葬儀(Wikipediaより)
葬儀は故人のためだけでなく、残されたもののために行われるという意味合いも強くある。残された人々が人の死をいかに心の中で受け止め、位置付け、そして処理するか、これを行うための援助となる儀式が葬儀である。
あまり人前で書くような話ではないことは分かってるのですが、いろいろなことを書いてきたこのブログでこのことだけ書かないのもなんか変な話だし、自分の中でもやもやと思っていることを一回整理もしたいので、少しだけ書かせてください。ものを書くといろいろと自分の中で受けとめることが出来て、そのうちこのエントリと同じようにだんだん心の下の方にいって居場所を見つけてくれるので、ちょうどいいのです。
月曜日の朝に母方の祖父がなくなったと母から聞いたときは、詳しいことが分かっていなかったこともあって、そうですか、という感じだった。福井に帰って来いというので、とりあえず会社に行って、帰らせて欲しいという話をして、目の前の仕事を片付けていたのですが、正直上の空で、決まったことを決まったようにただただ処理して、新幹線に乗って一ヶ月前に帰ったばかりの福井に帰った。なぜか、一日中ずっともの凄く胃が痛かった。福井駅で妹と合流して、タクシーの中で少しだけ話して、家に帰って、よく覚えていないけど気づいたら寝ていた。
明くる日の昼に式場に着いて、母と母方の叔母に会う。一ヶ月前の連休に帰った時に数年ぶりに会った叔母との次の再会が、こんな短い間でこんな理由で会うとは、世の中とは皮肉なものだなと思った。式場の二階にいったら祭壇があって、祖父の写真が飾られていた。祭壇には、僕の名前もあった。祖父が僕の両親の結婚式に出たときの写真らしく、僕が始めてみる顔だった。自分の記憶があるうちで、会社関係の人の葬儀に出たことはあるものの、親族の葬儀は初めてだったので、祭壇に飾られている祖父の写真に全く現実感はなく、ただ、これから本当に葬式をやるんだなと思った。
まだ誰も来ていないので、式場の近所をぶらついて、コンビニを探しても全然なくて、やっと見つけてコーヒーを買って帰っていたら、祖父が入った棺をのせた車が着いたところだった。久しぶりに会う親戚と少しだけ挨拶をして、喪主の叔父に祖父の顔を見せて欲しいとお願いして、さっき行った祭壇に向かう。途中で「あれゆうちゃんじゃない?」とこっちは全く覚えていない親戚(今回ほとんどそうだったけど)と挨拶を少しして、祖父の孫の祐輔ですと挨拶したらあらーとかいわれた。
祭壇の横の花をどけて、棺の横に立つ。叔父が棺にかかっている布を少しだけよけて、棺の蓋を開けると祖父の顔があった。菊の花に囲まれた祭壇の小さな棺の中で見た祖父の顔は、僕が中学校まで毎年夏休みと正月に行ったときの祖父が、茶の間の床で寝ているときの顔と何も違わなかった。ただ、少しだけ色が白かった。じっと見ていられなかったので、手を合わせて目を瞑った。それでも、死んだとは思えなかった。ただ寝ているだけのようで。
祭壇に一番近い最前列の席に、祖父の孫が僕を含めて八人座った。今回僕が初めて会う従兄弟もいて、その中で僕は一番年上で、みんな小さい頃に遊んだ顔とは全然違って(何も変わってないのもいたけど)、そうかじいちゃんの孫は八人もいるのかと思った。そして、いつかこの八人の世代だけになる時も来るのかなと思った。最後尾の入り口で喪主の叔父とその奥さんの叔母と祖母と母と叔母が来る人に挨拶をしている。そこで初めて泣く声を聞いた。焼香をしに来る人に頭を下げつつ、通夜が始まるのを待った。
通夜の間中唱えられるお経を聞いていると、不思議と無の心境になる。なにも、なーんにも考えなくしてくれる力がお経にはあるのではと思う。一時間近くの通夜の終わり、喪主である叔父が、これまで聞いたことのない声で挨拶をするのを聞いて、ああ、祖父は死んだのだなと、初めて思った。
用意された晩飯もあまり食べる気がしなかったので、少しだけ箸をつけて夜の、真っ暗な式場のまわりをすこしぶらぶらした。涼しかった。親族の控え室に帰ると、僕と妹はいったん家に帰ることになっていたのだけど、わがままを言って母や叔父たちと一晩残らせてもらうことにした。帰ってもどうしていいのか分からなかったし、寂しかったのかもしれないし、結局よく分からなかったけど、今帰ったらずっと後悔してしまいそうで。
結局朝まで起きていた。祖父の姉が一晩中お経を唱えていた。父と数年ぶりに少し話をした。いろんな人とも話をした。祖父のこととか、明日のこととか、東京での事とか、いろいろ。隣では祖父が眠っている。叔父の娘だから僕からすると従姉妹と、四時くらいまで話をした。彼女もよく分からないと言っていて、同じ気持ちだった。それぞれの家で一番初めて生まれた子供同士感じていたことや、逆に長男と長女故の違いとか、なんかそんな話をしてた気がする。あと、学校のこととか、仕事のこととか、そんな事。
七時頃少しだけ横になったけど結局眠らないまま朝が来て、告別式が始まる。お焼香を三回して、再び叔父が挨拶し、出棺の時。みんなが棺のまわりに集まって、花を入れていく。みんなが泣き出し、僕も初めて涙が出た。僕も花を入れ、祖父の顔に少し触れた。触れた瞬間ものすごく冷たくて、また涙が出た。ただ、涙が出た。叔父と何人かと棺を持ち、車にのせる。棺はとてもとても重かった。
火葬をするため、実家に向かう。七、八年ぶりに見た実家の風景は、なんだかとても小さく見えた。夏休みに遊びに行って帰るときに見送ってくれた玄関を見たら、また少しだけ涙が出た。火葬場で、最後の手を合わせ、火が付く。母が火の見える所まで行くときに泣いてよろけたので、何の弾みか僕も母を支えて奥まで行って、祖父を燃やす火の音を聞いた。なんで最後にこんな熱い火で焼かれなければならないんだろうとか、そんな事を思った。火葬場を出て、この何日かで一番たくさんの涙が出た。しばらく近場で親戚中でご飯を食べて、骨上げ。棺を持ったときにはすごく重かったのに、ものすごく軽くなっていた。
全てが終わった後、実家のまわりを歩いた。隣の洋服屋や、小さな用水路や、夏休みにお祭りに行った神社や、田んぼや、魚を捕った川や、祖父の仕事場や、役場とか。ずっと聞こえるカエルの鳴き声や、空を飛ぶ鳥や、久しぶりに踏む土や、山のにおいがする涼しい空気とか。風景は何も変わっていなかったけど、小さな時にそこで遊んでいた自分はずいぶんと変わったものだなと思った。
通夜から24時間もたたずに、祖父はあっというまに骨になり、とても小さな箱に入ってしまったけれど、これでいいんだろうと思う。何もせず、ずっといてもいいと言われればずっといてしまうと叔父が言っていた。やることがたくさんあって、気づいたらあっという間に小さな骨壺に収まって、感慨にふける暇もないことが、残った者が生きていくための最善の策なんだろうと思う。
結局祖父ってどういうもので、死ぬってどういう事で、生きるってどういう事で、親戚とか親とか僕ら八人の孫たちってどういうものか、何にも分からなかった。ただ、言葉には出来ないけど、いろんなものを見たし、いろんな事を知ったし、いろんな事を学んだし、いろんな事が大切なんだと知った。まだあやふやなそれらのことは、今後必ず生きていく糧になると思うし、そういういろんな事を最後に教えてくれた祖父のことをとてもありがたいと思った。