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26歳。

2009/03/16(Mon) Diary

26歳になりました。毎年誕生日にはブログを書いてると思ってたんですが、23歳を最後にここ2年ほどは書いてなかったみたいです。でもまぁ、最近ブログあんまり書いてないので、考えている事を整理がてら残しておくことにします。たぶん散漫でまとまりがない文章になると思いますが。

今の自分の頭の中で漠然と思っているのは、福井で暮らしながら、福井のクライアントと生活者のために、チームとしてはコミュニケーション、いわごろ個人としてはインフォメーションアーキテクチャを軸に、顔の見える個人に向けて一つ一つ丁寧に仕事をしていきたいなぁということです。これまでこのブログに書いてきたいくつかの目標の中から、こぼれ落ちている物(ex.技術)もあれば変わらずに持ち続けている物(ex.ウェブ)もあり、いろいろ形を変えながらではありますが、今に至ります。

なんとなくではありますが、思い通りになる事よりも、思い通りにならない事の方が最近増えてきたように思います。そのおかげかどうかは分かりませんが、以前に比べるとだいぶん寛容になったと思いますし、どうせいろいろこぼれ落ちてしまうのだからと自分の考えや想い自体は以前にも増して刺々しくなっているようにも思います。

また、自分を壊そう壊そうと意識的に動いていたりもします。今までの自分が作りそうな物をいったん否定してから物を考えていくようにしたり、新しい分野になるべく顔をつっこんでいろいろなことを覚えたり、これまで得たことを学び直したりということも意識的にやっています。若干散漫な感じもしていて、フォーカスがゆるんでいるという風にも思っていたりはしますが、仕事でもスケジュールやクオリティを守れる範囲であえてカオスにカオスになるようにしています。今後のためには、無駄なことではないだろうと思って。

僕が仕事をし始めたときの初めての上司というか、先輩的な人と僕が初めて会ったとき僕は17歳でその人は26歳くらいだったように思います。1・2歳間違ってるかも知れませんが、まあその人はそのぐらいの年でした。その人みたいになろう、なんて事は今は思っていませんが、これまで仕事をしてきた中で、26歳になったときに、26歳の時のその人を超えられているだろうか、みたいなものが心のどこかにずっとありました。

超えるも何も時代や社会の環境も違うし、何をもって超えたとするのかという明確な基準があるわけでもないです。そしてその人はそのときから8年くらい経ってまたどんどん先を走っていっているので、永遠に追いつくことはないでしょうし、距離が縮まっているのか、差が開いていっているのか、それさえもよく分かりません。

ただ、けして縛られているという意味ではなく、これからもずっとどこかでその人の影を追いかけていくような気がしています。向こうにしたらはた迷惑な話かも知れませんが、個人的にはその人のような羅針盤的な人と出会えたことはとても幸せなことだと思うし、僕が言う話ではないと思いますが、東京でどんどん先を走っていって欲しいと勝手に思ったりしています。僕もその背中を追いかけて、若干向かう方向は違うのかも知れませんが、福井で走っていきたいと思っています。ちっぽけではありますがこれまで蓄えてきたスキルと経験と17歳の時の初心を両方忘れずに、明日もまずは目の前のことをきちんと形にしていきたいと思います。不束者ですが、26歳になったいわごろを宜しくお願いします。

初恋の人からの手紙

2009/03/05(Thu) Analyze

ノーコメント(謎)

初恋の人からいわごろさんへお手紙が届きました。

いわごろ、元気にしてる?
今でも長ズボンの丈は微妙に短いままですか?洗濯で縮んだって必死に言い訳していたいわごろをなつかしく思います。

束縛の激しいいわごろが重苦しくて、私が「もっと余裕がある人がいい」と宣告してお別れすることになったあの日から、もう10年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。

あ、そうそう、お手紙を書いたのは何か理由があるわけではないんです。ひさびさに友達に会ったときにいわごろの話題になってなつかしかったので、思いつくままに手紙でも書こうかなって。

思い返してみると、あのころは二人とも子供っぽかったなぁという印象があります。いわごろは「ミニスカートは他の男の前ではダメ」とか言うし、子供っぽい私もそれに対抗して、黙って他の男を誘惑していたのを覚えています(浮気したか?んー、それはかわいそうだから内緒)。私は重苦しいいわごろを避けるようになっていたけど、もう少し他に方法がなかったものかと反省しています。

そういえばいわごろにとっては私が初恋の相手なんですよね?だからか、いわごろは最初のころ、とてもかわいかった印象があります。確か手をつなぐのでさえ「なんかごめんね。ごめんね」なんて言っていたから、少し気持ち悪いけど、緊張しているんだなぁと思ったものです。

いわごろの告白って、いきなり「付き合ってほしい。いつか結婚してほしい」でしたよね。それに引かずにOKすることができた私を思い出すと、正常な判断能力がなかったなぁと恥ずかしい気持ちになります(照)。

いわごろと付き合えて本当によかったなぁと思うところは、「恋愛をしないほうが楽なときもある」ということを学べたことです。いわごろと別れた後、恋愛依存の私が「もうしばらくは恋はいいや」と思えたのは、とても大きいことです。ありがとう。

いろいろ書きましたが、私はいわごろのことがそれでも好きでした。これからもいわごろらしくいられるよう、あと女の子にすぐ手品を披露するのはそろそろやめて(笑)、幸せをふりまいてください。

またいつか会いましょう。では。

P.S. いわごろが誕生日にくれたキャッチャーミット、使い道がないので捨てていいですか?

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いわごろさんについての分析結果は以下の通り。

【短評】
温和で優しい。人柄は好まれるが、女性をドキドキさせない。また気を遣いすぎて疲れることも。

【あなたの恋愛事情を考察】
いわごろさんは基本的に、周囲(相手)に合わせることがクセになっていて、自分らしさを見失う傾向にあるようです。振る舞いにブレがあり、芯がしっかりしている印象に欠けるので、女性からすると頼りがいはあまり感じないかもしれません。

初期の恋愛においても、印象値はそう高いわけではなく、かといって変にアピールすれば空回り感が出るのは否めません。「なんとなくいい人」か「うざい人」のどちらかになってしまうことが多いのではないでしょうか。

好かれるために頑張るとうまくいきません。好きになってもらわなければ意味がないと悟り、腰を落ち着けて自分から動きすぎず、人を惹きつける要塞のような構えが必要とされています。

ここから言える、いわごろさんにありそうな問題点を列挙します。

◆空回りか、地味なままで終わりやすい。
◆優しさや思いやりがあるが、発揮できずに終わりやすい。
◆頼りがいがないと思われやすい。

初恋の人からの手紙
あなたの恋愛を分析して、初恋の人から甘酸っぱい手紙をお届けします

Untitled

2008/12/26(Fri) Diary

僕は、彼女を肯定する。それは甘やかしているのではなく、ましてや無関心だからでもなく、人一倍いろんな事に向き合って来た彼女が選ぶ道は、たぶん彼女にとって正しい事だと思うから。たぶんというのは、僕は彼女ではなく他者だから、彼女に限らず他人のことは僕には分からないから。

努力したからって、大変だからって、それに相応しいだけの幸せが帰ってくるわけではないと思ってる。この世界は平等なんていう綺麗事では済ませないものだから、努力しても報われない人もいるし、努力しないのに報われる人もいる、それが現実。

でもやっぱりどこかで、人一倍きちんと向き合っているのだから、人一倍の幸せを手にして欲しいと思ってしまう。誰かを傷つけても、誰かを不幸にしたっていい、世間の常識や倫理観と違っても全然かまわない。本当に自分の気持ちのままに生きていって欲しいと思う。その資格は彼女には十分すぎるほどあると思う。

誰かを批判しているわけではないし、僕の思う形になって欲しいわけでもない。正直言ってしまうと、相手のことはどうでもいい。彼女は認めないけれど、彼女は過去と十分向き合ったと僕は思うから、過去を全て解き放って生きていって欲しいと思う。全てが報われるわけではない世の中だから、解き放ったからといって必ず幸せになれる保証はないけれど、その方が、彼女が笑顔でいる時間を少しでも長くできるのではないかと思う。そしてそれは、彼女が僕にしてくれたことだと、今気づいた。だから、僕は、彼女を肯定する。

石破茂

2008/11/06(Thu) Society

やっぱりこの人は、農林水産大臣よりも防衛大臣やったほうがいい。農林水産大臣にはもっと適切な人がいるかもしれないけれど、防衛大臣には余人を持って代え難い。

石破茂(いしばしげる)ブログ: 田母神・前空幕長の論文から思うこと

在野の思想家が何を言おうとご自由ですが、この「民族派」の主張は歯切れがよくて威勢がいいものだから、閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。

この一件で「だから自衛官は駄目なのだ、制服と文官の混合組織を作り、自衛官を政策に関与させるなどという石破前大臣の防衛省改革案は誤りだ」との意見が高まることが予想されますが、それはむしろ逆なのだと思います。

押さえつけ、隔離すればするほど思想は内面化し、マグマのように溜まっていくでしょう。「何にも知らない文官が」との思いが益々鬱積し、これに迎合する政治家が現れるでしょう。それこそ「いつか来た道」に他なりません。

制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです。

吉田茂元首相の言葉をなんとなく添えておきます。

君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。

しかし自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが国民や日本は幸せなのだ。

どうか、耐えてもらいたい。

初恋温泉

2008/10/18(Sat) Book

初恋温泉 表紙
初恋温泉
吉田 修一 (著)

幸せなときだけをいくらつないでも、幸せとは限らないのよ。

読む前にイメージしていたのとちょっと違いすぎて、それを解消しきる前に読み終わってしまった。消化不良感。

アンフェアな月

2008/04/12(Sat) Book

アンフェアな月 表紙
アンフェアな月
刑事 雪平夏見
秦 建日子 (著)

「死を自覚することで、生も自覚できた。おかげで、残り短い人生を、それまでの数倍も充実して生きることが出来た。よかったよかった」という話だと男は分析した。

ものによっては、「だから、解釈のしようによっては、自分は病気になって幸せだったかもしれない」とまで、死にゆく主人公に語らせていた。

ミステリらしくないミステリでありながら、ふつうのミステリよりもおもしろい。前作の翌日からのお話で、テレビドラマとは別のストーリー。なので雪平の相棒安藤も元気に生きている。前作の内容はほとんど忘れてしまっていたのですが、それでも十分楽しめました。

スリリング、というよりもおもしろい。冒頭からそれだけで映画やCMのコピーになってしまいそうなハッとする、それでいておもしろい言葉や掛け合いが出てきて、ちゃんと本筋の事件も進んでいるのですが、横道のそのやりとりに気をとられてしまうほどたのしい。

そして、そっちに気をとられていたら、あれっという間に本筋のミステリがあっさり解決してしまって拍子抜け。と思ったら、きちんと最後にメインディッシュがあって、それがまたミステリと言うよりも哲学的な読後感を最後に残してくれる。

命、というものに、正攻法とは全く逆のアプローチで光を当てている。故に、普段見せられる命の形とはまた違った面を見せられて、なんとも言葉がない。引用した文章のような、ありきたりな命の価値観の描写ではなく違った面でその意味を問いかけられて、ぼくはなんとも答えようがなかった。

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん(1) 幸せの背景は不幸

2008/03/06(Thu) Book

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸 表紙
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
幸せの背景は不幸
入間 人間 (著)

彼女の精神は喜怒哀楽の強弱高低が偏りすぎているけれど、だからこそ常人には組み上げられない感性を内包することが可能だ。異質か異彩か、判断が難しいのだけれど。

「ねえ、治療って何かな。」
「何って、療法を用いて傷を治癒させるってことじゃないんですか?」
「傷を治せばいいのよね」
「そうですけど」
「その怪我に処置を施す刺激で命を失うような患者でも、傷を防げば治療、かしら」

壊れたキャラクタが織りなす、壊れたストーリー。文体も、所々壊れている。故にと言っていいのかは分からないけれど、それらのキャラクタはとても素直に行動しているように思う。僕はそれらが人とは異なる素晴らしい彩に見えたのだけど。

この本に出てくるキャラクタはみんなどこか壊れていて、最初は違和感があるのだけれど、そのうち自然とそれが特段おかしい姿には見えなくなってくる。それは普段は、マニアだったり教養だったりビジネスだったり、ある程度母数があってきちんと名前が付いている故に特別視されないだけで、僕らがいるこの社会もみんな所々どこかおかしくて、精神障害という名前の付いたマイノリティと本質は変わらないのではないかと思った。

好きを仕事に。

2008/01/23(Wed) Diary

宮崎駿に似ているインフラの人と話して心に残ったことのメモ。


同じ方向を向いている人と仕事をすると楽しい。人が楽しみを見いだすポイントは様々で、それがお金になる=仕事になるものもあれば(例.プログラミング)、そうではないものもある(例.山登り)。楽しみを仕事に出来るなら、まわりもそういう人であった方が幸せ。

たまに自分がやりたい事って何だろうと中学生的な悩みが再発してくることもあるんだけれど、余計なことを考えずに、好きなことをやりたいな。これまではそれで暮らして好きな本とPCを買えるだけのお金がついてきていた。これからもそれがいい。

死刑 – 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。

2008/01/19(Sat) *Pickup, Book

死刑 表紙
死刑
人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。
森達也 (著)

死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「何故、国民は死刑を支持せざるをえないのか」です。(光市母子殺害事件被害者 本村洋からの手紙)

今すぐ買った方がいい、と断言できる本。

danさんのブログで見つけて、お急ぎ便を躊躇なく選択して一瞬で買った。少し前のブログに書いた「自分の命をかけてまで子供の命を守ろうとした一人の人間が、同時に一人の人間に死んで欲しいと願うという事。」への解に出会えるのではないかという期待で。読み終わって思うのは、僕の一番好きな「赤朽葉家の伝説」は興味を持った人だけ読んでくれればいいと思うけれど、この本は興味のあるなしではなく、知らないといけない事だと思う。

ところで、僕は何故こんなテーマばかりに興味を持つのだろうか。mixiの新着日記に「死刑 – 人は人を殺せる…」なんて日記があがってしまうことをたまに申し訳なく思ったりもする。その理由の一つは、「ドラクエクリアしたよ!」という日記を上げる時より、こういう事について書く方が自分の頭をフル回転させないといけないという事。このブログを自分を知る為の鏡として使っている面もあるので、これは一つ大きな理由。そして、もう一つの理由は、本書が明確にしてくれた。

どちらも今のこの世界だ。僕らが暮らすこの世界と地続きに、煌びやかなテレビスタジオがあり、ホカホカと湯気を立てる山海の珍味があり、飢えと寒さで衰弱しながら死んでゆく子供たちがいて、そしてあの薄暗い処刑場がある。
その末端に、僕がいる。そしてあなたもいる。

僕は目を背けられない、見てしまったのだから。

死刑についての僕の考えは、過去にも書いたことがあります。

iwalog : 自分が生きるために。

確かにその通りだと思う。人には人の命を殺める権利などないと思う。そうだとするならば、汲み取るべき事情がある承諾殺人(人の承諾を得てその人を殺害する=介護疲れによる息子による親の殺害)など一部を除いて、人が人の命を殺めた場合、その人はその時点で人権を行使する権利がないのではないか。

ものを盗んだ場合、そのものか相当するお金でもって償う。そして、抑止の意味も含めて金銭以外の懲役などの罰をもって購わせる。はたして、自分たちが声高らかに主張するもっとも高貴な価値観である人権を侵害された場合、何をもってすれば償いになるのだろうか。それは、その人自身の人権ではないのだろうか。(もちろん、原因の究明は必ず必要という前提で。)

何もしていない人を死刑にするわけではなく、罪を犯した人を死刑にするのであるということ。これは本書を読んだ後だと、被害者の側面ばかりが報道されて、加害者遺族や死刑囚のその後を知るすべがなかったから故の発想だったと気づく。この考えは、本書の中で紹介される加害者遺族や死刑囚と刑務官のかかわりを読むことで、ある意味では変わるのだけれど、ある意味では変わらない。

また論理の面では、現行法を前提とする場合、現行法で死刑に値する人間を無期懲役などで処理した場合、多くはないとはいえ再び社会に出てくる事になる。現に酒鬼薔薇聖斗は社会復帰している。彼らは更正するかもしれない。でも更正しないかもしれない。更正しなかった場合のリスクをあなたは受け入れますかと言われたら、僕は受け入れたくない。これは本書の中でもオウム事件以降の過剰な厳罰主義・治安強化主義の結果もたらされた日本社会の傾向であると論じられている。

本書では、森達也は悩む。そして自ら悩みたがっているかのごとく、死刑廃止論の安田弁護士(光市母子殺害事件加害者側弁護士)、死刑判決が確定した元オウム真理教幹部の岡崎死刑囚、「モリのアサガオ」という死刑囚と刑務官を描いた漫画を書いている郷田マモラ、死刑確定後判決が覆って無期懲役となり出所した人物、犯罪被害者の側から取材をしているライター、存置から廃止に考えが変わった被害者、池田小学校事件の宅間守死刑囚(2004年9月14日死刑執行)の手紙、死刑があるからといって犯罪発生率が下がるわけではないというデータ(死刑が犯罪抑止力としては機能していないという趣旨)、冤罪の場合取り返しが付かないこと、冤罪は現在も続いていること、実際に執行する刑務官の苦悩、更正した死刑囚、更正しなかった死刑囚、更正など求めておらず被害者が生き返ることだけを求めている遺族、死刑囚とその家族の最後の別れなど様々なものに触れる。

そして、光市母子殺害事件遺族の本村洋とも手紙を交わし、本書の最後の方でその事件の加害少年とも接見し、結論を出す。結論も、その課程も、必読の価値がある。

僕の結論。読む前と変わらず、死刑は必要であるということと、被害者保護にもっと手厚くなるべきであると言うこと。でも読む前と変わったのは、その執行は慎重であるべきで、現行の死刑制度をもっと改良すべきであると思うようになったこと。

被害者感情を考えた時に、死刑という「選択肢」は必要であると思う。しかし、冤罪もあるし、死刑囚にも家族はいるし、更正する人もいる。でも、再犯のリスクもある。それらを考えると、社会制度としての死刑はやっぱり必要で、撤廃か存置かを議論するよりも、その運用の改善に目を向けた方が、幸せになる人の数が増えるのではないかと思う。

年上好きだがモてるのは年下(幼児)

2008/01/12(Sat) *Pickup, Diary

お鍋
from : keke
左上に写っているいわごろのひざにある小さな足がカウベルジュニア。

3ヶ月ぶりくらいの福井。この連休は新幹線も特急もきちんと指定が取れて、乗ってみるとけっこう空いていた。やっぱ盆正月は世間と少しずらして帰るのが吉。米原・敦賀間では雪が積もっていたけれど、福井ではもう解けていた。

福井駅でkeke氏に拾ってもらいカウベルさんちでご飯。カウベル夫妻と会うのはかなり久しぶりで、ジュニアさんとは初対面。結婚したのいじー夫妻、とめつん、お腹の大きさがその幸せを表しているかのようなen-mana(mama?)さん、誰も入っていないのに同じくらいの大きさのお腹をしたミヤ氏。

カウベルジュニアのお眼鏡にかなったようで、ずっと膝の上にのったりじゃれあったり。なぜか日本語を話してくれず、聞けたのは「おいしい」の一言だけであった。女性陣やいじられそうなのいじーもいるのに、僕が選ばれたのはカウベルパパと同じようなメガネ男子だったから?本人の願いとは違う所でモてるとは、世の中なかなかうまくいかないものである。

カウベルさんちは、秋に曾祖母の葬儀をした所の本当に隣だった。ジュニアの遊び相手をしてたらあまり食べれず、ひさしぶりなカウベル夫妻ともあまり話が出来なかったのが少し残念でしたが、たのしい時間でした。会場&料理ありがとうございました。