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新 ブラックジャックによろしく 3

2007/12/26(Wed) Book

新 ブラックジャックによろしく 3
新 ブラックジャックによろしく 3
佐藤 秀峰 (著)

-僕は冷たい人間です…

 僕の知らない誰かが、僕の知らない場所で亡くなっていっても、
  僕は涙を流しません…

 悲しい気持ちにはなるかもしれないけど…
  出会っていない誰かのために僕は何もできません…
   僕が助けたいのは赤城さんです…

 仮に99人の患者を救えたとしても、
  本当に救いたいたったひとりを救えなければ意味なんてないんです…-

進歩がないとか、気持ち悪いとか、Amazonでは酷評されてますが、引用した言葉は真実じゃないかと思う。故に、そうではないと信じたいから人はカタルシスのある物語を求めるのに、この物語はそうではない。

1週間ほど前に、ネットでとあるビデオを見つけた。僕もネットでいろいろな動画とか画像を見てきた方だと思いますが、この動画は最初は最後まで見る事ができなかった。あまりにも凄惨で、興味本位で見るべきではないと思うので、迷ったけどこのブログからはリンクは貼らないでおきます。簡単に言うとスプラッター系です。見る意志のある人は直メールでも下さい。

とはいえ、決して興味本位で撮られたものではなく、ドキュメンタリーとかジャーナリズムとかの意志に基づいて撮影された、とある場所で起きたある出来事を取材したもの。ただ、そこに展開されるリアルがゲームや映画や日本で見る事ができる報道とは度合いが違いすぎる。映像その物にもショックを受けるし、そこで展開されている事を行っているのが僕と同じ人間である事が痛ましくてならない。涙さえ出ない。

それが起きた経緯を調べてみると、僕が追っていっただけでも日中戦争までさかのぼる。おそらくもっと昔から繋がっているのだろうと思う。それを見た僕は、何もできない。僕が痛みを感じれない人間だといわれてしまえばそれまでだけど、結局本当に痛みを感じる事ができる範囲はとても小さくて、さらにそれをフォローできる範囲はさらに小さい。僕にできる事は何もなくて、こんな動画見なければよかったと思ったけれど、それでもやっぱり直視しなければいけない事だと思って最後まで見た。

社会が成熟していないとか、宗教の悪い面と簡単にまとめる事もできるのだけれど、その映像の中で動いているのは僕と同じ人間。とても絶望してしまう。だからといって、人類愛とか、世界平和とか、そういう思想には全く共感できないし、何かが変わるとも思えない。いろいろ考えて結局僕が思ったのは、そういう世界があるが故に、目の前の世界を、自分の目に映るとても小さな範囲であっても、あるべき姿に保とうとする事しかないんじゃないか、というありふれたもの。例え何度壊されても、それを作り続ける事ぐらいしか、僕にできる事はないんじゃないだろうか。

性善説か、性悪説か。

2007/12/25(Tue) Diary

誤解されやすいのでおさらい。

■性善説
× 人は本質として善だから、基本的に悪を行わない。
○ 人は本質として善だけど、放っておけば悪を行うようになってしまう。

■性悪説
× 人は本質として悪だから、放っておくと悪を行う。
○ 人は本質として悪だけど、学問によって善になることが出来る。

なんか性善説も性悪説も、同じ事言ってる気がする。個人的には、自分自身の意志において行く末を左右できる(気になれる)性悪説の方が、やりがいがあるように感じる。だめな人間だけどがんばります、みたいな。このブログでもたまに書いてるけど、人間て素の状態で普通にいろいろ悪いこと出来るんだけど、「出来るんだけどやらない」、自分の意志で自分を制御する所に、人間が人間たる価値があるように思う。とはいえ、その状態にたどり着いたらたどり着いたで坊さんみたいな人間になってしまうんだろうな。僕は世俗の存在のようです。

iwalog 2007年の振り返り

2007/12/25(Tue) Diary

そろそろ今年も終わるので、iwalogの振り返りなど。今年1年で232本(2日に1本ペース)の記事を書いたのですが、その中から主要カテゴリ毎にいくつかを選んでみた。

■Book(64件)
今年読んだのは64冊。年間でならすとだいたい1週間に1冊ペースですが、4?9月に集中していて年明けと10月以降はほとんど読んでおらず。身になったものもあればそうでないものもあり。全体的に小説が多く、「すべてがFになる」と「赤朽葉家の伝説」に出会えたのは大きかった。とはいえ、影響を受けたものはノンフィクションのものが多かった。

・01月14日 すべてがFになる
・06月10日 現代語訳 般若心経
・06月23日 僕はパパを殺すことに決めた
・06月28日 赤朽葉家の伝説
・09月02日 隠された風景

■Clip(51件)
結構Clipしてると思ってたけど、Bookより少なかった。要は時事ネタ批評コーナーなのですが、コメントをもらう数が一番多いのはこのカテゴリかも。小さい頃はなんで大人って新聞とか読むんだろうと思ってましたが、いつの間にか毎日主要5紙のサイトを巡回するようになってしまいました。

・08月30日 人柱
・09月17日 匿名の批判
・09月19日 安倍さんよりも悪い人
・11月12日 赤ちゃんポスト
・12月12日 好きを貫く人をつくる人。

■Diary(61件)
公私ともにいろいろあった1年。1年の間に事業の立ち上げと終了を経験することは、なかなかないかも。「たまには書評以外のことを。」で自分が書いていることを、忘れないように(いいこと書いてる)。

・01月19日 たまには書評以外のことを。
・06月09日 菊の花の中で
・09月14日 それは首相の辞任のようで。
・09月24日 打ち上げ花火を左右から見た僕と彼女の関係。
・11月14日 105年の人生の終わり

■IT(29件)
nanacoとかtwitterとか、もう全然使ってないな。。。nanacoはためたポイントのExitがしにくい。毎日使うのが数百円とかの少額なので、ポイントも全然たまらない。ポイントをためるメリットより、チャージしたお金がセブンイレブンでしか使えなくなるデメリットが大きいからかな。SUICAは使ってる。

・04月16日 twitterはじめました。
・04月23日 nanaco
・07月10日 W52SH
・10月17日 外付け500GBHDDを買った。
・11月05日 iPod touch

■Movie(13件)
とりあえず、ヱヴァの新作と序のDVDが待ち遠しいです。

・05月12日 ゆれる
・09月25日 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

思うに、書きたいときにばーっと書いて、それ以外の時は細々と、というペースが僕にはあっているようです。翌日にはもう忘れていそうな一瞬の感情も結構書き留めていて、後から振り返るといい教訓になったりするので、来年もこんな調子でやっていこうかと思います。来年もご愛読よろしくです :-) > 読んでくれているみなさま。

#ふと、このブログを読んでくれている人の中で、僕と面識のない人ってどれくらいいるんだろう、と思う。検索から飛んできて一瞬だけ見る人は置いておいて、RSS購読してる人だとほとんどいなそう。

emo[エモ]

2007/12/19(Wed) IT

emo[エモ]

ブログの内容を解析して顔が変わるのだとか。早速分析結果が。

■ニックネーム
仕事が好きな
いろいろした不思議ちゃん

■ココロレポート
・イイところ
あなたは、いろんな事に興味津々で、何でもポジティブな不思議ちゃんタイプです。わが道を行くタイプなので、人がびっくりするようなことも平気でやってしまいます。何事もプラス思考に考え、いつも明るく過ごす事ができます。また、仕事も遊びも新しいものを開拓し、どんどん自分のものにして、人の目を気にすることなく伸び伸びと暮らす事でしょう。

・ココに注意
周りの評価を気にせずに行動するので、わがままな人というレッテルを貼られてしまうことも。良いものを追求したい欲求が強い為、現在の幸せをいつの間にか失っている可能性もあります。

不思議ちゃんではないと思うがー。同じものについて別の角度から見て書いただけのような気もするけど、まあ長所と短所ってそんなものかもしれません。

好きを貫く人をつくる人。

2007/12/12(Wed) Clip

404 Blog Not Found:好きを貫いている者の礼儀

わからない。わからないが、三つ確かなことがある。一つ、誰も好きになれない仕事というのは確かにあるのだということ。二つ、誰かがやらなければならない仕事というのは確かにあること。三つ、そういう仕事を片付ける人がいるからこそ、好きを貫いて生きていける人々が存在すること。

今だから正直に書いていいと思うんですが、秋までいた部署でやっていた仕事はなかなか嫌な仕事でした。決まった事をミスなくやったり、ユーザからかかってくるクレーム電話を毎日受けるのはなかなかしんどい事で、一度「となりのクレーマー」という記事でそのことを書いた事もありました。

とはいえ、引用したように「誰も好きになれない」けど「誰かがやらなければいけない」仕事も当然あるわけで、当時僕がやっていた仕事も、誰かがやらないといけなかった。少ない人数でたくさんある仕事を回す必要があって、「誰がどういう仕事で一番パフォーマンスを発揮する」かを考えていった時に残った「誰も好きになれない」けど「誰かがやらなければいけない仕事」をやっていたという面もあったような気がする。

「誰も好きになれない」けど「誰かがやらなければいけない」仕事を「そうと分かって」やるということ。それは自己犠牲とかそういう観念的なもので解消されるわけでもなく普通に毎日しんどいしつまらなかったのですが、それをやっていると生まれてくる事もあるわけで。

それは引用元のブログの最後に書かれているような事で、そんな事言われても全然儲からないし、相手がどこまで本当に思って言っているのかは分からないんだけど、一つだけ確かなのは、その言葉を言ってもらった時に生まれる自分自身の気持ちに偽りはないし、どんなにお金を積んでも買えないという事。いわゆる「承認欲求」というやつなのでしょうか。

文章で書くとなんだかとても偉そうで嫌なのですが、「好きなこと」をやるのもとってもいいことなんだけど、「好きな(=信頼できる)人がその人の好きな・得意なことに集中できる環境をつくる手伝いをする」という事も、直接的には嫌な仕事でも全体感で見ると楽しい仕事じゃないかなと思う。自分がそれを出来ているわけではありませんが、たぶん自分がやりたい事とか、やって面白かった事って、そういう事なんじゃないかと。意思がないとか言わないで。そういう人もいたっていいじゃないすか。

もろもろ雑記

2007/12/11(Tue) Diary

いろいろ書きたい事はあるんだけれど、なんだかまとまらないので、もやもやしたまま最近思っている事を全部書き出してみる。

・今日もページをたくさんつくって疲れたので、BINDはお休み。どうやら解説ページと使っているものとのバージョンが違う気がしてきたので、明日はそれを注意してみてみよう。あとホストからHTTPが繋がらない件はファイヤーウォールをチェックしてみる、という明日の自分への伝言。

・よく分析とかする時には、客観的にデータを分析して相関関係とか予測をたてたりすると思うのですが、必ずしもそれは当たらないわけです。特にマーケティング的な事において。なんでなのかなーと思っていたら、ふとそれらの調査対象はそれぞれが主観を持って動いているからではないかと思った。これも僕の主観ですが。

・某氏へのクリスマスプレゼントが外国から手元に届いた。週末にラッピングとクリスマスカードを買いに行こう。気に入ってくれるといいのだけど。

・ちょっと前に、妹から、クリスマスと誕生日と成人祝いでプレゼントが欲しいとメールが来た。よしよし買ってあげようと思ったら、一つじゃなくてそれぞれのイベントで一つづつ、計3つ欲しいと言ってきた。こんな時だけなんて都合がいいやつなんだと若干イラッとしつつも、良い兄でいるために「いいよ」と返事しようと思ったけど、お財布と相談して「ひとつだけ」と返事した。妹ももう二十歳ですか。早いもんだ。ベビーベットに寝ている生まれたばかりの妹の顔を見ている記憶だけ、やけに鮮明に残っている。

・吉野家とかケンタッキーとか、個人ブログによる企業の炎上が続いている。いや、たぶん前から書いている人はいたんだろうけど、それが過敏報道で立て続けに表沙汰になっているだけだと思う。このブログはオープンなので、これでも書く事には気を遣っている(その割には仕事仲間も見ているのに仕事に迷ってるとか書いてるのはご愛敬)。やっぱり居酒屋で話す話はそのままブログにかけない。このブログの記事の多くが事件や事故についての感想や書評が多いのも、一応普段の「行動」よりも「思考」を書くように気をつけているからなのです。うちの会社の人たちは、「プライベートでどこに行った」とか、「飲み会でこんな事をした」とか、「仕事でいまこれをやっている」とか華やかで個人が特定される事ばかり書いているけれど、それって大丈夫なの?とちょっと心配になったりする。

・タバコをすってたら、とある人から声をかけられ少し話す。今の状況を少し気にかけてくれているようで、申し訳ないと思いつつも、ありがたいなとも素直に思う。とりあえずグレたりしないように、年が明けるまでおとなしく。明けたら何かがあるわけではないんだけど。

煩雑になってしまいましたが、少しだけスッキリ。

「知っている」と「分かっている」の違い

2007/12/04(Tue) *Pickup, Diary

サーバーを教えてくれている人と話していて、「知っている」のと「分かっている」のは似ているようでだいぶん違うよねという話になった。発端は技術の話だったのだけど、何にでも言える事だなと思った。

僕が最近一番実感したのは「人は死ぬ」という事。もちろん知っているし、今まで読んだ本や見た映画で死んでいった登場人物はそれこそ千を越える数だろう。ニュースサイトのトップページを開けば必ず1本は誰かが死んだという記事があるし、今日も東京では人身事故があって交通機関が混乱した。

でも、実際に身内が死んでそれに最後まで付きそうと、いろいろ分かる事がある。僕もこのブログで何個かそれについての記事を書いたけれど、それを読んでくれた人だとしても、近しい人が死ぬという経験をしていなかったら、いくら僕の記事を読んでも「分かった」とは違う。僕の言葉がつたないという事もありますが、それは言葉で表現できる事ではないし、だからこそ体験してみないと「分からない」。

とはいえ、この世にあるすべての事を「分かる」には生きられる時間はあまりにも短すぎるし、自分が見えている範囲だけを取ったとしてもそれを分かるには足らないだろうと思う。最近、人は自分が見えている範囲の全てを理解する事は出来ないし、ましてやすべてをフォローしたり助けたり出来るわけではなく、見逃したり見ないふりをしてしまわざるを得ない事がたくさんあって、だからこそやれる事をきちんとやらないと、なと思う。

棺の重さ、お骨の重さ。

2007/11/15(Thu) *Pickup, Diary

通夜の夜のブログでは余裕をかましてましたが、やっぱり葬式は嫌なものです。翌日一気に疲れが来て、告別式のお経が眠くて仕方がなかった。お経をあげているご縁さん(住職)の声に聞き覚えがあるなぁと思ったら、僕が小さいときからずっと家に来てくれている人だった。小さいときは何しているのか意味がわからなかったけど、なるほどねぇと一つつながった。

夏の祖父の時もそうだったけど、今回も出棺の時に棺を持った。式場の人に「若い男性の方お願いします」と言われると、親戚はみんな年寄りばかりで、必然的に僕になるのだ。棺の重さは、なんというか独特。木の箱を持っている感じとも、人を抱きかかえている感じでもない、他のなにものでもない重さと感触。

そしてそれから2時間ほどで、お骨になる。105歳の曾祖母のお骨は、75歳の祖父のお骨より小さいけれど、ものすごくしっかりと残っていた。この年ですごいと言ったら、昔の人の方がきちんとした食生活をしているのできれいに残るけど、若い人ほどぼろぼろな事の方が多いと斎場の人が教えてくれた。あまり例えるのはよくないけれど、ポテトチップスを持っているような軽さと質感。そしてまだ伝わってくる熱気。

本来人のお骨なんてあまりよろしいものではないけれど、僕はお骨になったのを見ることで、ああこれでもういなくなったんだなと良い区切りというか諦めになり、他の親戚もそうだったけど、笑顔になるのだ。でもまあ、棺の重さも、お骨の軽さも、できればあまり持ちたくはない。

105年の人生の終わり

2007/11/14(Wed) *Pickup, Diary

なぜか夜中何度も目が覚めて、浅い眠りのまま朝が来てしまった火曜日。異様に胃が痛いなぁと思いながら起きると、父方の曾祖母の意識がなくなったとの連絡。曾祖母はもう100才を超えているので、実は毎年夏の終わり頃になるともうだめかもしれないという連絡が何回も来ていて、今回も気軽に考えていたら本当に逝ってしまった。享年105才の大往生。

会社に行って昼から帰らせてもらうお願いをして、夏に母方の祖父が亡くなりこの前会社がなくなり、今回は曾祖母が亡くなりと、本当に厄年ってあるんだなと思いながら新幹線で福井へ(もう今回ので打ち止めにしてほしい。。。)。夜家に着くと、近所の人とか親戚の人が集まってる。前回と違い父方の親族なので、これまたむこうはみんな僕の事を知っているけれど僕はその人を覚えていない親戚のオンパレード。そういえば家についてすぐに犬の散歩に行ってこいと母に言われた。まだお焼香もしてないのにさ。

前回は通夜からしか参加しなかったけど、今回はその前から見る事になった。誰が通夜に来て誰が泊まって誰が葬式まで出て引き出物の数は何個で、焼香に呼ぶ名前は誰を先にして誰を後にして、あーあの人が抜けてるという終わりのない話し合い。その最中にも新聞社からお悔やみ欄の確認の電話が来たり、次から次へと親戚が来たり。。。(80歳代のおばあちゃんに曾祖母の娘だって言われるんだから、もうわけがわからん。)いろいろ終わって寝たのが朝の4時。そして今日が通夜。

祖父で「死」というものに一度触れているし、今回は年齢が年齢で覚悟も出来ていたし、僕自身の気持ちもいたって穏やか。まあこうやって曾祖母が寝ている隣でブログ書いてるくらいですからね。(最近の式場は無線LANが完備されているのですよ。)さっき通夜が終わったので、明日葬儀をして、火葬をして、最後まで見届けてから東京に帰ります。

エレベーターのボタン

2007/10/31(Wed) Clip

エレベーターには裏技があるらしい

エレベーターには裏技があるらしい。

エレベータのボタンを押し間違えた時に、それを訂正するテクニックがあるというブログを読んだ。

僕が働いている会社のエレベーターは日立製である。日立の場合、キャンセルしたい[階数ボタン]を押し続けるとのことだ。

こういう文章書いてみたいなぁ。