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螺旋の道

2008/12/09(Tue) Diary

「世代」というくくりで物事を考えることはあまり好きではなかったんですが、最近ひしひしとそういうものを感じる。辞書では約30年を1世代と数えると記されていたけれど、現実は10年程度で社会をどうとらえるか、社会の中の自分をどうとらえるか、という平たくいえば価値観が変わっているように思う。

以前からぼやっと感じていたことが年金に関する議論を眺めていた時に明確になった。例えば今、5歳の子供と、25歳の僕と、45歳の社会人という3人がいた時に、この3人は同じ2008年という時代を生きているけれども、違う時代を生きているのだという事に気づいた。それは人生をスタートしてからの時間の違いであり、積み上げてきたものの違いであり、残りの時間の違い。

5歳の子供は社会というものをまだ認識していないかもしれない。25歳の僕はこれから自分と社会が共に楽しんで生きていける折り合いがどこにあるのかを探しているのかもしれない。45歳の社会人は自分としての芯が定まり子供も自立してさあどう自分の終演に向かっていこうかと考えているのかもしれない。

その3人の前に同じ問題と選択肢が提示されたときに3人が選ぶ答えは、思想信条や環境が同じであっても、同時代性を保持していたとしても、自ずと異なる事が自然なのではないかと思う。そしてそれはどれも正しいし、どれも間違っていないように思う。何か意見の相違があったときに、それを闇雲に時代や世代のせいにはしたくないけれども、その人達が見ているゴールまでの距離が違う以上、必然なのではないかとも思う。

数世代単位でみた人間の長期的変化が螺旋的変化であるとするならば、同じ轍を踏んでいるように見えることでも世代という要素によって微妙に異なるものであろう。おそらく人間は基本的には1世代単位でリセットされていて、どんなに歴史や技術の積み重ねがあったとしても同じ事を繰り返さないと理解しないのではないか。

螺旋の道は、4〜5世代程度で同じ位置に戻るというのが個人的な感触。達観でも諦観でもなくその流れであることを見極めて、仮に自分より後に生きる人たちを見て「同じ轍を踏もうとしている」と感じても「再度挑戦している」と捉えられるようになりたいし、何か言葉を求められたらその観点での言葉を返したい。それはもうほとんど、希望というような境地であるのだけれど。

福田さんに首相の資格が無いと言う前に、国民に有権者の資格がない。

2008/09/03(Wed) Society

福田首相辞任会見要旨 福田首相退陣 – 朝日新聞

記者「『首相の会見がひとごとに聞こえる』という話があった。政権への影響は。」

福田首相「順調にいけばいいですよ。それに越したことはない。しかし、私の先を見通すこの目の中には、決して順調ではない可能性がある。その状況で不測の事態に陥ってはいけない。「ひとごとのように」とおっしゃったが、私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたと違う。そういうことです。 」

年明けに辞めると思っていたので今の時期辞めたのは予想外だったけれど、それに対する国民の反応は予想通りだった。「なぜ今辞めるのか」「首相の資質がなかったということ」「リーダーシップに欠けていたが、品があって落ちついた感じで嫌いじゃなかった」「任期途中で放り投げてしまって無責任な感じで残念」(朝日新聞より抜粋)

支持率が25%(8月30日付朝日新聞調査)となり75%が快く思っておらず、任期まで持たない、リーダーシップがない、早期退陣をとさんざん言っていたのは誰だと。国民の望んだとおりになったのに、なんで文句を言うんだろうか。どうせ続けていても、辞めろ辞めろと言っていただろうに。福田さんは予想が出るとそれを意図的に外してくる人だから、年明け以外の時期で一番影響が少ない時期を選んだのではないかと思う。「人ごとのようにとあなたはおっしゃいましたが、私は自分自身は客観的に見られるんです、あなたとは違うんです。」という言葉はメディアに対するいい皮肉だと思うのですが、メディアと国民は逆ギレといってあほみたいに喜んでる。そんなことやってるからこういう政治の状況なんだろうに。

何回首相の首を差し替えたって、何にも変わらない。福田さんが最高だとは言わないけれど、国民は、まるでボーカーのように何回も変えていればそのうちパーフェクトなカードが来ると思ってるんだろうか。一生やってろと思う。参議院の過半数を野党が押さえている時点で、いくら衆議院の解散総選挙をして与党が勝ったって、次の参議院選挙で議席改選があるまではどうしたってねじれのままなんだから、やれる事には限界がある。小泉さんに飽きて安倍さんバッシングしてそんな状況を生んだのは国民。去年麻生さんがなっていても、あんまり状況は変わらなかったのではないかと思う。

歴史(=政治)っていうのは、最善ではない、どちらかというと厳しい環境のまっただ中において、その時点の状況、その時点の人材で考えられうる最善のカード(≠ベストカード)を選んでいく作業だと思う。後からジャーナリストが当時の情勢を調べたりいろんな人にインタビューすれば、もっといい選択肢が出るのかもしれない。でも、当時の時間制限、当時の当事者達が見えていた視野には限界があるのだから、ベストな選択が出来るというのはまれな事。どちらかというと、ベストな選択よりもベターな選択をする事の方が多い。でもそれは仕方のない事。

自民党には実績があり、民主党には期待がある。ところが、自民党は最近長年のボロがでて、民主党は行くのか行かないのかよく分からない。どっちもどっちな状況ではあるけれど、次の衆議院選挙で一回民主党に政権を担当させて失敗してもらって、自民党には権力を失うという苦渋を味わってもらって、2010年の参議院選挙、その次の衆議院選挙と徐々に政権に復帰してもらい、過去の反省をふまえた政権をやってもらうというのはどうだろう。

しかしその前に、国民の頭の中をどうにかしたい。僕の考えが正しいとは言わないけれど、好きだとか嫌いだとかタレントを見るときと同じ思考回路で考えるのは辞めて欲しい。国民は首相を辞任させられても、政治家は国民を辞任させる事は出来ないんだから。民主主義は、国民に高い判断力がないと成立しない政治形態。言い換えれば、国民のレベル=政治のレベル。

08/09/08追記
ブックマークコメントへの返答を別エントリに少し書きました。
iwalog : はてな村の人がいっぱい来た件

人はなぜ宗教を必要とするのか

2008/08/26(Tue) Book

人はなぜ宗教を必要とするのか 表紙
人はなぜ宗教を必要とするのか
阿満 利麿 (著)

宗教はインチキだ、という反応は、しばしば宗教に対して食わず嫌いになりがちです。宗教、とりわけ「創唱宗教(引用者注:キリストなどの特定の神を定めている宗教)」は、人類が培ってきた大切な叡智だといってよいでしょう。その叡智と無縁に生涯を終わるのはいかにも残念だ、というのが私の思いなのです。

先日読んだ本と同じ著者で、前作と対をなすような位置づけらしい。前回と同じく、読む前に自分が感じていたところと大筋は同じ主張で、それの裏付けとなる歴史的な背景や著名な宗教家の言葉を引きながら書かれていた。

「生老病死」という言葉があって、生まれること、老いること、病に伏せること、死を迎える事というのは、人間がその人生において逃れることが出来ない四つの苦悩という意味らしい。生はよく分からないし、老いはまだ経験しておらず、それほどの病に伏せったこともないが、死が苦況だというのはここ数年の近しい人の死でなんとなく理解できる。

個人的に、宗教は「よくできたフィクション」だと思っている。なので、神とか仏とかそういうのがいるとは全く思っておらず、むしろ嘘だと思っている。でも、嘘と分かった上で積極的に肯定している。人類が誕生したときから存在しており、何世紀にもわたって廃れることなく受け継がれている「よくできた物語」だと。

自分の死は分からないが、身近な人の死というのは結構こたえる。虚無感は時が過ぎれば薄らぐが、ほおっておいて完全に消えてなくなるというものではないと思う。おそらく、老いや、自分の力ではどうしようもない病なども、同じ性格のものだろうと思う。だけど、自分ではそういうことを経験するのは初めてかもしれないけれど、人類は過去ずっとそういう事を経験してきていて、それを解消するために編み出されたのが「宗教」だと思う。

誤解を恐れずに書けば、「生老病死」にぶち当たったときに、手っ取り早くそれを解消してくれるのが「宗教」だということ。僕の場合は、祖父が亡くなったときに「現代語訳 般若心経」という本を手に取り、「『生まれた』という認識も『滅した』という認識もありのままの実相ではなく、じつは脳内に現象した大雑把な『概念』に過ぎません。解けないほどに絡み合った関係性を、とりあえず無視してザックリ切った認識と見るしかないのです。」という一文に出会い、自分の中で何かがストンと腑に落ちた。

なので、おそらく、病だとか、うまくいかないこととか、そういうことで宗教を頼ったりはしないだろうし、自分以外の誰かにそれを押しつけることもしない。あくまで自分が生きていくときに糧となる「人類が残した精神の文化遺産」であって、それを使わせてもらっている。という位置づけ。だから「生老病死」という壁にぶち当たるまでは必要性を感じないだろうし、必要としない人もいるかもしれない。

ただ、「生老病死」の時だけ頼るにはもったいないほどの生きる上でのヒントが書かれているので、著者と同じく食わず嫌いするのはもったいないなぁと思う。そういう感じなので、そういうまっとうな宗教の部分と、政治介入している某教団のようなものがおなじ「宗教」というくくりになってしまっているのはとても残念だと思う。

日本人はなぜ無宗教なのか

2008/08/24(Sun) Book

日本人はなぜ無宗教なのか 表紙
日本人はなぜ無宗教なのか
阿満 利麿 (著)

このように見てくると、読者の多くも、自分たちが「自然宗教」の「信者」であることには反対されないであろう。さらにいえば、初詣やお盆、春秋の彼岸はいづれも重要な年中行事であることからも分かるように、日本人は年々歳々同じ行事を繰り返しながら、いつしかしか「自然宗教」に同化されているとも言える。

「自分は無宗教だ」という人が結構いるが、そういう人は「日本教(本書で言う自然宗教)」とでもいうようなものを信じてるんじゃないか、と思っている。元々は神道、仏教というきちんとしたものが長い歴史の中で一般化、混在化する経過を経て「宗教」から「習慣」になっただけで、大多数の日本人が盆に墓参りをしたり死んだら葬式をして、という宗教行為をやってるじゃん、と。

なぜそうなったかといえば、多くの日本人が仏教やキリスト教のような「宗教」と、オウム真理教や足の裏なんとかのような「カルト」をひとまとめにして捕らえてしまったために、「宗教」という言葉に対してネガティブなイメージを持っているからではないか。戦争も関係しているのかもしれない。

という仮説をもって読んだ本なのだけど、おおむねおなじような事が書いてあった。「習慣」化については、自治体が行う地鎮祭が政教分離に反するのではないかという裁判で「社会の一般的習慣に従った儀礼は宗教行事ではない」という判例が出ているらしく、社会全体として習慣化した宗教は宗教ではない、という認識なのだろう。

そうなった経緯については、かなり細かく歴史的な経緯が書いてあるのだけれど、その中でも明治維新によって天皇家にフォーカスがあたったことで、日本のその他の宗教全体に対して大きな混乱が生じたとあった。たしかに著者のいう考え方で行くと昨今の靖国問題の根本の原因ではないかと感じるけれど、組み立て方が単一すぎるのでこれは天皇家側からの視点で書かれたものも読んでみたい。

逆説思考

2008/01/15(Tue) Book

逆説思考 表紙
逆説思考
自分の「頭」をどう疑うか
森下 伸也 (著)

何かを発明することのほうが、それを利用したり、利用が将来に及ぼす影響を見越すことより容易である
ドナルド・ジョハンソン(生物学者)

たとえば、認知症の老人が増加して、老々介護のような深刻な問題が発生していることは、すでに種々のテクノロジーのおかげで人間が本来の生物学的限界を超えて長生き「させられて」しまっていることの証拠であるが、いつかかならず開発されるであろう認知症を根絶できるテクノロジーは、きっとそれ以上の難問を人類につきつけることになるにちがいない。

常識を捨てこんな考え方で生きると楽しいよという本なのですが、そのハウツーよりもその考えから生み出されるいろんな枝葉の方に興味が行った。常識を捨てる、というか無意識だった常識が見えてくるという意味では「99.9%は仮説」の方が効果ありだと思う。

自然環境に対しては脆弱であるくせに、知能と文明をを持ったことで、逆にどんな環境でも生きる事になった人間。シロクマは人間が裸では暮らせない北極で生きることは出来ても砂漠では生きられないが、人間は文明により両方で暮らすことが出来る。ただ、その文明が高度化していくうちに、自然への適応は出来るようになったがその文明内での様々な縛りが生まれてくる。

極限まで高度化した人工環境のうちには、核兵器や地球環境破壊など、まさしく文明の自爆装置がふくまれているのであった。

という一節で、文明とは高度化する宿命を持ち、同時に自滅することもまた宿命ではないかと説く。

歴史の天才達についても、ホーキングについて、

文章を書く能力を失い、もはや紙の上で代数的な数式を使って研究することが出来なくなり、心の目で思い描くことができる幾何学的な手法を使わざるをえなくなったのである。それは、彼の古い代数がけっして解明することが出来なかったものの見方をホーキングに与えたのである。

と「障害を持っているにもかかわらず天才になれたのではなく、障害を持っていたからこそ天才になることが出来た。」という仮説を立てる。

そして旧石器時代が終わると、洞窟壁画のように写実的な絵画が全く描かれなくなったことから、ハンフリーはこう推測する。すなわち、そのころから人類の言語活動が急速に発達し、それと反比例するように視覚イメージの操作能力は急速に失われていった。そして、たどりついたのが現在の人類の脳だというわけである。だとすれば、逆にこのように言うことも出来よう。ダ・ヴィンチやアインシュタイン、またサヴァン症候群のひとびとは、脳が旧石器時代に先祖返りすることによって、その異常な才能を開花させるのだ、と。

われわれの観念は、われわれがいなくてもやっていける。われわれが観念をもつのではない。観念がわれわれを持つのだ。

文化の情報を持つミームという仮想の遺伝子があるとするならば、結局の所人類とミームの関係は「ヤドカリ(=ミーム)とヤド(=人間)」であって、ミームが人類という入れ物を窮屈に感じた時、ミームは人類を捨て別の何かに乗り換えていくのではないかと。本の中ではそれは生物でさえないコンピュータではないかという仮説を紹介している。

と、こんなことを書きながら品川から東京に向かう新幹線から見える東京という文明を眺めていると、帰省する前とはまた違った風景に見えるから不思議である。

初詣は鉄道会社のマーケティング?

2008/01/01(Tue) Clip

神道由来の物だと思ってたんだけど。

初詣の歴史を皆知らない – mmpoloの日記

さて、先頃正月に神社へ参拝する初詣は日本の古い伝統行事などではなく、明治になってからある鉄道会社が始めたものだと知った。ヴァレンタインと同じだったのだ。

初詣 – Wikipedia

初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく、従来は氏神またはその年の恵方の方角の社寺に詣でること(恵方詣り)が多かったのだが、近年では氏神や恵方とは関係なく有名な寺社へ参る人も多くなっている。明治時代までは恵方詣りの風習が残っていたようだが、京阪神において電鉄会社が沿線の神社仏閣をてんでんばらばらに「今年の恵方は○○だ」と宣伝し始めたために、本来の恵方ではない神社仏閣にも詣でるようになり、恵方の意味が薄れ、有名な神社仏閣にお参りするようになったといわれている。基本的に「年蘢り」形式を踏まず、単に寺社に「元日詣」を行うだけの初詣は新しい風習であり、明治以降広まったものであるという。

気持ちが改まっていい切り替えになるからいいんだけど、ちと寂しい気も。

貝と羊の中国人

2006/09/30(Sat) Book

貝と羊の中国人 表紙
貝と羊の中国人
加藤 徹 (著)

ポッドキャストで聞いている伊藤洋一のRound Up World Now !で紹介されていた本。 財、貨、賭、買などの貝のつく漢字と、義、美、善、養などの羊のつく漢字から、中国人の深層がかいま見えるという本。「日本人は勤勉だ」とかいう評には、当然そうでない人もその通りの人もいて、あまり意味をなさない。この本で書かれているのは、どちらかというと文化や歴史面からの分析。

たとえば、日本語は「かゆい」と「くすぐったい」を区別するが、中国語は両者を「痒(ヤン)」の一言で示す。また、「冷たい」と「寒い」を区別せず「冷(ラン)」で済ませる。逆に、日本では「三日(みっか)」という言葉で日付を表す「六月の三日」という意味と、期間を表す「三日間」というふたつの意味を表現するが、中国語では日付は「三日(サンリー)」、期間は「三天(サンティェン)」と区別する。商業や政治、軍事などの面でもまれてきた中国語は「外向性」に富む言語であり、島国で攻め込まれることもなく同じ民族が生活している日本は互いの内面などの「内向性」に富む言語。その言語を用いて行われる会話は、考え方にも少なからず影響を及ぼすと説く。

こういった文化的な事や、一つの王朝が300年以上統治したことがなかった事、軍事的な面では必ずしも利点ばかりではない広大な国土とそこから発生する隣接国の多さにより遅れていた内部統治が、ソ連の自滅などによりようやく行われるようになってきた現状などを解説することで、逆に日本の特性も深く理解することができた。

小泉首相のように、それぞれの文化や宗教の違いと言い切ってしまうことはとても簡単で、現にそういうものでもある。ただ、この本で書かれているようなお互いがお互いになぜそういう行動を取るのかという背景を理解すれば、変に感情的にならず、打開策を探れるのではないか。そういう意味では、たとえば靖国という問題で両国が取った行動は、あまりにもシンプルすぎたのかなぁと思う。同じような顔つきをして、ご近所さんではあるけれど、まったく違う国だと言うことは、たしか。

上杉鷹山

2006/05/13(Sat) Book

上杉鷹山 表紙
上杉鷹山
童門 冬二 (著)

-為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
            成らぬは人の 為さぬなりけり-

米沢藩の第9代藩主に17歳で就任した上杉鷹山の物語。けして豊饒ではない国土と借金句の財政、今で言う守旧派の中に飛び込み改革を成し遂げた人の物語。純粋な歴史小説というよりも、所々企業経営に比喩するような記述があったり、かなりわかりやすく書かれてる。700ページもあるので、半日かけてゆっくりと読みました。

途中までは、まさに小泉改革みたいなストーリーでした。掲げているものはかなり違うけれど(首相にすれば同じなのかも知れないが)、大胆な案を掲げ、守旧派を排除し、全藩士を集めて守旧派に付くか改革派の鷹山に付くかを迫ったり。。。大胆な人事を行っているところも、かなり小泉改革をイメージしながら読み進めました。途中側近の首を自ら切る所には、ちょっと前の石原東京都知事と浜渦副知事の辞職が重なった。

マネジメント層を意識して書いているのか、まず人選をし、課題を掲げ、考えさせる。普段無意識に考えているヒエラルキーを逆転させる。タスクフォースを組織するなどなど。一つ一つを実際の仕事と絡めてイメージする事が出来ました。仲間との別れや、守旧派の反対、鷹山の成長と苦悩とか、物語としても十分面白いものでした。後継者育成とかがあまり書かれていなかったので少し消化不良でしたが。

正室の幸姫についての記述が途中から出てこなくなるので気になってネットで調べてみたら、あまり長い人生ではなかったようです。側室も迎えている。また、はじめの頃の改革の話が多く取り上げられているけど、財政健全化が実現したのは鷹山死後の翌年で、実際は隠居後の後期の改革の方が有益だったというような記述もあった(Wikipedia:上杉鷹山)。本の中では側室は取らないと書かれていたり、財政がそんなに回復したような記述がないのに鷹山の功績をたたえる取り巻きの声が多く書かれていたので、この本に「書かれていない事」も結構多そう。

読み終わってみて、この本を面白いと紹介してくれた人の仕事の仕方が、上杉鷹山そっくりだなぁと、しみじみ思ったのでした。

日はまた昇る

2006/04/30(Sun) Book

日はまた昇る 表紙
日はまた昇る
日本のこれからの15年
ビル・エモット (著), 吉田 利子 (翻訳)

-日本は革命の起こる国ではなくて、
  いったん合意の元にコースが決まったら、
   忠実かつ着実にそのコースを進む国なのである。-

日本よ、再び」に続いて読む。同じ事柄を別の視点から書いた本を連読するのは、頭も回りやすくて、視点も凝り固まらず、いいかも。どちらの本も、「日本は大丈夫だ、でも油断するなよ。」と語りかけてきます。

イギリスの歴史とかには全然知識が無くて的はずれかも知れませんが、大陸に隣接した資源や国土の限られた島国として、結構学ぶところがあるのではないか。そんな期待でイギリス「エコノミスト」編集長のこの人の本を買いました。

思っていたより日本を的確に捉えていて、日本人の僕らが知らなかったような情報もいくつか得る事ができた。僕らが他国のそれに鈍感であるように、この本でも宗教問題についてはいくぶん雑な解釈をしているけれど、経済と外交についての主張はなるほどなと学ぶところが多かった。

日本は高コストの国になってしまったけれど、人口減少を効率化の機会と捉えれば、高付加価値の製品やサービスを低コストで提供できる、究極の島国になるのではなかろうかと、そんな事を思いました。

再び昇った太陽は、僕らの未来を、明るく照らしてくれるのだろうか。

無意識の中の意識 – ITベンチャーを知る4冊

2006/02/13(Mon) Book

ブログを再開した手始めに最近読んだ本の感想でも書こうかと思って、直近の4冊をあつめたら、あらと気づいた。すべてITベンチャーの本なのだ。買った時期はバラバラ、中には1年前に買った本もある。読んでるときは全然意識してなかったんだけど、不思議と繋がっちゃうのですね。以下読んだ順。

起業ってこうなんだ!どっとこむ 表紙
起業ってこうなんだ!どっとこむ
藤田 晋 (著), 米倉 誠一郎 (著)

-FLOSS
 とにかく失敗しろ、異質な視点で考えろ、
   現場に出よ、いい加減になれ、バカになれ-

お約束ですね。藤田さんの本の中では一番学ぶところが多い本だと思う。サイバーエージェントの事業紹介の部分もかなりあるけど、仕事の事、組織の事、上場の事、そもそもの経済の事など体系だって流れるように学べる。この後の本を読んでその思いは強くなったのだけど、サイバーエージェントは楽天やソフトバンク、ライブドアなど財閥的発展をしている企業とは路線が違う。かといって、はてなやGoogleのような技術的発展をしている起業とも違う。どれが残り成功するのかは分からないけれど、みんな自分の道に自信を持ち集中して走っている。

大企業では小さいビジネスがしにくい、自社の株を村上ファンドに売ったソフトブレーン、短期の利益を考えながらも長期の利益を出す、理想と現実のギャップを埋めるのが経営、教育はアウトプット型がいい、といった事が強く印象に残った。

幻想曲 孫正義とソフトバンクの過去・今・未来 表紙
幻想曲 孫正義とソフトバンクの過去・今・未来
児玉 博 (著)

-好調な決算を背景に「後は孫社長の体調だけが心配」との声もあった。
  これに対して孫社長は「前髪は危機的状況だが、健康状態は至って健康。
   表面的にはワンマンのように映るかもしれないが、実際は組織で動いている。(以下略)-

脚色されているとは分かりつつも、今の飄々とした童顔の孫さんからは微塵も感じられない、もの凄くもの凄く濃い生き方に一緒に流され一気に読んだ。在日三世として今メディアには多くを語らない幼少期、事業の立ち上げ、孫さんが描いた夢を次々と形にしそして必ず去っていくブレーンたち、タイムマシーンと時価総額経営、病。そして夢を描いてくれるはずの実務者の自殺など。

読みながら思った。出てくる企業名や事業内容は時代を感じるけれど、やっている事は今の楽天やライブドアがやっている事と同じ。もっと言えば、10年20年前に孫さんが体当たりで四苦八苦しながらやってきた事を、時流も手伝ってスマートにやっているのが楽天やライブドア。M&Aは時間と顧客を買えるという言葉が、印象的だった。

折しも今日、ソフトバンクはEBITDAベースでの過去最高益を発表した。冒頭の言葉はその発表での言葉だけど、そこに至る過程を知れるこの本はぜひぜひ読んで欲しい。おすすめ。

楽天の研究 表紙
楽天の研究―なぜ彼らは勝ち続けるのか
山口 敦雄 (著)

楽天をネットビジネス期とファイナンス期に分け、各取締役のインタビューで楽天の様々な顔を照らし出し、全体像に迫ろうとする本。全体的にネットのインタビューや一般に知られている事が多く、あまり深く掘り下げられていないのが残念。

ライブドア資本論 表紙
ライブドア資本論
佐々木 俊尚 (著)

-巨大な放送業界と堀江貴文。
  それはたとえて言えば、恐竜と小型ほ乳類みたいなものである。
   恐竜はいずれ滅びる事を運命づけられているとはいえ、
    未だに栄光の大恐竜時代の最後の残滓を謳歌している。(中略)
     「おまえらはもうすぐ滅びるんだぞ!」「いずれは俺たちの天下になるんだぞ」
      とかみついたとしても、恐竜の方は何の痛痒も感じていない。
       「うるせぇなぁ」と小型ほ乳類を後ろ足で引っかけ、遠くに投げ飛ばしてしまうだけなのだ。-

堀江さんの登場は日本社会の歴史的必然であり、日本経済が迷走の末に産み落とした赤子であるととらえ、その背景を紐解く事で彼を解き明かそうという本。ライブドアとフジテレビの戦いを軸に書かれている。MSCBの仕組みがやっと分かった。まだ人に説明できないけど。

一番興味深かったのは、戦前の地方財閥からの直接金融⇒戦中の政府が生産をコントロールするための政府→銀行→企業の間接金融⇒戦後の財閥解体や証券不況による買収危機などから官僚主導での株持ち合いや間接金融となり、現在に至る流れ。そして金融ビッグバンがあり新興企業が生まれる現在に至っている流れ。全ては偶然にも必然にも見え、その中で生きていることをとても不思議に思う。日本人は元々協調性がないのではないかという解釈も、自分の中では新しい発見だった。

そして話は堀江さんに迫り、堀江さんを是とするか非とするかは、日本がこれまでやってきた事への踏み絵であると解く。

今となっては全ての内容が今のライブドアに繋がるように見えてしまうけれど、僕は堀江さんがやってきた事がまっとうなことではなかったことが残念でならない。誰かが書いていたけれど、世界一の記録を出したアスリートがドーピングだったときのような感覚。

ちなみに僕はなるほど、とかへぇとか感動したところには付箋を貼るのですが、この4冊で一番付箋を貼ったのはライブドア、逆に一番少なかったのは楽天でした。この無意識の結果の中にも、何かの意識が働いてるのかも、しれない。

※尚、全部個人的な、意見です。