Posts Tagged ‘考え’

左手にダイコン、右手にソースカツ丼。

2008/01/13(Sun) Diary

マサテルさんとゆうちゃんとdemuさんとでご飯。マサテルさんとゆうちゃんとは去年の秋頃に飲んだけど、demuさんとは初めて。とても渋い声をした丸メガネの似合うハンサムさんでしたが、残念ながら服を着ていました。今度は着ていない所を見たいです。

マサテルさんから会うなりダイコンをもらう。しかも駅で。なかなかないシチュエーション。demuさんも加わり話をしていると、昨日のメンバーもそうだけど、結構独立している人が多いことに気づく。つまり、確固たるやりたい事、出来ることをもって仕事をしている。前はそういうのを見るとなぜか焦ったりしたんだけど、今は幅を広げる時期な気がするので、そういうことは考えないでおいた。

家のこととか、仕事のこととか、福井の環境のこととかいろいろ話していたら、なんとなくだけど、「福井で働き、暮らす。」という事への自分のイメージがずいぶんポジティブなものになっていることに気づく。東京に着たばかりの時は東京にしか目がいっていなかったけれど、しばらく東京で暮らすことで福井での上手なというか、楽しい暮らし方が見えてきてるという感じ。

解散後、駅の近くに吉野家みたいな感じで「ソースカツ丼」を売っている店を見つけ、においにつられて思わず買ってしまう。家についてタクシーから降りた僕は、左手にダイコン、右手にソーツカツ丼を持ち、眠い目をこすりながら家のドアを開けた。

中村中 – 友達の詩

2008/01/08(Tue) Music

友達の詩 ジャケット
友達の詩
中村中

中村 中 - 友達の詩 - Single

中村中(あたる)を知ったのは、年明けに茂木健一郎の「中居クンの判断」というエントリを読んだのが初めてで、YouTubeで紅白の中村中に宛てて書かれた母からの手紙を読むシーンだけ見て、紅白独特のこういう演出が嫌で曲は聴かずに閉じた。でも、今日iTunesでこの曲を見かけて試聴した次の瞬間には購入してしまった。

大サビを聞いていると、紅白の映像で見た母からの手紙のくだりや、歌詞や本人の境遇が入り交じって心が震えた。歌詞のような考えは僕もした時期があるけれど、そういうのはあまり良くない考えであると今は思う。でも当時15才の彼女がこの考えをとるに至った境地を考えると、否定できるものではないように思う。

本人の名前もなんとも運命的な名前だなと思いながらジャケットの写真を見た時、もう一度心が震えた。シーソーに座る彼女はひとりぼっちではなかった。そこに、友達の姿が僕には見えた。

友達の詩
作詩:中村中 作曲:中村中

触れるまでもなく先の事が
見えてしまうなんて
そんなつまらない恋を
随分続けて来たね

胸の痛み 直さないで
別の傷で隠すけど
簡単にばれてしまう
どこからか流れてしまう

手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人は友達くらいでいい

寄り掛からなけりゃ
側に居れたの?
気にしていなければ
離れたけれど今更…
無理だと気付く

笑われて馬鹿にされて
それでも憎めないなんて
自分だけ責めるなんて
いつまでも 情けないね

手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来

忘れた頃に もう一度会えたら
仲良くしてね

手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来
手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人は友達くらいでいい

友達くらいが丁度 いい

Vicuna

2008/01/01(Tue) IT

Vicuna

テンプレートのソースコードはXHTML1.0 StrictのDTDに準拠して書かれており、無駄なく表示も軽い作りになっています。また、XHTMLとCSSの両方でカスタマイズを考えた構成になっていますので、構造の変更・デフォルトスキンから自分の好みに合わせて簡単にレイアウトやスタイルを編集することができます。

今年からブログを少しリニューアルしました。見た目的には横幅が少し広がった程度ですが、ソースまわりがVinucaを使わせてもらって変わっています。元のCSSがつぎはぎ工事で目も当てられず、マサテさんとかに見られたら恥ずかしい状態だったのですが、これで綺麗に。

お手本の用に綺麗に組み立てられたXHTMLとCSSなので、編集もすごく簡単。僕はmonoというスキンをベースに、2カラム構成に変更し色とフォントを少し調整したのですが、1時間ほどで今のデザインまで変更できた。

その後MTのモジュール化とブログパーツ・広告の設置に少し時間がかかったけど、ブラウザチェックも含めて3時間ほどで今の状態が出来上がりました。コピーライトを示せば商用利用も可能らしいので、テンプレートとしていろいろ使えそう。是非広まって欲しい。

年の瀬に。

2007/12/31(Mon) *Pickup, Diary

28日に仕事納め。終わった瞬間、どっと力が抜けて、28日の夜と29日は爆睡。29日になってあわてて大掃除を始めるも、今年はちょこちょこ綺麗にしていたので、ゴミをまとめて掃除機とクイックルワイパーをかけるだけで完了。その後PCのデータ整理とバックアップとか、本の整理とか、ついつい時間がかかって今も続行中。あと、ブログのリニューアルもちょこちょこと。

年の瀬に、という事ですが、今年の事についてはもういろいろ書いてきたので、今更特にまとめて書く事もないなぁという感じ。心境だけ記録しておくと、早く追われ早く追われと思いながらやってきてなんとか滑り込みで年末まで持った感じ。今年ほど疲れだけが溜まった年もそうはなかった。

とはいえいつまでもこのままではいられないので、そういうのは今年で終わりにして、来年どうするかを考える日々。仕事の事、家族の事、自分の事。年始に後厄のお払いに行ってからゆっくり考えようと思いますが、安定した土台をつくれるような年にしたいなとぼやっと思っています。

今年もいろいろな人にお世話になりました。東京の人、今年いろいろつながりが増えた福井の人、逆にあまりあえなかった新潟の人。ありがとうございました。自分の中ではこの3つがキーになっているように思います。それから、このブログを読んでくれた人、ありがとうございました。来年は25才。来年の年末は、どんな記事を書いているのでしょうか。よりよい一年に、なっていますように。それでは、皆様良いお年を。

新 ブラックジャックによろしく 3

2007/12/26(Wed) Book

新 ブラックジャックによろしく 3
新 ブラックジャックによろしく 3
佐藤 秀峰 (著)

-僕は冷たい人間です…

 僕の知らない誰かが、僕の知らない場所で亡くなっていっても、
  僕は涙を流しません…

 悲しい気持ちにはなるかもしれないけど…
  出会っていない誰かのために僕は何もできません…
   僕が助けたいのは赤城さんです…

 仮に99人の患者を救えたとしても、
  本当に救いたいたったひとりを救えなければ意味なんてないんです…-

進歩がないとか、気持ち悪いとか、Amazonでは酷評されてますが、引用した言葉は真実じゃないかと思う。故に、そうではないと信じたいから人はカタルシスのある物語を求めるのに、この物語はそうではない。

1週間ほど前に、ネットでとあるビデオを見つけた。僕もネットでいろいろな動画とか画像を見てきた方だと思いますが、この動画は最初は最後まで見る事ができなかった。あまりにも凄惨で、興味本位で見るべきではないと思うので、迷ったけどこのブログからはリンクは貼らないでおきます。簡単に言うとスプラッター系です。見る意志のある人は直メールでも下さい。

とはいえ、決して興味本位で撮られたものではなく、ドキュメンタリーとかジャーナリズムとかの意志に基づいて撮影された、とある場所で起きたある出来事を取材したもの。ただ、そこに展開されるリアルがゲームや映画や日本で見る事ができる報道とは度合いが違いすぎる。映像その物にもショックを受けるし、そこで展開されている事を行っているのが僕と同じ人間である事が痛ましくてならない。涙さえ出ない。

それが起きた経緯を調べてみると、僕が追っていっただけでも日中戦争までさかのぼる。おそらくもっと昔から繋がっているのだろうと思う。それを見た僕は、何もできない。僕が痛みを感じれない人間だといわれてしまえばそれまでだけど、結局本当に痛みを感じる事ができる範囲はとても小さくて、さらにそれをフォローできる範囲はさらに小さい。僕にできる事は何もなくて、こんな動画見なければよかったと思ったけれど、それでもやっぱり直視しなければいけない事だと思って最後まで見た。

社会が成熟していないとか、宗教の悪い面と簡単にまとめる事もできるのだけれど、その映像の中で動いているのは僕と同じ人間。とても絶望してしまう。だからといって、人類愛とか、世界平和とか、そういう思想には全く共感できないし、何かが変わるとも思えない。いろいろ考えて結局僕が思ったのは、そういう世界があるが故に、目の前の世界を、自分の目に映るとても小さな範囲であっても、あるべき姿に保とうとする事しかないんじゃないか、というありふれたもの。例え何度壊されても、それを作り続ける事ぐらいしか、僕にできる事はないんじゃないだろうか。

錦繍

2007/12/24(Mon) Book

錦繍 表紙
錦繍
宮本 輝 (著)

実に1ヶ月半ぶりの読書。10月から途端に読む量が月1冊くらいになってしまった。この本も200ページ弱と短めなのだけど、なかなか頭に入ってこなくて3時間くらいかかってしまった。継続して読んでいるときは、そうでないときよりやはり吸収がいいんですかね。この本は、最近知り合った人からのオススメ。これの他にも同じ著者のやつをもう2つ買ってきた。

書簡体(手紙のやりとりの形をとる物語)を読むのは、辻仁成と江國香織の「冷静と情熱の間」以来で、ちょっと新鮮でした。表現が若干単調になってしまうのはそのせいで仕方がないのかなと思ったけど、最後の方ではこの作家の表現の特徴なのかなと感じた。

僕は本には出会うタイミングみたいな物があると思っていて、まだ自分には早すぎて何を言っているのか分からないものもあれば、自分自身の経験からだいぶ立った後にそれを言語化してくれる本と出会う時もあったりして、人との出会いくらい大きなものじゃないかなと、個人的には思っています。

そんな意味で、ちょうど一つ前のエントリに書いたのと同じ「私は最近、私の<いま>は、過去の私によってもたらされていると確かに思えるようになりました。」を見つけたときは、やっぱりそういう出会いみたいな物があるのだなと、少しだけ確信したりしました。

この本で全体を通して書かれているのは、「輪廻転生」や「業」という宗教に近い考え方や、そしてその中を生きている人間自身についてなのかなと感じる。おそらく去年の自分ならこういう話はうさんくさくて途中で読むのをやめてしまったと思うんですが、今年はいろいろあったので、自分の中ですんなりと理解できるような気もしました。

読み終わった後で調べてみたら、この著者の信仰は創価学会のようで、僕は創価学会の教えは知らないけど、前出のことはたぶんその教えと関係しているのかなと勝手に思う。分かりやすいところでは瀬戸内寂聴はじめとして、宗教と文学はよく繋がっているのでさして珍しいことではないのですが、イスラムとかはよく知らないけど、仏教とかキリストとか、どの宗教もみんな同じ事を言っているような気がしてくる。

僕らは「魑魅魍魎のIT企業」だったのか?

2007/12/20(Thu) Clip

ドロップシッピング業者相次いで撤退。

あせらない、あせらない。

あせるということは、事業に魅力がないのではないでしょうか?
売上が上がらなくても、
やり続けたいと思える事業は素晴らしいと思います。

僕は最近、人や企業を見る目が養われました。

100年経ってみて、何の意味もなさない事業をやっている
魑魅魍魎のIT企業がいかに多いことか。
こんな辛らつな日記は書きたくはありませんが
もう少し人類の幸福につながる事業をやられたら
考え方も変わるのではないかと思います。

人生で働けるのはたかだか50年。
死ぬときに、何か一つでも社会に貢献できたと言えるものを残し、
孫に自慢できるようなじじいになりたいものです。

僕が1年と数ヶ月携わった仕事は、何の意味もなさない仕事だったんでしょうか。僕がいたのは魑魅のように人を迷わせるIT企業で、そこで働いていた僕は魍魎のように人を化かす人間だったんでしょうか。僕は、人類の幸福に繋がらない事業をやっていたのでしょうか。

以下すべて、親会社の思いでも、会社の思いでも、他のメンバーの思いでもない僕個人の考えという前提で、署名には自分が誰かを明らかにする以外の意味はありません。引用元サイトの方がそれを明らかにしているのでフェアに。

撤退した事への批判は、真摯に受けとめています。期待してもらったのにそれに応えられなかったわけで、それについての引用元の批判はその通りだと思います。ただ、儲からないからやめるのかという話は、少し違うと思っています。儲かることは、事業をやる上での必要条件だと思うからで、同時に十分条件ではない事もそれと同じくらい思っています。

だから、「儲からなくても続ける事業」に、価値はないと思います。「儲け」とは具体的には「利益」の事で、「利益」とは、その「事業(=企業)の価値」です。1,000円で仕入れた木を加工して作ったテーブルを2,000円で売り1,000円の利益が残ったとき、それがそれを加工した事業=企業=人の価値の証です。なので、儲からない事業とは何の価値も生まない事業であると思います。

誤解してほしくないのは、今は「事業」についてを言っているのであって、ボランティアとかそういうことは含んでいません。儲からないことすべてに価値がないと言っているのではなくて、事業として行うからには儲からない事業に価値はないということを書いています。現に僕は儲からないけど、というか単純に見ると損をしていることも個人的にたくさんしてます。もっとも、意味のないことなんてそもそもあまりないんですが。

焦ると言うことは、事業に魅力がないという事ではないと思います。描いているものと、現状のギャップが大きいときに生まれるのが焦りであると思います。「描いているもの」というのは「目標」であり、それは約束をもって初めて意味を持つものです。今年の秋までにあった事というのは、僕らが親会社と決めたルールの中で、会社と約束した時間の間に、約束した「事業の価値」を作れなかったという事だったと個人的には思っています。他にもいろいろあるけどとりあえずこれに絞ります。

冒頭に戻ると、その事は「何の意味もなさない」事で、「魑魅魍魎」で、「人類の幸福に繋がらない」事なんでしょうか。DSというモデル自体は、引用元の方もやっている訳なので無意味ではないと思います。僕らは会社と約束をした。そしてその約束を守れなかった。その結果その事業を閉じる会社は「魑魅魍魎な企業」なんでしょうか。「人類の幸福に繋がる仕事」というのが少し漠然としているのでそれについては保留しますが、僕はそれは「魑魅魍魎な企業」ではなく「まっとうな企業」であると思います。ただ、まっとうである事がとてもつらい事である場合も時にはあるという事。

引用元の方が言わんとしていることはとてもよく分かります。その通りだと思う自分もいます。でも、これまで書いてきたことも間違ったことではないとも思っています。矛盾していると言われればそうなのだけど、僕は矛盾した思いが共存する事が悪いことではないと思っています。こういう事は書かない方がいいことは十分わかっていてるから閉じた時も何も書かなかったんですが、引用元の方のテキストだけがネットの中に残ってしまうのは、本意ではないので書きました。

本当に考えたの?

2007/12/19(Wed) Clip

MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?

多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。否、たとえ考えようとするだけでも、 100時間くらい考えようとしていれば、なにかは実際に考えるだろうし、そして、考えれば、なにかは思いつくだろう。きっと具体的な案がいくつか出てくるはずだ。ほんの一瞬だけ考えようとしたくらいで「考えた」なんて言わないでほしい。

沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。

前いちど小説を書いた時に思ったのは、書き始める前はもやもやしているだけだったけど、本当にきちんと考え始めると、どういう人がいて、どういう事があって、それはあそこと繋がって…とどんどん具体的になってくる。あれ以来書いていないけど、次書くときは前の反省とかそれへのアンチテーゼとか考えて、すこしづつはマシになりそうな予感。せめて1年に1話くらい書いていきたいな。

しかし、どうも心に余裕がないと創作作業は出来なそう。別の世界の事を考えるよりも現実が大変なので、そっちにいっぱいいっぱいになる。

emo[エモ]

2007/12/19(Wed) IT

emo[エモ]

ブログの内容を解析して顔が変わるのだとか。早速分析結果が。

■ニックネーム
仕事が好きな
いろいろした不思議ちゃん

■ココロレポート
・イイところ
あなたは、いろんな事に興味津々で、何でもポジティブな不思議ちゃんタイプです。わが道を行くタイプなので、人がびっくりするようなことも平気でやってしまいます。何事もプラス思考に考え、いつも明るく過ごす事ができます。また、仕事も遊びも新しいものを開拓し、どんどん自分のものにして、人の目を気にすることなく伸び伸びと暮らす事でしょう。

・ココに注意
周りの評価を気にせずに行動するので、わがままな人というレッテルを貼られてしまうことも。良いものを追求したい欲求が強い為、現在の幸せをいつの間にか失っている可能性もあります。

不思議ちゃんではないと思うがー。同じものについて別の角度から見て書いただけのような気もするけど、まあ長所と短所ってそんなものかもしれません。

町村さん

2007/12/18(Tue) Clip

一部で話題になってますが、官房長官時代の福田康夫的様相を呈して参りました。一部普通にまずいのも混じってますが、あんだけ毎日記者会見してれば口が滑るのも分からないではない。

「個人的にはUFOいると思う」 – 産経新聞

-先日民主党の参院議員から未確認飛行物体(UFO)に関する質問主意書が出され、本日、政府としては存在の確認していないなどとする内容の答弁書が出されたが、この質問の内容や答弁書の内容について長官の考えは

町村官房長官「うーん、まあ、あのー、政府のそれは公式答弁としてはですね、UFOの存在は確認していない。だから、対策なども特段検討していないという極めて紋切り型の答弁しかないだろうと思いますけれども、あのー、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っておりまして。個人的な、個人的な意見でありまして、政府答弁は政府答弁であります。そうじゃないと、いろんなところにあるね、ナスカ(の地上絵)のああいう、説明できないでしょ。と、思っているんですけれどもね。ま、ちょっと、これ以上広げないようにします。どうも。毎回、こういうご質問をお願いいたします」

下からの情報がウソだと思ったら仕事にならない – 産経新聞

-首相や閣僚が事務方の説明を信じて答弁したものが実は間違っていたといったことが相次いでいることの受け止めは

町村官房長官「それは下から上がってくる情報が嘘だと思っていたら仕事になりませんわね。」

町村官房長官「常任理事国は夢のまた夢」 – 日刊スポーツ

町村信孝官房長官は6日午後の参院外交防衛委員会で、海上自衛隊がインド洋での給油活動から撤退した影響に関し「日本の評価がじわじわと低下していることに気付かなければならない」と指摘した。その上で、日本が人的な国際貢献に消極的と国際社会に受け取られかねないとし「(国連安全保障理事会)常任理事国入りは夢のまた夢だ」と懸念を示した。

「官房長官が白旗「選挙なので言ってしまった」 」 – iza!

町村信孝官房長官は11日午前の記者会見で、基礎年金番号に未統合で宙に浮いた年金記録の統合を来年3月末までに完了するとした自民党の参院選公約について「最後の1人まで3月末までにやるというわけではなく、選挙なので『年度末まですべて』と縮めて言ってしまった」と述べ、年度内の完全実施は難しいとの認識を示した。