Posts Tagged ‘幸せ’

emo[エモ]

2007/12/19(Wed) IT

emo[エモ]

ブログの内容を解析して顔が変わるのだとか。早速分析結果が。

■ニックネーム
仕事が好きな
いろいろした不思議ちゃん

■ココロレポート
・イイところ
あなたは、いろんな事に興味津々で、何でもポジティブな不思議ちゃんタイプです。わが道を行くタイプなので、人がびっくりするようなことも平気でやってしまいます。何事もプラス思考に考え、いつも明るく過ごす事ができます。また、仕事も遊びも新しいものを開拓し、どんどん自分のものにして、人の目を気にすることなく伸び伸びと暮らす事でしょう。

・ココに注意
周りの評価を気にせずに行動するので、わがままな人というレッテルを貼られてしまうことも。良いものを追求したい欲求が強い為、現在の幸せをいつの間にか失っている可能性もあります。

不思議ちゃんではないと思うがー。同じものについて別の角度から見て書いただけのような気もするけど、まあ長所と短所ってそんなものかもしれません。

みんないっしょ。

2007/11/19(Mon) *Pickup, Clip

[N] 浦和の中心で愛を叫べ

だからもう一度、ここに戻ってきました。ここで書き続けます。また、どうぞよろしく。

みんないっしょなんだねと思った。身近な人でも亡くなってしまうということも、その後のふわふわしたような気持ちも、その後も生きていかないといけないことも。絶望のようで、安心感もある、不思議なルール。

知っていることと、理解する事ってやっぱり違うくって、よく「なにげない日常が一番幸せ」みたいな事が言われますが、そうだなぁと思います。「なにげない」って、「何もない」わけではなくって、家があって、親がいて、兄弟がいて、ペットの犬とハムスターがいて、友達がいて、会社があって、、、と結構いろいろあるのです。

でもそれは、ある日ふとそれらのどれかが欠けるまで、見えてこないものなのです。そして、欠けるともう元には戻らないものなのです。

飲酒運転

2007/08/24(Fri) Clip

福岡市職員また飲酒運転、バイクで乗用車に衝突 – 読売新聞

23日午後9時20分ごろ、福岡市早良区昭代の市道交差点で、同区入部(いるべ)出張所市民係の糸川琢磨(たくま)職員(42)(福岡市早良区原)の原付きバイクが、同市早良区の会社員男性(55)の乗用車右側面に衝突した。

(中略)

同市では昨年8月25日、市職員の飲酒追突事故で幼い子ども3人の命が奪われた。24日午後には事故1年に合わせ、市職員を集めた飲酒運転撲滅大会を予定しており、吉田宏・福岡市長は同日午前、謝罪の記者会見を行った。

吉田市長は市役所で行った会見で、机に手をついて「申し訳ございません」と深々と頭を下げた。「飲酒運転撲滅に組織を上げて取り組んできたが、この1年間何だったのかと言わざるを得ない。痛恨の極みの事故だ」と語り、糸川職員を厳正に処分するとした。

去年は、3人死亡のニュースなんてまるで他人事でさらっと読み流していましたが、今こういうニュースを見ると心臓が震えてしまう自分がいます。こんな事しても誰一人幸せにはなりません。いろいろ思うところはありますが、まとまりそうもないので、下記サイトの一文を引用しておくことにします。

変わり果てた彼女の姿を見ても、まだ飲酒運転が出来ますか?

交通事故はどれだけ注意してもなくせないかも知れないが、飲酒運転は注意すればなくすことができる。

プロの論理力!

2007/08/20(Mon) Book

プロの論理力! 表紙
プロの論理力!
荒井 裕樹 (著)

渋谷のTSUTAYAで、目の前で立て続けに2人も買っていったのでつい買ってしまったけど失敗。青色発光ダイオード中村裁判などに携わった若手弁護士というふれこみなのだけど、終始違和感感じっぱなし。

個人が主張をすることや、これから個人の時代になるという著者の主張には120%賛同するけど、著者が見て「幸せ」といったその景色が、僕には虚構にしか見えないのだ。

迷いと決断

2007/06/25(Mon) Book

迷いと決断 表紙
迷いと決断
出井 伸之 (著)

ちょっと前に読んだ本ですが。結構失敗と成功を赤裸々に書いていて、マネジメントの視点がかいま見えましたが、現場でオペレーションしているものにとってはすぐに実行できる話は少なかったです。とはいえ、実行できなくても知っているだけでも結構現場のオペレーションが違ってくるとは思います。

話は突然変わりますが。

最近、新卒二年目の人とマネージャーと3人(あとから+1)でお酒を飲みました。いろいろなことを話しましたが、仕事のことで少し白熱。新卒は、自分の求めていることが出来ず、それに対して自分の部署のマネージャーはあまりにも何も考えていないのではないかと言うような話をしていました。そして、マネージャーは新卒の部署のマネージャーもいろいろ考えていると思うけど、難しい所も理解できる、というような話をしていたかと思います。僕もどちらかというとマネージャー寄りで、それよりも、自分も前は新卒みたいな事を思っていたのにいつのまにかそんな熱のあることを思わなくなっているなと、そっちの方にショックを受けつつ聞いていました。

自分の部署やサービスの事を考えていないマネージャーなんて、あんまりいないんじゃないでしょうか。そこでもたとえ話をしたのですが、狩りで生活をしている集団があるとして、その集団は長年鹿を狩って自給自足している集団でした。きちんと自分たちのいる草原に鹿が何匹いて、どれぐらい取ったら0になってその後食べていけないかもきちんと把握していました。でも、自然は勝手なもので、何日も鹿が見つからない時期が続きました。そんなとき目の前に豚が現れたとします。その時に、瞬時に「豚を狩れ!」といって家族を飢えさせないリーダーと、「いや僕らは鹿しか食べれないんだ」といって家に帰って家族に腹をすかせてしまうリーダーと、どっちについて行くのだろうかと。僕は前者について行って、新卒はたぶん後者に着いていく(後者でもやっていけると思う)のかなと思いました。

もうひとつ、毎月50万円出せば、自分たちの理想がより現実になるなんかすごいキカイがあったとして、それを欲しいと誰かが言った時、その誰かはリーダーから「じゃあお金がキツイので貴方の給料から毎月50万カットしてもいいですか?」と言われた時、その誰かはYESといえるのだろうか。それはリーダーが考えることで、私が考える事じゃないと言いそうです。

この考えが正しいのかどうかは、僕にはよく分かりません。正反対の考えもあるのも理解できます。ただ、何で僕がその考えになったかというと、「より深く関わろうとした」からだと思います。人件費やリソースや、経費やキャッシュフローヤPLや、なんかそんな数字の世界や、思いや理想ではどうにもならない世界に、関わろうとしたからかもしれません。というか、自分の仕事を突き詰めていくとそこに関わらざるをえないと思うのです。結局そういう世界はあまり自分の得意分野ではないしその才能もないと思ったので今はオペレーションを淡々とやっていますが、それを知ってオペレーションするのとそうでないのとは全然違うと思うのは、負け惜しみでしょうか?

僕は、その新卒の求めているものが、今の会社にはないのではないかと思いました。それは別に今の会社を卑下しているわけではなく、いくら漁師でも山ではマグロは釣れず、名人でも海では松茸が採れないようなもので、マグロを釣りたいなら海へ、松茸を採りたいなら山に行った方がいいのではないかと思ったのです。漁師は海に、名人は山にいた方が幸せな人生じゃないかと。

はて、そんな僕はどこにいるのが幸せな人生なのかと、珍しく最近少し迷っています。

現代語訳 般若心経

2007/06/10(Sun) *Pickup, Book

現代語訳 般若心経 表紙
現代語訳 般若心経
玄侑 宗久 (著)

-「生まれた」という認識も「滅した」という認識も
  ありのままの実相ではなく、じつは脳内に現象した大雑把な「概念」に過ぎません。

 解けないほどに絡み合った関係性を、
  とりあえず無視してザックリ切った認識と見るしかないのです。-

有史以来どんな文明にも必ず宗教があるのは、人間が死を知ってしまった唯一の生き物だからと誰かが言っていた。自分の死は怖く、他人の死は悲しく空しい。でも、誰にでも必ず訪れる死と向き合うことが、生きることだと思うようになった。これまで陰気くさいと思っていた死や宗教というものが、とても生きるという事に近いものだと思うようになった。

何が善で何が悪か。何が美で何が醜いのか。何が幸せで何が不幸せか。何が生で何が死か。著者はそれら「私」自らが作り出した観念によって自ら苦しみを生み出している人間に、その根源にある「いのちの全体性」を見よという般若心経の心を説く。

理解するのではなく、感じよと説く。理解するのではなく、体験せよと説く。うさんくさい、極めてうさんくさい。でもこんな状況の中では、読んでいてだんだんと気持ちが少し楽になるのも確か。それさえも「私」が作り出した幻想なのか、「いのちの全体性」に近づいているのかはよく分からない。

これは僕の中の「私」の概念だけど、死は生きる事の終わりではなく、死は生きることの一部であると思う。死ぬことまでを含めて生きることだと思う。故に、死を感じる事が生きる活力になる、という言い方は若干誤解を招くが、生きる糧になるといえば少しは伝わるだろうか。

THE 有頂天ホテル

2007/05/12(Sat) Movie

THE 有頂天ホテル ジャケット
THE 有頂天ホテル
出演: 役所広司, 松たか子 監督: 三谷幸喜

期待に応える三谷ワールドだったけど、登場人物が多すぎて一人一人が消化不良な気もした。松たか子の言葉、一見その方が楽そうだけど、それを貫くのはとても辛い。そして、それが幸せな姿なのかどうかも、今は考えてしまう。

過去はほんの少し前まで、今その瞬間だった。

2007/05/06(Sun) Diary

福井に帰った最初の日の夜は、日本酒を飲み過ぎてもう東京に帰らずにずっと福井にいたいと思っていたのに、福井を発つ前の日には、カフェで東京に戻ってからの日々のことをいろいろ整理したり考えたりしていた。

前の会社の人たちだったり、前の会社を辞めてから知り合った人だったり、中学校以来十数年ぶりに再会する保育園の時からの幼なじみだったり、ずいぶん久しぶりに会う家族(犬とハムスター含む)だったり、東京に行く前によく行っていたカフェだったり。ある時期、同じ時間を共有していた人たちと過ごす時間や空気は、勢いや瞬間ではない、とてもとても幸せな時間。

東京での日々は、過去の日々がそうであったように、瞬間瞬間で生きて、考えて、後から見ればもっとこういう事も出来たんじゃないかと思うことはとても多くて、まだあまり楽しいというところまではいっていなくて、どちらかというと不安の方が大きい。でも、過去の自分を反面教師に、過去と同じシチュエーションに出会ったときは、以前より賢明な判断が出来ていると思うし、過去と同じ過ちはだいぶん減らせている(と思う)。

前の会社の人たちは、残っている人やそれぞれの道に進んだ人も含めて、とても充実していて素敵な笑顔だった。幼なじみの彼女は、自分たちが二十代になっているという相変わらず実感がない現実を共有しながらも、社会人一年目を歩き出していた(そしてとても綺麗になっていた。)妹にはよく分からない心理テストを受けさせられたけど、もうすぐ社会に出る時期が近づいている。犬のコロは相変わらず耳をかいてくれとせがみ、3代目のハムスターはおとなしいやつだった。

福井でのそれらのことは、夢中だった日々から少し時間が経っているからそう思えているのであって、そのまっただ中にいたときは、今東京で生きているのと同じようにあまり周囲も見えず、楽しさにも気づいていなかった。福井の懐かしい人たちとの間に流れる幸福感もあるし、東京の今の人たちとしか味わえない充実感もある。そして、それは必ず繋がっているし、その時の思いが未来をつくる。福井に帰って感じた、今をきちんと生きることが今後の充実になるのだという思いを胸に、東京で生きていきます。さぁ仕事仕事!

海と川の恋文

2007/04/10(Tue) Book

海と川の恋文 表紙
海と川の恋文
松本 侑子 (著)

-あのころは、ただ流れに乗っていれば、川が海まで運んでくれた。
  でも海へ出たら、自分で漕ぎ出さなきゃいけない…。-

普通に読めば、純愛の物語なのでしょう。一組の男女が、お互いを愛したが、様々な経緯の中で別々の人を愛し、結局お互いを忘れられずその愛を壊して二人だけになれた。でも、その壊された愛を真剣に作ろうとしていたもう一組の男女の気持ちはどうなんだろう。他人を不幸にしてまで得た幸せに、何の意味があるんだろう。ぼくには酷くわがままで幼稚なふたりの惨めな話にしか感じられなかった。

白い巨塔

2007/04/02(Mon) *Pickup, Book



里見先生のように死んでしまった患者の生命にこれほどまでの強い責任と愛情を感じて下さるりっぱな先生が、なぜもっとえらく、お幸せになれないのですやろか、里見先生のような方にこそ、私たち患者は信頼して自分の命をお預けすることができるのです…

全5巻2,131ページ。ドラマのサントラを流しながら読んでいたので、唐沢・財前と江口・里見が浮かんできた。亀山君子が証人出廷を決意し、柳原医師が真実を告白したという、ひとがひとのために真実を突き通したシーンが特に印象的だった。

医学という、半ば生命に抗う学問を信じる二人の医者がいて。その二人の飛び込んだ世界はどの世界にもあるようにその使命とはほど遠い現実があって。ひとりは地道に自分の信じた道を歩み、ひとりは目的達成を第一に考え手段を選ばず、その過程を経てたどり着いた目的地は当初とは全く違ったものになっていた。そこにあった志は間違っていないものであったと思うが、ざまざまな見えざる手によって動かされたその課程は「白夜行」のふたりに通じるものがあった。その時にも感じたことではあるが、一人一人の様々な入り交じった思惑によって、一人の患者が殺められたが、僕には、財前がけっして悪人には思えないし、里見がけっして善人にも思えない。