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おもてなしの経営学

2008/04/21(Mon) Book

おもてなしの経営学 表紙
おもてなしの経営学
アップルがソニーを超えた理由
中島 聡 (著)

部隊として各方面に同時展開するときはマイクロソフトの方法が圧倒的に強いでしょうね。だからアップルは製品数も少ない。最前線が100もあってあらゆる所で戦っている状況になったら、ジョブズのやり方では無理でしょう。

Life is beautifulというブログを書いている方の本。普段から読んでいておもしろいなと思っていたブログなので購入。コンピュータ系の人かなぁという程度でブログは読んでいたのですが、マイクロソフトの米国本社にいて、Windows95やInternetExplorerを開発した人だった。

「経営学」となっているけれど、個人の働き方やものづくりの考え方として読んだ。バリバリの技術者なので、ネット・技術至上主義的な色が少し強くて、僕もそういう世界になったらいいなぁとは思うけれど、一日中ネットに接しているわけではない大多数の人にはちょっと急進的な話に聞こえるんだろうなと思う。

「ソフトがなければただの箱」とPCのコアがパッケージソフトに合った時代に比べると、今は「ネットにつながなければただの箱」になって、WindowsでもMacでもPCでさえないケータイでもネットさえつながっていれば十分使えて、端末の価値が希薄化されているように思う。故に、ネットの、ネットサービスの比重が増している。

そんな環境の中、過去のソフトウエア資産によって利益の大半を稼ぎ出しているマイクロソフトは安易にネットに流れてしまうと利益が消えてしまうというジレンマを持ち、グーグルは過去の資産がないぶん積極的にネットに投資し利益を生み、幸か不幸か端末資産が少なかったアップルはネットをインフラに端末を超えたサービスを展開している図が見えてくる。

この本はそういう大局観が得られると言うこともあるけれど、アップルやマイクロソフト、グーグルの物作りの現場もよく知ることが出来る。ちょっと前までGoogleは神みたいな議論が多かったけれど、僕は今の検索サービスなんてそのうち今のOfficeみたいに一般化されそんな重要なものではなくなると思っていて、そういう主張に出会えた初めての本でもある。

真鶴

2008/02/10(Sun) Book

真鶴 表紙
真鶴
川上 弘美 (著)

夜の九時頃って、人は何を考えるのかしら。聞いた。
さあ。夜の三時や、あけがたの四時に感じることならば、知っているけれど。
青磁の答えに、顔をあげた。三時や四時?
三時は、少しの希望。四時は、少しの絶望。

「失踪した夫を思いつつ、恋人の青茲と付き合う京は、夫、礼の日記に、「真鶴」という文字を見つける。“ついてくるもの”にひかれて「真鶴」へ向かう京。夫は「真鶴」にいるのか?」という紹介文から、ミステリのようなものかと思っていた。でも実際は、何ともつかみ所のない、化かされたような感覚になった本。

感情の表現や、それを言葉に落とす時の日本語の使い方がとにかく美しい。全体を通すととても静かな文体なのだけれど、その中に鮮やかに感情や情景が浮かんでくる。女性の主人公の心理描写の中には、愛おしいあまり狂気に変わってしまったような表現や、男の僕には何とも理解しがたい心の動きがあったけれど、女の人が読めばまた違うのだろうか。

特にベットシーンの描写が、今まで読んだどの表現とも違う。露骨な表現はしていないのだけれど、けして避けて書いているわけでもない。その行為を通じて形作られる二人の心情についてはもの凄く鮮やかに描かれている。そしてそれがまたとても美しい。

「ついてくるもの」や、「夫はどこへ行ったのか」については、最後まで僕ははっきりとした答えが分からなかった。一応の解釈が出来るようにそれらしいことは描写されているのだけれど、なんだか狐に化かされているような、どこか信じ切れない読後感。

これって「アサヒる」?

2008/01/31(Thu) Society

橋下氏、府債発行を一部容認 府幹部と初協議 – 朝日新聞(2008年01月31日06時06分)

大阪府知事選に初当選した橋下徹氏(38)は30日、08年度予算案の編成方針について府側と初めて協議した。基本的に認めないとした府債発行について、後年度に国の地方交付税で補充されるものは容認する考えを示した。また、人事では三輪和夫副知事と小河保之副知事の続投が決まった。

(中略)

それ以外の府債についても橋下氏は「どうしようもなくなったら、私が議会や府民に説明する」と報道陣に語り、柔軟な姿勢を見せた。橋下氏は当選後のインタビューで「府債発行は基本的に認めない。収入の範囲内でやってもらう」と話していた。

これ、当選直後のインタビューで「府債発行ゼロにします」っていう発言聞いて無理だろと思ってたんだけど、その発言の最後に「08年度は不可能だから認める」とも言ってる。それはその通り不可能だから09年度からゼロにするだけでも十分だと思うんだけど。

橋下氏「府債発行認めない」 人件費カットの可能性も – 朝日新聞(2008年01月28日15時07分)

ただ、08年度当初予算案での実施は2月議会までに時間がないことから「不可能」とし、来年度中の補正予算で対応する考えを示した。

自分の新聞で言ってるって書いてるじゃん。。。今まで朝日新聞っていろいろ叩かれてるけどそんなにダメな新聞なの?と半信半疑だったんだけど、こういうの見ちゃうとなんだかなぁと思う。まるで撤回したような書き方をして、この記事見た人は「いきなり撤回かよ」って思っちゃうんだろうな。

好きを仕事に。

2008/01/23(Wed) Diary

宮崎駿に似ているインフラの人と話して心に残ったことのメモ。


同じ方向を向いている人と仕事をすると楽しい。人が楽しみを見いだすポイントは様々で、それがお金になる=仕事になるものもあれば(例.プログラミング)、そうではないものもある(例.山登り)。楽しみを仕事に出来るなら、まわりもそういう人であった方が幸せ。

たまに自分がやりたい事って何だろうと中学生的な悩みが再発してくることもあるんだけれど、余計なことを考えずに、好きなことをやりたいな。これまではそれで暮らして好きな本とPCを買えるだけのお金がついてきていた。これからもそれがいい。

「ことば」の素顔

2008/01/21(Mon) Clip

ちょっと前に、コピーにまつわるエントリが福井からふたつ続けてあがっていた。

::: カウベル・コーポレーション|COWBELLog – 日常生活における「コピー」会話。 :::

池澤氏は、こうした誇張が混じるのはしょうがないけれど、消費者は言葉を「軽く」しか受け取らない。問題なのは「言語生活全体がこの軽さに染まってしまったこと」と訴えます。

コピーを、ふつうの生活に。 >> lablog

ちがう世界で生きる言葉をドッキングさせたりして、
より強い言葉をつくることは、
広告コピーとしては常套手段。

だけど、そういう言葉こそ、
普通の毎日の生活で登場することで
普通の毎日の生活を豊かにできるのかも。
と思ってしまいました。

ひとつは言葉の現状を戒め、ひとつは言葉のちからを見つめ直すエントリで、表現は違うけれど、二つのエントリが見ていることばの正しいかたちは同じなのではないかと思った。ことばをあつかう仕事をする二人のエントリに、そうでない僕がそれを語るのがおこがましいのは承知の上で少し考えてみる。

自称世界の警察さんとかの言動を見ていると、言葉は行動と結びついて初めて意味を持つのだなと感じる。どんなに美しい言葉を発しても、それとちぐはぐな行動をしていると次からはその言葉自体が軽く感じる。

言葉(特にコピー)とは人で言えば顔のようなもので、良くも悪くも第一印象でしかないのではないかと思う。その顔(コピー)をきっかけに、実際にその人(物やサービス)とふれてみて、その通りのこともあれば、いい意味でのギャップを感じることもあるし、逆のこともある。スーツを来た野球選手にどこか違和感を感じるように、野球選手にはやはりユニフォームが似合う。

その人(物やサービス)以上の言葉を発すれば出会ったときに幻滅されるし、過小評価しすぎても気づいてもらえない。もとい、これまでと違う表情を見せることで新たな魅力に気づくこともある。言葉はその人と相手をつなぐメッセンジャーであって、その人以上に魅力的な言葉など存在しないのではないかと思う。

んー。読み返すとなんだか言葉の力の限界を強調しているような内容になってしまいましたが、そういう意図ではありませんのであしからず。思っていることを伝えるのは難しい。

永平寺 宮崎奕保の教えと未熟者の疑問

2008/01/21(Mon) Clip

「一生学べ」永平寺106歳の住職の言葉から | Lifehacking.jp

花が咲く事、虫が鳴く事、これらは毎年ほとんど変わりがない。これが法であり、法に従っているということが大自然である。自然はほめられても、ほめられなくても、時がくれば花を咲かせて、やがて去ってゆく。

年始に亡くなった、福井県 曹洞宗大本山永平寺の貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師の言葉。世俗にまみれた僕なんかにははっとさせられる言葉が多い。「環境と私とは一つである」とか、公私ともに本当にその通りだと思うし、今は「悟りとは、平気で生きる事」と思える自分も過去の自分を再度反省させられたりする。

それはそれとして。これから書くのは皮肉ではなく本当に疑問なのですが、いろいろな教えの中には、それは寺に住んで寄付だとか冠婚葬祭のお布施でお金をもらっていればこそ出来る事なのではないかと思うようなものもいくつかあるように思う。世間の人間がそれを手本に「目指そう」とすることは出来るかもしれないけれど、世間の仕事をしながら本当にその状態になるのは不可能というか、そうなったらもはや世間ではやっていけないのではないかと思う。

そして、それをすべて実行してすべての人間が無欲になったとしたら、はたして社会は回っていくのかなとも思う。ずっと江戸時代の生活のまま停滞してしまいそう。それが理想の世界と定義しているのかな。もっとも「今の社会が非人間的なことをやっているのです」と言われればそれまでなのですが。

たとえば医療とか、今は若干無理に人を長らえさせようとしている感がないではないけれど、そういう技術的な発展とかが皆無になって、怪我したらそのまま死んでいくみたいな事になりそう。それはそれで自然の摂理ということになるのだろうか。僕の理解が足りないのか、はたまた僕の考えが世俗に犯されすぎているのか。繰り返すけど皮肉ではなく本当に疑問なのだ。

宮崎奕保禅師(NHKで放送された永平寺・宮崎奕保禅師の言葉。)

スタバではグランデを買え!

2008/01/20(Sun) Book

死刑 表紙
スタバではグランデを買え!
価格と生活の経済学
吉本 佳生 (著)

経済学をやわらかく解説した本。僕らが何かものを買う時、「物だけではなくサービスも含めて買っている」という考え方や、買うまでの移動や情報収集もコストとして考えるという考え方はとっても納得できる物だった。コンビニが新しく出店するならどこ?といった事例もあったけれど、ケータイにまつわる価格体系についての章が一番実感もあってわかりやすかった。

それよりも興味が行ったのが「比較優位」という考え方。自分の能力をきちんと見極めて、それが活かせるポジションを見つけてそこで確実な仕事をするという方法が、なんだか僕に会っているようで興味深く読んだ。

死刑 – 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。

2008/01/19(Sat) *Pickup, Book

死刑 表紙
死刑
人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。
森達也 (著)

死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「何故、国民は死刑を支持せざるをえないのか」です。(光市母子殺害事件被害者 本村洋からの手紙)

今すぐ買った方がいい、と断言できる本。

danさんのブログで見つけて、お急ぎ便を躊躇なく選択して一瞬で買った。少し前のブログに書いた「自分の命をかけてまで子供の命を守ろうとした一人の人間が、同時に一人の人間に死んで欲しいと願うという事。」への解に出会えるのではないかという期待で。読み終わって思うのは、僕の一番好きな「赤朽葉家の伝説」は興味を持った人だけ読んでくれればいいと思うけれど、この本は興味のあるなしではなく、知らないといけない事だと思う。

ところで、僕は何故こんなテーマばかりに興味を持つのだろうか。mixiの新着日記に「死刑 – 人は人を殺せる…」なんて日記があがってしまうことをたまに申し訳なく思ったりもする。その理由の一つは、「ドラクエクリアしたよ!」という日記を上げる時より、こういう事について書く方が自分の頭をフル回転させないといけないという事。このブログを自分を知る為の鏡として使っている面もあるので、これは一つ大きな理由。そして、もう一つの理由は、本書が明確にしてくれた。

どちらも今のこの世界だ。僕らが暮らすこの世界と地続きに、煌びやかなテレビスタジオがあり、ホカホカと湯気を立てる山海の珍味があり、飢えと寒さで衰弱しながら死んでゆく子供たちがいて、そしてあの薄暗い処刑場がある。
その末端に、僕がいる。そしてあなたもいる。

僕は目を背けられない、見てしまったのだから。

死刑についての僕の考えは、過去にも書いたことがあります。

iwalog : 自分が生きるために。

確かにその通りだと思う。人には人の命を殺める権利などないと思う。そうだとするならば、汲み取るべき事情がある承諾殺人(人の承諾を得てその人を殺害する=介護疲れによる息子による親の殺害)など一部を除いて、人が人の命を殺めた場合、その人はその時点で人権を行使する権利がないのではないか。

ものを盗んだ場合、そのものか相当するお金でもって償う。そして、抑止の意味も含めて金銭以外の懲役などの罰をもって購わせる。はたして、自分たちが声高らかに主張するもっとも高貴な価値観である人権を侵害された場合、何をもってすれば償いになるのだろうか。それは、その人自身の人権ではないのだろうか。(もちろん、原因の究明は必ず必要という前提で。)

何もしていない人を死刑にするわけではなく、罪を犯した人を死刑にするのであるということ。これは本書を読んだ後だと、被害者の側面ばかりが報道されて、加害者遺族や死刑囚のその後を知るすべがなかったから故の発想だったと気づく。この考えは、本書の中で紹介される加害者遺族や死刑囚と刑務官のかかわりを読むことで、ある意味では変わるのだけれど、ある意味では変わらない。

また論理の面では、現行法を前提とする場合、現行法で死刑に値する人間を無期懲役などで処理した場合、多くはないとはいえ再び社会に出てくる事になる。現に酒鬼薔薇聖斗は社会復帰している。彼らは更正するかもしれない。でも更正しないかもしれない。更正しなかった場合のリスクをあなたは受け入れますかと言われたら、僕は受け入れたくない。これは本書の中でもオウム事件以降の過剰な厳罰主義・治安強化主義の結果もたらされた日本社会の傾向であると論じられている。

本書では、森達也は悩む。そして自ら悩みたがっているかのごとく、死刑廃止論の安田弁護士(光市母子殺害事件加害者側弁護士)、死刑判決が確定した元オウム真理教幹部の岡崎死刑囚、「モリのアサガオ」という死刑囚と刑務官を描いた漫画を書いている郷田マモラ、死刑確定後判決が覆って無期懲役となり出所した人物、犯罪被害者の側から取材をしているライター、存置から廃止に考えが変わった被害者、池田小学校事件の宅間守死刑囚(2004年9月14日死刑執行)の手紙、死刑があるからといって犯罪発生率が下がるわけではないというデータ(死刑が犯罪抑止力としては機能していないという趣旨)、冤罪の場合取り返しが付かないこと、冤罪は現在も続いていること、実際に執行する刑務官の苦悩、更正した死刑囚、更正しなかった死刑囚、更正など求めておらず被害者が生き返ることだけを求めている遺族、死刑囚とその家族の最後の別れなど様々なものに触れる。

そして、光市母子殺害事件遺族の本村洋とも手紙を交わし、本書の最後の方でその事件の加害少年とも接見し、結論を出す。結論も、その課程も、必読の価値がある。

僕の結論。読む前と変わらず、死刑は必要であるということと、被害者保護にもっと手厚くなるべきであると言うこと。でも読む前と変わったのは、その執行は慎重であるべきで、現行の死刑制度をもっと改良すべきであると思うようになったこと。

被害者感情を考えた時に、死刑という「選択肢」は必要であると思う。しかし、冤罪もあるし、死刑囚にも家族はいるし、更正する人もいる。でも、再犯のリスクもある。それらを考えると、社会制度としての死刑はやっぱり必要で、撤廃か存置かを議論するよりも、その運用の改善に目を向けた方が、幸せになる人の数が増えるのではないかと思う。

MacBook Airレビュー

2008/01/17(Thu) *Pickup, IT, Mac

MacBook Air

MacBook Air

(追記:1) 注文しちゃいました!(iwalog : 買っちゃった。)
(追記:2) 届きました!(iwalog : MacBook Airが届いた。)

去年の年末くらいから、かれこれ3年使っているVAIO-Tが時々BIOSが起動しなくなる時があって、そろそろ寿命かと新しいPCを買おうかと考えてた所にこれ。PCの故障という買う必要性があって、ニーズを満たしたPCが目の前にある。あとはお金の問題だけ。。。

筐体の面だと、実機をさわってみないと何とも言えないけれど、東芝のDynaBook SS的な感覚に近いんじゃないかと思う。DVDドライブがないDynaBook SSのような感じではと想像。

画面サイズはVAIO-Tが10.6インチに対してMacBook Airが13.3インチなので少しでかい。逆に重さは両方とも1.36kgなので、今使っているVAIO-Tとほぼ同じ。逆に言えば、DVDドライブのないMacBook Airが、ドライブのあるVAIO-T並に重いということになる。CPU、HDDは文句ないスペック。どうせVAIO修理後サーバにして無線経由で外付け500GBHDD使うし(NAS買っとけばよかった)。ソリットステートドライブは10万円アップになりコストパフォーマンスに会わない気がするので除外。80GBでもVAIO-Tの60GBに比べて十分。

やはりネックは外部端子まわりで、イーサポートがない、PCカードスロットがない、USBスロットが1個しかない。自宅はさておきWi-Fiなんてまだ少ないから、別売りのUSB⇒イーサポートアダプタが必須と思われる。PCカードスロットがないということは、これもUSBアダプタでも買わない限りAirH”とかauのデータ定額通信が使えない。というか今見てたらauのはそもそもMac非対応。。。Bluetoothが付いてるけど、Bluetoothが必要なシーンに出会ったことがない。

インターフェイスまわりでいうと、キーボードのキーピッチとストロークはMacBookのそれに近いらしい。MacBookのキーボートが僕には大きく感じたので、ここが一番不安。それからやたらにでかいトラックパットがタイピング中の腕に触れてマウスが変なトコに行くという僕がMacノートを苦手な点をさらに強くさせそう。こればかりは実機をさわってみないと何とも言えない。

あと細かい所でスピーカーがモノラルなのがちと残念。iSightも、あれば使うかもレベルなので決めてという所までは行かず。iLifeが標準付属なのはうれしい。電源アダプタもこれまでのMacBook程度らしいので、持ち運びは本当にシンプルになりそう。

アプリ面だと、今のVAIO-Tのローカルで動かしているものは少なくてiTunesとPicasaぐらい。後はネットベースなので、これはiLifeでカバーできそう。ATOKのMac版を買わないといけないくらいか。あとMac非対応のサイト。こればかりは潔くあきらめるしかない。新しもの好きとしてはちょっとさみしいけど。

というわけで実機で最終チェックしたら買い決定なのですが(アップルストアの店頭で展示を開始するのは出荷日以降らしい)、いわごろ的カスタマイズでは以下な感じ。

  • 1.80GHz Intel Core 2 Duo
  • 80GB パラレルATAドライブ (4200 rpm)
  • 外付けSuperDriveなし(VAIO修理してRemoteDisc)
  • USキーボード
  • USB⇒イーサアダプタ

しめて27万円ちょうど(税込み)。
ほしい。。。

Apple Store(Japan)

逆説思考

2008/01/15(Tue) Book

逆説思考 表紙
逆説思考
自分の「頭」をどう疑うか
森下 伸也 (著)

何かを発明することのほうが、それを利用したり、利用が将来に及ぼす影響を見越すことより容易である
ドナルド・ジョハンソン(生物学者)

たとえば、認知症の老人が増加して、老々介護のような深刻な問題が発生していることは、すでに種々のテクノロジーのおかげで人間が本来の生物学的限界を超えて長生き「させられて」しまっていることの証拠であるが、いつかかならず開発されるであろう認知症を根絶できるテクノロジーは、きっとそれ以上の難問を人類につきつけることになるにちがいない。

常識を捨てこんな考え方で生きると楽しいよという本なのですが、そのハウツーよりもその考えから生み出されるいろんな枝葉の方に興味が行った。常識を捨てる、というか無意識だった常識が見えてくるという意味では「99.9%は仮説」の方が効果ありだと思う。

自然環境に対しては脆弱であるくせに、知能と文明をを持ったことで、逆にどんな環境でも生きる事になった人間。シロクマは人間が裸では暮らせない北極で生きることは出来ても砂漠では生きられないが、人間は文明により両方で暮らすことが出来る。ただ、その文明が高度化していくうちに、自然への適応は出来るようになったがその文明内での様々な縛りが生まれてくる。

極限まで高度化した人工環境のうちには、核兵器や地球環境破壊など、まさしく文明の自爆装置がふくまれているのであった。

という一節で、文明とは高度化する宿命を持ち、同時に自滅することもまた宿命ではないかと説く。

歴史の天才達についても、ホーキングについて、

文章を書く能力を失い、もはや紙の上で代数的な数式を使って研究することが出来なくなり、心の目で思い描くことができる幾何学的な手法を使わざるをえなくなったのである。それは、彼の古い代数がけっして解明することが出来なかったものの見方をホーキングに与えたのである。

と「障害を持っているにもかかわらず天才になれたのではなく、障害を持っていたからこそ天才になることが出来た。」という仮説を立てる。

そして旧石器時代が終わると、洞窟壁画のように写実的な絵画が全く描かれなくなったことから、ハンフリーはこう推測する。すなわち、そのころから人類の言語活動が急速に発達し、それと反比例するように視覚イメージの操作能力は急速に失われていった。そして、たどりついたのが現在の人類の脳だというわけである。だとすれば、逆にこのように言うことも出来よう。ダ・ヴィンチやアインシュタイン、またサヴァン症候群のひとびとは、脳が旧石器時代に先祖返りすることによって、その異常な才能を開花させるのだ、と。

われわれの観念は、われわれがいなくてもやっていける。われわれが観念をもつのではない。観念がわれわれを持つのだ。

文化の情報を持つミームという仮想の遺伝子があるとするならば、結局の所人類とミームの関係は「ヤドカリ(=ミーム)とヤド(=人間)」であって、ミームが人類という入れ物を窮屈に感じた時、ミームは人類を捨て別の何かに乗り換えていくのではないかと。本の中ではそれは生物でさえないコンピュータではないかという仮説を紹介している。

と、こんなことを書きながら品川から東京に向かう新幹線から見える東京という文明を眺めていると、帰省する前とはまた違った風景に見えるから不思議である。