Archive for the ‘*Pickup’ Category

インシテミル

2008/02/10(Sun) *Pickup, Book

インシテミル 表紙
インシテミル
米澤 穂信 (著)

クローズドサークル名物、「この中に犯人がいるかもしれないのに一緒になんていられないわっ!あたしは部屋に戻る!」が成り立たない。

ミステリ。ミステリなのですが、普通のミステリというよりも、ミステリ好きに向けたミステリといった方が適切かと。時給11万2000円という怪しげな実験モニタのアルバイトに応募してみると、謎の館に7日間監禁される。実は12人の人々を殺しあうようにしむけ、ミステリ小説のクローズドサークルモノを再現するための実験であり、そこでは互いが疑心暗鬼になり殺しあうように仕向けるためのルールや仕掛けが色々と仕組まれていたのだった。という話。まあ密室物です。ライアーゲームのような世界観かな。

面白いのは、実際に12人がだんだん死んでいく中で探偵役も自然と生まれてくるわけですが、その館には館のルールがあって、実際に正しい推理をすることにあまり意味はなくて、その場にいるメンバーの半数以上の支持を得た推理が正しい推理とされるのです。だから、実際には間違ってても良い。支持を得る方が大事。

そして、時給11万2000円の他に、推理をしてそれの支持が得られると報酬が倍になったり、人を殺すと倍になったり、推理に失敗すると半額になったり、殺害に失敗(or成功後推理によって犯人とされる)になると、時給が一気に数百円に下がってその後の実験に参加できなくなったり。といった感じ。ただのミステリと言うよりも、ミステリの要素を皮肉った(?)世界観。何もしなければ全員平穏無事なわけですが、そうはいかないわけで。

そんなに古典ミステリは読んでない僕でも楽しめましたが、読んでるとより楽しめたんだろうなと思う。そういった要素が前面に出ているので、キャラクタの深みとか、登場人物の背景とか、リアリティが薄いのですが、それはまあバランスの問題でしょうか。それを書いていると本題がぼやけてしまいますから。結構オススメです。

死刑 – 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。

2008/01/19(Sat) *Pickup, Book

死刑 表紙
死刑
人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。
森達也 (著)

死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「何故、国民は死刑を支持せざるをえないのか」です。(光市母子殺害事件被害者 本村洋からの手紙)

今すぐ買った方がいい、と断言できる本。

danさんのブログで見つけて、お急ぎ便を躊躇なく選択して一瞬で買った。少し前のブログに書いた「自分の命をかけてまで子供の命を守ろうとした一人の人間が、同時に一人の人間に死んで欲しいと願うという事。」への解に出会えるのではないかという期待で。読み終わって思うのは、僕の一番好きな「赤朽葉家の伝説」は興味を持った人だけ読んでくれればいいと思うけれど、この本は興味のあるなしではなく、知らないといけない事だと思う。

ところで、僕は何故こんなテーマばかりに興味を持つのだろうか。mixiの新着日記に「死刑 – 人は人を殺せる…」なんて日記があがってしまうことをたまに申し訳なく思ったりもする。その理由の一つは、「ドラクエクリアしたよ!」という日記を上げる時より、こういう事について書く方が自分の頭をフル回転させないといけないという事。このブログを自分を知る為の鏡として使っている面もあるので、これは一つ大きな理由。そして、もう一つの理由は、本書が明確にしてくれた。

どちらも今のこの世界だ。僕らが暮らすこの世界と地続きに、煌びやかなテレビスタジオがあり、ホカホカと湯気を立てる山海の珍味があり、飢えと寒さで衰弱しながら死んでゆく子供たちがいて、そしてあの薄暗い処刑場がある。
その末端に、僕がいる。そしてあなたもいる。

僕は目を背けられない、見てしまったのだから。

死刑についての僕の考えは、過去にも書いたことがあります。

iwalog : 自分が生きるために。

確かにその通りだと思う。人には人の命を殺める権利などないと思う。そうだとするならば、汲み取るべき事情がある承諾殺人(人の承諾を得てその人を殺害する=介護疲れによる息子による親の殺害)など一部を除いて、人が人の命を殺めた場合、その人はその時点で人権を行使する権利がないのではないか。

ものを盗んだ場合、そのものか相当するお金でもって償う。そして、抑止の意味も含めて金銭以外の懲役などの罰をもって購わせる。はたして、自分たちが声高らかに主張するもっとも高貴な価値観である人権を侵害された場合、何をもってすれば償いになるのだろうか。それは、その人自身の人権ではないのだろうか。(もちろん、原因の究明は必ず必要という前提で。)

何もしていない人を死刑にするわけではなく、罪を犯した人を死刑にするのであるということ。これは本書を読んだ後だと、被害者の側面ばかりが報道されて、加害者遺族や死刑囚のその後を知るすべがなかったから故の発想だったと気づく。この考えは、本書の中で紹介される加害者遺族や死刑囚と刑務官のかかわりを読むことで、ある意味では変わるのだけれど、ある意味では変わらない。

また論理の面では、現行法を前提とする場合、現行法で死刑に値する人間を無期懲役などで処理した場合、多くはないとはいえ再び社会に出てくる事になる。現に酒鬼薔薇聖斗は社会復帰している。彼らは更正するかもしれない。でも更正しないかもしれない。更正しなかった場合のリスクをあなたは受け入れますかと言われたら、僕は受け入れたくない。これは本書の中でもオウム事件以降の過剰な厳罰主義・治安強化主義の結果もたらされた日本社会の傾向であると論じられている。

本書では、森達也は悩む。そして自ら悩みたがっているかのごとく、死刑廃止論の安田弁護士(光市母子殺害事件加害者側弁護士)、死刑判決が確定した元オウム真理教幹部の岡崎死刑囚、「モリのアサガオ」という死刑囚と刑務官を描いた漫画を書いている郷田マモラ、死刑確定後判決が覆って無期懲役となり出所した人物、犯罪被害者の側から取材をしているライター、存置から廃止に考えが変わった被害者、池田小学校事件の宅間守死刑囚(2004年9月14日死刑執行)の手紙、死刑があるからといって犯罪発生率が下がるわけではないというデータ(死刑が犯罪抑止力としては機能していないという趣旨)、冤罪の場合取り返しが付かないこと、冤罪は現在も続いていること、実際に執行する刑務官の苦悩、更正した死刑囚、更正しなかった死刑囚、更正など求めておらず被害者が生き返ることだけを求めている遺族、死刑囚とその家族の最後の別れなど様々なものに触れる。

そして、光市母子殺害事件遺族の本村洋とも手紙を交わし、本書の最後の方でその事件の加害少年とも接見し、結論を出す。結論も、その課程も、必読の価値がある。

僕の結論。読む前と変わらず、死刑は必要であるということと、被害者保護にもっと手厚くなるべきであると言うこと。でも読む前と変わったのは、その執行は慎重であるべきで、現行の死刑制度をもっと改良すべきであると思うようになったこと。

被害者感情を考えた時に、死刑という「選択肢」は必要であると思う。しかし、冤罪もあるし、死刑囚にも家族はいるし、更正する人もいる。でも、再犯のリスクもある。それらを考えると、社会制度としての死刑はやっぱり必要で、撤廃か存置かを議論するよりも、その運用の改善に目を向けた方が、幸せになる人の数が増えるのではないかと思う。

MacBook Airレビュー

2008/01/17(Thu) *Pickup, IT, Mac

MacBook Air

MacBook Air

(追記:1) 注文しちゃいました!(iwalog : 買っちゃった。)
(追記:2) 届きました!(iwalog : MacBook Airが届いた。)

去年の年末くらいから、かれこれ3年使っているVAIO-Tが時々BIOSが起動しなくなる時があって、そろそろ寿命かと新しいPCを買おうかと考えてた所にこれ。PCの故障という買う必要性があって、ニーズを満たしたPCが目の前にある。あとはお金の問題だけ。。。

筐体の面だと、実機をさわってみないと何とも言えないけれど、東芝のDynaBook SS的な感覚に近いんじゃないかと思う。DVDドライブがないDynaBook SSのような感じではと想像。

画面サイズはVAIO-Tが10.6インチに対してMacBook Airが13.3インチなので少しでかい。逆に重さは両方とも1.36kgなので、今使っているVAIO-Tとほぼ同じ。逆に言えば、DVDドライブのないMacBook Airが、ドライブのあるVAIO-T並に重いということになる。CPU、HDDは文句ないスペック。どうせVAIO修理後サーバにして無線経由で外付け500GBHDD使うし(NAS買っとけばよかった)。ソリットステートドライブは10万円アップになりコストパフォーマンスに会わない気がするので除外。80GBでもVAIO-Tの60GBに比べて十分。

やはりネックは外部端子まわりで、イーサポートがない、PCカードスロットがない、USBスロットが1個しかない。自宅はさておきWi-Fiなんてまだ少ないから、別売りのUSB⇒イーサポートアダプタが必須と思われる。PCカードスロットがないということは、これもUSBアダプタでも買わない限りAirH”とかauのデータ定額通信が使えない。というか今見てたらauのはそもそもMac非対応。。。Bluetoothが付いてるけど、Bluetoothが必要なシーンに出会ったことがない。

インターフェイスまわりでいうと、キーボードのキーピッチとストロークはMacBookのそれに近いらしい。MacBookのキーボートが僕には大きく感じたので、ここが一番不安。それからやたらにでかいトラックパットがタイピング中の腕に触れてマウスが変なトコに行くという僕がMacノートを苦手な点をさらに強くさせそう。こればかりは実機をさわってみないと何とも言えない。

あと細かい所でスピーカーがモノラルなのがちと残念。iSightも、あれば使うかもレベルなので決めてという所までは行かず。iLifeが標準付属なのはうれしい。電源アダプタもこれまでのMacBook程度らしいので、持ち運びは本当にシンプルになりそう。

アプリ面だと、今のVAIO-Tのローカルで動かしているものは少なくてiTunesとPicasaぐらい。後はネットベースなので、これはiLifeでカバーできそう。ATOKのMac版を買わないといけないくらいか。あとMac非対応のサイト。こればかりは潔くあきらめるしかない。新しもの好きとしてはちょっとさみしいけど。

というわけで実機で最終チェックしたら買い決定なのですが(アップルストアの店頭で展示を開始するのは出荷日以降らしい)、いわごろ的カスタマイズでは以下な感じ。

  • 1.80GHz Intel Core 2 Duo
  • 80GB パラレルATAドライブ (4200 rpm)
  • 外付けSuperDriveなし(VAIO修理してRemoteDisc)
  • USキーボード
  • USB⇒イーサアダプタ

しめて27万円ちょうど(税込み)。
ほしい。。。

Apple Store(Japan)

年上好きだがモてるのは年下(幼児)

2008/01/12(Sat) *Pickup, Diary

お鍋
from : keke
左上に写っているいわごろのひざにある小さな足がカウベルジュニア。

3ヶ月ぶりくらいの福井。この連休は新幹線も特急もきちんと指定が取れて、乗ってみるとけっこう空いていた。やっぱ盆正月は世間と少しずらして帰るのが吉。米原・敦賀間では雪が積もっていたけれど、福井ではもう解けていた。

福井駅でkeke氏に拾ってもらいカウベルさんちでご飯。カウベル夫妻と会うのはかなり久しぶりで、ジュニアさんとは初対面。結婚したのいじー夫妻、とめつん、お腹の大きさがその幸せを表しているかのようなen-mana(mama?)さん、誰も入っていないのに同じくらいの大きさのお腹をしたミヤ氏。

カウベルジュニアのお眼鏡にかなったようで、ずっと膝の上にのったりじゃれあったり。なぜか日本語を話してくれず、聞けたのは「おいしい」の一言だけであった。女性陣やいじられそうなのいじーもいるのに、僕が選ばれたのはカウベルパパと同じようなメガネ男子だったから?本人の願いとは違う所でモてるとは、世の中なかなかうまくいかないものである。

カウベルさんちは、秋に曾祖母の葬儀をした所の本当に隣だった。ジュニアの遊び相手をしてたらあまり食べれず、ひさしぶりなカウベル夫妻ともあまり話が出来なかったのが少し残念でしたが、たのしい時間でした。会場&料理ありがとうございました。

今年の目標

2008/01/01(Tue) *Pickup, Diary

僕は毎年年明けに目標を書いています。目標といっても、「禁煙します」みたいなのを一つ決めるのではなくて、「人間関係」「仕事」「健康」「精神・感情」「経済」「教育」という6つの分野について、どうなっていきたいのかをまとめています。今年実行できる具体的な事もあれば、最終的に目指す所であったり、抽象的な物から具体的な物まで混ざっています。

そんなわけなので、抽象的・長期的な所は毎年あんまり変わらなくて、具体的な所のみが毎年変わる感じです。今年は去年何の迷いもなく決められた「仕事」にすごく悩みつつも、ある程度答えを出したので、それに向かって頑張ろうと思います。

個人的な事が多いので全部はこのブログにはかけないのですが、ブログまわりについてだと「本を100冊読む(去年は64冊)」と「エントリを500本書く(去年は232本)」というのがあります。両方とも去年のほぼ倍くらい。あと、小説を1本書く事と、Linuxをちゃんとマスターする事。ぐらいかな、ここに書けるのは。(ここに書かないけどもっと真面目な目標も立ててます(汗)

それらをまとめて、「安定した土台をつくること」を今年の全体の目標にしました。安定したっていうのは、けして保守的になるという意味ではないです。自転車が常にこぎ続けることで安定して走れるように、公私ともにいろんな事に打ち込める環境と自分をつくり、それをこつこつとでも継続的に続ける事で、安定した自分の土台を造っていきたいと思います。(これで早速3/500エントリ。)

謹賀新年

2008/01/01(Tue) *Pickup, Diary

-日に三度 身をかへりみし いにしへの
  人のこころに ならひてしがな-

あけましておめでとうございます。

今年で三回目になり、自分的にはこれがないと新年を迎えた気がしなくなってきた明治新宮に参拝。途中の渋谷駅でスクランブル交差点が見えたけど、ほとんど人がいなくて、みんなきちんと横断歩道を渡ってる。でも福井の大名町交差点よりは断然多いというこの日本の極端さ。

毎年夕方ぐらいに行っていて、拝殿まで2時間ぐらいかかってたんだけど、今回午後一に行ったら1時間ちょいで着いた。今年も神楽殿にあがり、後厄のお祓いをしてもらう。今年はなんだか式次が短くなっていたように思う。自分の名前を読み上げてもらい、舞を見て、ようやく新しい年が始まったという気持ちに切り替わる。

冒頭は、今年引いたおみくじ(明治神宮のおみくじには大吉中吉とかがない)。人はうぬぼれがちであるが故に、「人のために忠実か」、「友と交わって信実か」、「修養を怠っていないか」と毎日三度我が身を反省する事。という意味。

年々年が過ぎるのが早く感じてきました。今年は25才になります。あと何年東京で過ごすのかは分かりませんが、最後にやり尽くしたと充実して福井に帰れるよう、おみくじの言葉を忘れず、後悔のないよう過ごしていきたいと思います。

不束者ではありますが、今年一年も皆様宜しくお願いいたします。

年の瀬に。

2007/12/31(Mon) *Pickup, Diary

28日に仕事納め。終わった瞬間、どっと力が抜けて、28日の夜と29日は爆睡。29日になってあわてて大掃除を始めるも、今年はちょこちょこ綺麗にしていたので、ゴミをまとめて掃除機とクイックルワイパーをかけるだけで完了。その後PCのデータ整理とバックアップとか、本の整理とか、ついつい時間がかかって今も続行中。あと、ブログのリニューアルもちょこちょこと。

年の瀬に、という事ですが、今年の事についてはもういろいろ書いてきたので、今更特にまとめて書く事もないなぁという感じ。心境だけ記録しておくと、早く追われ早く追われと思いながらやってきてなんとか滑り込みで年末まで持った感じ。今年ほど疲れだけが溜まった年もそうはなかった。

とはいえいつまでもこのままではいられないので、そういうのは今年で終わりにして、来年どうするかを考える日々。仕事の事、家族の事、自分の事。年始に後厄のお払いに行ってからゆっくり考えようと思いますが、安定した土台をつくれるような年にしたいなとぼやっと思っています。

今年もいろいろな人にお世話になりました。東京の人、今年いろいろつながりが増えた福井の人、逆にあまりあえなかった新潟の人。ありがとうございました。自分の中ではこの3つがキーになっているように思います。それから、このブログを読んでくれた人、ありがとうございました。来年は25才。来年の年末は、どんな記事を書いているのでしょうか。よりよい一年に、なっていますように。それでは、皆様良いお年を。

「知っている」と「分かっている」の違い

2007/12/04(Tue) *Pickup, Diary

サーバーを教えてくれている人と話していて、「知っている」のと「分かっている」のは似ているようでだいぶん違うよねという話になった。発端は技術の話だったのだけど、何にでも言える事だなと思った。

僕が最近一番実感したのは「人は死ぬ」という事。もちろん知っているし、今まで読んだ本や見た映画で死んでいった登場人物はそれこそ千を越える数だろう。ニュースサイトのトップページを開けば必ず1本は誰かが死んだという記事があるし、今日も東京では人身事故があって交通機関が混乱した。

でも、実際に身内が死んでそれに最後まで付きそうと、いろいろ分かる事がある。僕もこのブログで何個かそれについての記事を書いたけれど、それを読んでくれた人だとしても、近しい人が死ぬという経験をしていなかったら、いくら僕の記事を読んでも「分かった」とは違う。僕の言葉がつたないという事もありますが、それは言葉で表現できる事ではないし、だからこそ体験してみないと「分からない」。

とはいえ、この世にあるすべての事を「分かる」には生きられる時間はあまりにも短すぎるし、自分が見えている範囲だけを取ったとしてもそれを分かるには足らないだろうと思う。最近、人は自分が見えている範囲の全てを理解する事は出来ないし、ましてやすべてをフォローしたり助けたり出来るわけではなく、見逃したり見ないふりをしてしまわざるを得ない事がたくさんあって、だからこそやれる事をきちんとやらないと、なと思う。

霧の中

2007/11/19(Mon) *Pickup, Diary

10代の頃に、「若いうちから働いていると、25才くらいで行き詰まるから気をつけなよ」と誰かに言われた。今24才、仕事を始めて8年目で、本当にそうなってしまった。仕事にいまいち打ち込めていなかったり、今年はいろいろあったから、余計な事を考えているだけかもしれませんが。

最近、いまいちネットに興味が持てなくなってきた。以前ほどネットサーフしなくなったし、RSSもどんどん減ってるし、新しいサービスをみてもふーんという感じ、というのが一つ。いままでいろんな仕事をやってきたけど、デザインやプログラミングやディレクションといった、きちんと形になって身につけたスキルがないなというのが一つ。

今後福井に帰りたいという思いはあるけれど、今までやってきたことが福井で活かせるような道筋を描いているわけでもない。逆に、福井に帰ったらこれをやりたいから、今東京でこれをやっているというわけでもない。なんだろう、足場がふらついていて、とても不安定な感じがする。

「1ヶ月くらい海外旅行でも行ってきたら?」とか「なるようになるんじゃない?」とか「ぜんぜん違う事をやってみたら?」とも言われる。仕事が面白くなれば、全て解決するような気もする。それどころか、一晩寝れば忘れてしまうような気もする。えらそうな言い方ですが、30才・40才と年を重ねていったときに、まわりの状況がだんだん変化していく事が少しだけ見えてきたけど、その時の自分の姿が見えないから、少しだけ不安になっているのかもしれません。とりあえず今は答えが見えません。あーなにやってんだろー。

みんないっしょ。

2007/11/19(Mon) *Pickup, Clip

[N] 浦和の中心で愛を叫べ

だからもう一度、ここに戻ってきました。ここで書き続けます。また、どうぞよろしく。

みんないっしょなんだねと思った。身近な人でも亡くなってしまうということも、その後のふわふわしたような気持ちも、その後も生きていかないといけないことも。絶望のようで、安心感もある、不思議なルール。

知っていることと、理解する事ってやっぱり違うくって、よく「なにげない日常が一番幸せ」みたいな事が言われますが、そうだなぁと思います。「なにげない」って、「何もない」わけではなくって、家があって、親がいて、兄弟がいて、ペットの犬とハムスターがいて、友達がいて、会社があって、、、と結構いろいろあるのです。

でもそれは、ある日ふとそれらのどれかが欠けるまで、見えてこないものなのです。そして、欠けるともう元には戻らないものなのです。