Archive for the ‘*Pickup’ Category

棺の重さ、お骨の重さ。

2007/11/15(Thu) *Pickup, Diary

通夜の夜のブログでは余裕をかましてましたが、やっぱり葬式は嫌なものです。翌日一気に疲れが来て、告別式のお経が眠くて仕方がなかった。お経をあげているご縁さん(住職)の声に聞き覚えがあるなぁと思ったら、僕が小さいときからずっと家に来てくれている人だった。小さいときは何しているのか意味がわからなかったけど、なるほどねぇと一つつながった。

夏の祖父の時もそうだったけど、今回も出棺の時に棺を持った。式場の人に「若い男性の方お願いします」と言われると、親戚はみんな年寄りばかりで、必然的に僕になるのだ。棺の重さは、なんというか独特。木の箱を持っている感じとも、人を抱きかかえている感じでもない、他のなにものでもない重さと感触。

そしてそれから2時間ほどで、お骨になる。105歳の曾祖母のお骨は、75歳の祖父のお骨より小さいけれど、ものすごくしっかりと残っていた。この年ですごいと言ったら、昔の人の方がきちんとした食生活をしているのできれいに残るけど、若い人ほどぼろぼろな事の方が多いと斎場の人が教えてくれた。あまり例えるのはよくないけれど、ポテトチップスを持っているような軽さと質感。そしてまだ伝わってくる熱気。

本来人のお骨なんてあまりよろしいものではないけれど、僕はお骨になったのを見ることで、ああこれでもういなくなったんだなと良い区切りというか諦めになり、他の親戚もそうだったけど、笑顔になるのだ。でもまあ、棺の重さも、お骨の軽さも、できればあまり持ちたくはない。

105年の人生の終わり

2007/11/14(Wed) *Pickup, Diary

なぜか夜中何度も目が覚めて、浅い眠りのまま朝が来てしまった火曜日。異様に胃が痛いなぁと思いながら起きると、父方の曾祖母の意識がなくなったとの連絡。曾祖母はもう100才を超えているので、実は毎年夏の終わり頃になるともうだめかもしれないという連絡が何回も来ていて、今回も気軽に考えていたら本当に逝ってしまった。享年105才の大往生。

会社に行って昼から帰らせてもらうお願いをして、夏に母方の祖父が亡くなりこの前会社がなくなり、今回は曾祖母が亡くなりと、本当に厄年ってあるんだなと思いながら新幹線で福井へ(もう今回ので打ち止めにしてほしい。。。)。夜家に着くと、近所の人とか親戚の人が集まってる。前回と違い父方の親族なので、これまたむこうはみんな僕の事を知っているけれど僕はその人を覚えていない親戚のオンパレード。そういえば家についてすぐに犬の散歩に行ってこいと母に言われた。まだお焼香もしてないのにさ。

前回は通夜からしか参加しなかったけど、今回はその前から見る事になった。誰が通夜に来て誰が泊まって誰が葬式まで出て引き出物の数は何個で、焼香に呼ぶ名前は誰を先にして誰を後にして、あーあの人が抜けてるという終わりのない話し合い。その最中にも新聞社からお悔やみ欄の確認の電話が来たり、次から次へと親戚が来たり。。。(80歳代のおばあちゃんに曾祖母の娘だって言われるんだから、もうわけがわからん。)いろいろ終わって寝たのが朝の4時。そして今日が通夜。

祖父で「死」というものに一度触れているし、今回は年齢が年齢で覚悟も出来ていたし、僕自身の気持ちもいたって穏やか。まあこうやって曾祖母が寝ている隣でブログ書いてるくらいですからね。(最近の式場は無線LANが完備されているのですよ。)さっき通夜が終わったので、明日葬儀をして、火葬をして、最後まで見届けてから東京に帰ります。

赤ちゃんポスト

2007/11/12(Mon) *Pickup, Clip

「赤ちゃんポスト」に半年で8人 多くは乳児院に – 朝日新聞

熊本市の慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」の名称で赤ちゃんポストの運用を始めてから10日で半年になった。これまで新生児から3歳までの8人の子どもが預けられ、住所がわかったケースはすべて熊本県外からだったという。親が引き取りにきたケースもあるが、多くの子はいま、乳児院にいる。小さな命をどう育むのか、救ったその先にも課題が横たわっている。

考えがまとまっているわけではないですが、今思っている事を少しだけ。

「後先考えずに産んで面倒を見きれなくなり子を捨てる無責任」と、「赤ちゃんポストで引き取った後のことがまだあやふやな状態で運用を始める無責任」。前者は何も生まないどころか殺めているけれど、後者は少なくともいくつかの命を繋いでいる。その同じ「無責任」の差はとても大きいと思う。

マンガ「ブラックジャックによろしく」でも似たような話があった。緊急出産で障害児が生まれた両親が、出産に際して親への手術の同意がなかったとして生まれた子供の認知を拒否する話。その話の中では、主人公が悩んだ末に「医者は生まれた後の事まで責任を持つ必要はなく、ただ目の前にある命を助ければいいんだ(超要約)」という結論を出す。読んだ時の僕はそれに賛成も否定もしなかった。

そもそも、人が生まれるというひとつのイベント自体が、計画性やきちんとした知識やといったロジカルな要素とは無縁のものなのではないかとも思う。逆にそういった思いこみが強いほど、生まれた以降その思いこみとのギャップに悩まされてしまうのではないかと思う。欲しくても出来ない人もいれば、事情は多々あれ生んだのに捨てる人もいる世の中。

僕は、きちんと考えた上で、宿ったのに事情があって堕ろしてしまう人や、生んだのに捨ててしまう人、他の人の体を借りて生もうとする人を否定したくない。そにれいくらそういう事を防止しようとしても、どうしても出てきてしまう事だと思うから。それよりも、そういう経緯で生まれた子供や、まわりの手助けがあれば生まれてきたかもしれない子供を生かす方に力を注いだ方が、意味のある事だと思うから。読み返してもいまいちまとまりませんがこのへんで。

iPod touch

2007/11/05(Mon) *Pickup, IT, Mac

iPod Touch

iPod touch

というわけで、16GB版を買いました。東京に来てからかれこれ2年半使い倒したiPod nano 4GBが傷だらけで充電が持たなくなっていたりするし、PCのiTunesライブラリが16GBになってnanoでは小さすぎたり、といろいろ自分を正当化して買ってしまいました。

既にあれこれ出ているのでレポートをするつもりはないですが、既に見たり聞いたりしたはずの昔の音楽や写真を見ているだけなのに、PCで見ているのと同じものなのに、新鮮に見れちゃうのはもうこれは魔法なんだろうなと思った。

Apple Store(Japan)

子会社の解散及び清算について

2007/09/28(Fri) *Pickup, Clip

子会社の解散及び清算について

ストアファクトリーは、2006年7月に、サイバーエージェントグループで培ってきた経営資源を活かし、ドロップシッピング関連事業を行うため設立いたしましたが、当社グループの事業再編および経営の効率化を図るため、同社の解散及び清算を決議いたしました。

CA、DS事業から撤退。子会社を清算 : Venture Now

一連の流れについてサイバーエージェントは、「今回の解散および清算は不採算事業の閉鎖という事業的判断によるもの。とりあえずは今回の件で解散・清算案件はほぼ終了となる。基本的には、弊社事業育成のCAJJプログラム(Cyber Agent Jigyo&Jinzai ikusei program)の規定に沿ったかたちですすめているが、画一的に処理するのではなく、市場の成長性が見込める場合には役員交代による事業継続を行うケースもある」と説明。

ストアファクトリーが手がけてきたドロップシッピング事業の「ミセつく」は、度重なるサービス開始時期の延期やサービス開始後のサーバアクセス混雑などにより、スタートダッシュでつまづいてしまった感は否めない。サイバーエージェントは「ストアファクトリーの解散については、ドロップシッピング市場自体のひろがりにあまり期待できないのが理由。今後もドロップシッピング事業への参入は考えていない。実際、ドロップシッピング事業で成功している企業もあまり見かけない」と述べた。

とくになにも書けることはないのですが、記録として。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

2007/09/25(Tue) *Pickup, Movie

碇シンジ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

渋谷で見てきた。正直あまり期待していなかったのだけど、かなりおもしろい。エヴァ(前作)を見ていないとキツイし楽しめないとは思うけれど、残りの三部作も見ずにはいられなくなってきた。

映像と音楽と演出は、かなりドキドキした。既にいろいろ書かれているけれど、ヤシマ作戦でのラミエルはなんとしてでもスクリーンで見た方がいいし、第三新東京市や微妙に変更が加わっているエヴァ機とその動きは単純にカッコイイ(男の子だからでしょうか?)。

ストーリーも、微妙に変化が見える。これも既に言われている事だけれど、前作の世界がループしているかのように、登場人物達は微妙に何かを学んで知っている事が増えているし、それ故行動も変化している。登場人物達が、既に前作を一度見た上で行動しているようにも感じる。まだ序なのでその変化は細かいけれど、この先その変化は目に見える形で出てくるのだろうし、それがこの映像で展開されるのかと思うとつい期待してしまう。

唯一残念だったのは、前作で僕が魅力に感じていた「間」がほぼ完璧に取り去られている事。あれが90年代後半の空気感を一番うまく表現していると感じていた。でも代わりに一番印象的だったのは、ミサトとリツコの会話に出てきた「最近の男は、須く自分にしか興味ないのよ」「女には辛い時代になったわね」というセリフは、なくなった「間」の代わりに00年代の空気感を表しているように思う。次作が待ち遠しい。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 特装版 ジャケット
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 特装版
出演: 三石琴乃, 林原めぐみ 監督: 総監督:庵野秀明;監督:摩砂雪;監督:鶴巻和哉

打ち上げ花火を左右から見た僕と彼女の関係。

2007/09/24(Mon) *Pickup, Diary

大分の(心の)姉が東京に来たのでランチに。会うのは一年ぶりくらい。17歳の時、たまたま入ったチャットルームに彼女がいて、いろいろ話しているうちに会おうという事になり、土曜朝一で転勤していた富山から特急とひかりレールスターに飛び乗って博多に行って出会い、月曜朝一に富山に寝台特急で帰りその脚で仕事先に出勤。我ながら行動力があるというべきか、若かったと言うべきか。

それから彼女は中国に行ったり、仕事場を変わったり、いろいろな出会いと別れがあった。僕も何回も転勤し、東京にも来て、17才から24才になった。その7年間で会って話をしたのは数えるほどしかない。でも、お互いの転機だったり、しんどい時だったり、節目節目の時にはお互いに連絡を取っていた。

近いような、遠いような。家族のような、友達のような。姉弟、というのがいちばんしっくり来るような気がするけれど、それも違う気がする。なにも、人と人との関係というのは、家族や友達や彼氏彼女やといった形だけではない、まだ名前がつけられていない関係というのもあるのではないかと思う。言葉は大切だけれど、言葉に関係が縛られるものではない。

いろいろ話していたら、昨日僕が野球を見ていた神宮球場隣の国立競技場で彼女はドリカムのライブを見ていたらしく、その距離約500m。そういえば昨日神宮で花火が上がったのだけど、僕はてっきりラッキーセブンの花火かと思って見ていたら、ドリカムのライブの花火だったようだ。7年前に富山にいた僕と大分にいた彼女は、ビットの中で出会い、言葉に出来ない日々を経て、夏の終わりに東京で同じ花火を見ていた。

球場にはいつも古田がいた。

2007/09/23(Sun) *Pickup, Event

古田の背中

Flickr iwagoro 070923神宮球場

行ってきました神宮球場。球場で野球を見るのは3回目で、1回目は小学生の頃福井で中日×ヤクルト戦、2回目は中学生の頃旅行できた東京の神宮でたぶん広島×ヤクルト戦。そして3回目の今日は神宮で阪神×ヤクルト戦。過去三回全てに、古田がいました。というか、古田を見に行っていたのですが。

知ってる選手は、古田、石井一久、真中、ラミレス、宮本ぐらい。先発投手発表で石井一がアナウンスされた時は知ってる選手でラッキーと思ったけれど、あれよあれよというまに阪神を押さえきって7年ぶりの完投までみれるとは思ってなかった。てっきり途中でこけるものかと。。。

球場はやっぱりヤジがおもしろい。阪神ファンは初めてだったけど、正直これほどのものとは。空振りすればバカヤローと罵声を浴びせ、次の打球でヒットを打てば全て忘れて大歓声。変わり身の早さとノリの良さはちょっと恐怖を感じるほど。僕の席はヤクルト側なのになぜかまわりの席が全員阪神ファンで、おびえながらヤクルトを応援していました。

六回の阪神の攻撃で一死二、三塁となった時が一番盛り上がった。てっきり石井が撃たれてしまうと思っていたけれど、ポンポンなげてなんとか押さえきった。ふとスコアボードを見ると青木とラミレスの打率が3割5分近くて、これってかなり上位なのではと思ったらやっぱりセリーグの打率1位と2位だった。古田監督にしてみれば、課題は守りだったのでしょうか。

3時間の試合は打撃戦ではなかったのでちょっと長く感じたけれど、神宮が渋谷からこんなに近かったのなら古田が選手の時にもっと行っていればと少しだけ後悔。でも必ずまた監督をやると思うから、その時にはまた見に行きたいな。

プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。

これは新庄の言葉ですが、ホントにそうだと思った。

安倍さんよりも悪い人

2007/09/19(Wed) *Pickup, Clip

星野仙一のオンラインレポート

民意、民意というけれど、今の日本の「民意」というのはメディア、特にテレビが作っているものじゃあないのか。10年ちょっと前に民放の報道局長が「政局はわれわれテレビ局の人間が作っている」というような発言をしてクビになったことがあるけれど、テレビが繰り返して流すものによって無定見な大衆が誘動されるという今の時代。民意というものはなんなのかと、いつもそう思ってテレビのニュースを見ている。

僕はどうも民意とずれているようで、自民党が大勝した小泉総理の郵政解散では民主党に、逆に大敗した今年の選挙では自民党に入れていて、当たったためしがない。あ、東京都知事選では当たったか。でもあれは選択肢がなかったもの。

別に国民が何も考えていないとは思わないけれど、自分で考える前にメディアに一方的に考えを流されて、とりあえずそれと同じように答えておけば自分の意見を持てるから楽なのでしょうか。それとも、メディアとはバイアスがかかっていて、特定のメッセージを民衆に伝えようとしているという前提が無いのでしょうか。別に今回の件だけではなく、たとえばコムスンだって、利益を追求していいじゃないかと思う。利益が出なければ、サービス提供することさえ出来なくなるのに。

ブログでも何でも一度文章を書いてみると分かるけれど、その内容には伝える人の意思が強く影響される。ある事を自分が訴えたいとき、それに都合のいい情報はたくさん引用するけど、答えにくいことは引用しないという情報操作はすごく簡単。だからあくまでもソースとして見て、しかもひとつの意見をいろいろな媒体で見て、ある媒体では書いてるけどある媒体では書いていないという「書かれていないこと」にも目を向け、その媒体がどういう意図を持って書いていて、「で、あんたはどう思うの?」というステップをはさむべき。それをはさんでソースと同じ意見になることは、問題ではない。

総理には常人より厳しい職責が求められるものだから、安倍さんを擁護するつもりはないけれど、小泉さんはみんなあんなに大好きだったのに、安倍さんはみんなそんなに大嫌いなのだろうか?拉致問題の時は大好きだったのにね。カッコイイ人はタレントでいっぱいいるのだから人気取りはそっちでやってもらって、政治家は未来に目を向けた全うな人を選ぶべきで、時には批判ではなく支えることも大切だと思うのだが。今回の場合責められるべきは、安倍さんではなく国民だと思う。

集合知を多数決で作るのは間違い。 : ひろゆき@オープンSNS

普通の人が知識を超えた質問をされた場合に、
「わからない」という発言をしてくれればいいのですが、
「竹中直人は好きだから、正しいと思う」とか、
「モー娘はカワイイから嘘をつかないと思う」とか、
ギリシャ人と同じような感覚で評価したものが、
多数出てきたりします。。

そうすると、みんなが言ってるのだから、
真実であると誤解してしまう人が出てしまうのですね。

それは首相の辞任のようで。

2007/09/14(Fri) *Pickup, Diary

ミセつく サービス終了のお知らせ

【重要】 ミセつく サービス終了のお知らせ

政治も大変ですが、僕自身も激動の一週間でした。正直なところ事実を事実として認識しただけで、まだ理解できていないというか、なにも想いが出てこない。引っ越しとか転勤とか転職とかは結構しているので、その時の感情を持ってきて、ただ淡々と、粛々と進めるようにしています。

ただそういう時と言うのは、引き継ぎ形なんなり一応完結させてからの事なので、やはり今回はちょっと違う。突然部屋の電気が消えて真っ暗になったみたいなもので、「えっ?」と思ってスイッチを何回もパチパチとしてみたけど、相変わらず暗くて何も見えない。ただ、明かりが消えたという事は分かる、というだけ。正直よくわからない。

そして個人としては、残りの仕事をきちんとやりつつも、次の仕事も探して決めないといけない。タイムリミットはあと8営業日。そして決断は、もっと早くにしなくてはいけない。もの凄く焦るのだけれど、焦って短絡的な選択をしてしまわないように、自分自身とゆっくり話し合って自分が納得して決めないと、どこに行ってもどうにもならない。

一人で考えていたらよく分からなくなってきたので、大分の(心の)姉に話を聞いてもらった。「そうなんやー。」と相づちを打ってもらいながら話していると、自然と落ち着いてくる。そしてこの記事を書く事でも、少しは整理が出来てきた。もう別に記事として公開する必要もない気がしてきたけれど、24才の夏の終わりは、あまりにも突然だったという事の記録として。