Posts Tagged ‘ブログ’

10代の頃に読んでいた本たち

2007/07/31(Tue) *Pickup, Book

このブログを始めて最初の頃BOOKLOGというサービスにこれまで読んだ本を登録していたことがあり、久しぶりにそれを発見。僕の本好きはここ1・2年の事だと思っていたんですが、意外と前からだった事に気づいた。今10代の頃に読んでいた本を今見直すとおもしろかったので、少し紹介。こんな本を読んでいたら、こんな人間になってしまいましたという視点でご覧くださいませ。

いわごろの本棚

■IT系


図で分かる…の2冊は、システムというものをわかりやすく教えてくれて、今の僕のベースになっている気がする。ただわかりやすく解説するだけではなく、おもしろく、次の興味や疑問がわいてくる本でした。ワークフロートか、業務をシステム化するとか、そんなことも何となく興味がわいたけど、業務分析までは興味が行かなかった。

■小説


当時メールマガジンを書いていた田口ランディのコンセントアンテナモザイク三部作は、鈴木光司のリング、らせん、ループ三部作で小説のおもしろさにはまった僕に、また違った世界を見せてくれました。若かりし僕にはコンセントのラストは衝撃的でした。まあ、コンセントだけどさぁみたいな、気持ちいいやられた感。

月の砂漠は、映画の原作。あるベンチャー企業の成功と崩壊、家庭の崩壊と再生を同時に描いていく。どちらかというと映画の方がよかったかな。パイロットフィッシュは、淡い恋の物語で、リップスティックは月9ドラマのノベライズ。10代の頃は野島伸司にだいぶ侵されていました。

■ノンフィクション


当時かなり話題になった桶川事件のルポは、小説とはまた違ったノンフィクションというもののおもしろさと、批判的に読むという視点と、報道や裁判だけでは伝えられない、裁ききれない物があるということを知りました。

「ぼくたちは、銀行をつくった。」は、ソニー銀行が出来るまでの物語。かなり平たくかかれていますが、今思い返せばチーム運営とかコンセプトとか、そういう話を書いていたと気づきました。

■ビジネス


当時はテクニックよりも思想的な物を読んでいました。稲盛和夫とか、田坂広志とか。

■謎


なぜコレを読んだのか全く分からず。。。

衆議院から異様にアクセスがある件

2007/07/27(Fri) IT

なかのひとというこのブログを読んでいる人の所属が分かるサービスをつけてみたら衆議院からのアクセスがたくさん。

衆議院からのアクセスがたくさん

選挙前の民意リサーチでしょうか。それとも国会がないと暇なのでしょうか。国会の中の人もブログ書けば、政治を同じ血の通った人間がやっていることが分かって、批判とかも少し和らぐのではないでしょうか。それとも、感覚の違いに失望されてしまうのでしょうか。国会警備員のブログとかおもしろそうだけど。

新潟県中越沖地震

2007/07/16(Mon) *Pickup, Diary

このブログは自分が思っているよりたくさんの人が読んでくれているので、主に東京に来てから知り合った人のために少し前置きをすると、僕は前職の仕事で、柏崎に2002年12月から2004年3月まで約15ヶ月ほど住んでいたことがあります。このブログを始めたのも柏崎にいる時で、いい仕事をさせてもらったし、いい人達にも出会うことが出来ました。幸い僕が住んでいる時は平穏だったのですが、僕が石川に引っ越して4ヶ月後の2004年の7月には豪雨同じ年の10月には中越大震災(その日のiwalog)、2005年には豪雪と、何かと大変な事が続いてきました。

朝からぼけっと本を読んでいたら、東京でも少し、そしてちょっとだけ長い間揺れを感じました。サイトに表示された震度分布が、中越地震の時のそれと似たような規模と震源地だったので、もの凄く嫌な予感がして、でもそれ以外情報は得られず、気持ちの悪い不安な時間を過ごす。

地震発生直後の震度

メールで連絡を取ってみたら幸い僕の知っている人たちはみんな無事だった。でも何名かは亡くなっているというニュースも入ってくる。続々とアップされるニュースサイトの写真を見ていると、何十回も降り立った駅で電車が脱線していたり、何十回も通った路線が土砂崩れで埋もれていたり、高速が隆起していたり、みているのがつらい。

脱線した電車崩れた崖と土砂に埋もれた線路

幸か不幸か選挙戦の最中ということもあり、外から見ている分には対応は素早かったように思う。演説するよりはるかに訴求力の高い選挙活動だからねという皮肉もありますが、とりあえず迅速に対応してくれれば何でもいいです。一概に比較できることではないですが、何度も天災を経験しているからか、被害も少なかったように思うのがせめてもの幸い。関係ないことと思って東京でこのブログを読んでいるあなた。あなたが東京でこのサイトを見るために消費されている電気の10%は、柏崎の原発でまかなわれているのですよ。次は我が身です。

こういう時はもうなにもできないのが少しもどかしいですが、自分達の作ったサイトが少しは役立っているのを見ると、保守・改良を続けてくれている某氏達に感謝するのはもちろん、ユーザビリティなんとかで1位をもらった時よりもはるかに、自分たちのやったことが少しは人のために役立てているのではないかと感じられました。停電が続いてる所もあるようですが、一日も早い回復を願います。

本の虫

2007/06/27(Wed) Clip

404 Blog Not Found:怠翻 – 読書を一生の習慣にするための14の心がけ

気になる話題なので少し。

1.Set times – 時間割りに読書を設定する。
僕の場合本を細切れに読むと全然理解できないので、土日にまとめて読むようにしています。特に全5巻とかの本は、朝から気合いを入れて一気に読んで夜ぐったりとか多々。

3.Make a list – リストを用意しよう
他の人のブログで紹介されていたり、ランキング上位に出ていた本はとりあえずAmazonのウイッシュリストに。その場では買わず、ちょっと間をおいてからいらない物を外して買います。いっぱい本を買ったせいか、つまらない本に引っかかる確率が減ってきました。

5.Reduce television/Internet – TVとネットは控えよう
たぶん僕が本をいろいろ読むようになった一番の理由は、テレビを置かなくなったから。なくて困ることは何もないし、話題のドラマは後でDVDになるし、おもしろい番組はYouTubeに上がるから、最低限は押さえられる。

12.blog it – 読書の結果をblogしよう
まさにこのブログ。読書録をつけるようにすると、まとめるためにもう一度さーっと本を読み返すことになるので、記憶に残りやすい。これで書評からアフィリエイトの売上げがあって本代をカバーできればいうことないのですが。

ヒューマン2.0

2007/06/26(Tue) Book

ヒューマン2.0 表紙
ヒューマン2.0
-web新時代の働き方(かもしれない)
渡辺 千賀 (著)

-多くを期待される場に自分を置く-

前からブログを読んでいた渡辺千賀さんの本。ちょっとごった煮の印象は否めず。
いろんな働き方があるのね、ぐらいにしか読めませんでした。

アミターバ

2007/06/16(Sat) Book

アミターバ 表紙
アミターバ
―無量光明
玄侑 宗久 (著)

-解らないことが多いですが、お父さんは火葬されましたけど、
  その体にあった分子は変化しても原子レベルでは全く
   変化せずにこの地球上にあり続けているわけですよね。-

現代語訳 般若心経」と同じ玄侑 宗久氏が書いた本。玄有氏は僧侶でありながら作家でもあるので、般若心経の本も読み物としてとても面白いものだった。その人の書いた小説が読んでみたくなり、般若心経が残された者への本であるとするならば、あの世へ旅立つ側のことを書いた本である「アミターバ」を手に取った。

物理やらの世界のことは詳しくないので本当かどうか解らないけれど、この本の中で出てくるある住職が、難治のガンを患った主人公である老婆から、もうなくなった夫を見たといわれ、冒頭の言葉を返す。そして、その言葉を体現するように、主人公の死後の様子が描かれる。玄有氏は、仏教の世界を自分なりに理解するために、物理などの世界と結びつける、なかなかおもしろい人だ。

死を迎え俗に言う霊魂となった主人公の老婆は、自分の亡骸の前で泣く家族や、自分の葬儀に出て位牌を見たり参列者のまわりを飛び回ったり、生まれた生家に行ったりする様子が描かれる。あの葬儀の時も、僕らのまわりを祖父が飛んで回っていたのかと思うと、不謹慎だけど少しだけおかしかった。

なんだかあまりにも出来すぎているので、信じてもらえないだろうと思い、誰にも言わずこの前書いたブログにも書かなかったのだけど、祖父が亡くなった日の朝、夢を見た。その夢の中で、僕は葬儀に出ていた。ぼんやりとした光景で、夢に見たのは葬儀のワンシーンだったので誰の葬儀かは解らなかった。それから36時間後、僕はそれと同じ光景を見ることになるとはその時は分かるはずもなかった。その夢が終わり目覚めたら、母から祖父が死んだという連絡があった。ただの偶然だろうと思う。でも、この本を読んだら、少しだけ偶然ではなかったのかもしれないと思った。

菊の花の中で

2007/06/09(Sat) *Pickup, Diary

葬儀(Wikipediaより)

葬儀は故人のためだけでなく、残されたもののために行われるという意味合いも強くある。残された人々が人の死をいかに心の中で受け止め、位置付け、そして処理するか、これを行うための援助となる儀式が葬儀である。

あまり人前で書くような話ではないことは分かってるのですが、いろいろなことを書いてきたこのブログでこのことだけ書かないのもなんか変な話だし、自分の中でもやもやと思っていることを一回整理もしたいので、少しだけ書かせてください。ものを書くといろいろと自分の中で受けとめることが出来て、そのうちこのエントリと同じようにだんだん心の下の方にいって居場所を見つけてくれるので、ちょうどいいのです。

月曜日の朝に母方の祖父がなくなったと母から聞いたときは、詳しいことが分かっていなかったこともあって、そうですか、という感じだった。福井に帰って来いというので、とりあえず会社に行って、帰らせて欲しいという話をして、目の前の仕事を片付けていたのですが、正直上の空で、決まったことを決まったようにただただ処理して、新幹線に乗って一ヶ月前に帰ったばかりの福井に帰った。なぜか、一日中ずっともの凄く胃が痛かった。福井駅で妹と合流して、タクシーの中で少しだけ話して、家に帰って、よく覚えていないけど気づいたら寝ていた。

明くる日の昼に式場に着いて、母と母方の叔母に会う。一ヶ月前の連休に帰った時に数年ぶりに会った叔母との次の再会が、こんな短い間でこんな理由で会うとは、世の中とは皮肉なものだなと思った。式場の二階にいったら祭壇があって、祖父の写真が飾られていた。祭壇には、僕の名前もあった。祖父が僕の両親の結婚式に出たときの写真らしく、僕が始めてみる顔だった。自分の記憶があるうちで、会社関係の人の葬儀に出たことはあるものの、親族の葬儀は初めてだったので、祭壇に飾られている祖父の写真に全く現実感はなく、ただ、これから本当に葬式をやるんだなと思った。

まだ誰も来ていないので、式場の近所をぶらついて、コンビニを探しても全然なくて、やっと見つけてコーヒーを買って帰っていたら、祖父が入った棺をのせた車が着いたところだった。久しぶりに会う親戚と少しだけ挨拶をして、喪主の叔父に祖父の顔を見せて欲しいとお願いして、さっき行った祭壇に向かう。途中で「あれゆうちゃんじゃない?」とこっちは全く覚えていない親戚(今回ほとんどそうだったけど)と挨拶を少しして、祖父の孫の祐輔ですと挨拶したらあらーとかいわれた。

祭壇の横の花をどけて、棺の横に立つ。叔父が棺にかかっている布を少しだけよけて、棺の蓋を開けると祖父の顔があった。菊の花に囲まれた祭壇の小さな棺の中で見た祖父の顔は、僕が中学校まで毎年夏休みと正月に行ったときの祖父が、茶の間の床で寝ているときの顔と何も違わなかった。ただ、少しだけ色が白かった。じっと見ていられなかったので、手を合わせて目を瞑った。それでも、死んだとは思えなかった。ただ寝ているだけのようで。

祭壇に一番近い最前列の席に、祖父の孫が僕を含めて八人座った。今回僕が初めて会う従兄弟もいて、その中で僕は一番年上で、みんな小さい頃に遊んだ顔とは全然違って(何も変わってないのもいたけど)、そうかじいちゃんの孫は八人もいるのかと思った。そして、いつかこの八人の世代だけになる時も来るのかなと思った。最後尾の入り口で喪主の叔父とその奥さんの叔母と祖母と母と叔母が来る人に挨拶をしている。そこで初めて泣く声を聞いた。焼香をしに来る人に頭を下げつつ、通夜が始まるのを待った。

通夜の間中唱えられるお経を聞いていると、不思議と無の心境になる。なにも、なーんにも考えなくしてくれる力がお経にはあるのではと思う。一時間近くの通夜の終わり、喪主である叔父が、これまで聞いたことのない声で挨拶をするのを聞いて、ああ、祖父は死んだのだなと、初めて思った。

用意された晩飯もあまり食べる気がしなかったので、少しだけ箸をつけて夜の、真っ暗な式場のまわりをすこしぶらぶらした。涼しかった。親族の控え室に帰ると、僕と妹はいったん家に帰ることになっていたのだけど、わがままを言って母や叔父たちと一晩残らせてもらうことにした。帰ってもどうしていいのか分からなかったし、寂しかったのかもしれないし、結局よく分からなかったけど、今帰ったらずっと後悔してしまいそうで。

結局朝まで起きていた。祖父の姉が一晩中お経を唱えていた。父と数年ぶりに少し話をした。いろんな人とも話をした。祖父のこととか、明日のこととか、東京での事とか、いろいろ。隣では祖父が眠っている。叔父の娘だから僕からすると従姉妹と、四時くらいまで話をした。彼女もよく分からないと言っていて、同じ気持ちだった。それぞれの家で一番初めて生まれた子供同士感じていたことや、逆に長男と長女故の違いとか、なんかそんな話をしてた気がする。あと、学校のこととか、仕事のこととか、そんな事。

七時頃少しだけ横になったけど結局眠らないまま朝が来て、告別式が始まる。お焼香を三回して、再び叔父が挨拶し、出棺の時。みんなが棺のまわりに集まって、花を入れていく。みんなが泣き出し、僕も初めて涙が出た。僕も花を入れ、祖父の顔に少し触れた。触れた瞬間ものすごく冷たくて、また涙が出た。ただ、涙が出た。叔父と何人かと棺を持ち、車にのせる。棺はとてもとても重かった。

火葬をするため、実家に向かう。七、八年ぶりに見た実家の風景は、なんだかとても小さく見えた。夏休みに遊びに行って帰るときに見送ってくれた玄関を見たら、また少しだけ涙が出た。火葬場で、最後の手を合わせ、火が付く。母が火の見える所まで行くときに泣いてよろけたので、何の弾みか僕も母を支えて奥まで行って、祖父を燃やす火の音を聞いた。なんで最後にこんな熱い火で焼かれなければならないんだろうとか、そんな事を思った。火葬場を出て、この何日かで一番たくさんの涙が出た。しばらく近場で親戚中でご飯を食べて、骨上げ。棺を持ったときにはすごく重かったのに、ものすごく軽くなっていた。

全てが終わった後、実家のまわりを歩いた。隣の洋服屋や、小さな用水路や、夏休みにお祭りに行った神社や、田んぼや、魚を捕った川や、祖父の仕事場や、役場とか。ずっと聞こえるカエルの鳴き声や、空を飛ぶ鳥や、久しぶりに踏む土や、山のにおいがする涼しい空気とか。風景は何も変わっていなかったけど、小さな時にそこで遊んでいた自分はずいぶんと変わったものだなと思った。

通夜から24時間もたたずに、祖父はあっというまに骨になり、とても小さな箱に入ってしまったけれど、これでいいんだろうと思う。何もせず、ずっといてもいいと言われればずっといてしまうと叔父が言っていた。やることがたくさんあって、気づいたらあっという間に小さな骨壺に収まって、感慨にふける暇もないことが、残った者が生きていくための最善の策なんだろうと思う。

結局祖父ってどういうもので、死ぬってどういう事で、生きるってどういう事で、親戚とか親とか僕ら八人の孫たちってどういうものか、何にも分からなかった。ただ、言葉には出来ないけど、いろんなものを見たし、いろんな事を知ったし、いろんな事を学んだし、いろんな事が大切なんだと知った。まだあやふやなそれらのことは、今後必ず生きていく糧になると思うし、そういういろんな事を最後に教えてくれた祖父のことをとてもありがたいと思った。

そして、キミたちの日本語へ続く。

2007/02/12(Mon) IT

ATOK広告

一太郎2007

赤ちゃんはまだ言葉を理解しません。しかしこの子達が親から教えられ、覚え、話すようになり、思考し伝える言葉は「日本語」になるでしょう。

美しく豊かな日本語の中には、変わらない言葉も、変わっていく言葉もあります。
時代に応じて進化を続ける日本語を、これからも伝えていく。
それが一太郎の使命、ひいてはジャストシステムの使命だと考えています。

かうべるさんちのブログで見つけた一太郎2007の広告にまんまとやられ、ATOK16からATOK2007にバージョンアップするためDL購入。だって、MS-DOS時代からのATOKユーザなんだもの。

美しい言葉は、美しい思考をつくり、美しい気持ちを伝え、人を美しい気持ちにさせるはず。地味な会社の地味な製品だけど、きちんとお金を払いたくなる、お金を払う側なのにありがとうと言いたくなる最近少なくなった製品。これからも日本語が続く限り、ずっと残っていって欲しい製品です。

小説を書いてみたい。

2007/02/07(Wed) Diary

誰からだったかは忘れてしまったけれど、ちょっと前に「そんなにたくさん本を読んでるなら、自分で書いてみたりはしないの?」といわれてからずっと、小説を書いてみたいという気持ちが頭の中をぐるぐるしている。書いてみたいことはいくつかあるけれど、まだきちんと言葉として落とし込める状態じゃない。仕事で結構必死なので、すこし落ち着いてからとは思ってるけど。このブログでもいろいろ書いているけど、小説というカタチにすることで、自由度が広がってもっと深いことやぽつぽつと積み重ねてしか表現できないようなことも、伝えられる気がするので。

ただ、自分の中でその事実を受け入れて。

2006/12/25(Mon) *Pickup, Clip

みんな、ありがとう|吉井怜のブログ「Aquamarin18」 Powered by アメブロ

同じ病気に限らず、ご病気で亡くなったというお話を聞くと、とても複雑な気持ちになります。色々な事を考え、今ここにいる自分自身を振り返り、多くのことに敏感になります。

そんな状態の時は、石ころ一つに躓いただけで、自分の中の芯が、音さえ立てずに崩れてしまいそうになります。

ただ、その多くの想いを言葉にするのは本当に難しく、容易に答えられるものでもなく、まして、自分と同じ病名だからといって、それは比べ合うものなんかじゃ絶対ないと思うし、自分が完治を迎えたからといって、安易に語ってはいけない気がするので、深くは語れません。

私は自分の経験したことしか話せないし、かといって、その経験をもとに偉そうに白血病について話せる人間ではない。

闘病生活という経験をマイナスには捉えないようにしている。かといって、過去のものと処理できるものでもない。ただ、自分の中でその事実を受け入れて今を歩いている。

そうだよね。それでいいんだよね。と思ったことの記録。