Posts Tagged ‘犯罪’

警察があるから犯罪が起こる

2008/11/16(Sun) Society

警察があるから犯罪が起こるいう人はいない。
消防があるから火事が起こるという人はいない。
でも自衛隊があると戦争が起こるという人がたくさんいる。

「たかじんのそこまで言って委員会」11月16日放送分で志方俊之(防衛問題評論家 元陸上自衛官)が、差別をテーマに議論する際パネリストが感じている差別は何かという問いに対して、「自衛隊への差別」と答えた時の発言。統制された武力や兵器を持っている自衛隊と警察を同列に語るのはちょっと違和感はあるけれど、なるほどと思ったのも確か。

僕の年代は「理由なき犯罪世代」らしい。

2008/06/11(Wed) Society

【秋葉原通り魔事件】神戸事件やバス乗っ取りと同学年 – 産経新聞

加藤容疑者ら現在の25歳は、平成9年の神戸連続児童殺傷事件で逮捕された少年や12年の西鉄高速バス乗っ取り事件の少年と同学年。世紀末(2000年)を多感な17歳で迎え、同年にはバス乗っ取り以外にも同年代の凶悪犯罪が全国で相次いだ。動機の不可解さから「理由なき犯罪世代」と言われた。

秋葉原の事件の犯人が自分と同い年だなぁと気づき、そういえば酒鬼薔薇聖斗も同い年だったなぁと思っていましたが、バスジャックの犯人も同い年だったとは。他にも、「人を殺してみたかった」と言った愛知県豊川市で少年が主婦を刺殺した事件や土浦の通り魔事件の犯人も今25歳と、探したら探しただけ出てくるのでしょう。

バブルの始まり頃に生を受け、自意識を持ち始めた頃には早々にバブルが崩壊してて、自分で買い物をする頃には消費税がついていて、ソ連とか崩壊してたので教科書の中でしか共産主義なんて知らず、っていう感じでしょうか。

ちなみに1983年は、東京ディズニーランドが開業し、戸塚ヨットスクール事件で校長が逮捕され、任天堂がファミコンを発売し、三宅島が噴火し、ロッキード事件で田中角栄が有罪になり、映画 戦場のメリークリスマスや南極物語が上映された年。そして、元SPEEDの上原多香子、宇多田ヒカル、元モー娘。の矢口真里、松田龍平、水川あさみ、小倉優子、伊藤淳史が生まれた年だそうです。

どの世代にもたいていいろんなラベルがつけられていて、後付論するときには多少意味があるのでしょうが、宇多田ヒカルが通り魔になるわけではあるまいし、言われる方はあんまりいい気はしないもんですな。

判決の重さ

2008/04/22(Tue) Society

【死刑判決で本村さん(2)】「彼が納得しているか見極めたくて、背中を見つめていた」 – 産経新聞

死刑という問題は、この法治国家ができてから古くて新しい問題で、答えがないと思っていますが、人の命を最も大事なもの思っているから死刑という制度も残されてきたのだと思います。この判決を受けて、被告に対して刑罰が重いという人、適したものという人がいると思いますが、それを論じても意味がないと思います。死刑というものがあって、人の命をこの国がどう判断するかということを国民の皆さんが関心を持ったから、(この事件に)世論が集まったんだと思います。死刑に関してはいろんな議論があると思いますけど、死刑存続の方も廃止の方も、目的は安全な社会をつくることに変わりはないと思います。だから犯罪を減らせるかどうかということに、私は人々の力とか労力を傾注すべきではないかと思います。両手放しに死刑は必要だとか間違っていないとか言えないので、迷いながら悩みながらこの制度を維持してゆくべきではないかと思います。

【死刑判決で本村さん(3)】「弁護人の正義は黒を白やグレーに変えることではない」 – 産経新聞

−被告の更正の可能性はあると思うか

可能性は十分にあると思います。過ちを犯した人間が悔い改めて更正できないことはないと思います。ただそれと罪の重さは違うと思います。

この判決が出るまでの9年は、長いですよね。9年前と言ったら、僕は16歳。働き始める前で、中3か高1ぐらいじゃないかな。記者会見で報道陣の質問に即座に的確な受け答えをしている本村さんを見ると、普通の人では出来ないくらい考え込まれているのが伺える。

それほどの考えを至るにたどった9年という時間は、本来本村さんが生まれたばかりの子供と小学校の入園式に出たり奥さんと旅行に行ったりして過ごす時間であったことを考えると、それを奪った被告にとって重すぎるとはいえない判決であったのではないかと思う。でも、まだ続くんだよね。

死刑 – 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。

2008/01/19(Sat) *Pickup, Book

死刑 表紙
死刑
人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。
森達也 (著)

死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「何故、国民は死刑を支持せざるをえないのか」です。(光市母子殺害事件被害者 本村洋からの手紙)

今すぐ買った方がいい、と断言できる本。

danさんのブログで見つけて、お急ぎ便を躊躇なく選択して一瞬で買った。少し前のブログに書いた「自分の命をかけてまで子供の命を守ろうとした一人の人間が、同時に一人の人間に死んで欲しいと願うという事。」への解に出会えるのではないかという期待で。読み終わって思うのは、僕の一番好きな「赤朽葉家の伝説」は興味を持った人だけ読んでくれればいいと思うけれど、この本は興味のあるなしではなく、知らないといけない事だと思う。

ところで、僕は何故こんなテーマばかりに興味を持つのだろうか。mixiの新着日記に「死刑 – 人は人を殺せる…」なんて日記があがってしまうことをたまに申し訳なく思ったりもする。その理由の一つは、「ドラクエクリアしたよ!」という日記を上げる時より、こういう事について書く方が自分の頭をフル回転させないといけないという事。このブログを自分を知る為の鏡として使っている面もあるので、これは一つ大きな理由。そして、もう一つの理由は、本書が明確にしてくれた。

どちらも今のこの世界だ。僕らが暮らすこの世界と地続きに、煌びやかなテレビスタジオがあり、ホカホカと湯気を立てる山海の珍味があり、飢えと寒さで衰弱しながら死んでゆく子供たちがいて、そしてあの薄暗い処刑場がある。
その末端に、僕がいる。そしてあなたもいる。

僕は目を背けられない、見てしまったのだから。

死刑についての僕の考えは、過去にも書いたことがあります。

iwalog : 自分が生きるために。

確かにその通りだと思う。人には人の命を殺める権利などないと思う。そうだとするならば、汲み取るべき事情がある承諾殺人(人の承諾を得てその人を殺害する=介護疲れによる息子による親の殺害)など一部を除いて、人が人の命を殺めた場合、その人はその時点で人権を行使する権利がないのではないか。

ものを盗んだ場合、そのものか相当するお金でもって償う。そして、抑止の意味も含めて金銭以外の懲役などの罰をもって購わせる。はたして、自分たちが声高らかに主張するもっとも高貴な価値観である人権を侵害された場合、何をもってすれば償いになるのだろうか。それは、その人自身の人権ではないのだろうか。(もちろん、原因の究明は必ず必要という前提で。)

何もしていない人を死刑にするわけではなく、罪を犯した人を死刑にするのであるということ。これは本書を読んだ後だと、被害者の側面ばかりが報道されて、加害者遺族や死刑囚のその後を知るすべがなかったから故の発想だったと気づく。この考えは、本書の中で紹介される加害者遺族や死刑囚と刑務官のかかわりを読むことで、ある意味では変わるのだけれど、ある意味では変わらない。

また論理の面では、現行法を前提とする場合、現行法で死刑に値する人間を無期懲役などで処理した場合、多くはないとはいえ再び社会に出てくる事になる。現に酒鬼薔薇聖斗は社会復帰している。彼らは更正するかもしれない。でも更正しないかもしれない。更正しなかった場合のリスクをあなたは受け入れますかと言われたら、僕は受け入れたくない。これは本書の中でもオウム事件以降の過剰な厳罰主義・治安強化主義の結果もたらされた日本社会の傾向であると論じられている。

本書では、森達也は悩む。そして自ら悩みたがっているかのごとく、死刑廃止論の安田弁護士(光市母子殺害事件加害者側弁護士)、死刑判決が確定した元オウム真理教幹部の岡崎死刑囚、「モリのアサガオ」という死刑囚と刑務官を描いた漫画を書いている郷田マモラ、死刑確定後判決が覆って無期懲役となり出所した人物、犯罪被害者の側から取材をしているライター、存置から廃止に考えが変わった被害者、池田小学校事件の宅間守死刑囚(2004年9月14日死刑執行)の手紙、死刑があるからといって犯罪発生率が下がるわけではないというデータ(死刑が犯罪抑止力としては機能していないという趣旨)、冤罪の場合取り返しが付かないこと、冤罪は現在も続いていること、実際に執行する刑務官の苦悩、更正した死刑囚、更正しなかった死刑囚、更正など求めておらず被害者が生き返ることだけを求めている遺族、死刑囚とその家族の最後の別れなど様々なものに触れる。

そして、光市母子殺害事件遺族の本村洋とも手紙を交わし、本書の最後の方でその事件の加害少年とも接見し、結論を出す。結論も、その課程も、必読の価値がある。

僕の結論。読む前と変わらず、死刑は必要であるということと、被害者保護にもっと手厚くなるべきであると言うこと。でも読む前と変わったのは、その執行は慎重であるべきで、現行の死刑制度をもっと改良すべきであると思うようになったこと。

被害者感情を考えた時に、死刑という「選択肢」は必要であると思う。しかし、冤罪もあるし、死刑囚にも家族はいるし、更正する人もいる。でも、再犯のリスクもある。それらを考えると、社会制度としての死刑はやっぱり必要で、撤廃か存置かを議論するよりも、その運用の改善に目を向けた方が、幸せになる人の数が増えるのではないかと思う。

なぜ原因以外のものに発散するのか

2008/01/06(Sun) Clip

商店街で5人に切りつける 容疑の16歳少年逮捕 – 朝日新聞

5日午後3時25分ごろ、東京都品川区平塚2丁目の「戸越銀座商店街」で、「男が包丁を振り回している。けが人がいる」と通行人の男性から110番通報があった。女性2人が男に胸部を切られるなどして軽いけが。ほか男女3人が服を切られた。警視庁は、都内の私立高校2年生の少年(16)=品川区=を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。調べに対し「誰でもいいから皆殺しにしたかった」と供述。病院の精神科への通院歴があった。

「人間関係でトラブル」 逮捕の高2 – 朝日新聞

東京都品川区平塚の「戸越銀座商店街」で5日、男女5人が切りつけられた事件で、殺人未遂容疑で逮捕された都内の私立高校2年の男子生徒(16)=同区=が警視庁の調べに対し、「人間関係のトラブルで悩んでいた」と話していることがわかった。同庁は動機や事件に至る経緯を調べている。

年明け早々迷惑というか、大馬鹿者の話なのですが。「人間関係のトラブルで悩んでいた」という供述は無差別系の事件でよく出てくると思うのですが、それが主因かどうかは判断着かないけど、仮にいじめとかだと仮定して。なぜその発散が関係ない所に飛び火するのか。そして、関係ない所に発散してそれは解決されるのか。

おそらく、それそのもには立ち向かえないのかな。そこに立ち向かっても結局屈服されるだけで、発散できない。故にその矛先がそれ以外の、自分より弱い所に向く。そして、それをやっても解決しないのは目に見えているのに、それはもう自爆みたいな境地なのでしょうか。

こういう事件に遭遇してしまうリスク、こういう事件を起こす子の親になってしまうリスク。そしてこういう子が親になっていく数十年後。犯罪学について流し読みしていたら、刑法は犯罪が起きることを異常ではなく平常な事として捉えているのだとか。たぶん、こういう事件は尽きないんだろうな。

斎戒沐浴

2007/12/07(Fri) Clip

死刑、初の氏名公表 法務省、3人執行と発表 – 朝日新聞

法務省は7日、3人の死刑を執行した、と発表した。法相が執行命令書に署名しなくても執行が進む「死刑の自動化」を提案した鳩山法相の下での初めての執行となった。発表にあたり、同省は初めて、対象となった死刑囚の氏名と犯罪事実、執行場所を公表。「情報公開することで死刑制度に対する国民の理解を得られる」との狙いから、実施の事実だけを伝えて氏名などは一切公表しない従来の方針を転換した。

「斎戒沐浴してサイン」 死刑執行で鳩山法相 – 朝日新聞

鳩山法相は7日昼、衆院法務委員会で、委員からの質問に答える形で死刑を執行したことを明らかにした。そのうえで「国家権力によって人の命を絶つわけで、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して(執行命令書に)サインをさせていただいた。大きな心の痛みを感じるが、法に基づいて粛々と実行しなければいけないということで、逃げることのできない責務と思って執行させていただいた」と話した。

斎戒沐浴(さいかいもくよく)
神仏に祈ったり、神聖な仕事をする前に、飲食や行動を慎み、心身を清めてけがれを取り去ること。

こんな言葉あるのね。今までも執行状況って報道されていたけど、一応マスコミ調べという建前でしたが、公式に発表されることに。僕自身はこの刑自体は賛成なんですが、オフィシャルに執行が公表されるとどうなるのかと考えてみた。

再来年に裁判員制度(まだよく知らないけど)が始まって、普通の人が裁判に参加する事になると、大きい事件では裁判員が死刑(あるいは死刑回避)を求めることも出てくる。その人が死刑と判断し、その通りの判決になった場合、最終的にそれから数年後に死刑執行のニュースが流れる事によって、自分の判断によって人間を一人間接的(と言えるのかどうかは難しいけど)に殺した事が周知されるになる。あるいは死刑回避を主張したが死刑となった場合に、その人的には自分の判断に反して人が殺される事になる。

はたして、その精神的負荷に人は耐えられるのだろうか?理論的には死刑にすべきだと100%納得していても、そればかり考えていられる裁判官ではない市民にとっては、簡単に表現すると「結構しんどい」事だと思う。そうなると、判決が全体的に被告寄りになってしまう気がする。有罪無罪の判断が誤るケースもある程度出てくるだろうけれど、量刑が軽くなるケースは多々発生すると思う。(そもそも、裁判員制度自体が、死刑制度に反対する公明党主導で導入されてたりする。)

死刑制度というより裁判員制度寄りの話になってしまったけど、こればかりは国民性の影響も大きいから、他国の事例が応用できず運用してからのでたとこ勝負になりそう。まだあまり裁判員制度については議論されていないけれど、来年あたりになったら議論が活発になってきてこの辺も話題になるのだろうか。

刑法三九条は削除せよ! 是か非か

2007/06/25(Mon) Book

刑法三九条は削除せよ! 是か非か 表紙
刑法三九条は削除せよ! 是か非か
呉 智英 (著), 佐藤 幹夫 (著)

-そうすると被害者感情はどうするのか、
  という声が上がるかと思いますが、
   被害者感情のために刑法があるわけではありません。-

この本が面白いのは、タイトルの通り是と非の両論併記でその判断を読者に求めているところ。僕の思ったところとしては、否定派は冒頭に引用したように「刑法論」に傾倒しすぎる傾向があり、たしかに刑法論上でいくとないべきだと僕も思う。ただ、犯罪者への復讐権を被害者から国が奪ったのならば、それに相当する権利を被害者に与えるべきだ、という結論に。たぶん死刑廃止論でも同じ結論になるだろう。死刑を廃止すべきと言うなら、死刑と同じくらい被害者感情を考慮できる罪を与えよと。

東証

2007/03/12(Mon) Clip

東証・大証・名証、日興コーデの上場を維持 – 日経新聞

東京証券取引所は12日、不正会計問題に関して監理ポストに割り当てられていた日興コーディアルグループの株式について、上場維持を決め、13日に監理ポストの割り当てを解除すると発表した。上場廃止基準のひとつである「有価証券報告書などに虚偽記載を行い、かつ影響が重大だと取引所が認めるケース」に該当しないと確認したため。大阪証券取引所と名古屋証券取引所も同日、日興コーデ株の上場維持を発表した。

飲んでたジュース吹き出しそうになった。単に180億円の利益水増しをした日興コーディアルが上場維持で53億利益水増しをしたライブドアが上場廃止ってどうなのとかいう話ではなく、日本の中核証券会社に対する外資買収阻止という目的があるにしても、この判断によって日本市場の評価が大きく下がることや、市場の仲介者である証券会社の犯罪であることをふまえても、「赤字を黒字と偽る粉飾ではない」と白々しい事言ってやり過ごすつもりなのかいな?誰がこんな市場で取引をするんだろうか。ま、わかりやすい判断といえばわかりやすい判断なのですが、真の公正は理想論であるにしても、せめてそれを求めてやろうよー。自らを裁けないものには他人を裁くことは出来ないよ。

手紙

2006/12/24(Sun) Book

手紙 表紙
手紙
東野 圭吾 (著)

-君が兄さんのことを憎むかどうかは自由だよ。
  ただ我々のことを憎むのは筋違いだといっているだけだ。

 もう少し踏み込んだ言い方をすれば、
  我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。

 自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる。
  すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね。-

殺人を犯した兄と、殺人者の弟として暮らす兄弟の物語。刑務所から送られてくる手紙を軸に話は進む。引用した弟が勤める会社の社長の言葉に差別という物のカタチを再認識した。

ぐびなま。 ⇒ びぐまな。

2006/06/06(Tue) Clip

小西真奈美

ぐびなま。

これはもう犯罪的にかわいい。
個人的なランキングは「び⇒ぐ⇒ま⇒な」です。