事業的判断によるもの。とりあえずは今回の件で解散・清算案件はほぼ終了となる。基本的には、弊社事業育成のCAJJプログラム(Cyber Agent Jigyo&Jinzai ikusei program)の規定に沿ったかたちですすめているが、画一的に処理するのではなく、市場の成長性が見込める場合には役員交代による事業継続を行うケースもある」と説明。

ストアファクトリーが手がけてきたドロップシッピング事業の「ミセつく」は、度重なるサービス開始時期の延期やサービス開始後のサーバアクセス混雑などにより、スタートダッシュでつまづいてしまった感は否めない。サイバーエージェントは「ストアファクトリーの解散については、ドロップシッピング市場自体のひろがりにあまり期待できないのが理由。今後もドロップシッピング事業への参入は考えていない。実際、ドロップシッピング事業で成功している企業もあまり見かけない」と述べた。

とくになにも書けることはないのですが、記録として。