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引用祭り

2008/11/27(Thu) Clip

過去の自分のdeliciousより。古いのもあるのでいくつかリンク先が無くなっていたりしますが、まあ。

朱雀門 著:山岸凉子

自分が100パーセント許されることを期待しながら、相手を1パーセントも許さない人間だったのよ。そういう人間が他人を愛せると思う?

altba | shinzo | shinzlog | look forward | entry archive (October 31, 2003)

そういう意味で、健全な上昇志向をもっている人には、僕が知っていることや、経験してきたことを、教えたり話すことを、これからも続けていくと思います。そして、それによって知らないことを逆に教えられる、という自分の学習を続けたいと思います。でも、僕は自分が学ぶので精一杯です。僕には、健全ではない上昇志向を基に、デザインを利用しつつデザインの力を馬鹿にするような意識の人に「そうではないんだ」という事を説いていくほどの余裕はありません。それよりも、「もっと良いものを。もっと先へ。もっと役にたつものを。」と思っている人たちと、デザインというものを考えて行く時間を大切にしたいと思います。よろしくお願いします。

助け舟|渋谷ではたらく社長の下ではたらく社長のアメブロ

素直さや謙虚さが足りないと、単に怒られていると思ったり、逆切れしたりして、助け舟をみすみす逃してしまうのです。

切込隊長BLOG(ブログ) – 「自分は要らない存在じゃないか」と悩んだ人と考えるトピック

その多様性こそが存在の証であって、一人の人間が、たとえ自分の存在に疑いを持ったとしても、そこに在る限り理由なく人は継続されるのである。

「おろかもの」の正義論 – drillhanz

事実の記述が非難として感じられるなら、非難しているのはわたしではなくあなたの良心だ。

風の帰る場所–ナウシカから千尋までの軌跡 著:宮崎駿

ただ、生き物っていうのは動態だからね。動いてる。静的な存在じゃないから。だから、同じ人間でもね、ものすごく愚劣な瞬間があったり、それからなんかやたらに高揚してね、あるいは実に思いやりに満ちたり、そういうふうに揺れ動いてるものなんですよ。

日本の不都合を追いかける – 深町秋生の新人日記

この世でもっとも罪深い行為は殺生でも姦淫でもないと私は思う。たぶん最悪の罪は無知でいることだろう。さらに自分が無知であるのをいいことに偏狭な正義をふりかざすやつが一番始末におえない。しかしこれは私自身も偉そうなことはとても言えそうにない。私も常に恥ずかしくなるくらいに無知だからだ。

「世界観、ビジョン、仕事、挑戦—-個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) – My Life Between Silicon Valley and Japan

僕が言いたいのは、「やりたくないことをやるな」ということでなくて、「意味のないことをやる」ということに対して、緊張感をもって生きる、そういう姿勢を持つべきだ、ということです。

404 Blog Not Found:義務教育は押しつけでもいいのではないか

社会があなたの個性を受け入れるとは限らない。闘争するにしても逃走するにしても折り合いの付け方は身につけといた方がいいよ。

昔話禁止令。|Tokyo Ochimasato Land

「今、僕が立っている世界は、ごみ箱の中さえ、子供の頃から憧れていたブラウン管の向こうにあるモノじゃないか」

告知せず

2008/11/17(Mon) Movie

夫「死ぬ準備をして待てって言うんですか。死ぬ日を、指折り数えて待てって言うんですか。あんたそれでも医者かよ。」

妻「もうやめて。先生に当たったってしょうがないじゃない。人間は誰でも、いつかは死ぬの。それが早いか遅いかってだけ。訳の分からないまま死んでいく人だっているのよ。でもあなたは違うわ。自分は何の病気で、何と戦えばいいのかちゃんと分かってるの。他の病院で見てもらいたいなら、そうしましょう。納得いくまで、ちゃんと付き合うから。あなたの思うとおりにすればいいじゃない。だから、ちゃんと戦いましょう。最後の最後まで、ちゃんと生きましょう。」

テレビ朝日で放送されたがん告知のドラマ。たまたまがんの緩和ケアについての本を読んだばかりだったので見たんだけど、号泣。ドラマ自体の話でいうと、滝沢秀明がちょっと浮いていて山田孝之とかの方がいいんじゃないかと思った。がんを患った高畑淳子が亡くなるシーンでも、なんで息子役の滝沢より見ている僕の方がわんわん泣いているんだ、とどうでもいいことを思った。

冒頭に引用したのは、自分の妻には告知せず自分の患者にがん告知をした渡哲也に対して怒りをぶつけた夫に、妻の高島礼子が語った言葉。その後、「先生、告知して良かったです。」と続く。人はいつか死ぬんだと開き直って、残りの人生を精一杯生きようというような考え方で、告知された大多数の人はそういう道を辿るのではないかと思ったりする。

それはたぶん端から見ると一番手っ取り早いプロセスに感じるんだけれど。ここからは完全に想像だけれど、人間は、年を取れば取るほど欲が増していく生き物なんじゃないかと思う。不老不死を願うわけではなく、子供の成長を見たい、孫の成長を見たい、出来うるなら可能な限り、それを見届けたい、という欲が大きくなっていった時期に、いきなり「残りの人生を精一杯生きる」という考え方に転換するのはかなりしんどいことなんじゃないかと、勝手に想像する。

自分はと言うと、ガンになったら告知されて何で死ぬのかをハッキリと認識して、そのプロセスを出来うるかぎりこのブログでも何でもに書き残していきたいし、自分に近しい人がそうなったとしても告知してしまいたいと思う。だけどそれは、自分一人だけではそういう重いものを抱えきれない事への逃げから来ている答えだと思うので、正直まだ分からない。

たまにはネットの話を。

2008/11/14(Fri) IT

なんだかブログに復帰してからのエントリが時事放談状態なのでネットの話。最近のネットはギークと呼ばれる人たちがウェブサービスを作るのがブームなのか何か知らないけれど、ポンポンと似たようなサービスが雨後の竹の子のように乱立していて、競争が激しくて結構なことだと思う。

ただ、ふつうに仕事をしながらネットをしている立場からするとちょっと飽和状態で、発信するためのツールだけあってもそんなに発信する情報とかないし、そもそも発信を全くしない受け身な人がマジョリティであるとおもう。テレビで慣れてるし。

アルファブロガーとかも結構な事だけれど、なんだかんだ言ってテレビのニュースキャスターが一言失言する方が遙かに影響力が大きい。OpenIDだインタレストマッチだっつったって僕を含む一部の物好き(アーリーアダプターですか)が追いかけてるだけで、正直実生活にはどーでもいい事だったりする(意義は分かってるけどあえて)。

と、なんかイノベーションを否定するような事を書いたけれど、別に冷めてるわけではなく、いろいろ高度な技術やアイデアを駆使してるけどそれって限りなく少ない人たち(それもほとんど東京在住)がネットの中で盛り上がってるだけなような気が正直する。なんというか、もっと実生活に根ざした事って出来ないもんですかね、と最近マジメに考えているのです。

裁判員制度はこの国の世論を進化させるのか?

2008/11/13(Thu) Society

「裁判員です」話していいのは…家族○、匿名ブログは△ – 朝日新聞

法律では「何人(なんぴと)も」とあるので、自ら公にしてもいけないし、知人が選ばれたことを誰かに話すのもダメだ。裁判員が事件関係者から危害を加えられないよう保護するための規定とされる。

最近はやりのブログ。日々の身辺雑記をつづる人も少なくない。筆者の素性が分からない場合は大丈夫そうだが、匿名のブログや会員制サイトでも、他の公開情報と照らし合わせて筆者が簡単に特定できる場合は危ない。

もっとも、この規定に罰則はないため、違反しても、罪に問われることはない。

以下、なるべく調べて書いていますが、誤りがあったらごめんなさい。約1年前に「斎戒沐浴」というエントリで裁判員制度に触れましたが、この制度については結構注目していて、日本の世論形成に大きな影響を与えるのではないかと思っている。

ちなみにこのブログは実名で書いているので、仮に選ばれても僕はこのブログでは裁判員に選ばれたということも、実際に裁判に参加して裁判員同士でどういった議論があったかも書いてはいけないことになる。でも、たとえば2chで書くとしたら一応書き込みだけでは個人を特定されないので大丈夫なのかな?

ただ、裁判自体は一般に公開されており傍聴することも出来るので、どういった裁判が行われ、裁判官・被告・検察の間でどういった議論があり、どういった判決が出たかを書くこと自体は問題ないはず。問題なのは、裁判官と裁判員の間でどういった議論が行われたのか、を書いてはいけないということらしい。

一年前のエントリでは「人を裁く」という負荷に民間人が耐えられるのかなという疑問を書いた。それはそれで今も感じている懸念なんだけれど、この制度にひとつ希望があるとすれば、この制度により民間人が社会や司法に参加し、一人ひとりが国や社会について関心を持つことで、この国の政治がより活発なものになるのではないか、という事。一方に流れやすいこの国の世論が複雑多様化することで、多少精度を上げて安定性が増すのではないかと願っているんだけれど。

文民統制

2008/11/10(Mon) Society

ほとんど石破氏が書いてしまっているけれど、個人的な補足。

石破茂(いしばしげる)ブログ: 文民統制

今回の問題は、田母神氏の行動とその後の政府の対応が文民統制の観点からどうであったか、の一点に絞って論ぜられるべきものです。

今回の田母神前航空幕僚長の問題は、「彼が発表した論文のような思想を持ち、その上で航空自衛隊の高級幹部になり、その思想を社会に発表し、政治が彼を更迭した。」ことまでを全て含めて正しい事だと思う。石破氏も言っているけれど、たとえそれが自衛隊の指揮官であれ総理大臣であれ、どういった思想を持っていても問題がないと憲法では定めている。もちろん、その職責に伴う行動をすることは前提。

田母神氏まではいかないにしても、過去を全肯定している自衛隊関係者は社会全体に占める比率よりも高いのではないかと思っている。田母神氏に対して「よく言った」と思っている自衛隊関係者も結構いるんじゃないかと思う。それは、きちんと職務を遂行するなら全然問題ない。逆に、こういった主張が鬱積し、彼らの中で自己完結した思想の進化が進んでしまい行動に起こされる方がよっぽど問題。

そして、若干彼らに対して理解を示してしまうのは、そのコントロールをする文民(軍人ではない者)が、政治家はもちろん国民も含めて、彼らの事を正しく認識し活用できているのかなぁという事。某番組でも言っていたけれど、イラク戦争のように文民が判断を誤る事もあるわけで(個人的には誤ったと思っている)。

死刑論もそうだけれど、こうやって異なる主張を持つ者同士がきちんと議論をしている状態が一番安定しているんじゃないかと思ったりする。「軍隊」ではなく「自衛隊」という言葉はなかなか的を射ている言葉ではないかと思っていて、その健全な思想のなかでぼくらがコントロールしていく事が大切なんじゃないかと思っているんだけど。残念ながら人間は、世界共通の思想を持てるようにはつくられていないのだから。

こぼれる

2008/11/09(Sun) Book

こぼれる 表紙
こぼれる
酒井 若菜 (著)

ルービックキューブは、一、二面を揃えるくらいは簡単だ。大介は、自分の面を揃えることだけに夢中だった。他の面は、雫といる時は雫の色だけを揃えようとして、千尋といるときは千尋の色だけを揃えようとした。

どちらか一方の面に夢中になっている間、残された一方の面がぐちゃぐちゃになっている事に気がつかなかった。あげく、一面も揃えられなかった。そして、大介のルービックキューブは完全に壊れた。

女優、酒井若菜の処女小説。「実体験を元にした不倫小説」という扱いをされたみたいですが、特にそういう先入観なく読んだ。それまでも酒井若菜はまあ好きな方で、ブログを読んでいるとその言葉遣いや表現が面白いので、きっとこの子ならいい小説を書くだろう、という期待は少しあった。結果、自分のベスト3に入るくらい好きな小説になった。

正直言って書き方は下手だし、物語の展開もありきたり。ありきたりというか、初めて小説を書くとそうなっちゃうよね、という書き方。僕が一度小説を書いたときに迷った事と同じような所に迷いが感じられるし、いくぶん唐突な展開もああそうしちゃうよねぇ、と可愛く読んだ。

それでもこの小説がベスト3に入るのは、妻子ある夫と不倫している女性にしか感じられない心境だったり、好きな女の子に気持ちを伝える方法が分からない男の子だったり、その男の子が好きな別の女の子の長い長い思いの積み重ねだったり、そういう一人ひとりのキャラクターの心理描写がとてもリアルで美しく、また共感できるものだったから。

自分の勝手な印象だけれど、小説を書くときというのは、取材やインタビューを元にゼロから物語を作り上げていく人と、自分の中の経験や感情をはぎ取るように文字に落としてして物語を作り上げていく人の二つのパターンがあるように思う。そして、初めて書く小説は後者が多いように思う。もし酒井若菜が後者だったら、とってもいい経験をしてきたんだろうなぁと、勝手に思う。下手な小説家の物語よりも、よほど心を揺さぶられた。

石破茂

2008/11/06(Thu) Society

やっぱりこの人は、農林水産大臣よりも防衛大臣やったほうがいい。農林水産大臣にはもっと適切な人がいるかもしれないけれど、防衛大臣には余人を持って代え難い。

石破茂(いしばしげる)ブログ: 田母神・前空幕長の論文から思うこと

在野の思想家が何を言おうとご自由ですが、この「民族派」の主張は歯切れがよくて威勢がいいものだから、閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。

この一件で「だから自衛官は駄目なのだ、制服と文官の混合組織を作り、自衛官を政策に関与させるなどという石破前大臣の防衛省改革案は誤りだ」との意見が高まることが予想されますが、それはむしろ逆なのだと思います。

押さえつけ、隔離すればするほど思想は内面化し、マグマのように溜まっていくでしょう。「何にも知らない文官が」との思いが益々鬱積し、これに迎合する政治家が現れるでしょう。それこそ「いつか来た道」に他なりません。

制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです。

吉田茂元首相の言葉をなんとなく添えておきます。

君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。

しかし自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが国民や日本は幸せなのだ。

どうか、耐えてもらいたい。

書評バックデート

2008/11/02(Sun) Diary

ブログを書かない間も、本は読んでいました。

2008-09-14 (Sun)
さまよう刀

2008-09-28 (Sun)
ゲームデザイナー 小島秀夫の視点

2008-10-05 (Sun)
自分をグーグル化する方法

2008-10-16 (Thu)
悩む力

2008-10-18 (Sat)
初恋温泉

2008-10-26 (Sun)
聖女の救済

ブログの再開

2008/11/02(Sun) Diary

都合1ヶ月半ほどお休みしていましたが、今日からまたブログを再開することにします。この1ヶ月半は、ブログもしないし、RSSも全部購読解除するし、メッセも起動しないしと、かなり意図的にネットから距離を置いてみました。今では少しずつそれぞれのサービスを利用し始めてますが、以前よりいい距離感で使えているので、ブログもそろそろ再開してみる事にしました。

ブログを閉じたのは、また4〜5年前にやっていた受託でのウェブサイト制作という業界に戻ってきて仕事をし始めたときに、自分がその4〜5年前の知識や経験をベースに仕事をしている事に気づいたからです。

それはけして悪い事ばかりではないと思うんですが、ゼロから考える事をしないという悪い面だけが出ているように思い、この再スタートする時期に一度リセットして、過去に自分が学んだ事でも現在それは本当に正しいのかと疑って再構築しないと、過去をずっとひきずってやっていってしまうように思ったからです。そのときに、過去の蓄積の象徴であるブログがとてもじゃまなものに思えました。

「それって本当に正しいの?」と前提条件を疑う事はとてもしんどいもので、答えが出るかどうか分からない暗闇の中をずっと進むような感じに似ています。今も全ての答えは出ていませんが、ある程度足腰の部分は見えてきたように思うので、またこのブログで自分との対話、読んでくれる人との対話がしたいと思えるようになりました。また宜しくお願いします。

ゲームデザイナー 小島秀夫の視点

2008/09/28(Sun) Book

ゲームデザイナー 小島秀夫の視点 表紙
ゲームデザイナー小島秀夫の視点
小島 秀夫 (著)

僕がゲームを創る際に、取材や調査を徹底的にするのもクライトン達の影響がある。一つのゲームを創るのにそれこそ、何百冊の本を読む。図書館に通う。難解な論文にまで眼を通したりする。ドキュメント映像を含む、膨大な量の映画や写真を観る。最近ではインターネットも利用する。国内はもとより、必要とあらば海外まで取材に出かける。生きた人にも話を聞く。知らない世界を作り出すにはこれらの地道な作業が必須なのである。

メタルギアシリーズを創ったゲームデザイナーのブログをまとめた本。僕はこの人自身に興味があったので問題なかったが、MGS4の事を知りたくて読むとあまり書かれていないのでガッカリするかもしれない。僕自身はMGシリーズはプレイした事がなく、MGS3とMGS4のプレイ動画をニコニコ動画で見た程度ですが、その構築された物語の世界が好きで、それを創った人に興味がいった。

FFもそうだけど、MGSはゲームのくせにムービーが大半を占める。中学生頃はそういう風潮がいやだったけれど、最近の僕はあらゆる事にジャンルを区切る事が嫌になってきたので、すんなり受け入れるようになった。

僕はこういう本が嫌いだった。キムタクと同じ服を着てもキムタクにはなれないのと同じように、プロセスを観たって同じクリエーターにはなれないのだ。でも今回はこの人はあのゲームを創る中で不安を感じたりしなかったのだろうか、という疑問を感じていたので、それを解決できないかと思って買ってみた。

結果から言うとあまり解決できなかったのだけれど、ものを創る人は同じような事を考えるのだな、とは思った。僕は最近、自分のやっている事が正しいのかどうか不安になる事が多いので、この人とジャンルは違うしこの人のようになろうとは思わないが、少しだけ肯定されたような気がした。一人で、勝手に。