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判決の重さ

2008/04/22(Tue) Society

【死刑判決で本村さん(2)】「彼が納得しているか見極めたくて、背中を見つめていた」 – 産経新聞

死刑という問題は、この法治国家ができてから古くて新しい問題で、答えがないと思っていますが、人の命を最も大事なもの思っているから死刑という制度も残されてきたのだと思います。この判決を受けて、被告に対して刑罰が重いという人、適したものという人がいると思いますが、それを論じても意味がないと思います。死刑というものがあって、人の命をこの国がどう判断するかということを国民の皆さんが関心を持ったから、(この事件に)世論が集まったんだと思います。死刑に関してはいろんな議論があると思いますけど、死刑存続の方も廃止の方も、目的は安全な社会をつくることに変わりはないと思います。だから犯罪を減らせるかどうかということに、私は人々の力とか労力を傾注すべきではないかと思います。両手放しに死刑は必要だとか間違っていないとか言えないので、迷いながら悩みながらこの制度を維持してゆくべきではないかと思います。

【死刑判決で本村さん(3)】「弁護人の正義は黒を白やグレーに変えることではない」 – 産経新聞

−被告の更正の可能性はあると思うか

可能性は十分にあると思います。過ちを犯した人間が悔い改めて更正できないことはないと思います。ただそれと罪の重さは違うと思います。

この判決が出るまでの9年は、長いですよね。9年前と言ったら、僕は16歳。働き始める前で、中3か高1ぐらいじゃないかな。記者会見で報道陣の質問に即座に的確な受け答えをしている本村さんを見ると、普通の人では出来ないくらい考え込まれているのが伺える。

それほどの考えを至るにたどった9年という時間は、本来本村さんが生まれたばかりの子供と小学校の入園式に出たり奥さんと旅行に行ったりして過ごす時間であったことを考えると、それを奪った被告にとって重すぎるとはいえない判決であったのではないかと思う。でも、まだ続くんだよね。

交渉人 遠野麻衣子・最後の事件

2008/04/16(Wed) *Pickup, Book

交渉人 遠野麻衣子・最後の事件 表紙
交渉人 遠野麻衣子・最後の事件
五十嵐貴久 (著)

言い訳などではありません。どれほどの努力を費やしても、報われないことがある。それが現実だとわたしは思っています。あなたの家族を殺害した犯人を逮捕することが出来なかったのは、悔やんでも悔やみきれないことでした。ですが、繰り返しになりますが、どうにもならないこともあるのではないでしょうか。私たちは人間です。神ではありません。

前作の2年後から始まる物語(最近知ったのだけど、前作はWOWWOWで映像化されてるらしい)。前作よりも主人公遠野麻衣子が前面に出ていて、キャラクタがつかみやすかった。逆にまわりのキャラクタがいまいちキャラを把握できず、このキャラクタがこんな台詞言うかなぁという違和感がちょっと残った。

前作に引き続き、400ページとちょっと長いけれど、スリリングなのでどんどん読み進める。実際に起きた事件や物語内の架空の事件が多々出てきて、それがラストに向けたうまい複線になっている。

僕にしては珍しいことだけれど、犯人が登場する最初の一文から、この人が犯人だろうなと気づいた。その時点ではその人物を犯人と特定できる要素は何も提示されていなかったから根拠はないけれど、この人が犯人だったら小説的におもしろいだろうなと思ったら、ほんとに犯人だった。

できれば、最後の事件にせずもっと続いてほしい。

アンフェアな月

2008/04/12(Sat) Book

アンフェアな月 表紙
アンフェアな月
刑事 雪平夏見
秦 建日子 (著)

「死を自覚することで、生も自覚できた。おかげで、残り短い人生を、それまでの数倍も充実して生きることが出来た。よかったよかった」という話だと男は分析した。

ものによっては、「だから、解釈のしようによっては、自分は病気になって幸せだったかもしれない」とまで、死にゆく主人公に語らせていた。

ミステリらしくないミステリでありながら、ふつうのミステリよりもおもしろい。前作の翌日からのお話で、テレビドラマとは別のストーリー。なので雪平の相棒安藤も元気に生きている。前作の内容はほとんど忘れてしまっていたのですが、それでも十分楽しめました。

スリリング、というよりもおもしろい。冒頭からそれだけで映画やCMのコピーになってしまいそうなハッとする、それでいておもしろい言葉や掛け合いが出てきて、ちゃんと本筋の事件も進んでいるのですが、横道のそのやりとりに気をとられてしまうほどたのしい。

そして、そっちに気をとられていたら、あれっという間に本筋のミステリがあっさり解決してしまって拍子抜け。と思ったら、きちんと最後にメインディッシュがあって、それがまたミステリと言うよりも哲学的な読後感を最後に残してくれる。

命、というものに、正攻法とは全く逆のアプローチで光を当てている。故に、普段見せられる命の形とはまた違った面を見せられて、なんとも言葉がない。引用した文章のような、ありきたりな命の価値観の描写ではなく違った面でその意味を問いかけられて、ぼくはなんとも答えようがなかった。

死刑 – 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。

2008/01/19(Sat) *Pickup, Book

死刑 表紙
死刑
人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。
森達也 (著)

死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「何故、国民は死刑を支持せざるをえないのか」です。(光市母子殺害事件被害者 本村洋からの手紙)

今すぐ買った方がいい、と断言できる本。

danさんのブログで見つけて、お急ぎ便を躊躇なく選択して一瞬で買った。少し前のブログに書いた「自分の命をかけてまで子供の命を守ろうとした一人の人間が、同時に一人の人間に死んで欲しいと願うという事。」への解に出会えるのではないかという期待で。読み終わって思うのは、僕の一番好きな「赤朽葉家の伝説」は興味を持った人だけ読んでくれればいいと思うけれど、この本は興味のあるなしではなく、知らないといけない事だと思う。

ところで、僕は何故こんなテーマばかりに興味を持つのだろうか。mixiの新着日記に「死刑 – 人は人を殺せる…」なんて日記があがってしまうことをたまに申し訳なく思ったりもする。その理由の一つは、「ドラクエクリアしたよ!」という日記を上げる時より、こういう事について書く方が自分の頭をフル回転させないといけないという事。このブログを自分を知る為の鏡として使っている面もあるので、これは一つ大きな理由。そして、もう一つの理由は、本書が明確にしてくれた。

どちらも今のこの世界だ。僕らが暮らすこの世界と地続きに、煌びやかなテレビスタジオがあり、ホカホカと湯気を立てる山海の珍味があり、飢えと寒さで衰弱しながら死んでゆく子供たちがいて、そしてあの薄暗い処刑場がある。
その末端に、僕がいる。そしてあなたもいる。

僕は目を背けられない、見てしまったのだから。

死刑についての僕の考えは、過去にも書いたことがあります。

iwalog : 自分が生きるために。

確かにその通りだと思う。人には人の命を殺める権利などないと思う。そうだとするならば、汲み取るべき事情がある承諾殺人(人の承諾を得てその人を殺害する=介護疲れによる息子による親の殺害)など一部を除いて、人が人の命を殺めた場合、その人はその時点で人権を行使する権利がないのではないか。

ものを盗んだ場合、そのものか相当するお金でもって償う。そして、抑止の意味も含めて金銭以外の懲役などの罰をもって購わせる。はたして、自分たちが声高らかに主張するもっとも高貴な価値観である人権を侵害された場合、何をもってすれば償いになるのだろうか。それは、その人自身の人権ではないのだろうか。(もちろん、原因の究明は必ず必要という前提で。)

何もしていない人を死刑にするわけではなく、罪を犯した人を死刑にするのであるということ。これは本書を読んだ後だと、被害者の側面ばかりが報道されて、加害者遺族や死刑囚のその後を知るすべがなかったから故の発想だったと気づく。この考えは、本書の中で紹介される加害者遺族や死刑囚と刑務官のかかわりを読むことで、ある意味では変わるのだけれど、ある意味では変わらない。

また論理の面では、現行法を前提とする場合、現行法で死刑に値する人間を無期懲役などで処理した場合、多くはないとはいえ再び社会に出てくる事になる。現に酒鬼薔薇聖斗は社会復帰している。彼らは更正するかもしれない。でも更正しないかもしれない。更正しなかった場合のリスクをあなたは受け入れますかと言われたら、僕は受け入れたくない。これは本書の中でもオウム事件以降の過剰な厳罰主義・治安強化主義の結果もたらされた日本社会の傾向であると論じられている。

本書では、森達也は悩む。そして自ら悩みたがっているかのごとく、死刑廃止論の安田弁護士(光市母子殺害事件加害者側弁護士)、死刑判決が確定した元オウム真理教幹部の岡崎死刑囚、「モリのアサガオ」という死刑囚と刑務官を描いた漫画を書いている郷田マモラ、死刑確定後判決が覆って無期懲役となり出所した人物、犯罪被害者の側から取材をしているライター、存置から廃止に考えが変わった被害者、池田小学校事件の宅間守死刑囚(2004年9月14日死刑執行)の手紙、死刑があるからといって犯罪発生率が下がるわけではないというデータ(死刑が犯罪抑止力としては機能していないという趣旨)、冤罪の場合取り返しが付かないこと、冤罪は現在も続いていること、実際に執行する刑務官の苦悩、更正した死刑囚、更正しなかった死刑囚、更正など求めておらず被害者が生き返ることだけを求めている遺族、死刑囚とその家族の最後の別れなど様々なものに触れる。

そして、光市母子殺害事件遺族の本村洋とも手紙を交わし、本書の最後の方でその事件の加害少年とも接見し、結論を出す。結論も、その課程も、必読の価値がある。

僕の結論。読む前と変わらず、死刑は必要であるということと、被害者保護にもっと手厚くなるべきであると言うこと。でも読む前と変わったのは、その執行は慎重であるべきで、現行の死刑制度をもっと改良すべきであると思うようになったこと。

被害者感情を考えた時に、死刑という「選択肢」は必要であると思う。しかし、冤罪もあるし、死刑囚にも家族はいるし、更正する人もいる。でも、再犯のリスクもある。それらを考えると、社会制度としての死刑はやっぱり必要で、撤廃か存置かを議論するよりも、その運用の改善に目を向けた方が、幸せになる人の数が増えるのではないかと思う。

なぜ原因以外のものに発散するのか

2008/01/06(Sun) Clip

商店街で5人に切りつける 容疑の16歳少年逮捕 – 朝日新聞

5日午後3時25分ごろ、東京都品川区平塚2丁目の「戸越銀座商店街」で、「男が包丁を振り回している。けが人がいる」と通行人の男性から110番通報があった。女性2人が男に胸部を切られるなどして軽いけが。ほか男女3人が服を切られた。警視庁は、都内の私立高校2年生の少年(16)=品川区=を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。調べに対し「誰でもいいから皆殺しにしたかった」と供述。病院の精神科への通院歴があった。

「人間関係でトラブル」 逮捕の高2 – 朝日新聞

東京都品川区平塚の「戸越銀座商店街」で5日、男女5人が切りつけられた事件で、殺人未遂容疑で逮捕された都内の私立高校2年の男子生徒(16)=同区=が警視庁の調べに対し、「人間関係のトラブルで悩んでいた」と話していることがわかった。同庁は動機や事件に至る経緯を調べている。

年明け早々迷惑というか、大馬鹿者の話なのですが。「人間関係のトラブルで悩んでいた」という供述は無差別系の事件でよく出てくると思うのですが、それが主因かどうかは判断着かないけど、仮にいじめとかだと仮定して。なぜその発散が関係ない所に飛び火するのか。そして、関係ない所に発散してそれは解決されるのか。

おそらく、それそのもには立ち向かえないのかな。そこに立ち向かっても結局屈服されるだけで、発散できない。故にその矛先がそれ以外の、自分より弱い所に向く。そして、それをやっても解決しないのは目に見えているのに、それはもう自爆みたいな境地なのでしょうか。

こういう事件に遭遇してしまうリスク、こういう事件を起こす子の親になってしまうリスク。そしてこういう子が親になっていく数十年後。犯罪学について流し読みしていたら、刑法は犯罪が起きることを異常ではなく平常な事として捉えているのだとか。たぶん、こういう事件は尽きないんだろうな。

イい訳ばかりして反省しております。

2007/12/27(Thu) Clip

干支の引き継ぎ式

去年知ってから楽しみの一つになった通天閣の干支の引き継ぎ式。僕の干支のイノシシさんお疲れ様でした。

「誠実な社会誓いマウス」・通天閣でえとの引き継ぎ

イノシシに代わり天王寺動物園の宮下実園長が「イの一番におわび申し上げます。社会保険庁の不正、防衛利権疑獄、食品偽装など度重なるうその発覚に、イい訳ばかりして反省しております」。

ハスキーラットの立会人を務めた通天閣観光の西上雅章社長は「誠実な社会をネ強く築くことを誓いマウス」と抱負を語った。

調べたら過去の記事が少しあった。

恒例「干支の引継ぎ式」が行われました!(2004年末)

申「景気低迷のサルように努力しましたが、新潟県中越地震や、台風23号など自然災害で各地で大暴れしたことお詫びします。」

酉「幸福と繁栄をトリこみ、増税と災いはトリさげ、景気回復に向け大いに羽ばたきます。」

恒例「干支の引き継ぎ式」が行われました!(2005年末)

酉「大きく羽ばたこうと願っておりましたが、JR福知山線の大惨事や耐震偽装事件など暗いニュースばかりで誠に申し訳けございません。」

犬「景気回復、株式上昇に足並みそろえてワンダフルな年になりますよう意気ケン昂に頑張ります。」 」

恒例「干支の引き継ぎ式」が行われました!(2006年末)

犬「景気回復、株価上昇には貢献(犬)しましたが、青少年、幼児の痛ましい事件や飲酒運転で世間を騒がせ申し訳ございません。」

亥「今年こそ約束します。亥(イ)の一番でいじめを追放し、亥(イ)い年になるよう猪突猛進します。」

もろもろ雑記

2007/12/11(Tue) Diary

いろいろ書きたい事はあるんだけれど、なんだかまとまらないので、もやもやしたまま最近思っている事を全部書き出してみる。

・今日もページをたくさんつくって疲れたので、BINDはお休み。どうやら解説ページと使っているものとのバージョンが違う気がしてきたので、明日はそれを注意してみてみよう。あとホストからHTTPが繋がらない件はファイヤーウォールをチェックしてみる、という明日の自分への伝言。

・よく分析とかする時には、客観的にデータを分析して相関関係とか予測をたてたりすると思うのですが、必ずしもそれは当たらないわけです。特にマーケティング的な事において。なんでなのかなーと思っていたら、ふとそれらの調査対象はそれぞれが主観を持って動いているからではないかと思った。これも僕の主観ですが。

・某氏へのクリスマスプレゼントが外国から手元に届いた。週末にラッピングとクリスマスカードを買いに行こう。気に入ってくれるといいのだけど。

・ちょっと前に、妹から、クリスマスと誕生日と成人祝いでプレゼントが欲しいとメールが来た。よしよし買ってあげようと思ったら、一つじゃなくてそれぞれのイベントで一つづつ、計3つ欲しいと言ってきた。こんな時だけなんて都合がいいやつなんだと若干イラッとしつつも、良い兄でいるために「いいよ」と返事しようと思ったけど、お財布と相談して「ひとつだけ」と返事した。妹ももう二十歳ですか。早いもんだ。ベビーベットに寝ている生まれたばかりの妹の顔を見ている記憶だけ、やけに鮮明に残っている。

・吉野家とかケンタッキーとか、個人ブログによる企業の炎上が続いている。いや、たぶん前から書いている人はいたんだろうけど、それが過敏報道で立て続けに表沙汰になっているだけだと思う。このブログはオープンなので、これでも書く事には気を遣っている(その割には仕事仲間も見ているのに仕事に迷ってるとか書いてるのはご愛敬)。やっぱり居酒屋で話す話はそのままブログにかけない。このブログの記事の多くが事件や事故についての感想や書評が多いのも、一応普段の「行動」よりも「思考」を書くように気をつけているからなのです。うちの会社の人たちは、「プライベートでどこに行った」とか、「飲み会でこんな事をした」とか、「仕事でいまこれをやっている」とか華やかで個人が特定される事ばかり書いているけれど、それって大丈夫なの?とちょっと心配になったりする。

・タバコをすってたら、とある人から声をかけられ少し話す。今の状況を少し気にかけてくれているようで、申し訳ないと思いつつも、ありがたいなとも素直に思う。とりあえずグレたりしないように、年が明けるまでおとなしく。明けたら何かがあるわけではないんだけど。

煩雑になってしまいましたが、少しだけスッキリ。

斎戒沐浴

2007/12/07(Fri) Clip

死刑、初の氏名公表 法務省、3人執行と発表 – 朝日新聞

法務省は7日、3人の死刑を執行した、と発表した。法相が執行命令書に署名しなくても執行が進む「死刑の自動化」を提案した鳩山法相の下での初めての執行となった。発表にあたり、同省は初めて、対象となった死刑囚の氏名と犯罪事実、執行場所を公表。「情報公開することで死刑制度に対する国民の理解を得られる」との狙いから、実施の事実だけを伝えて氏名などは一切公表しない従来の方針を転換した。

「斎戒沐浴してサイン」 死刑執行で鳩山法相 – 朝日新聞

鳩山法相は7日昼、衆院法務委員会で、委員からの質問に答える形で死刑を執行したことを明らかにした。そのうえで「国家権力によって人の命を絶つわけで、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して(執行命令書に)サインをさせていただいた。大きな心の痛みを感じるが、法に基づいて粛々と実行しなければいけないということで、逃げることのできない責務と思って執行させていただいた」と話した。

斎戒沐浴(さいかいもくよく)
神仏に祈ったり、神聖な仕事をする前に、飲食や行動を慎み、心身を清めてけがれを取り去ること。

こんな言葉あるのね。今までも執行状況って報道されていたけど、一応マスコミ調べという建前でしたが、公式に発表されることに。僕自身はこの刑自体は賛成なんですが、オフィシャルに執行が公表されるとどうなるのかと考えてみた。

再来年に裁判員制度(まだよく知らないけど)が始まって、普通の人が裁判に参加する事になると、大きい事件では裁判員が死刑(あるいは死刑回避)を求めることも出てくる。その人が死刑と判断し、その通りの判決になった場合、最終的にそれから数年後に死刑執行のニュースが流れる事によって、自分の判断によって人間を一人間接的(と言えるのかどうかは難しいけど)に殺した事が周知されるになる。あるいは死刑回避を主張したが死刑となった場合に、その人的には自分の判断に反して人が殺される事になる。

はたして、その精神的負荷に人は耐えられるのだろうか?理論的には死刑にすべきだと100%納得していても、そればかり考えていられる裁判官ではない市民にとっては、簡単に表現すると「結構しんどい」事だと思う。そうなると、判決が全体的に被告寄りになってしまう気がする。有罪無罪の判断が誤るケースもある程度出てくるだろうけれど、量刑が軽くなるケースは多々発生すると思う。(そもそも、裁判員制度自体が、死刑制度に反対する公明党主導で導入されてたりする。)

死刑制度というより裁判員制度寄りの話になってしまったけど、こればかりは国民性の影響も大きいから、他国の事例が応用できず運用してからのでたとこ勝負になりそう。まだあまり裁判員制度については議論されていないけれど、来年あたりになったら議論が活発になってきてこの辺も話題になるのだろうか。

我慢の意味

2007/09/26(Wed) Clip

遺体「まるで別人」 急死力士の父「体中に傷」 – 朝日新聞

「でも私は『もうちょっとがんばれ』と言ってしまった。『逃げろ』とはいえなかった。私が殺したようなものだ」俊さんの遺品の中からは、まっぷたつに折られた携帯電話が見つかった。「なぜ、逃げろ、帰ってこいといわなかったのか」

遺体ってちょっとした事故でも、そもそも亡くなった顔を見る事そのものと相まって、少しの傷でもかなり痛々しい。ましてそれが身内であればそれはもう。最近この手の事件だけでなくていろいろなものを見たり読んだりして思うのは、本質的に人は他人を助ける事は出来なくて、その人の手助けをする事は出来ても結局判断するのは本人なんだなぁという事。でもその判断をまわりがつぶしてしまう事もあるわけで、すんなり行く話でもない。

もちろん我慢は必要だけれど、それを耐えた向こうに自分のゴールがある事以外は、我慢する必要はないと思う。稽古はきついけれど、それに我慢すれば体力がつき腕が上がる。木刀で殴られる事を我慢しても、その先にゴールはない。我慢とは、自分の我を通して行動してしまう事をたしなめているのであって、理不尽な事や人としておかしい人に耐えろとはいう意味ではないと思う。人は一人で生きる事は出来ないけれど、人と人との間で生きていく事もまた難しいのだなと思ったのは、たぶん昨日見たエヴァの影響だろう。

笑いもの

2007/09/05(Wed) Clip

橋下弁護士は「業界の笑いもの」なのか?

母子殺害事件の弁護士は、懲戒請求を行った人たちについて「橋下弁護士にそそのかされ、被害者的な面もある」として、現段階では提訴しない方針だという。ただ橋下弁護士の言動については、「業界内では笑い話になるくらいとんでもない話。しかもブログやテレビの主張もころころ変わって何を思っているのか分からないし、どういった反論が返ってくのか量りかねている」と述べている。

弁護士業界が世間から笑われていますよ。結局業界内のルールで動いていて、世間の基準とずれている事を見事に証明していると思うのだが。