Posts Tagged ‘経験’

年の瀬に。

2009/12/31(Thu) Diary

今年は、とにかく仕事のことばかり考えていた一年だったように思う。年明けに今の会社に入ってちょうど1年たって、会社から求められること、やりやすいこと、やりにくいこと、数名のスタッフの中での自分の立ち位置みたいなものが、1年かけてようやくつかめたという感じ。それはおそらく、会社も同じだったのではないかと、勝手に思う。

実感としては、思ったよりもハードだなという事。それは決してネガティブな意味ではなくて、同じ規模の会社なら福井で転職しようとは思わないし、今の会社を去るとしたら、会社からもう必要ないと言われるか、一人になりたいと思うか、またもっと大きな会社で働きたいと思うようになった時のような、違う働き方をしたいと思った時ぐらいではないかと思う。先のことは分かんないけれど。

常に頭にあるのは、今の会社でどう働いていこうかと言うこと。それは、自分が何が出来、何をしたくて、何が出来なくて、クライアントが何を求め、競合が何が出来、何が出来ないかを見極め、会社から求められる事にどう答えるかという事。それに加えて、最近は時流というか、今後社会や福井がどう変わっていくのか、ということも考えるようになった。

他のメンバーは福井で10年近く仕事をしている人たち。僕も仕事は10年近くやっているけれど、福井で仕事をするのは今年から。その人たちと並べられて同じスピードで、いや若いんだからその人たち以上に早く走れと言われるのは、なかなかハードな事。特に人生経験や人脈の面で。でもまぁ、そんな歳になったのかもしれない。でも、来年は、同年代の仲間ともっと出会えたり深くつながっていきたいと思う。

今年お世話になった皆様、ありがとうございました。
来年が、今年よりもいい年でありますように。

WCAF Seminar Vol.2 開催します。

2009/09/14(Mon) Diary

前回、再起動ということで久しぶりに開催したWCAF(Web Creators Association Fukui)の第2回目のイベントを開催します。

WCAFとは、福井でウエブ制作に携わっている人はもちろん、企業でウェブに関する仕事を担当している方で集まって、勉強会や交流をやっていきましょうという集まりです。いろいろありましていわごろが代表をさせてもらっています。

お知らせが遅くなってしまい、今週土曜日と急ですが、セッション内容に興味のある方は是非ご参加くださいー。

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◎WCAF Seminar Vol.2 開催します!!
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WCAFメンバーの皆さんこんにちは。
WCAF代表/真空ラボの岩崎です。

前回の「WCAF 再起動イベント」では、
定員を超えるほどたくさんの方にご参加をいただき、
なんとか再起動のスタートが出来ました。
ありがとうございました。

と、ここで終わってしまわないように、
来月2回目のセミナーを開催します。

今回は、コンテンツ側・制作側それぞれの視点のセッションを行います。

コンテンツ側は、カウベル・コーポレーションの森川 徹志さんによる、
「デザイナーが知っておきたい ライティング 三つの勘どころ」。

制作側は、Conundrumの福嶋 義之さんによる、
「取引先から学んだサイト制作・運用TIPS」。

森川さんからは、広告でも雑誌でもないウェブという媒体において、
どういった文章が利用者の心をつかむのか。
福嶋さんからは、サーバサイドやMTなど技術的な事も含め、
制作者なら一度は経験があるような制作・運用のヒントが、
それぞれ聞けると思います。

詳細は、下記のような感じです。

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◎WCAF Seminar Vol.2のご案内
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日 時:2009年9月19日(土) 13:30開始〜16:00終了(交流会込)
場 所:AOSSA 601B研修室
内 容:
・ごあいさつ(5分)

・「デザイナーが知っておきたい ライティング 三つの勘どころ」(30分)
カウベル・コーポレーション
エディター 森川 徹志

・「取引先から学んだサイト制作・運用TIPS」(30分)
Conundrum
福嶋 義之

・交流会(60分)
交流会セミナーと同じ部屋で、
ノンアルコールでお菓子をつまみながら情報交換など。

参加費:500円(場所代とおかし代)

定 員:30名

申 込:予約フォームからお申し込み下さい。

仕事するのにオフィスはいらない

2009/08/15(Sat) Book

仕事するのにオフィスはいらない 表紙
仕事するのにオフィスはいらない
佐々木俊尚 (著)

「オフィスがない」「フリーランス」「契約で仕事をする」と聞くと、そういうイメージでとらえられてしまうのは否めません。しかし本書で明らかにしようとしているノマドの生活はそのような「弱者」としてではなく、あくまでも個人としての矜持を保ち、そして自宅やカフェや外出先などでテレワーク的な仕事をこなす独立独歩な人たちを指して、ノマドと呼んでいるのです。能動的に行動し、何のために仕事をしているかという価値観をしっかりと持って、新たなワークスタイルを実践している人たちが、ノマドなのです。

東京から福井に帰って仕事をし始めてもうすぐで1年になるけれども、なんとなく感じていた福井で仕事をする感覚というものが具体的にまとまってきた。東京の会社と福井の会社での一番の違いは、仕事の幅が福井では多くならざるを得ないという事ではないかと思う。僕が経験した会社は数社しかないので以下それが前提になりますが。

東京の大きめの会社だと、会社自体はいろんな事業をやっていたとしても、プレーヤーであれば一つの事業や一つの業務を担当しそれに責任を持つわけで、ポジティブに見れば専門性を磨きやすく、ネガティブに見れば歯車となりやすい。僕が福井に帰ってきて良かったことの一つが、大変ではあるけれど一人で広い範囲を見れる事。

ただ福井だと当然市場や金額が小さいので、一つの事業を同時にたくさん行うか、専門以外の事もやるパターンが多い。専門以外の事というのも二つあり、一つのテーマに集約される(サイト構築でディレクションもコーディングもする)のならまだしも、いわゆるなんでも屋(ネットやってるならPC詳しそうだからプリンターの設定もやってよ)になりがちである。特にネット・IT分野は。この二つは「幅が広い」と同じように定義できるかもしれないけれど、実際の所かなり違う。いくらプリンターの設定がうまくなってもウェブ構築にはまったくプラスにならない。クライアントとのコミュニケーションという意味では否定しないけれども、実際の所それでは収まらないものがある。

そんなわけで、フリーランスになる事は考えていないけれども、会社の中にいながらノマド的な働き方って出来ないだろうかという視点でこの本を読んだ。とはいえ、最初から福井でそれは難しいだろうなと思っていた。自分自身、ディレクターという立場でデザイナーが隣にいて一緒に作業できる「場」を共有することが仕事のしやすさという意味でも制作物のクオリティという意味でもプラスになっている事を実感しているから。

デジタルツールやクラウドを使ってのコミュニケーションと言っても、発信する側だけではなく受け取る側にもそれなりのリテラシーが必要になるので、そう簡単にはできない。それに、社内からもクライアントからも、同じ「場」を共有することをストレートに求められるし、その有用性は僕も感じているので、本書を読んでも、福井という場とディレクターという僕の職業上、可能なのかどうかはいまいちまとまらなかった。

ただ、最近今のままのスタイルで仕事をしていくのはしんどいなぁと思う機会が増えてきている。地元に帰って知り合いとの交流が(これでも)前に比べれば増え始めていたり、地方だからといってクライアントが求めるレベルが下がるわけではなくより具体的で効率のよい対応を求められる。絶対的に東京の時より仕事に割く時間が増えているし、時間があるときも気持ちの余裕が減っていて、結果的に新しい事を学んだり知識を深めたりする時間が減ってしまっている。

仕事のやり方を変えないとなんだか持たない気がしているけれど、ノマドは本人の変化よりも周りがノマドを受け入れる事の方が労力が大きいように感じるので、その変化が直近で起きるとも思えない。それに、場を共有することのメリットを僕自身が実感しているというのもある。が、近視眼的な事を続けても僕も周りも誰も得しないのでなんとかしたいのだけれど、どうしたものか、という堂々巡り。

政権力

2009/08/15(Sat) Book

政権力 表紙
政権力
三宅 久之 (著)

この「政権力」という「永田町の見えない鍵」を可視化することによって、日本の有権者のみなさんが保有する、何人たりとも侵すことの出来ない権利である選挙権を100%余すことなく行使して、少しでも、この国の将来に光明を見出すことができれば、と願っております。

歴代の長期政権や短命政権のエピソードを交えながら、現在の与野党の現状と比較し、国家を仕切る政権に必要なものを政権力というキーワードで解説している。実際政権を取った時間が長い故に、必然的に自民党についての話題が多くなるが、自民党の歩みと絡む形で他の政党についても話が及び戦後政治を流し読みすることも出来る。

僕は2005年の小泉首相の衆院選(郵政解散)、2007年の安倍首相の参院選(美しい国解散?)ではそれぞれ完敗した方の政党に投票していて、どうも民意とずれているぽい。今回も結果的に劣勢が伝えられる方の政党に投票しようとしているので、過去の経験で行くとたぶん自民党は負けてしまうのだろう(謎。

1年前は、「次の衆議院選挙で一回民主党に政権を担当させて失敗してもらって、自民党には権力を失うという苦渋を味わってもらって、2010年の参議院選挙、その次の衆議院選挙と徐々に政権に復帰してもらい、過去の反省をふまえた政権をやってもらう(福田さんに首相の資格が無いと言う前に、国民に有権者の資格がない。)」と民主党でいいじゃないかと書いていたんだけれど、最近どうも民主党はおかしい。

西松建設からの献金も個人(故人)献金も自民党の陰謀だ的な事を言う人もいるけれど、たとえそうだとしても民主党の政策をやったら日本が財政的にも国防的にも国民生活的にも壊れてしまうようにしか見えない。自民党が政権に復帰した時既に遅しという状況になってしまっている気がする。ちなみに幸福実現党。政治より宗教で国を統一することが統治者にとって効率的に見えるのは分かる気がするけれども、理想論で急性過ぎる。時流が宗教にとって追い風と感じたのかもしれないけれど、そんなにうまくいかんって。

look forward

2009/05/17(Sun) Diary

今週東京出張の時に、福井信蔵さんとお会いすることが出来た。古くはWDMLで初めて知って、その後bAを設立され、今はShinzo Graphica & Associatesとして独立されている。僕がDP2を買おうと思ったサイトの写真も信蔵さんが撮ってた。

二人で飲んだときの会話の内容はなんともブログでは書きにくいことが多いのだけれど、そこから感じた事を少し。結局の所、自分がやっている仕事を信じて、コミットして、どれだけリスクを背負って本気でやれるのかということだという結論に。場数を踏んで、他の人の仕事もたくさん見て、どれだけ試行錯誤を続けられるか。

信蔵さんは東京で、僕は今福井で、環境や条件は当然いろいろと違うのだけれど、一つのクライアントにリスクを負ってコミットしていくという所など福井の方がやりやすいのではないかと感じる事もあった。逆に場数は東京に比べて圧倒的に少ないのだけれど、それはやり方次第だろうと思う。

いろいろ教わってばかりで何かをお返しできたかは全然自信がないけれど、たくさん刺激をもらった、なんて締めくくりにはせず、今回初めて知ったことや、新たに浮かんだ疑問、クリアになった自分の足りないところとかを、日々の仕事とこれからの長い人生の中にきちんと反映していく事でお返しできたらなと思う。ありがとうございました。

shinzlog – Clips: look forward

そういう意味で、健全な上昇志向をもっている人には、僕が知っていることや、経験してきたことを、教えたり話すことを、これからも続けていくと思います。そして、それによって知らないことを逆に教えられる、という自分の学習を続けたいと思います。でも、僕は自分が学ぶので精一杯です。僕には、健全ではない上昇志向を基に、デザインを利用しつつデザインの力を馬鹿にするような意識の人に「そうではないんだ」という事を説いていくほどの余裕はありません。それよりも、「もっと良いものを。もっと先へ。もっと役にたつものを。」と思っている人たちと、デザインというものを考えて行く時間を大切にしたいと思います。よろしくお願いします。

26歳。

2009/03/16(Mon) Diary

26歳になりました。毎年誕生日にはブログを書いてると思ってたんですが、23歳を最後にここ2年ほどは書いてなかったみたいです。でもまぁ、最近ブログあんまり書いてないので、考えている事を整理がてら残しておくことにします。たぶん散漫でまとまりがない文章になると思いますが。

今の自分の頭の中で漠然と思っているのは、福井で暮らしながら、福井のクライアントと生活者のために、チームとしてはコミュニケーション、いわごろ個人としてはインフォメーションアーキテクチャを軸に、顔の見える個人に向けて一つ一つ丁寧に仕事をしていきたいなぁということです。これまでこのブログに書いてきたいくつかの目標の中から、こぼれ落ちている物(ex.技術)もあれば変わらずに持ち続けている物(ex.ウェブ)もあり、いろいろ形を変えながらではありますが、今に至ります。

なんとなくではありますが、思い通りになる事よりも、思い通りにならない事の方が最近増えてきたように思います。そのおかげかどうかは分かりませんが、以前に比べるとだいぶん寛容になったと思いますし、どうせいろいろこぼれ落ちてしまうのだからと自分の考えや想い自体は以前にも増して刺々しくなっているようにも思います。

また、自分を壊そう壊そうと意識的に動いていたりもします。今までの自分が作りそうな物をいったん否定してから物を考えていくようにしたり、新しい分野になるべく顔をつっこんでいろいろなことを覚えたり、これまで得たことを学び直したりということも意識的にやっています。若干散漫な感じもしていて、フォーカスがゆるんでいるという風にも思っていたりはしますが、仕事でもスケジュールやクオリティを守れる範囲であえてカオスにカオスになるようにしています。今後のためには、無駄なことではないだろうと思って。

僕が仕事をし始めたときの初めての上司というか、先輩的な人と僕が初めて会ったとき僕は17歳でその人は26歳くらいだったように思います。1・2歳間違ってるかも知れませんが、まあその人はそのぐらいの年でした。その人みたいになろう、なんて事は今は思っていませんが、これまで仕事をしてきた中で、26歳になったときに、26歳の時のその人を超えられているだろうか、みたいなものが心のどこかにずっとありました。

超えるも何も時代や社会の環境も違うし、何をもって超えたとするのかという明確な基準があるわけでもないです。そしてその人はそのときから8年くらい経ってまたどんどん先を走っていっているので、永遠に追いつくことはないでしょうし、距離が縮まっているのか、差が開いていっているのか、それさえもよく分かりません。

ただ、けして縛られているという意味ではなく、これからもずっとどこかでその人の影を追いかけていくような気がしています。向こうにしたらはた迷惑な話かも知れませんが、個人的にはその人のような羅針盤的な人と出会えたことはとても幸せなことだと思うし、僕が言う話ではないと思いますが、東京でどんどん先を走っていって欲しいと勝手に思ったりしています。僕もその背中を追いかけて、若干向かう方向は違うのかも知れませんが、福井で走っていきたいと思っています。ちっぽけではありますがこれまで蓄えてきたスキルと経験と17歳の時の初心を両方忘れずに、明日もまずは目の前のことをきちんと形にしていきたいと思います。不束者ですが、26歳になったいわごろを宜しくお願いします。

戦争を起こさないために

2008/11/30(Sun) Society

今日のそこまで言って委員会は国会招致以来初のテレビ出演となる田母神氏(航空自衛隊前航空幕僚長)に加え、松島悠佐氏(陸上自衛隊元中部方面総監・阪神淡路大震災時の最高指揮官)、川村純彦氏(海上自衛隊元海将補)と陸海空の方々が揃って、90分全て使っての国防スペシャルでかなりおもしろかった。

議論は必然的に自衛隊の存在意義に進んでいくんだけれど、右派と左派(あまりこの言葉は好きではないですが)が「戦争を起こさないために」という共通の理念の元全く異なる主張を展開する。田母神氏など自衛隊経験者や右派は、抑止力としての軍隊を持つ事での相互抑止による実現を主張し、原和美氏(新社会党副委員長・次期衆院選出馬予定)を中心とする左派は「話し合い」による主張をし、まったくかみ合わなくなる。

原氏を含め左派の主張はどうも弱く完全に思考停止している。「なぜ『他国が攻めてきたら』という仮定の話をするのか。その前にそうならないための話し合いが重要。」という一点突破で理論を展開する。たしかにそれは理想だけれど、現実的には話の通じない隣国があるし、そこまで広げなくても左派と右派でさえ話が通じていないという現実の状況を理解していない。

よく使われる理論かもしれないけれど、原氏は自分の家に鍵をかけずに外出できるのだろうか。全ての人間が顔見知りの小さな村なら可能かもしれないけれど、国や世界というレベルではそれは不可能。そのために対国内用に警察があり、対国外用には軍隊がある。一個人としてみれば原氏は気のいい人なのだけれど、こういう人は国会議員になってはいけない。他人の命を預かる立場になってはいけない。

また、左派は「過去の反省」や「再び軍国主義になってしまう」という主張をよくする。たしかに過去は軍国主義だったと思うけれど、現在は間違いなく軍国主義ではないし、過去はほぼ全ての国が軍国主義だった。という話をすると「他人がやるなら自分もやっていいのか。悪いことは悪い。」という話が帰ってくるのだけれど、それは時代性を考慮する必要があって、悪かったからそれの反省を踏まえてシビリアンコントロールを働かせている現代がある。現に田母神氏は政治によってきちんと更迭されている。

個人的には、宮崎哲弥氏も言っていたけれど、憲法9条を改正して「自衛のための戦力を保持すること」、「戦力は他国への侵略や脅威の破壊には使用しないこと」、「核の保持と使用を「放棄しない」こと」を明記する方が、最高の案ではないけれども、一番現実に即した案だという考えに至る。

過去の反省を踏まえて、未熟だった「軍国主義」が今は少しましな「民主主義(相互抑止)」になったように、今後理想の「話し合い主義(完全武力放棄)」というような世界に移行できるのかもしれないという希望は確かに持っている。でも、「民主主義」というルールの世界で一人だけ「話し合い主義」のルールで動いていると、世界が「話し合い主義」に移行するまでの間に日本は消えてしまう。

引用祭り

2008/11/27(Thu) Clip

過去の自分のdeliciousより。古いのもあるのでいくつかリンク先が無くなっていたりしますが、まあ。

朱雀門 著:山岸凉子

自分が100パーセント許されることを期待しながら、相手を1パーセントも許さない人間だったのよ。そういう人間が他人を愛せると思う?

altba | shinzo | shinzlog | look forward | entry archive (October 31, 2003)

そういう意味で、健全な上昇志向をもっている人には、僕が知っていることや、経験してきたことを、教えたり話すことを、これからも続けていくと思います。そして、それによって知らないことを逆に教えられる、という自分の学習を続けたいと思います。でも、僕は自分が学ぶので精一杯です。僕には、健全ではない上昇志向を基に、デザインを利用しつつデザインの力を馬鹿にするような意識の人に「そうではないんだ」という事を説いていくほどの余裕はありません。それよりも、「もっと良いものを。もっと先へ。もっと役にたつものを。」と思っている人たちと、デザインというものを考えて行く時間を大切にしたいと思います。よろしくお願いします。

助け舟|渋谷ではたらく社長の下ではたらく社長のアメブロ

素直さや謙虚さが足りないと、単に怒られていると思ったり、逆切れしたりして、助け舟をみすみす逃してしまうのです。

切込隊長BLOG(ブログ) – 「自分は要らない存在じゃないか」と悩んだ人と考えるトピック

その多様性こそが存在の証であって、一人の人間が、たとえ自分の存在に疑いを持ったとしても、そこに在る限り理由なく人は継続されるのである。

「おろかもの」の正義論 – drillhanz

事実の記述が非難として感じられるなら、非難しているのはわたしではなくあなたの良心だ。

風の帰る場所–ナウシカから千尋までの軌跡 著:宮崎駿

ただ、生き物っていうのは動態だからね。動いてる。静的な存在じゃないから。だから、同じ人間でもね、ものすごく愚劣な瞬間があったり、それからなんかやたらに高揚してね、あるいは実に思いやりに満ちたり、そういうふうに揺れ動いてるものなんですよ。

日本の不都合を追いかける – 深町秋生の新人日記

この世でもっとも罪深い行為は殺生でも姦淫でもないと私は思う。たぶん最悪の罪は無知でいることだろう。さらに自分が無知であるのをいいことに偏狭な正義をふりかざすやつが一番始末におえない。しかしこれは私自身も偉そうなことはとても言えそうにない。私も常に恥ずかしくなるくらいに無知だからだ。

「世界観、ビジョン、仕事、挑戦—-個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) – My Life Between Silicon Valley and Japan

僕が言いたいのは、「やりたくないことをやるな」ということでなくて、「意味のないことをやる」ということに対して、緊張感をもって生きる、そういう姿勢を持つべきだ、ということです。

404 Blog Not Found:義務教育は押しつけでもいいのではないか

社会があなたの個性を受け入れるとは限らない。闘争するにしても逃走するにしても折り合いの付け方は身につけといた方がいいよ。

昔話禁止令。|Tokyo Ochimasato Land

「今、僕が立っている世界は、ごみ箱の中さえ、子供の頃から憧れていたブラウン管の向こうにあるモノじゃないか」

こぼれる

2008/11/09(Sun) Book

こぼれる 表紙
こぼれる
酒井 若菜 (著)

ルービックキューブは、一、二面を揃えるくらいは簡単だ。大介は、自分の面を揃えることだけに夢中だった。他の面は、雫といる時は雫の色だけを揃えようとして、千尋といるときは千尋の色だけを揃えようとした。

どちらか一方の面に夢中になっている間、残された一方の面がぐちゃぐちゃになっている事に気がつかなかった。あげく、一面も揃えられなかった。そして、大介のルービックキューブは完全に壊れた。

女優、酒井若菜の処女小説。「実体験を元にした不倫小説」という扱いをされたみたいですが、特にそういう先入観なく読んだ。それまでも酒井若菜はまあ好きな方で、ブログを読んでいるとその言葉遣いや表現が面白いので、きっとこの子ならいい小説を書くだろう、という期待は少しあった。結果、自分のベスト3に入るくらい好きな小説になった。

正直言って書き方は下手だし、物語の展開もありきたり。ありきたりというか、初めて小説を書くとそうなっちゃうよね、という書き方。僕が一度小説を書いたときに迷った事と同じような所に迷いが感じられるし、いくぶん唐突な展開もああそうしちゃうよねぇ、と可愛く読んだ。

それでもこの小説がベスト3に入るのは、妻子ある夫と不倫している女性にしか感じられない心境だったり、好きな女の子に気持ちを伝える方法が分からない男の子だったり、その男の子が好きな別の女の子の長い長い思いの積み重ねだったり、そういう一人ひとりのキャラクターの心理描写がとてもリアルで美しく、また共感できるものだったから。

自分の勝手な印象だけれど、小説を書くときというのは、取材やインタビューを元にゼロから物語を作り上げていく人と、自分の中の経験や感情をはぎ取るように文字に落としてして物語を作り上げていく人の二つのパターンがあるように思う。そして、初めて書く小説は後者が多いように思う。もし酒井若菜が後者だったら、とってもいい経験をしてきたんだろうなぁと、勝手に思う。下手な小説家の物語よりも、よほど心を揺さぶられた。

あまりにも無責任な最後の多事争論

2008/11/08(Sat) Society

まだ自分の中でも迷っていて確信はないのだけれど、とりあえず書く。筑紫哲也氏が逝った。NEWS23で放送された最後の多事争論のテーマは「この国のガン」だった。(WEB多事争論から閲覧できる)「政治とは世代の間でパイを奪い合うものだが、今この国はガンに陥っている。ガン細胞が出来ると本来使うべき栄養素をガンが使い果たしてしまい栄養素が体全体に回らなくなるように、日本という国のガン細胞がパイを全て食い尽くしてしまい、どの世代にも配分されていない。そういう問題ははっきりしているが、敵は大きい。」と。

それだけだ。それだけ言って逝ってしまったのだ。少し前の爆問学問の姜尚中の回で、爆笑問題の太田光が「現在の50才や60才、70才の人たちはこの国の仕組みを作ったが、いまそれがボロボロになっている。70才近い人は戦争も経験している。だが、それを一切解決していない。甘い汁だけ吸って、死んでしまう。それはあまりにも無責任ではないか。」と言っていた。僕は自分たちの世界は自分たちの世代でやっていくべきだと思っていたので、ちょっと新鮮だったけれど、半信半疑で聞いていた。

でも、今日のNEWS23では、筑紫氏がいかに文化人で、テレビというメディアを楽しみ、そして死んでいったかということを各界の人たちのコメントを積み上げながら、そういう筑紫哲也像を作り上げていった。そして、最初に書いた最後の多事争論の主張。「僕の出来る事は、こんな所です。後は頼みます。」とでも言わんばかりに死んでいった。

ガンなのは分かってる。でもそれを造り出したのはお前達じゃないのかと、自分の実感として思った。太田も言っていたが、なぜ他国の軍が駐留して自分たちの国を守っているのか、なぜ首相が靖国に行くか行かないかであれだけもめて他国に好き勝手言わせているのか、なにも解決していない。自分たちが生み出した問題なのに。なぜこれだけ不安定で孤立した社会の中で僕たちは生きていかなければならないのか。それはやはり、あまりにも無責任すぎるのではないかと、今は思う。まあ、彼らが責任を認めたところでどうせ数十年でこの世からいなくなるので、ガン細胞を取り除かないと行けないのが僕らである事には変わらないので、むなしくはあるのだが。