本が売れた。
ちょっと前に書評を書いた「隠された風景」が、このブログから1冊売れていた。これまで160冊近く書評を書いてアマゾンにリンクを張っているけど、たまたまそのリンクを経由してアマゾンで普通に他の物を買ったアフィリエイトが時々あるくらいで、紹介した本そのものが売れるという事はほとんどなかった。
「お金が入る」ということよりも、自分がいいと思ったものが他の人にも共感してもらえたり、その人の動きに少しでも何かしら影響が与えられているのだな、と勝手に思って、それが少しうれしかったりします。
ちょっと前に書評を書いた「隠された風景」が、このブログから1冊売れていた。これまで160冊近く書評を書いてアマゾンにリンクを張っているけど、たまたまそのリンクを経由してアマゾンで普通に他の物を買ったアフィリエイトが時々あるくらいで、紹介した本そのものが売れるという事はほとんどなかった。
「お金が入る」ということよりも、自分がいいと思ったものが他の人にも共感してもらえたり、その人の動きに少しでも何かしら影響が与えられているのだな、と勝手に思って、それが少しうれしかったりします。
-無数の「死」があるからこそ我々の「生」がある。
そして人が自らの「生」を実感するのは、
他者の「死」にふれた時である。
その「死」と生活の場で身近にふれることができなくなったことが、
「生」をかけがえのないものとして慈しむ契機を
人々から奪ってしまったのではないか。-
僕のブログはよく「暗い」といわれる。本人としては、静かに、普段あまり考えることのないそういう暗いとされているものをきちんと見つめることは大切だと思っていて、しかもそんなことを普段の生活の中で真面目に考えることはないのでブログで書いているのだけど、そんな事をしていると暗いと言われるのかもしれません。特に最近は祖父の死が会ってから、死や宗教といったものについて書くことが多いので、なおさらそう見えるのかもしれません。
普段一日中パソコンに向かって仕事をしていると、「生きている」と思うことはほとんどない。そんな僕が、祖父の「死」と触れることで、「生」を感じ、考えることが出来た。その経験や、最近考えたことが一つに繋がったのがこの「隠された風景」という本で、「野犬などのペットを殺す動物処分」、「牛や豚などの屠畜」、「人間の自殺」という普段の生活からは「隠された風景」に焦点を当てた本でした。
命は大切だ。犬や猫などのペットも、牛や豚などの家畜も、人間の命と大切さはなにも変わらない。その考えの基に動物愛護を訴え、保健所が動物を殺すことや、屠殺することを非難する人たちがいる。僕はどちらかというと、命が大切と言うところまでは同意するけれど、生きる上で必要な悪だと、この本を読むまでは思っていました。それは、ただ真剣に考えたことがなかったから。著者はその様子を下記のように示す。
つまり、日々動物の肉を食しながら、「動物を殺すことは残酷でいけないことだ」と考え、その仕事をしている人たちに白い目を向ける。そんな漫画のようなことが今もまかり通っているのである。その傾向は「動物好き」を自認する人たちにことさら強い。肉を食べるものが、家畜を育てたり、屠畜して肉をつくる者から完全に分離されていて、そこから目をそらすことができ、いのちをもらう事に伴う心の痛みを感じなくてすむ仕組みになっていることが、その劇画化された構図を支えている。
小鳥や犬や猫をペットとしてかわいがったり、すぐ「かわいそう」を口にして、すぐ涙を流す子どもたちが、他人が殺したものなら平気で食べ、食べきれないと言って平気で食べ物を捨てると言うことが、わたしには納得いかないのだ。わたしには、「生きているものを殺すことはいけないこと」という単純な考えが、「しかし、他人の殺したものは平気で食べられる」という行動と、何の迷いもなく同居していることがおそろしくてならない。
この本を読むのはしんどい。今まで目を背けてきた部分だから。でもしっかり読んでいくと、今まで見ていなかった所を直視すると、見えてくる風景がある。
(屠殺を経験した小学生の感想文)
私は、ころされた豚を見てなきました。でも、できあがった肉は、ないたことなんか、すっかりわすれて食べていました。私がないたのは、見せかけだけのなき方だったと思います。もし本当にないていたら、肉なんか見る気にもなれなかったと思います。私は、あの時、なぜないたかふしぎです。かわいそうでないたのか、それとも、自分をやさしくみせかけようとしてないたのかもしれません。
そして著者が提示した一つの答え。僕はそれに、共感すると言うよりも、納得をする。そうやって僕らは生きているし、それを手助けするために宗教があったりする。そして、僕が「死」に触れて「生」を感じたことも、とても自然なことだったのではないかと、今は思う。
人が生きるために他の生き物のいのちを絶つことは「殺す」ことでは決してない。自分の中で「生かす」ことなのだ。いのちを奪うだけで何も生かすことのない人や動物の殺戮とは、全く性質を異にする。
我々は「死」を身の回りから遠ざけてきたのと同様に、「死」を「生」に変える土を「汚いもの」として疎んじ、土から離れた生活を追い求めてきた。それは我々が「いのち」の循環性に目を向けず、一回限りの「自我の生」のみにこだわった文明を育ててきたということを物語っている。
「いただきます」とは「命をいただきます」なのだ。
一度読んでみて欲しい。ただそれだけ。
原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。
ちょっと長い文章ですが、時間を割いて読む価値はあるかと。僕自身は、原発は危険な物だと思うけど、人間が自重するか、それが出来ない場合で尚かつ代替策がないなら「しょうがない」と消去法的に肯定している。人間が未来永劫自重することはあり得ないと思っているので。代替えも、あるのでしょうか?そこは僕はあまり知識がありません。
原発は、どう考えても危険。安全だというなら、東京電力の社長室の隣に、文部科学省の隣に、国会の隣に原発を造ってそれを証明することができるだろうか?彼らは絶対に造る事ができない。そして福井や福島、新潟に造る。(国会の隣に作れば、首都機能移転問題は簡単に解決しそう。)
彼らは、地域振興になっているという。電源立地地域対策交付金や、関連産業・雇用などで、地域が潤っているという。潤っていると言えば聞こえがいいけれど、昨年度の福井県の県税収入1,041億のうち13%の137億が原発関連で、敦賀市職員の人件費53億のうち13%の7億が前述の電源立地地域対策交付金でまかなわれていて、振興の域を超えた、もう亡くす事が出来ない麻薬のようになっているのではないだろうか。(もちろん福井も悪い)。
何がうれしくて、中越地震の時、柏崎は地元が停電しているのに、地元の原発で東京に電気を送ったのだろうか。福井で生まれて、東京で働いていると、なんとも複雑。原発は、現代の人柱なのだろうか。なんだか共食いをしているような心境に陥る。
必要があって今ある。それは確かに自分が生まれる前から自分の知らないうちに造られたものかもしれません。でも当時それらを動かし始めた人たちは少なからず未来の為に、恐らくは当時子供であり、今は大人になった我々の生きる時代の為にと思って原子力発電を始めた部分もあると、私は思います。
そして、現在、実際にそれに支えられている現実がある。
「原発がどんなものか知ってほしい」に対する検証・反論をまとめたページ。この記事の他にも原子力に関するFAQなどかなり知らなかったことを知ることが出来る。原文は挑戦的なので、僕が読んでいても大げさな表現が多い(事実関係の誤りなどはわかりませんでしたが)。そして、結果的に反原発思想によって支えられた文章になっている。「Re」の文章は、ただ反論しているのではなく、理想と現実を見極めて、現状可能な手段で後生にバトンをつないでいこうという意志を持った文章に読めた。
ただ、所々「Re」にも脆弱な部分が見え隠れする。JCO事故の件を、想定していなかった出来事だと定義しているけれど、他の事案と違ってそういうケースが発生した時のリスクが極めて高いと言うこと。麦茶と間違えてそばつゆを飲んだのとは訳が違う。
「アメリカで原子力発電が再開されるように、現実にこの世界を支える為に、まだ原子力は必要なエネルギーだと思います。だから続けるんです。」と「Re」の著者は語る。リスクは高いが唯一の選択肢である原子力というものをきちんと人間の制御下に置き利用しようという意志が強く感じられ、現に僕は彼らに支えられて、彼らの造った原発からの電力でこの文章を書いている。
最初の僕の文章では、そういった現実的視点からの消去法的肯定論者であるということ、そのリスクを福井や福島や柏崎などの地方が偏って負担し、補助金によって抜け出したくても抜け出せなくなっている状況を、釈然としなくても受け入れなくてはいけない、リスクを負っている福井生まれの、そしてその恩恵を受けている東京在住の一人として書たつもり。
僕は数年か数十年後か分からないけれど、福井に帰りたいと思っている。僕は、原発が安全に運用されることを望むし、それを運用している人たちに感謝こそせよ反感は持たないけれど、心のどこかで納得しきってはいないのだ。
「建物の守り神」として屋根に鎮座する鬼瓦を作る美濃部さんを取り上げた回。
魂を込めた物作りをするために一番大切なことは何かという茂木健一郎の問いに、美濃部さんは集中して、自分の性格や私(わたくし)を殺して無の状態で作ることだと答える。たしかに、よく言われることだ。
それに対して住吉美紀アナウンサーが、「みんな私(わたくし)が生きた証を残そう残そうとして生きている。その中で私(わたくし)を消して仕事をしていくと、美濃部さんという私(わたくし)には最後何が残るんですか?」と問う。
美濃部さんはそれに、「瓦という文化を残していったなという気持ちやね。」と答える。聞いていて背筋がふるえた感じだ。おそらく多くの人は、住吉アナウンサーが言うように、自分が生きた証を残そうと、自分を起点に考え生きている。美濃部さんはそれと真逆で、自分を殺し、文化を残す。でも対局で考えてみると、その方が長い歳月文化として残り、次の世代に受け継がれ、延々と残っていく。
古いから、悪いのではない。新しいから、いいものでもない。古くてもすばらしいものもあれば、新しくても陳腐なものもある。美濃部さんの仕事を見てしまうと自分の仕事がなんてちっぽけなものかと思ってしまう。
iwalogを書き始めてから、丸4年になりました。24年間しか生きていない僕の4年間、僕の人生の10分の2が、ここに記録されています。この調子でいくと、30歳の時には3割が、40歳の時には5割が記録されることに。そのときまで続けられているのかは分かりませんが、こればかりは飽き性の僕でも続けられそうな気がします。そのとき僕はどうなっているのか、過去のこのエントリを見て何を思うのでしょうか。
今年は厄年だからなのか、いろいろと変化がありました。それらの結果で、自分自身で一番大きい変化は、前にも少し書きましたが自分の中の優先順位が変わったことです。それまでは「仕事」が一番で、それ以外との差は比べようがないほど差が付いた絶対的一位だったのですが、今は仕事以外のことも含めて順番に綺麗に並んでいて、絶対的一番ではなく、いろいろな物の中の一つ、になったように思います。たぶんそれが普通なのでしょう。
それはいろいろなものに関わる必要が出てきたからで、局所的に見れば仕事にさける時間やあたまは減っているのですが、それ以外のところでやらないといけないことが出てきて、全体的に見れば動いている時間はあまり変わっていなかったりします。逆になれないから疲れたり。
早く社会に出た分、そういうことに関わる必要も早く来るのかなぁなどと考えたりもするのですが、30才になってそういうことに全然関係なく生きている人を見てもうらやましいと思うこともないので、それは人それぞれなのでしょうか。とりとめのない文章になりましたが、猛暑だった2007年の夏は、この文章のようにどこかとりとめのない夏だったという記録として、このまま残しておくことにします。
2007.8.15
IWASAKI Yusuke

父方のお墓、父方の生家のお墓、母方のお墓と3つのお墓にお参り。最初の二つのお墓には、誰も僕が知っている人が入っていないので、これまでお参りしたときも含めてなんとなく意味が分からなかった。ただ、今年亡くなった祖父の納骨をした母方のお墓にお参りして、はじめて墓参りの意味というか、なぜするのかとか、そういう事が実感として分かったように思う。一泊のつもりが結構長居をしてしまった。
来客があり、祖母が電話に出ていたので代わりに出て行くと、花を持った一人の女の人が立っていた。「おばあちゃんいますか」というので祖母に「○○っていう人が花もってきたよ。」というと、少しだけめんどくさそうな顔をして祖母が「もらっておいて」といった。お参りにしては家に上がって線香をあげるでもなく、でも必要以上にご愁傷さまという顔をしているその人から花を受け取る。あとから祖母に、事故の加害者の奥さんだと聞くと合点がいった。少しだけ、あの女の人と話をしてみたかった気がする。
夜に叔父とビールを飲みながらいろいろ話す。僕が小さいときにはやんちゃだった叔父が、その頃のままのような、歳を取ったような不思議な感じ。加害者の奥さんは、毎週何かしらをもってくるのだとか。ある人が亡くなったとき、その妻とその息子では置かれる立場や心境がものすごく違うっていうこととか、息子視点で見たとき親の死と子の死はまたちがったものであるということとか。
翌日は従兄弟とWiiやってぼろ負けしたり、外に遊びに行って体力の絶対的な差を感じたり(汗)、昼寝したり犬と遊んだり家のまわりを歩いたり。インターネットなんかにはこれっぽっちも接続しなかった日々でした。
たかじんのそこまで言って委員会(2006年06月25日放送より)
光市母子殺害事件被告への死刑求刑について、賛成派の死刑を求刑しない場合被害者感情をどうするのか、死刑を認めないなら仇討ちを認めろという問いに対し、反対派の仇討ちを認めると復讐の連鎖になってしまうという文脈の中で。
宮崎哲弥「復讐の連鎖っていうけど、被害者の遺族って言うのは、復讐心じゃないんです。私は本村さん(光市母子殺害事件被害者)からその話は聞きましたけど、何で君をここまで駆り立てているんだと。これはね、自分が有罪だという意識なんだと。つまり、何で妻や子供をあの場所にいて守れなかったんだろうと。」
田嶋陽子「じゃあ何で自分の有罪意識だとして、相手を殺していいの?」
宮崎哲弥「それは購わなきゃいけないんだよ。そうしなければね、本村洋自身が生きていけないんだよ。」
テキストに起こすと伝わらないので、一度動画を見てもらいたいのですが。
人間には、人権という人間自身が己の思考の中で作り上げた権利があると仮定する。仮にそれを手っ取り早く世界人権宣言から持ってくると「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。」という事になる。
確かにその通りだと思う。人には人の命を殺める権利などないと思う。そうだとするならば、汲み取るべき事情がある承諾殺人(人の承諾を得てその人を殺害する=介護疲れによる息子による親の殺害)など一部を除いて、人が人の命を殺めた場合、その人はその時点で人権を行使する権利がないのではないか。
ものを盗んだ場合、そのものか相当するお金でもって償う。そして、抑止の意味も含めて金銭以外の懲役などの罰をもって購わせる。はたして、自分たちが声高らかに主張するもっとも高貴な価値観である人権を侵害された場合、何をもってすれば償いになるのだろうか。それは、その人自身の人権ではないのだろうか。(もちろん、原因の究明は必ず必要という前提で。)
祖父は、天寿を全うしたわけではありませんでした。その時の、怒りでも、恨みでも、悲しみでもない、あえて表現するならば空しさとでもいうべきもの。(なるほど、だからこそ仏教では空という表現を使うのかもしれませんね。)それは、相手方への怒りではない。向こうもしたくてしたのではないだろうし、向こうにも家族や生活があるのだろうし、多少なりとも今まで通りの生活とは行かないのだろうし。本当に、空としか表現できない感情。それが殺人であった場合は、計り知れない。ましてや、若い命であればあるほど。
だからこそ、「そうしなければね、本村洋自身が生きていけないんだよ。」という言葉が僕を揺さぶる。
このブログを始めて最初の頃BOOKLOGというサービスにこれまで読んだ本を登録していたことがあり、久しぶりにそれを発見。僕の本好きはここ1・2年の事だと思っていたんですが、意外と前からだった事に気づいた。今10代の頃に読んでいた本を今見直すとおもしろかったので、少し紹介。こんな本を読んでいたら、こんな人間になってしまいましたという視点でご覧くださいませ。
■IT系
図で分かる…の2冊は、システムというものをわかりやすく教えてくれて、今の僕のベースになっている気がする。ただわかりやすく解説するだけではなく、おもしろく、次の興味や疑問がわいてくる本でした。ワークフロートか、業務をシステム化するとか、そんなことも何となく興味がわいたけど、業務分析までは興味が行かなかった。
■小説
当時メールマガジンを書いていた田口ランディのコンセント、アンテナ、モザイク三部作は、鈴木光司のリング、らせん、ループ三部作で小説のおもしろさにはまった僕に、また違った世界を見せてくれました。若かりし僕にはコンセントのラストは衝撃的でした。まあ、コンセントだけどさぁみたいな、気持ちいいやられた感。
月の砂漠は、映画の原作。あるベンチャー企業の成功と崩壊、家庭の崩壊と再生を同時に描いていく。どちらかというと映画の方がよかったかな。パイロットフィッシュは、淡い恋の物語で、リップスティックは月9ドラマのノベライズ。10代の頃は野島伸司にだいぶ侵されていました。
■ノンフィクション
当時かなり話題になった桶川事件のルポは、小説とはまた違ったノンフィクションというもののおもしろさと、批判的に読むという視点と、報道や裁判だけでは伝えられない、裁ききれない物があるということを知りました。
「ぼくたちは、銀行をつくった。」は、ソニー銀行が出来るまでの物語。かなり平たくかかれていますが、今思い返せばチーム運営とかコンセプトとか、そういう話を書いていたと気づきました。
■ビジネス
当時はテクニックよりも思想的な物を読んでいました。稲盛和夫とか、田坂広志とか。
■謎
なぜコレを読んだのか全く分からず。。。
このブログは自分が思っているよりたくさんの人が読んでくれているので、主に東京に来てから知り合った人のために少し前置きをすると、僕は前職の仕事で、柏崎に2002年12月から2004年3月まで約15ヶ月ほど住んでいたことがあります。このブログを始めたのも柏崎にいる時で、いい仕事をさせてもらったし、いい人達にも出会うことが出来ました。幸い僕が住んでいる時は平穏だったのですが、僕が石川に引っ越して4ヶ月後の2004年の7月には豪雨、同じ年の10月には中越大震災(その日のiwalog)、2005年には豪雪と、何かと大変な事が続いてきました。
朝からぼけっと本を読んでいたら、東京でも少し、そしてちょっとだけ長い間揺れを感じました。サイトに表示された震度分布が、中越地震の時のそれと似たような規模と震源地だったので、もの凄く嫌な予感がして、でもそれ以外情報は得られず、気持ちの悪い不安な時間を過ごす。

メールで連絡を取ってみたら幸い僕の知っている人たちはみんな無事だった。でも何名かは亡くなっているというニュースも入ってくる。続々とアップされるニュースサイトの写真を見ていると、何十回も降り立った駅で電車が脱線していたり、何十回も通った路線が土砂崩れで埋もれていたり、高速が隆起していたり、みているのがつらい。


幸か不幸か選挙戦の最中ということもあり、外から見ている分には対応は素早かったように思う。演説するよりはるかに訴求力の高い選挙活動だからねという皮肉もありますが、とりあえず迅速に対応してくれれば何でもいいです。一概に比較できることではないですが、何度も天災を経験しているからか、被害も少なかったように思うのがせめてもの幸い。関係ないことと思って東京でこのブログを読んでいるあなた。あなたが東京でこのサイトを見るために消費されている電気の10%は、柏崎の原発でまかなわれているのですよ。次は我が身です。
こういう時はもうなにもできないのが少しもどかしいですが、自分達の作ったサイトが少しは役立っているのを見ると、保守・改良を続けてくれている某氏達に感謝するのはもちろん、ユーザビリティなんとかで1位をもらった時よりもはるかに、自分たちのやったことが少しは人のために役立てているのではないかと感じられました。停電が続いてる所もあるようですが、一日も早い回復を願います。
その昔、僕がグレて(?)学校に行っていなかった時、僕はフジテレビのニュースJAPANをよく見ていました。安藤さんと川端さんが司会で、木村太郎がコメンテーターとして出ていました。ある日の特集で、「不登校」を取り上げていました。自分でも社会的に自分がそのカテゴリに入れられているのだろうという自覚はあったので、興味津々で見ていたら、いろんな不登校の子が出ていて、それは不登校という一つの結果で語るにはあまりにも複雑で多種多様な理由を持った人たちでした。
今はもう何を言っていたのか忘れてしまいましたが、木村太郎が僕の心にグサッとくる一言を言っていて、ぼくはいてもたってもいられずその当時ニュースJAPANのサイトで公開されていたアドレスにメールを送りました。たしか、僕も不登校なのですが、僕の感じていることととても近い内容で、木村さんこれからも頑張ってくださいとか、そんな内容だと思う。たぶん当時15才とかそれぐらいだったんじゃないかと思う。
数日経ったら木村太郎から返事が来て、メールをありがとうということと、そういってくれると放送して良かったということと、君もこれから頑張ってくださいとかそういう事だったと思う。そのメールに返事をしたけど、それには返信はなかった。
なぜ突然こんな事を書いたかというと、とある本を読んでいたら、あとがきにファンレターには必ず返事を返しますと書いている作家がいたので、そういえば昔木村太郎が返事をくれたなと思い出したからで、そのメールはWin95のブルースクリーンにより抹消されてしまったのですが、僕の記憶にはしっかり残っているし、あのとき福井で不登校だった僕はいろいろありましたが東京でなんとか頑張っていますよと、木村太郎に伝えたくなったからなのであった。あれからもう10年です。