Posts Tagged ‘考え’

子供を引き取りたい

2007/12/18(Tue) Clip

子供を引き取りたい – 発言小町 – YOMIURI ONLINE

私にも今は娘がいるのですが、この時の養母のように、世界で一番愛しい子の手を離して笑顔で行っておいでと言う勇気が自分にはあるだろうかと時々考えます。

子供がいないトピ主が、両親のいない子を引き取ろうか迷っている所から始まる投稿。トピ主が、子供を育てた事がないから引き取るのが不安だと書いているけど、そもそもお母さんになる人はみんな初めてなんだよね、と思った。そう思うと母って凄いなと。もちろんこのケースは血が繋がってないし途中からだからより特殊なんだけど。

もうひとつ、トピ主が引き取ろうと思った最初のきっかけが「かわいそうだと思ったから」という事について。こういう話に限らず、なんとなく「偽善」だとか「哀れみ」だとささやいてくるもう一人の自分がいて、今までこういう話に素直に感動できなかったんだけど、それ以外のキッカケから引き取る事はあまり考えにくいし、「かわいそうだ」と思う人はいても実際「引き取る」人はそうはいないわけで、結局それはキッカケで最終的には「覚悟」の問題なのかもしれないなと納得できたら、目から塩水が出てきた。

好きを貫く人をつくる人。

2007/12/12(Wed) Clip

404 Blog Not Found:好きを貫いている者の礼儀

わからない。わからないが、三つ確かなことがある。一つ、誰も好きになれない仕事というのは確かにあるのだということ。二つ、誰かがやらなければならない仕事というのは確かにあること。三つ、そういう仕事を片付ける人がいるからこそ、好きを貫いて生きていける人々が存在すること。

今だから正直に書いていいと思うんですが、秋までいた部署でやっていた仕事はなかなか嫌な仕事でした。決まった事をミスなくやったり、ユーザからかかってくるクレーム電話を毎日受けるのはなかなかしんどい事で、一度「となりのクレーマー」という記事でそのことを書いた事もありました。

とはいえ、引用したように「誰も好きになれない」けど「誰かがやらなければいけない」仕事も当然あるわけで、当時僕がやっていた仕事も、誰かがやらないといけなかった。少ない人数でたくさんある仕事を回す必要があって、「誰がどういう仕事で一番パフォーマンスを発揮する」かを考えていった時に残った「誰も好きになれない」けど「誰かがやらなければいけない仕事」をやっていたという面もあったような気がする。

「誰も好きになれない」けど「誰かがやらなければいけない」仕事を「そうと分かって」やるということ。それは自己犠牲とかそういう観念的なもので解消されるわけでもなく普通に毎日しんどいしつまらなかったのですが、それをやっていると生まれてくる事もあるわけで。

それは引用元のブログの最後に書かれているような事で、そんな事言われても全然儲からないし、相手がどこまで本当に思って言っているのかは分からないんだけど、一つだけ確かなのは、その言葉を言ってもらった時に生まれる自分自身の気持ちに偽りはないし、どんなにお金を積んでも買えないという事。いわゆる「承認欲求」というやつなのでしょうか。

文章で書くとなんだかとても偉そうで嫌なのですが、「好きなこと」をやるのもとってもいいことなんだけど、「好きな(=信頼できる)人がその人の好きな・得意なことに集中できる環境をつくる手伝いをする」という事も、直接的には嫌な仕事でも全体感で見ると楽しい仕事じゃないかなと思う。自分がそれを出来ているわけではありませんが、たぶん自分がやりたい事とか、やって面白かった事って、そういう事なんじゃないかと。意思がないとか言わないで。そういう人もいたっていいじゃないすか。

エラー、エラー、そしてエラー。

2007/12/10(Mon) Linux

会社でHTML的なものを140枚手書きしつつ、全体のファイル構成とそれらを一番効率的にくみ上げる仕組みを考えていたら、最後の方に頭がそれでいっぱいになってぼーっとしてしまった。とりあえず今日必達分は終わったけど、翌日分を前倒しで勧められる余裕がないのでケロケロと家にカエル。

家に帰ってまたBIND。相変わらずエラー出まくり。ポカミスは何とか気づいて直したけど、それ以外のエラーがそもそもそのエラーが何を言っているのかわからず、必然的にどう対処していいのかも分からず、それっぽい所をいじったりネットで調べるも解決せず。(するわけがない。)あ、今日から直接VMwareのLinuxコンソールをたたかずホストのWindowsからSSHでログインするようにした。幾分軽い。

うまくいかなくてイライラしたりもしますが、楽しい事もある。普段何気なく使っているネットの仕組みを直接さわる事で、その設計思想というか、ネットをつくった人がどういう考えでネットの仕組みを作ったかという事が、いろんなソフトの挙動から伝わってくる。

なんだか、とても人間くさいのだ。サーバーとかネットワークってなんだかものすごい高度で複雑な事をやっているようなイメージがあったけれど、そのベースはとてもシンプルで、とても地味で、それをもの凄い数の繰り返しと積み上げで最終的に柔軟な仕組みが組み上げられている(生まれた時はハードがとてもチープだったから、それでも動く仕組みになってる)。どこかの国の大学で学生があーだこーだいいながらつくっているのが目に浮かぶ。

と文系思考でごまかしてみた所で、現実はエラーのでいるサーバーをいじっているだけ。
たぶん、根本的な理解と情報が足りなすぎる。また明日。

斎戒沐浴

2007/12/07(Fri) Clip

死刑、初の氏名公表 法務省、3人執行と発表 – 朝日新聞

法務省は7日、3人の死刑を執行した、と発表した。法相が執行命令書に署名しなくても執行が進む「死刑の自動化」を提案した鳩山法相の下での初めての執行となった。発表にあたり、同省は初めて、対象となった死刑囚の氏名と犯罪事実、執行場所を公表。「情報公開することで死刑制度に対する国民の理解を得られる」との狙いから、実施の事実だけを伝えて氏名などは一切公表しない従来の方針を転換した。

「斎戒沐浴してサイン」 死刑執行で鳩山法相 – 朝日新聞

鳩山法相は7日昼、衆院法務委員会で、委員からの質問に答える形で死刑を執行したことを明らかにした。そのうえで「国家権力によって人の命を絶つわけで、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して(執行命令書に)サインをさせていただいた。大きな心の痛みを感じるが、法に基づいて粛々と実行しなければいけないということで、逃げることのできない責務と思って執行させていただいた」と話した。

斎戒沐浴(さいかいもくよく)
神仏に祈ったり、神聖な仕事をする前に、飲食や行動を慎み、心身を清めてけがれを取り去ること。

こんな言葉あるのね。今までも執行状況って報道されていたけど、一応マスコミ調べという建前でしたが、公式に発表されることに。僕自身はこの刑自体は賛成なんですが、オフィシャルに執行が公表されるとどうなるのかと考えてみた。

再来年に裁判員制度(まだよく知らないけど)が始まって、普通の人が裁判に参加する事になると、大きい事件では裁判員が死刑(あるいは死刑回避)を求めることも出てくる。その人が死刑と判断し、その通りの判決になった場合、最終的にそれから数年後に死刑執行のニュースが流れる事によって、自分の判断によって人間を一人間接的(と言えるのかどうかは難しいけど)に殺した事が周知されるになる。あるいは死刑回避を主張したが死刑となった場合に、その人的には自分の判断に反して人が殺される事になる。

はたして、その精神的負荷に人は耐えられるのだろうか?理論的には死刑にすべきだと100%納得していても、そればかり考えていられる裁判官ではない市民にとっては、簡単に表現すると「結構しんどい」事だと思う。そうなると、判決が全体的に被告寄りになってしまう気がする。有罪無罪の判断が誤るケースもある程度出てくるだろうけれど、量刑が軽くなるケースは多々発生すると思う。(そもそも、裁判員制度自体が、死刑制度に反対する公明党主導で導入されてたりする。)

死刑制度というより裁判員制度寄りの話になってしまったけど、こればかりは国民性の影響も大きいから、他国の事例が応用できず運用してからのでたとこ勝負になりそう。まだあまり裁判員制度については議論されていないけれど、来年あたりになったら議論が活発になってきてこの辺も話題になるのだろうか。

BINDのハズが。

2007/12/05(Wed) Linux

いよいよApacheの設定に入るハズでしたが、ネットワークの基本を理解するためにもBINDをやった方がいいとアドバイスをもらう。@ITのDNS関係記事を読みあさり、概念を何となく理解し、早速yumでBINDをインストールする。

設定ファイルが見つからなくて、自分でつくらないといけない事に気づくまで1時間くらいかかった(汗。その後もローカル環境でどうIPを指定していいのかが分からず、とりあえずそれっぽいのを設定してみたけど案の定起動せず。

息抜きにアプリの追加と削除をやってたらOSまで起動しなくなり、今日はいったんあきらめる。BINDのハズが思わぬ展開に。。。まあとりあえずOSとApacheのインストールが復習出来ると前向きに考えて、明日フォーマットからやり直してみます。

「大人になったジブンへ」を見てまとまった、今興味がある事。

2007/12/03(Mon) Clip

広告って何でしょうね。最近技術系の情報と同じくらいマーケティングについても読み漁っているのですが、その中で「広告は企業や商品をいかに知ってもらうか。知ってもらわないと何も始まらない。」という事と「インターネットは(テレビなどのマス媒体に比べて)コミュニケーションコストがもの凄く安いメディア」という事が印象に残る。僕らがやっているような広告媒体を、クライアントがどう考えて使っているのか、逆にどう使われているのか。

クライアントがどういう目的を持ってマーケティングをして、その中の一つの手段として僕らのいる広告媒体がどう使われて、その媒体はどういう考えを持って運営され、どういう技術でもって最終的に生活者と接するのか。その一連の流れがどうなってるのかを知って、そもそもどうあるべきかとそれをどう実行するかを知りたい、というか実感として理解したい。「なんで?」と聞かれても、「何であの子が好きなの?」という質問と同じくらい、答えようはないのですが。

GUIばかり使ってきた人のLinux雑感

2007/12/03(Mon) Linux

一瞬だけMS-DOSを使ったことはありますが、その後Win95>MacOS9>Win2000>MacOS X>WinXPとGUI(マウス操作のOS)ばかり使ってきた僕ですが、CUI(キーボード操作のOS)のLinuxを使ってみての雑感など。

すごくとっつきにくいのは確かだけど、慣れるとかなり便利なんだろうなと思う。コマンドでのオペレーションはすごくシンプルだし、シェルスクリプトを組めばもっと楽になるし、シェルスクリプトを書くことそのものも簡単。

今PCのバックアップはフリーのソフトを使ってるけど、vi(テキストエディタ)にコピーするコマンド書いて保存すればたくさんのフォルダのバックアップもそのファイルを実行するだけで済む(実際は差分とか考えると複雑なのでしょうが。)

OSの構成も勉強中だけど、ファイルが基本全部テキストで書かれていて自分で調べていけばどこまでも調べられそう。WinだとDLLとかにまとまってておおざっぱな事までしかわからない。単純にシステムとしてすごく優れていると思うし、なによりさわっていて楽しい。GUI系OSで不満に思っていた事を綺麗に解消してくれる。技術系の人がOS Xをほしがる理由がわかった気がする。

おとなしく。

2007/11/30(Fri) Diary

「求められること」が、「出来ること」とも「興味のあること」ともあまり重なってないんだろうな、と思った2ヶ月目の終わりでした。しかし今年はろくな事がないので、年が明けるまではあまり変なことは考えずおとなしくしていることにします。

でも何もしないのはつまらないから、隣の席の人に焚きつけられて少しやったらおもしろかったので、勉強がてらとあることを始めてみようかと思います。

モンハンな日々

2007/11/22(Thu) Diary

フルフルが倒せなくてしばらくやってなかったけど、最近また再開。フルフルはダメージを与えることよりとにかく自分がダメージを食らわないことを考えてやってたら何気なく倒せた。あといろいろアイテムの使い方を覚えてきた。

フルフルから手に入る電気袋で「斬破刀」を造り、その攻撃力にまかせてダイミョウザザミを倒し、そこで手に入る盾蟹の素材で防具をギザミシリーズでそろえたら、それなりに強くなった。といっても、まだ村長クエストは3、集会所クエストは(やらなくてもいいのはわかってるんだけど)レベル2をやっている所。

個人的には、敵を倒すことよりも、アイテム集めたりお金貯めたり、ポッケ農場をもっと充実させたりと、どちらかというと農耕民族的な事をしてる方が楽しい。全然やってなかった調合もだんだんリストが埋まってきた。

とりあえず目下の目標は、村長クエストと集会所を3まで全部クリアして、早いところ上位クエストに挑戦したい所。下位クエストの素材は一通り集めた気がするし、農場も上位クリアしないと拡張できないぽい。ちなみに1個前のエントリで弱気なことを書いたらコメントとかメールがいろいろ来てしまったけど、少しは治まりました。

霧の中

2007/11/19(Mon) *Pickup, Diary

10代の頃に、「若いうちから働いていると、25才くらいで行き詰まるから気をつけなよ」と誰かに言われた。今24才、仕事を始めて8年目で、本当にそうなってしまった。仕事にいまいち打ち込めていなかったり、今年はいろいろあったから、余計な事を考えているだけかもしれませんが。

最近、いまいちネットに興味が持てなくなってきた。以前ほどネットサーフしなくなったし、RSSもどんどん減ってるし、新しいサービスをみてもふーんという感じ、というのが一つ。いままでいろんな仕事をやってきたけど、デザインやプログラミングやディレクションといった、きちんと形になって身につけたスキルがないなというのが一つ。

今後福井に帰りたいという思いはあるけれど、今までやってきたことが福井で活かせるような道筋を描いているわけでもない。逆に、福井に帰ったらこれをやりたいから、今東京でこれをやっているというわけでもない。なんだろう、足場がふらついていて、とても不安定な感じがする。

「1ヶ月くらい海外旅行でも行ってきたら?」とか「なるようになるんじゃない?」とか「ぜんぜん違う事をやってみたら?」とも言われる。仕事が面白くなれば、全て解決するような気もする。それどころか、一晩寝れば忘れてしまうような気もする。えらそうな言い方ですが、30才・40才と年を重ねていったときに、まわりの状況がだんだん変化していく事が少しだけ見えてきたけど、その時の自分の姿が見えないから、少しだけ不安になっているのかもしれません。とりあえず今は答えが見えません。あーなにやってんだろー。