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外付け500GBHDDを買った。

2007/10/17(Wed) IT

BUFFALO USB2.0対応 外付けHDD 500GB
BUFFALO USB2.0対応 外付けHDD 500GB
HD-CS500U2

あんまり周辺機器は買わない人なのですが、外付けHDDを買ってみた。普段PCではウェブを見たりブログを書いたりと軽めの事しかせず、メールやブックマークとかのデータは全てネットに保存。HDDには超重要なものと動画、iTunesの音楽データ、デジカメの写真がいろいろ入っていて容量もきつく、バックアップもなくて不安だったので買ってみた。

今回大容量の外付けHDDが手に入ったので、次にPCを買う時は低めの性能でHDDも小さいのを買えばいいからお安く済みそう。動画編集とかするわけではないので、この外付けHDD×シンプルなノートPC本体という組み合わせでしばらくいきたいな。

本というバロメーター

2007/10/15(Mon) Diary

しばらくブログを書く気が起きなかったので書く気が起きるまでほっておこうと思っていたら、あっというまに10日も経ってしまった。正直、なんとなくしっくり来ない日々が続いてる。

いままでは決まった事を確実に、効率的にやるというどちらかというとパッシブな仕事だったけど、今の仕事場は自分から動かないと何も起きないアクティブじゃないと勤まらないという仕事内容の違いへの戸惑いだったり、なんとなく今の職場の空気に馴染まないような感じがする事だったり。たぶんどちらも慣れれば解決しそうな気がするし、いままで結構しっくり来る職場ばかりだったので、一度はこういうところでやるのもいい経験なんじゃないかと思ったり。

本は最近ほとんど読んでない。新しい仕事の時って、本を読む時だけじゃなくて慣れるまでどんな事をしていてもそれが仕事と結びついてしまうので、あまり頭の中に空白が出来ない。しばらくして仕事になれてくると少しずつ空白が出来て本を読む余裕も出てくるので、本を読み始めた時が仕事に慣れた時なのかもしれない。逆に今は本よりも現実からいろいろ吸収しないといけないから、本を読んでいる時ではないのかも。

逆にマンガとかドラマをたくさん見てる。浦沢直樹の「モンスター」とかドラマになった「医龍」の全巻セットをヤフオクで買ったり、某動画サイトで「総理と呼ばないで」とか「HERO」とか「王様のレストラン」とかを全話見たりしてる。本は自分で読まないと進まないけど、マンガやドラマは勝手に進んでくれるから楽なのだ。

古田が引退してしまった。

2007/09/19(Wed) Clip

古田の後ろ姿

ヤクルト・古田監督が退任 現役引退も表明 – 産経新聞

プロ野球ヤクルトの古田敦也捕手兼任監督(42)が19日、東京都内で記者会見し、今季限りで監督を退任し、現役も引退することを表明した。

ユニホーム姿で会見に臨んだ古田監督は「プロは結果を問われる。思うような成績をあげられず、ファンに失望を与えた。けじめをつけないといけないと思ってやってきた。僕の力不足」と話した。兼任2年目の今季は最終戦まで指揮を執る。退団後の予定は現時点では未定。

いや、分かってた事なんですが。。。引退会見での古田の涙を見たら、僕も涙が出てしまいました。僕は、野球ではなく、スワローズでもなく、古田敦也という選手が好き。

普段いろいろブログ書いているくせに、こういう時に言葉に落とせないのが本当にもどかしい。いつか終わりは来る事だし、低迷の責任をとっての引退はまっとうな事だと思うけれど、なんだろう。。。寂しさというか、胸が詰まる。ゆっくり休んで欲しいし、ほんとうにお疲れ様でしたと言いたいけど、やっぱりいつか、またユニフォームを着て欲しい。

安倍さんよりも悪い人

2007/09/19(Wed) *Pickup, Clip

星野仙一のオンラインレポート

民意、民意というけれど、今の日本の「民意」というのはメディア、特にテレビが作っているものじゃあないのか。10年ちょっと前に民放の報道局長が「政局はわれわれテレビ局の人間が作っている」というような発言をしてクビになったことがあるけれど、テレビが繰り返して流すものによって無定見な大衆が誘動されるという今の時代。民意というものはなんなのかと、いつもそう思ってテレビのニュースを見ている。

僕はどうも民意とずれているようで、自民党が大勝した小泉総理の郵政解散では民主党に、逆に大敗した今年の選挙では自民党に入れていて、当たったためしがない。あ、東京都知事選では当たったか。でもあれは選択肢がなかったもの。

別に国民が何も考えていないとは思わないけれど、自分で考える前にメディアに一方的に考えを流されて、とりあえずそれと同じように答えておけば自分の意見を持てるから楽なのでしょうか。それとも、メディアとはバイアスがかかっていて、特定のメッセージを民衆に伝えようとしているという前提が無いのでしょうか。別に今回の件だけではなく、たとえばコムスンだって、利益を追求していいじゃないかと思う。利益が出なければ、サービス提供することさえ出来なくなるのに。

ブログでも何でも一度文章を書いてみると分かるけれど、その内容には伝える人の意思が強く影響される。ある事を自分が訴えたいとき、それに都合のいい情報はたくさん引用するけど、答えにくいことは引用しないという情報操作はすごく簡単。だからあくまでもソースとして見て、しかもひとつの意見をいろいろな媒体で見て、ある媒体では書いてるけどある媒体では書いていないという「書かれていないこと」にも目を向け、その媒体がどういう意図を持って書いていて、「で、あんたはどう思うの?」というステップをはさむべき。それをはさんでソースと同じ意見になることは、問題ではない。

総理には常人より厳しい職責が求められるものだから、安倍さんを擁護するつもりはないけれど、小泉さんはみんなあんなに大好きだったのに、安倍さんはみんなそんなに大嫌いなのだろうか?拉致問題の時は大好きだったのにね。カッコイイ人はタレントでいっぱいいるのだから人気取りはそっちでやってもらって、政治家は未来に目を向けた全うな人を選ぶべきで、時には批判ではなく支えることも大切だと思うのだが。今回の場合責められるべきは、安倍さんではなく国民だと思う。

集合知を多数決で作るのは間違い。 : ひろゆき@オープンSNS

普通の人が知識を超えた質問をされた場合に、
「わからない」という発言をしてくれればいいのですが、
「竹中直人は好きだから、正しいと思う」とか、
「モー娘はカワイイから嘘をつかないと思う」とか、
ギリシャ人と同じような感覚で評価したものが、
多数出てきたりします。。

そうすると、みんなが言ってるのだから、
真実であると誤解してしまう人が出てしまうのですね。

匿名の批判

2007/09/17(Mon) Clip

iwalog : 新世紀エヴァンゲリオンへのコメントより

おまえみたいなキモイのとシンジを一緒にするな
by : 気持ち悪い September 18, 2007 1:40 AM

たぶんエントリの最後で「ただ、シンジは嫌い。自分みたいで。」と書いた事に対してだと思いますが。ブログ結構やってますが、ソーシャルブックマークでのつっこみは少しあったけど、匿名の人から批判されるのって初めてでドキドキ。

いい意見は匿名で書かれても普通に感動できますが、匿名の批判ってまったく心に届かないもんですね。もちろん間違いがあれば正しますが、心には来ない。すごいシンジが好きな人なのかな、と想像したり。

本が売れた。

2007/09/07(Fri) *Pickup, Diary

ちょっと前に書評を書いた「隠された風景」が、このブログから1冊売れていた。これまで160冊近く書評を書いてアマゾンにリンクを張っているけど、たまたまそのリンクを経由してアマゾンで普通に他の物を買ったアフィリエイトが時々あるくらいで、紹介した本そのものが売れるという事はほとんどなかった。

「お金が入る」ということよりも、自分がいいと思ったものが他の人にも共感してもらえたり、その人の動きに少しでも何かしら影響が与えられているのだな、と勝手に思って、それが少しうれしかったりします。

笑いもの

2007/09/05(Wed) Clip

橋下弁護士は「業界の笑いもの」なのか?

母子殺害事件の弁護士は、懲戒請求を行った人たちについて「橋下弁護士にそそのかされ、被害者的な面もある」として、現段階では提訴しない方針だという。ただ橋下弁護士の言動については、「業界内では笑い話になるくらいとんでもない話。しかもブログやテレビの主張もころころ変わって何を思っているのか分からないし、どういった反論が返ってくのか量りかねている」と述べている。

弁護士業界が世間から笑われていますよ。結局業界内のルールで動いていて、世間の基準とずれている事を見事に証明していると思うのだが。

ありえない

2007/09/04(Tue) IT

RSSがすべて「取得できません」というデータを「取得」

この会社はたまにあり得ない事をする。なんというか、ネットの世界には言葉には出来ない空気感があると思うのですが、その空気が全く読めていない事をする事が時々ある。「ネット」を「営業の商材のひとつ」と捉えている人もたまにいて、それを僕は否定しないけれど、僕はその考えでは仕事をしていないししたくないし、その考えを持っている人からmixiやGoogleのようなサービスはいつまで経っても生まれない事はたしか。たぶんそういう人は僕が何でありえないと言っているのか理解できないと思う。

ただ、ネットの空間をお金に換える力はもの凄くて、それはとても大切な事だ。その力は僕にはない。でもそれは必要条件であって十分条件ではない。この会社はとてもいい会社で、この会社で働けて良かったと思っているけれど、この点だけどうしたものだろうか。

アメブロ、ブロガーみんなで考える「Blog Action Day」を開催

ブログサービス「アメーバブログ(アメブロ)」でオンラインイベント「Blog Action Day」を開催。大盛況のうちに終了したことを明らかにした。Blog Action Dayは「参加ブロガー全員が同時に同じテーマのエントリを投稿する」ことで世間に特定の問題について関心をもってもらおう─とアピールするイベント。

Blog Action Dayがはじまったのは4日午後7時。アメブロは多くのタレントの公式ブログを抱えていることで有名だが、ほとんどの利用者がこの企画に賛同。みな一斉に「只今RSS取得が行えません」というエントリを投稿し、アクセスした人に驚きを呼んでいた。とつぜんすべてのRSSが取得できなくなった状態を疑似体験してもらうことで、自分たちがどんなにRSSに病的に依存しているかを気づいてもらおうという試みだ。効果はあったもようで、閲覧者からは「RSSに依存した“RSS脳”になると、イザというときどんなに危険かがわかった」「RSSは仕事に集中できない原因だしもう使うのはやめようと思った」などという声が聞かれた。

そういう事だったのか。。。

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隠された風景

2007/09/02(Sun) *Pickup, Book

隠された風景 表紙
隠された風景
死の現場を歩く
福岡 賢正 (著)

-無数の「死」があるからこそ我々の「生」がある。
 そして人が自らの「生」を実感するのは、
  他者の「死」にふれた時である。

 その「死」と生活の場で身近にふれることができなくなったことが、
  「生」をかけがえのないものとして慈しむ契機を
   人々から奪ってしまったのではないか。-

僕のブログはよく「暗い」といわれる。本人としては、静かに、普段あまり考えることのないそういう暗いとされているものをきちんと見つめることは大切だと思っていて、しかもそんなことを普段の生活の中で真面目に考えることはないのでブログで書いているのだけど、そんな事をしていると暗いと言われるのかもしれません。特に最近は祖父の死が会ってから、死や宗教といったものについて書くことが多いので、なおさらそう見えるのかもしれません。

普段一日中パソコンに向かって仕事をしていると、「生きている」と思うことはほとんどない。そんな僕が、祖父の「死」と触れることで、「生」を感じ、考えることが出来た。その経験や、最近考えたことが一つに繋がったのがこの「隠された風景」という本で、「野犬などのペットを殺す動物処分」、「牛や豚などの屠畜」、「人間の自殺」という普段の生活からは「隠された風景」に焦点を当てた本でした。

命は大切だ。犬や猫などのペットも、牛や豚などの家畜も、人間の命と大切さはなにも変わらない。その考えの基に動物愛護を訴え、保健所が動物を殺すことや、屠殺することを非難する人たちがいる。僕はどちらかというと、命が大切と言うところまでは同意するけれど、生きる上で必要な悪だと、この本を読むまでは思っていました。それは、ただ真剣に考えたことがなかったから。著者はその様子を下記のように示す。

つまり、日々動物の肉を食しながら、「動物を殺すことは残酷でいけないことだ」と考え、その仕事をしている人たちに白い目を向ける。そんな漫画のようなことが今もまかり通っているのである。その傾向は「動物好き」を自認する人たちにことさら強い。肉を食べるものが、家畜を育てたり、屠畜して肉をつくる者から完全に分離されていて、そこから目をそらすことができ、いのちをもらう事に伴う心の痛みを感じなくてすむ仕組みになっていることが、その劇画化された構図を支えている。

小鳥や犬や猫をペットとしてかわいがったり、すぐ「かわいそう」を口にして、すぐ涙を流す子どもたちが、他人が殺したものなら平気で食べ、食べきれないと言って平気で食べ物を捨てると言うことが、わたしには納得いかないのだ。わたしには、「生きているものを殺すことはいけないこと」という単純な考えが、「しかし、他人の殺したものは平気で食べられる」という行動と、何の迷いもなく同居していることがおそろしくてならない。

この本を読むのはしんどい。今まで目を背けてきた部分だから。でもしっかり読んでいくと、今まで見ていなかった所を直視すると、見えてくる風景がある。

(屠殺を経験した小学生の感想文)
私は、ころされた豚を見てなきました。でも、できあがった肉は、ないたことなんか、すっかりわすれて食べていました。私がないたのは、見せかけだけのなき方だったと思います。もし本当にないていたら、肉なんか見る気にもなれなかったと思います。私は、あの時、なぜないたかふしぎです。かわいそうでないたのか、それとも、自分をやさしくみせかけようとしてないたのかもしれません。

そして著者が提示した一つの答え。僕はそれに、共感すると言うよりも、納得をする。そうやって僕らは生きているし、それを手助けするために宗教があったりする。そして、僕が「死」に触れて「生」を感じたことも、とても自然なことだったのではないかと、今は思う。

人が生きるために他の生き物のいのちを絶つことは「殺す」ことでは決してない。自分の中で「生かす」ことなのだ。いのちを奪うだけで何も生かすことのない人や動物の殺戮とは、全く性質を異にする。

我々は「死」を身の回りから遠ざけてきたのと同様に、「死」を「生」に変える土を「汚いもの」として疎んじ、土から離れた生活を追い求めてきた。それは我々が「いのち」の循環性に目を向けず、一回限りの「自我の生」のみにこだわった文明を育ててきたということを物語っている。

「いただきます」とは「命をいただきます」なのだ。
一度読んでみて欲しい。ただそれだけ。

「好き」という言葉から生まれた妄想の行方

2007/08/22(Wed) Diary

twitterで、「たった2文字なのに、キュンとしてしまう。言葉ってすごい。」というような事を言っている人がいた。たしかに、文字を書くということは、ただ日本語の漢字やひらがなという記号を並べているだけではなくて、記号を並べることによって単語という意味をつくり、そこから文章を作ることで感情をつくり、その感情を相手に伝え、相手の感情を揺さぶるという事なのかもしれないなぁ。と今更ながら思った。

日常会話然り、人は常に何かを伝えないと生きていけなくて、それを口頭ではなくもっと多くの人に伝えたくて文字が出来たのでしょう、たぶん。ブログを見ていれば、誰かに何かを伝えたいと思っている人の多いこと。そして、それを読んでいる人もいるわけで、誰かの言葉を知りたいと思っている人もまた多いこと。

これだけブログを書いている人が多いけど、ブログを書くためにかけた時間以上アフィリエイトで儲かるなんてほんと一握りの人。ということは、多くの人は、お金ではない何かを見返りにして書いているわけで、それがお金以外、実益以外のものでも人は十分に見返りに値する、そういう生き物なのでしょう。

そもそも大昔にはお金なんてなかったわけで、やはりそれは人が生きる上での本質ではないのでしょう。それは空気のようで、必要ではあるけど、やはり空気も生きる上での本質ではありません。神というものが仮に存在するとして、創世記で人をわざわざ二人作ったことに子孫存続以外の意味があるとするならば、それは他者の存在を認めて、ある時は伝え、ある時は聞き、その感情を変化させながら生きていかせるためなのでしょうか。

それを本質として定めたのか、ただのお遊びだったのかはわかりませんが、現に人はそれをフル活用して正しいこともすればアホな事もして、変化しながら生きてきました。それは必ずしも進化と呼べる物ではなく、時に進化し時に退化しながら、とりあえず今生存しているわけですが、どうせなら、過去から受け取ったその変化しながら生き続けるバトンを、少しでもいい形にしてまわりに、そして次の人に渡していくのがいいことなのかもしれません。

ということで、人が生きるという意味の本質は、何かを伝えることではないかと、会社でクリームコロッケ弁当を食べながら思ったので、今こうして書いています。それは何も言葉だけではなく、仕事で何かを売ってその商品の良さを伝えたり、本を書いて自分の知識を伝えたり。そしてその時の友となるのが考えるということで、その過去の実績が知識なのかもしれません。全てのことは、伝えると言うことの枝葉なのかもしれません。そしてすなわち、生きるということの。さて仕事します。