今週末、福井に帰ります。
12日(土)夕方福井について、15日(火)夜に東京に戻る予定でいます。
お時間ある方は声かけてくださいー。メシでも。
-日に三度 身をかへりみし いにしへの
人のこころに ならひてしがな-
あけましておめでとうございます。
今年で三回目になり、自分的にはこれがないと新年を迎えた気がしなくなってきた明治新宮に参拝。途中の渋谷駅でスクランブル交差点が見えたけど、ほとんど人がいなくて、みんなきちんと横断歩道を渡ってる。でも福井の大名町交差点よりは断然多いというこの日本の極端さ。
毎年夕方ぐらいに行っていて、拝殿まで2時間ぐらいかかってたんだけど、今回午後一に行ったら1時間ちょいで着いた。今年も神楽殿にあがり、後厄のお祓いをしてもらう。今年はなんだか式次が短くなっていたように思う。自分の名前を読み上げてもらい、舞を見て、ようやく新しい年が始まったという気持ちに切り替わる。
冒頭は、今年引いたおみくじ(明治神宮のおみくじには大吉中吉とかがない)。人はうぬぼれがちであるが故に、「人のために忠実か」、「友と交わって信実か」、「修養を怠っていないか」と毎日三度我が身を反省する事。という意味。
年々年が過ぎるのが早く感じてきました。今年は25才になります。あと何年東京で過ごすのかは分かりませんが、最後にやり尽くしたと充実して福井に帰れるよう、おみくじの言葉を忘れず、後悔のないよう過ごしていきたいと思います。
不束者ではありますが、今年一年も皆様宜しくお願いいたします。
28日に仕事納め。終わった瞬間、どっと力が抜けて、28日の夜と29日は爆睡。29日になってあわてて大掃除を始めるも、今年はちょこちょこ綺麗にしていたので、ゴミをまとめて掃除機とクイックルワイパーをかけるだけで完了。その後PCのデータ整理とバックアップとか、本の整理とか、ついつい時間がかかって今も続行中。あと、ブログのリニューアルもちょこちょこと。
年の瀬に、という事ですが、今年の事についてはもういろいろ書いてきたので、今更特にまとめて書く事もないなぁという感じ。心境だけ記録しておくと、早く追われ早く追われと思いながらやってきてなんとか滑り込みで年末まで持った感じ。今年ほど疲れだけが溜まった年もそうはなかった。
とはいえいつまでもこのままではいられないので、そういうのは今年で終わりにして、来年どうするかを考える日々。仕事の事、家族の事、自分の事。年始に後厄のお払いに行ってからゆっくり考えようと思いますが、安定した土台をつくれるような年にしたいなとぼやっと思っています。
今年もいろいろな人にお世話になりました。東京の人、今年いろいろつながりが増えた福井の人、逆にあまりあえなかった新潟の人。ありがとうございました。自分の中ではこの3つがキーになっているように思います。それから、このブログを読んでくれた人、ありがとうございました。来年は25才。来年の年末は、どんな記事を書いているのでしょうか。よりよい一年に、なっていますように。それでは、皆様良いお年を。
10代の頃に、「若いうちから働いていると、25才くらいで行き詰まるから気をつけなよ」と誰かに言われた。今24才、仕事を始めて8年目で、本当にそうなってしまった。仕事にいまいち打ち込めていなかったり、今年はいろいろあったから、余計な事を考えているだけかもしれませんが。
最近、いまいちネットに興味が持てなくなってきた。以前ほどネットサーフしなくなったし、RSSもどんどん減ってるし、新しいサービスをみてもふーんという感じ、というのが一つ。いままでいろんな仕事をやってきたけど、デザインやプログラミングやディレクションといった、きちんと形になって身につけたスキルがないなというのが一つ。
今後福井に帰りたいという思いはあるけれど、今までやってきたことが福井で活かせるような道筋を描いているわけでもない。逆に、福井に帰ったらこれをやりたいから、今東京でこれをやっているというわけでもない。なんだろう、足場がふらついていて、とても不安定な感じがする。
「1ヶ月くらい海外旅行でも行ってきたら?」とか「なるようになるんじゃない?」とか「ぜんぜん違う事をやってみたら?」とも言われる。仕事が面白くなれば、全て解決するような気もする。それどころか、一晩寝れば忘れてしまうような気もする。えらそうな言い方ですが、30才・40才と年を重ねていったときに、まわりの状況がだんだん変化していく事が少しだけ見えてきたけど、その時の自分の姿が見えないから、少しだけ不安になっているのかもしれません。とりあえず今は答えが見えません。あーなにやってんだろー。
なぜか夜中何度も目が覚めて、浅い眠りのまま朝が来てしまった火曜日。異様に胃が痛いなぁと思いながら起きると、父方の曾祖母の意識がなくなったとの連絡。曾祖母はもう100才を超えているので、実は毎年夏の終わり頃になるともうだめかもしれないという連絡が何回も来ていて、今回も気軽に考えていたら本当に逝ってしまった。享年105才の大往生。
会社に行って昼から帰らせてもらうお願いをして、夏に母方の祖父が亡くなり、この前会社がなくなり、今回は曾祖母が亡くなりと、本当に厄年ってあるんだなと思いながら新幹線で福井へ(もう今回ので打ち止めにしてほしい。。。)。夜家に着くと、近所の人とか親戚の人が集まってる。前回と違い父方の親族なので、これまたむこうはみんな僕の事を知っているけれど僕はその人を覚えていない親戚のオンパレード。そういえば家についてすぐに犬の散歩に行ってこいと母に言われた。まだお焼香もしてないのにさ。
前回は通夜からしか参加しなかったけど、今回はその前から見る事になった。誰が通夜に来て誰が泊まって誰が葬式まで出て引き出物の数は何個で、焼香に呼ぶ名前は誰を先にして誰を後にして、あーあの人が抜けてるという終わりのない話し合い。その最中にも新聞社からお悔やみ欄の確認の電話が来たり、次から次へと親戚が来たり。。。(80歳代のおばあちゃんに曾祖母の娘だって言われるんだから、もうわけがわからん。)いろいろ終わって寝たのが朝の4時。そして今日が通夜。
祖父で「死」というものに一度触れているし、今回は年齢が年齢で覚悟も出来ていたし、僕自身の気持ちもいたって穏やか。まあこうやって曾祖母が寝ている隣でブログ書いてるくらいですからね。(最近の式場は無線LANが完備されているのですよ。)さっき通夜が終わったので、明日葬儀をして、火葬をして、最後まで見届けてから東京に帰ります。
グループ会社間異動をして、今日から新天地。福井のシステム会社、今の東京の親会社、前の子会社、今の子会社とグループ会社とは言え4社目。新しい所では、その会社の空気に慣れて、人の名前を覚えて、仕事内容を覚えて、となにかと気を遣う。初めて出たミーティングでもみんなが何を言っているのかほとんどわからないけれど、それを一所懸命聞いているとそれもまた疲れる。
気のせいか、環境が変わった時の対応に必要な労力が年々増えてきている気がする。年を取ったのか、自分の仕事の形が出来てきたので新しい所に合わせる必要が出てきたのか。とはいえ、同じグループの人たちは僕にはないものをいろいろ持っていそうなので、何かと勉強になりそう。
しかし、仕事がまだ何もないので、自社のサービスを使ってみたり、資料を眺めてみたりしてる程度。けっこう静かな会社でみんな黙々と仕事をしていて、フロアの真ん中くらいの席なのであんまり堂々とmixiを見るわけにもいかず。この先は本当にどうなるか分かりませんが、東京では最後の会社だという気持ちで、後悔のないようにやりきりたいと思います。
行ってきました神宮球場。球場で野球を見るのは3回目で、1回目は小学生の頃福井で中日×ヤクルト戦、2回目は中学生の頃旅行できた東京の神宮でたぶん広島×ヤクルト戦。そして3回目の今日は神宮で阪神×ヤクルト戦。過去三回全てに、古田がいました。というか、古田を見に行っていたのですが。
知ってる選手は、古田、石井一久、真中、ラミレス、宮本ぐらい。先発投手発表で石井一がアナウンスされた時は知ってる選手でラッキーと思ったけれど、あれよあれよというまに阪神を押さえきって7年ぶりの完投までみれるとは思ってなかった。てっきり途中でこけるものかと。。。
球場はやっぱりヤジがおもしろい。阪神ファンは初めてだったけど、正直これほどのものとは。空振りすればバカヤローと罵声を浴びせ、次の打球でヒットを打てば全て忘れて大歓声。変わり身の早さとノリの良さはちょっと恐怖を感じるほど。僕の席はヤクルト側なのになぜかまわりの席が全員阪神ファンで、おびえながらヤクルトを応援していました。
六回の阪神の攻撃で一死二、三塁となった時が一番盛り上がった。てっきり石井が撃たれてしまうと思っていたけれど、ポンポンなげてなんとか押さえきった。ふとスコアボードを見ると青木とラミレスの打率が3割5分近くて、これってかなり上位なのではと思ったらやっぱりセリーグの打率1位と2位だった。古田監督にしてみれば、課題は守りだったのでしょうか。
3時間の試合は打撃戦ではなかったのでちょっと長く感じたけれど、神宮が渋谷からこんなに近かったのなら古田が選手の時にもっと行っていればと少しだけ後悔。でも必ずまた監督をやると思うから、その時にはまた見に行きたいな。
プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。
これは新庄の言葉ですが、ホントにそうだと思った。
原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。
ちょっと長い文章ですが、時間を割いて読む価値はあるかと。僕自身は、原発は危険な物だと思うけど、人間が自重するか、それが出来ない場合で尚かつ代替策がないなら「しょうがない」と消去法的に肯定している。人間が未来永劫自重することはあり得ないと思っているので。代替えも、あるのでしょうか?そこは僕はあまり知識がありません。
原発は、どう考えても危険。安全だというなら、東京電力の社長室の隣に、文部科学省の隣に、国会の隣に原発を造ってそれを証明することができるだろうか?彼らは絶対に造る事ができない。そして福井や福島、新潟に造る。(国会の隣に作れば、首都機能移転問題は簡単に解決しそう。)
彼らは、地域振興になっているという。電源立地地域対策交付金や、関連産業・雇用などで、地域が潤っているという。潤っていると言えば聞こえがいいけれど、昨年度の福井県の県税収入1,041億のうち13%の137億が原発関連で、敦賀市職員の人件費53億のうち13%の7億が前述の電源立地地域対策交付金でまかなわれていて、振興の域を超えた、もう亡くす事が出来ない麻薬のようになっているのではないだろうか。(もちろん福井も悪い)。
何がうれしくて、中越地震の時、柏崎は地元が停電しているのに、地元の原発で東京に電気を送ったのだろうか。福井で生まれて、東京で働いていると、なんとも複雑。原発は、現代の人柱なのだろうか。なんだか共食いをしているような心境に陥る。
必要があって今ある。それは確かに自分が生まれる前から自分の知らないうちに造られたものかもしれません。でも当時それらを動かし始めた人たちは少なからず未来の為に、恐らくは当時子供であり、今は大人になった我々の生きる時代の為にと思って原子力発電を始めた部分もあると、私は思います。
そして、現在、実際にそれに支えられている現実がある。
「原発がどんなものか知ってほしい」に対する検証・反論をまとめたページ。この記事の他にも原子力に関するFAQなどかなり知らなかったことを知ることが出来る。原文は挑戦的なので、僕が読んでいても大げさな表現が多い(事実関係の誤りなどはわかりませんでしたが)。そして、結果的に反原発思想によって支えられた文章になっている。「Re」の文章は、ただ反論しているのではなく、理想と現実を見極めて、現状可能な手段で後生にバトンをつないでいこうという意志を持った文章に読めた。
ただ、所々「Re」にも脆弱な部分が見え隠れする。JCO事故の件を、想定していなかった出来事だと定義しているけれど、他の事案と違ってそういうケースが発生した時のリスクが極めて高いと言うこと。麦茶と間違えてそばつゆを飲んだのとは訳が違う。
「アメリカで原子力発電が再開されるように、現実にこの世界を支える為に、まだ原子力は必要なエネルギーだと思います。だから続けるんです。」と「Re」の著者は語る。リスクは高いが唯一の選択肢である原子力というものをきちんと人間の制御下に置き利用しようという意志が強く感じられ、現に僕は彼らに支えられて、彼らの造った原発からの電力でこの文章を書いているのだ。
最初の僕の文章では、そういった現実的視点からの消去法的肯定論者であるということ、そのリスクを福井や福島や柏崎などの地方が偏って負担し、補助金によって抜け出したくても抜け出せなくなっている状況を、釈然としなくても受け入れなくてはいけない、リスクを負っている福井生まれの、そしてその恩恵を受けている東京在住の一人として書たつもりだ。
僕は数年か数十年後か分からないけれど、福井に帰りたいと思っている。僕は、原発が安全に運用されることを望むし、それを運用している人たちに感謝こそせよ反感は持たないけれど、心のどこかで納得しきってはいないのだ。