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鳩山由紀夫の政治を科学する

2010/03/29(Mon) Book

鳩山由紀夫の政治を科学する 表紙
鳩山由紀夫の政治を科学する
(帰ってきたバカヤロー経済学)
高橋 洋一 (著), 竹内 薫 (著)

それにしても、因果なものですね。60年前、麻生さんのお祖父さんだった吉田茂の後を継いで首相になったのが、鳩山さんのお祖父さんにあたる鳩山一郎だったわけですから。

元財務官僚・経済学者で、小泉内閣で竹中平蔵大臣の補佐官、安倍内閣で内閣参事官を勤め、ちょっと前によく分からない窃盗事件を起こしてしまった高橋洋一氏の本。対談形式なのがちょっと読みづらいが、内容はおもしろい。

鳩山首相が唱える「国民の生活が第一」という言葉の国民とは、「民主党を支持してくれる人」であり、鳩山政権の目的関数は、「支持層の幸福の最大化」であるとして、様々な人事や政策を読み解いていく流れで進む。

細かい話を書いてしまうとおもしろくないので興味がある人は読んでもらうとして、つくづく政治とは予算なのだなぁと感じる。国民から集めた税金をどう再配分するかを表したものが予算であり、それで実行される形が政策であり、どう再配分するかを決めるものが党なり政治家なりの思想信条。

日々の報道ではどうしても具体的な政策の話になってしまうけれど、やっぱりその根本となる思想信条を議論すべき。それが選挙に勝つためというのではあまりにも稚拙すぎるし、国民もどの政党が自分に一番再配分してくれるかに注視していては稚拙な政治家の思う壺。日本でそれを語り合える日は来るのだろうか。

イノセント・ゲリラの祝祭

2009/01/11(Sun) Book

イノセント・ゲリラの祝祭 表紙
イノセント・ゲリラの祝祭
海堂 尊 (著)

「無関心は無知を増大させ、無知は罪を誘発します。」

バチスタシリーズの著者最新作。当初はきちんとミステリ要素があったんだけど、本作に至っては全く事件が起こらず、医療行政への問題提起のみになってしまっている。まあそれはそれで面白いんだけれど、ちょっと著者の医療至上主義的な主張が強すぎる。初期の頃のようなミステリーが読みたいと思うのですが。

裁判員制度の穴?

2008/11/29(Sat) Society

あらかじめ断っておくと、個人的には裁判員制度に全面的に反対というわけではないし、選ばれたのなら参加してみたいという気がしているけれど、そもそもこの選出制度に穴がある気がしてきた。以下勝手な想像です。主にWikiPediaの記述を元に考えます(汗。

裁判員の選出は、まず市町村の選挙管理委員会が「裁判員候補予定者名簿」を作成する。次に地方裁判所がその名簿を元に「裁判員候補者名簿」を作成し、選ばれた者にその通知をする。現在この段階まできており、この段階で回避するのは日本国籍のある人間には不可能と思う。

次に、裁判員制度対象事案が発生する毎に、地方裁判所が「裁判員候補者名簿」を元にくじで抽選をし、選ばれた者に「質問票」と「呼出状」が自宅に送付される。この時点では、禁固刑に処せられたことがある者や、法曹関係、警察関係者、事件の利害関係者などしか断ることが出来ず、この段階でも民間人の回避は難しい。

で、最後に呼び出し状を元に地方裁判所に出頭した裁判員候補者は裁判長と面談をするわけですが、「仕事が忙しい」とか「やりたくない」では当然断れない。でも「不公平な裁判をするおそれがないかどうかの判断」という項目があり、たとえば「私はどんな罪でも罪は罪なので全員必ず死刑にします」と言えば不適格者扱いになってほぼ100%の確立で回避出来そうな気がする。

仮に虚偽の返答をした事への罰則があったとしても、裁判所側が思想信条の裏付けを取ることはかなり難しいであろうし、選出段階でそこまでの手間をかけるにはあまりにも不毛なので追求は緩い気がするのですが、どうなんでしょうか。

回避を推奨しているわけではなく個人的には参加してみたいと思っているんですが、こういう場合裁判所はどういう対応を考えているんだろうかと不思議になった。義務だからという理由で性善説で考えているんだろうか。

裁判員制度はこの国の世論を進化させるのか?

2008/11/13(Thu) Society

「裁判員です」話していいのは…家族○、匿名ブログは△ – 朝日新聞

法律では「何人(なんぴと)も」とあるので、自ら公にしてもいけないし、知人が選ばれたことを誰かに話すのもダメだ。裁判員が事件関係者から危害を加えられないよう保護するための規定とされる。

最近はやりのブログ。日々の身辺雑記をつづる人も少なくない。筆者の素性が分からない場合は大丈夫そうだが、匿名のブログや会員制サイトでも、他の公開情報と照らし合わせて筆者が簡単に特定できる場合は危ない。

もっとも、この規定に罰則はないため、違反しても、罪に問われることはない。

以下、なるべく調べて書いていますが、誤りがあったらごめんなさい。約1年前に「斎戒沐浴」というエントリで裁判員制度に触れましたが、この制度については結構注目していて、日本の世論形成に大きな影響を与えるのではないかと思っている。

ちなみにこのブログは実名で書いているので、仮に選ばれても僕はこのブログでは裁判員に選ばれたということも、実際に裁判に参加して裁判員同士でどういった議論があったかも書いてはいけないことになる。でも、たとえば2chで書くとしたら一応書き込みだけでは個人を特定されないので大丈夫なのかな?

ただ、裁判自体は一般に公開されており傍聴することも出来るので、どういった裁判が行われ、裁判官・被告・検察の間でどういった議論があり、どういった判決が出たかを書くこと自体は問題ないはず。問題なのは、裁判官と裁判員の間でどういった議論が行われたのか、を書いてはいけないということらしい。

一年前のエントリでは「人を裁く」という負荷に民間人が耐えられるのかなという疑問を書いた。それはそれで今も感じている懸念なんだけれど、この制度にひとつ希望があるとすれば、この制度により民間人が社会や司法に参加し、一人ひとりが国や社会について関心を持つことで、この国の政治がより活発なものになるのではないか、という事。一方に流れやすいこの国の世論が複雑多様化することで、多少精度を上げて安定性が増すのではないかと願っているんだけれど。

さまよう刀

2008/09/14(Sun) Book

さまよう刀 表紙
さまよう刃
東野 圭吾 (著)

「女房によると、千晶は死ぬ前にシャワーを浴びたようです」

「シャワー?」

「ええ。後からわかったらしいんですが、そういう形跡があったそうなんです。夜中にシャワーを浴びて、下着も新しいものに取り替えていたそうです。そのことを女房は、私にもずっと黙っていたみたいです。だから、その、どういうことがあったのか、女房はうすうす感づいていたんじゃないかと思うんですがね」

一人の女の子がレイプされ殺害される。その父は、何者かの密告によって犯人のヒントを得る。犯人は未成年、警察に連絡して逮捕されても、少年法に守られ数年で娑婆に出てくる流れが容易に想像できる。それならばいっそ自らの手で。という話。

物語を盛り上げるためか、犯人の少年は鬼畜として描かれ、犯人を追う被害者の父親は殺してやりたいという感情と理性との間で激しく揺れ動く。物語としては十分スリリングで一気に読んだのだが、途中から作者がこの問題にどういった結論を付けるのかがずっと気になっていた。

それを書いてしまうと面白さが半減するので書かないけれど、自分なりに感じたところとしては、本の中である登場人物も言っているけれど、刑法自体の不完全さと、警察はその不完全な刑法に遵守した社会を保つ組織であって、厳密異な意味で市民の安全を守っているわけではないのだなという事。

自分でも結論が出ない事のひとつが、「そもそも加害者を更正させる必要があるのか」という点。実際に更正するかしないかは関係なく、そもそも殺人などの重大事件を犯した人間に、更正させる機会そのものを与える意味があるのかと言う事。現状、被害者はその後の人生全てを奪われるが、加害者は必ずしもそうではない。

人権やその人にとってのその後の人生などよく言われる理屈はすべて加害者にも言えるが被害者にも言える。現状のように殺されるリスク(全てが終わり)よりも殺すリスクが低い(社会復帰可能)社会だと、殺したもの勝ちになって、社会システムとしてバランスがおかしいように思うのだけれど。そこさえ解決できれば少年法の問題も刑法第39条(心神喪失者の行為は罰しない)も解決できるように思うが。解決というか、大多数が納得できる案と言うか。

違和感の正体

2008/08/20(Wed) Society

産科医に無罪判決 帝王切開での女性死亡事故 福島地裁 – 朝日新聞

福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性(当時29)が死亡した医療事故で、福島地裁(鈴木信行裁判長)は20日、業務上過失致死と医師法違反罪に問われた医師、加藤克彦被告(40)に無罪(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。事件は、治療における医師の判断、手術法の選択にまで捜査当局が踏み込んだものとして注目されていた。

ジーンワルツ – 海堂 尊

医療は学問ではなく、社会システムです。医学は単なる学問。医学という土台の上に、国民の意思で医療という家を建てるようなもの。そこでは医学の結果と正反対のことが行われることもあります。

ミクロで見たときに生まれる悲しい感情を、マクロで見たときに見える全体最適化という理屈で均等を保とうとしてまだ揺れている感じではありますが、基本的には正しい判断じゃないかと思う。でも何か違和感があって気持ち悪かったんだけど、その正体が分かった。

以前読んだ「ジーンワルツ」という本で、出産というものがそもそも危険を伴う行為だと言うことは何となく分かった。というか、この本自体が今回の事件をモチーフに書かれたと言われている。医者は神じゃないということも理解しているし、きちんとやっている医者はどんどんお金もらえばいいと思ってる。

でも、今回の事件では日本の医療業界が一丸となってサポートしている。以下主要なものを引用。

大野病院医療事件:帝王切開の医師に無罪判決 福島地裁 – 毎日新聞

吉村泰典・日本産科婦人科学会理事長は「被告が行った医療の水準は高く、医療過誤と言うべきものではない。癒着胎盤は極めてまれな疾患であり、最善の治療に関する学術的な議論は現在も続いている段階だ。学会は、今回のような重篤な症例も救命できる医療の確立を目指し、今後も診療体制の整備を進める。医療現場の混乱を一日も早く収束するため、検察が控訴しないことを強く要請する」との声明を出した。

大野病院医療事件:判決に被告は安堵 遺族は目を閉じ… – 毎日新聞

加藤医師の支援活動をしてきた上昌広・東大医科学研究所特任准教授は「今回のような医療事故を法廷で真相究明することの限界が明らかになった。当時の医療体制の根本的な議論がないまま、医師の過失の有無だけの争いとなっていた。これを機に医療事故における業務上過失致死罪の適用について国民的な議論が必要。司法関係者も、医療事故に刑法を適用することの是非をもっと議論すべきだ」と話した。

大野病院事件「妥当な判決」 日産婦学会が声明 – 産経新聞

同学会医療問題ワーキンググループ委員長を務める岡井崇理事は「今回のケースは逮捕する理由がなかった。たとえ患者への説明が不十分だったとしても、医師に刑事罰を与えることにはつながらない。医療を知らない警察が最初に捜査を行ったことが問題。まず、専門家が第三者機関を設けて調査すべきだと事件を通じて率直に感じた」

日本生殖医学会も歓迎 大野病院事件無罪判決 – 産経新聞

大野病院事件の無罪判決について、全国約4900人の産婦人科や泌尿器科の医師らで構成する「日本生殖医学会」(岡村均理事長、東京)は20日、「極めて適切な判断と考え、歓迎する」との声明文を公表した。

声明文では「医療提供者には常にベストを尽くして治療する義務がある」とした上で「全力を尽くしても、治療結果は個別で異なり、最終的に最悪の結果になる場合がある。これは社会の常識で、法律上も正しいと判断された」などとしている。

繰り返すけど医者は神じゃないと思っているし今回の判決も正しいと思っている。でも、今回感じた違和感というのは、これら医療業界の人たちが「訴えてんじゃねーよ」「何も分かってない警察や検察が口出すんじゃねーよ」「部外者には分からない世界なんだからこういう事が起きても内部で処理するよ」と本音の部分で思ってるんじゃないかと思ってしまうこと。

「検察が控訴しないことを強く要請する」とか「歓迎する」とか、被害者がいる事件について公の場でこういうことを言う神経がよく理解できない。報道を見ている限り当事者の医師はそうではないように思えるのが救いだけど。事件そのものについては、検察ではなく遺族が司法の場での決着を望むなら遺族が原告になって訴えるのがよかったのではないかと思う。

TOKAGE 特殊遊撃捜査隊

2008/07/01(Tue) Book

TOKAGE 表紙
TOKAGE
特殊遊撃捜査隊
今野 敏 (著)

警視庁捜査一課特殊犯捜査係の覆面捜査部隊「トカゲ」が活躍する本格的な刑事物、ということでそのネーミングに惹かれて買ったんですが、「トカゲ」はそんなに活躍しない。

何の前振りもなく突然事件が始まり、そのストーリを追うなかでキャラクタが少しづつ登場してくる。一応ミステリチックなのですが、何となく気づけるし後半でネタ晴らしされるのでそんなにインパクトがあるわけではなく、その予想される結末に向かって淡々と進んでいき、事件解決と同時になんの後書きもなくスパッツと終わる。

臨場感と緊迫感はあるのでつまらないわけではないのですが、なんというか余韻がなさ過ぎて。

僕の年代は「理由なき犯罪世代」らしい。

2008/06/11(Wed) Society

【秋葉原通り魔事件】神戸事件やバス乗っ取りと同学年 – 産経新聞

加藤容疑者ら現在の25歳は、平成9年の神戸連続児童殺傷事件で逮捕された少年や12年の西鉄高速バス乗っ取り事件の少年と同学年。世紀末(2000年)を多感な17歳で迎え、同年にはバス乗っ取り以外にも同年代の凶悪犯罪が全国で相次いだ。動機の不可解さから「理由なき犯罪世代」と言われた。

秋葉原の事件の犯人が自分と同い年だなぁと気づき、そういえば酒鬼薔薇聖斗も同い年だったなぁと思っていましたが、バスジャックの犯人も同い年だったとは。他にも、「人を殺してみたかった」と言った愛知県豊川市で少年が主婦を刺殺した事件や土浦の通り魔事件の犯人も今25歳と、探したら探しただけ出てくるのでしょう。

バブルの始まり頃に生を受け、自意識を持ち始めた頃には早々にバブルが崩壊してて、自分で買い物をする頃には消費税がついていて、ソ連とか崩壊してたので教科書の中でしか共産主義なんて知らず、っていう感じでしょうか。

ちなみに1983年は、東京ディズニーランドが開業し、戸塚ヨットスクール事件で校長が逮捕され、任天堂がファミコンを発売し、三宅島が噴火し、ロッキード事件で田中角栄が有罪になり、映画 戦場のメリークリスマスや南極物語が上映された年。そして、元SPEEDの上原多香子、宇多田ヒカル、元モー娘。の矢口真里、松田龍平、水川あさみ、小倉優子、伊藤淳史が生まれた年だそうです。

どの世代にもたいていいろんなラベルがつけられていて、後付論するときには多少意味があるのでしょうが、宇多田ヒカルが通り魔になるわけではあるまいし、言われる方はあんまりいい気はしないもんですな。

モザイク

2008/06/11(Wed) Society

秋葉原殺傷:加藤容疑者の両親が謝罪 母は泣き崩れ – 毎日新聞

父は深く頭を下げ、母は泣き崩れた??。秋葉原7人殺害事件で、加藤智大容疑者(25)の両親が10日夜、青森市の実家前で事件後初めて記者会見。父親(49)は「息子が重大な事件を犯し、亡くなられた方、そしてけがをした方、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。

【秋葉原通り魔事件】崩れ落ちる母親 加藤容疑者の両親謝罪会見 – 産経新聞

手を前に組み、淡々と話す父親に対し、母親はハンカチを口にあて、疲れ切った表情を隠すようにうつむいたまま。犯行日が誕生日の翌日だったという母親は、父親が記者の質問に答える途中、急に力なくひざから崩れ落ち、頭をうなだれ、土下座するような形でそのまま動けなくなった。会見が終わっても立ち上がれぬ母親を、父親が抱きかかえるようにして、カーテンが閉め切られた自宅の中へ入っていった。

各紙が秋葉原殺傷事件の加害者両親の謝罪会見を報じていますが、その中でも毎日新聞は父親の顔から下の写真を、産経新聞はモザイク付きで頭を下げる父親と立っていられず崩れ落ちた母親の写真を掲載している。文章だけの謝罪会見報道は多々ありましたが、僕の知っている限りでは加害者の両親が大手新聞に写真付きで載ることはかなり珍しいのではないかと思う。MSNとくっついてからの産経新聞は若干週刊誌系のネタを扱うことが増えたのでその本意がどこにあるのかは察しにくいですが。

ともあれ、写真のインパクトは大きい。確かにそこに一人の人間がいて、加害者の親として謝罪しているんだという事実が文字だけの報道よりも現実感をもって伝わってくる。同時に、産経新聞がかけているモザイクが強烈な違和感を伝えてくる。外せと言っているのではない。この事件の全ての関係者、加害者と被害者、それらの被害者遺族と加害者遺族といるなかで唯一加害者遺族にだけモザイクがかかっていることに、言葉にならないが強烈な違和感がある。それがなんなのかはちょっと分からない。万が一でもおかしな事にならなければいいが。

見えぬものこそ。

2008/04/28(Mon) Society

「たかじんのそこまで言って委員会」に、光市母子殺害事件の元被告任弁護士が出ていた。そこまで言って委員会にしてはめずらしく、お笑い目的ではなく、出演者それぞれが感情をあらわにして様々な議論が交わされていた。

判決が出たときのエントリでは、正直気持ちがまとまりようがなかったので、少しだけ思ったことを書いてみた。今回の委員会を見ていて、今回はこういう結論になったけれど、本当はどういう結論に至るべきであったのかを考えてみた。

今回起きた結果とそれを行ったのが被告であること自体に議論はなく確定していることを前提に。今回そういう判断はされなかったけれど、たとえ心神喪失であったとしても、故意のない過失であったとしても、その経緯にかかわらず人の命を殺めたこと自体はいけないという基本に戻る。そのこと自体には反省し、被害者への謝罪と今後の更正をきちんと誓うべきであったのではないか。

その上で、過失でしたとか、心神喪失でしたとか、そもそも結果を招くに至った経緯がちがうだとか、そういう所を主張すべきであったのではないか。こういうとよく「認めて反省しないと心証が悪い=有罪であることを前提にしないといけない」という展開がされるのだけれど、それはまた違うのではないか。

「人が亡くなった」という結果自体は経緯はどうあれ間違いないのだからその点は反省すべきで、その経緯を説明し量刑を協議する。今回の事件が仮にそういう経緯をたどったのであれば、本村さんの反応も、メディアの反応も変わり、結果的に加害者が死刑台に上るのだとしても、その場所まで歩く彼の心境はまた違ったのではないか。

元々悲しいこの事件に、ハッピーな結末などないとは思う。でも、今回はすべてが一番最悪な方向に行ってしまったのではないかという気がしてならない。もちろん後から言うのは簡単だけれど、何も言わずにまた同じ事が繰り返されるのよりはましだろうと思う。