Posts Tagged ‘ネット’

同期はしたいが統合はしたくない。

2008/07/03(Thu) Mac

iPhoneを手に入れてからのネット環境をどうしようかと考えている中で、懸案だったのがメール。ソフトバンクから提供されるいわゆるケータイメールとGmailなどのいわゆるPCメールを統合しようかどうかという点。

やろうと思えばMobileMeというデータシンクサービスを使ってアドレスを一つだけにしてPCローカルでもブラウザからでもiPhoneからでも同じ一つのアドレスで送受信することは出来るんだけど、いろいろ考えてやっぱりやめてみた。

PCメールはなんとなくの共通認識としていつもPCの前にいるわけではないから返信は遅いこともあるという扱いだと思うのですが、ケータイメールはいつも携帯している電話に送っているのだから返信は早く来ると思って相手は送ってくると思うのです。

そういう、極端に言えば電話にするかメールにするかぐらいの用途分けで相手が送ってくるメッセージを一つにまとめるのは受け取るこちら側が混乱する。一つにまとめてiPhoneに届くたびにバイブする設定にすることも出来るけれど、PC向けメルマガが届くたびにバイブされても面倒。というわけで、おそらくiPhoneを手に入れてもPCメールとケータイメールは別々で使う予感。やっぱりコミュニケーションサービスの運用ルールは環境や使う人の国民性に大きく依存するのだ。

言葉

2008/06/23(Mon) Diary

言葉って、大切だよなぁと思うのです。「思いは言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣となる。習慣は人格となり、人格は人生になる。」とは僕の好きな言葉の一つですが、その始まりの部分「思いは言葉になり」というのは、始まりのカオスな状態であるが故に、双方に影響していると思うのです。「思いは言葉になる」けれど、「言葉が思いになる」こともあると思うのです。カオスであるが故に、無意識に。

なにも、綺麗な言葉だけを見聞きしなさいなんて事は思っていなくて、綺麗でない言葉を知っていることは、綺麗でない面も見ることは経験として大切だと思う。ただ、それを自分の口から、自分の指から紡がないようにしておければいいのだと思う。

ネットの中にはそれこそ「きたない言葉」がたくさんあって、僕も日々それを見たりしているけれど、このブログではあまり書いていないと思う。ネガティブな事はたくさん書いているけれど、きたない言葉は使わず、綺麗とは言わないまでも最低限平坦な言葉で書くように気をつけているつもり。口から出る方は、ダメダメなのですが。。。

「死ねばいいのに」とか「キモイ」とか、指をカタカタと動かせばいくらでも書くことは出来るのですが、普段からそういう言葉を使ってしまうと、自分が何かを見聞きした時に、自然と自分の中から生まれてくる感情を言葉にするときの選択肢として、それらの言葉が出てきてしまうと思うのです。

小説や人から聞いた言葉で自分の物事の表現を増やしていくことと同じくらい、きたない言葉を自分のよく使うところに置いておかないことも大切なのではないかと思う。それによって相手を無意味に傷つけないというコミュニケーション的な意味合いもあると思うのですが、なによりも自分が汚れないように。

そして、言葉は思いと結びついてこそ意味のある、魂のこもったものになるのだと実感をもって感じた。言葉はとてもなめらかで綺麗なのだけれど、思いが、魂がこもっていないことをすらすらという人と出会って、その言葉が全く自分の中に入ってこなかったという事があって、それを実感した。

誰でも発することが出来るからこそ。誰でも記すことが出来るからこそ。

iPhoneとは。

2008/06/17(Tue) Mac

iPhoneが日本のモバイルビジネスをひっくり返す! – 日経トレンディネット

iPhoneの日本発売は、日本のモバイルビジネスにどういう影響を与えるのであろうか。じつは、まだ多くのユーザーはそのインパクトを知らずにいるのが現状であろう。iPhoneの発売は、単に「ケータイ端末の1モデルが発売される」というトピックにとどまるものではないのだ。場合によっては、日本のモバイルビジネスの構造を大きく覆す可能性も秘めているのだ。

と、大げさな前振りをした割にはピントがずれている記事な気がする。

ネットの中ではiPhoneが盛り上がっているけれど、全ケータイユーザの中からすれば1%程度の小さい盛り上がりだと思う。ネットやコンピュータ好きが盛り上がっているだけで、デコメだモバゲーだと盛り上がっている大多数のケータイユーザは、「フェリカ使えないの?」「モバゲーできないの?」「カメラしょぼい」と出来ないことだらけで全く魅力的に感じていないと思う。

キャリアのコンテンツやID(番号やメールアドレス)の囲い込みをiPhoneが解放してオープンにしたような言い方もしているけれど、結局App Storeという仕組みとiPhoneという端末で縛りを作っているわけで、囲い込んでいる状況には変わりはない。記事の中でもキャリアが「ユーザ」を囲い込んでいる現状を、「コンテンツのプラットフォーム」を解放したこととすり替えて語ってる。

個人的には、iPhoneはケータイではなくコンピュータの新しい形の一つだと思っていて、そう考えればネット界隈の盛り上がりと一般ケータイユーザの温度差も理解できるように思う。

電話からコンピュータに向かって進化している日本の携帯電話はあくまでも「携帯する電話」であって、ネットワーク機能はコンピュータと比べると陳腐。方やノートパソコンはどんどん小型化しているけれど、電車の中で立ったまま使えるわけではないし、ネットも細く値段も高い。そういった双方のアプローチで進化している中で、最初からその間のベストポジションに向けて作られた新しいコンピュータの形がiPhoneなのかなと。

だから、プラダケータイと同列にあるものではなくて、デスクトップPC、ノートPCと同列に位置づけられる新しいコンピュータという感じがしていて、僕はそういう意味合いでほしいなと思ってる。

iPhoneで、デスクトップPCに近いクオリティのブラウジング(Safari)、携帯電話よりも作り込まれた自由に開発・導入できるアプリケーション(App Store)、メインで利用するコンピュータとの完全な情報連携(MobileMe)といった、コンピュータとの新し使い方が出来る端末が、ただネットワークインフラとして携帯電話網を利用しているだけだという感じがする。

「うちにはプラダケータイがある」とか、「親指文化の日本ユーザには普及しない」と的外れなことを言っているキャリアや端末メーカよりも、「iPhoneをまねた端末が登場してくるかもしれないが、iPhoneのようなSDKやiTunesストアを含めたシステムはない。」と日本の携帯関係者の中で唯一正しい認識をしている孫さんの所でiPhoneを売ってくれた方がよりよいサービスになるだろうし、ひょっとしたら、アップルがソフトバンクを選んだのもこういった点が大きかったのかもしれないなと思う。

総務省概算 数億円、実際0円。

2008/06/12(Thu) Clip

犯行予告収集サイト「予告.in」公開 「0億円、2時間で作った」 – ITmedia News

「総務相が、ネット上の犯行予告を検知できるソフトの開発費を来年度予算の概算要求に盛り込むと発言した。費用は数億円」という報道を受け、開発者の矢野さとるさん(26)は、犯行予告収集サイトを1人で2時間で構築・公開した。

僕も昨日総務省のこの発表を見て、巡回速度をどの程度求めるのかによってマシンパワーはある程度いるけれど、ゴミ情報を見分けるロジックを考えるだけで出来るのに絶対2億円もかからないよと思っていたけれど、それを実際作って証明してしまうのはすごいなぁ。(たぶん○TTデータとかがgooの持っている言語処理技術をフル活用してどうのこうの…とか総務省に言ってたんだろうけど(謎))

総務省どうするんだろう。昨日首相問責決議案を無視した町村さんみたいに、「ネットの政治的アピールということは分かるが、意味があるか理解できない」とか言ってスルーしちゃうのかな。

「最近は、ネットの悪い部分ばかり取り沙汰され、いい部分があまり出てこなくて悲しい。2chの住人の地道な活動などが、こういうツールやサービスを通じていい方向に使われば」というのはホントその通り。

匿名のおもしろさ。

2008/06/09(Mon) Diary

最近はてな匿名ダイアリーという匿名で誰でも書き込めるブログにちょこちょこ投稿しています。A4で5枚くらいの長文を書いたのに誰も反応してくれなかったけど、3行だけ書いたらだだーっと反応が来たりして、リアクションというのははなかなか読めないもんです。

明確に区分けしているわけではないですが、書き手が自分であると示す必要がなくて、リアクションを求める方が目的の時には匿名ダイアリーで書いてます。たとえば、どこそこに遊びに行ったという話は僕が行った話で記録的な意味合いがあるのでこのブログに書いてますが、自分が感じたことが世間とどれぐらいギャップがあるのか・ないのかを知りたいときは匿名ダイアリーに書くという感じです。

これまでネット上でなんかするときってほぼ実名(orリアルとは結びつかないけど固定ハンドル)でやってたんだけど、匿名で書くことによって、書き手と発言内容が完全に分離されてフラットになるので、議論の内容だけに集中できてこれはこれでおもしろいなと思った。

つれづれなるまゝに、日くらし

2008/06/05(Thu) Book

徒然草を、初めてきちんと通して読んでみた。これまでとある一説とかはちらほら目にしていたんだけれど、そういえばきちんと読んだことないなぁと思い。幸いネットに結構あがっているので、徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)という結構フランクな訳のやつで読んでみた。

なんだか、ブログみたい。誰かがこんな事言ってたよという話もあれば、うわさ話もあり、時々ほほうとうなるものもあれば、意味が分からないのもあり。しかし、日本人って今も昔もこういうつらつらとした文章を綴るのが好きなのですかね。時代のうつろいの中で古ぼけてしまったものもあれば、未だに光り輝いているものもあり。以下個人的に響いたものをフランクな訳とともにいくつか。

徒然草 第三十八段

迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

(訳)迷える子羊が、名誉、利益をほしがることを考えてみると、だいたいこの程度のことだ。すべてのことは幻であり、話題にすることでもなく、お願いすることでもない。

徒然草 第五十九段

命は人を待つものかは。

(訳)命が人の都合を待ってくれるだろうか?

徒然草 第九十一段

「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。

(訳)たとえば「日柄の良い日に悪いことをすると、ろくな事が起きず、日柄の悪い日に良いことをすれば、きっと良いことが起こる」なんて言ったりするけど、物事の良い悪いは、人の心の問題で、日柄なんて全然関係ないのであった。

徒然草 第百二十七段

改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。

(訳)直してもどうにもならないものは、ぶっ壊した方がよい。

徒然草 第百二十八段

すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。

(訳)なんだって、心がある生き物を見て、優しい気持ちになれないとしたら、人間じゃない。

徒然草 第百三十七段

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。

(訳)さくらの花は満開の時を、月は影のない満月だけを見るものだろうか? 雨に打たれて雲の向こうの月を恋しく思い、カーテンを閉め切って春が終わっていくのを見とどけないとしても、それはまた、ふんわりとした気分になってくるものである。

徒然草 第百五十五段

春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。

(訳)春が終わると夏がやって来て、夏が終わると春がやって来るのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏の中には秋の空気が混ざっている。秋はだんだん寒くなり、十月は小春というように暖かく、草も青み出して、梅の花が蕾みだしたりもする。

徒然草

2008/05/26(Mon) Diary

人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覚ゆれ。

この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士も測るべからず。己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。

(徒然草 第143段)

今日一日は、女性アナウンサーの自殺で持ちきりだった感がしました。僕自身はテレビでちょっと見たことがあってかわいい人だなぁという程度の印象しか持っていなかったので、びっくりはしたけれど身内の永眠時に感じたときのような空しさほどではないという程度でした。

ジャーナリストでもないのでその原因を邪推しようとは思わないですが、とても印象的だったものが一つ。そのアナウンサーが自殺の二日前、最後に出演した生放送番組がネットに上がっていました。その番組の中では今からすれば皮肉な事に富士の樹海で自殺志願者を取材する特集のVTRが流され、スタジオのゲストがいろいろとコメントしていました。

「本当に死にたい人はいない。自暴自棄になっているだけ。」「格差が生んだ」「誰かと話すと気持ちが楽になる」「上手に自分の気持ちを吐露し人から力をもらおう」「弱音を吐けない人はつらい」「どこかにサインが出るからまわりの人が気づいてあげよう」と何人かがコメントをした後に映ったその司会の女性アナウンサーの顔は、いつもの彼女の顔でした。

実際の所その時点で心を決めていたのかこの収録の後に何かがあったのかそれは分かりませんが、投げかけられた言葉のなんと無力なこと。「どこかにサインが出るからまわりの人が気づいてあげよう」と言われても、それを言っているコメンテーターさえも気づかないほど穏やかな彼女の笑顔は、もう亡くなってしまった今の時点で見ても、それが死を決意した人の顔であったと気づけるだろうかと思います。

アナウンサーのブログでのエントリはたしかに異様なものですが、まわりの人がそれを読んで気にして声をかけたとしても、その笑顔で「大丈夫」と返されたらそれ以上何もしようがないように思います。自殺を予防する活動もいろいろありますが、今回のことを見ていると本当に自分の中で決めてしまった人にはどうしようもないのではないかと、それこそ亡くなった人はどんな事をしても生き返らないのと同じように、周りの人間にはどうしようもないのではないかと思ってしまいます。

銀星将棋DS

2008/05/10(Sat) Diary

銀星将棋DS パッケージ
銀星将棋DS

最近これを買ってちょくちょく将棋をやってます。元々小学校の頃にじいちゃんとか友達と指していたので基本的なルールは分かってるんですが、その頃も今もボードゲームのたぐいはめっぽう弱いので、一番弱いレベルでも勝ったり負けたりといった感じです。

将棋は運は全く関係なく実力がはっきり出るゲームなので、最初は我流でやっていたら全然勝てなくて、棒銀とか基本的な先方をネットとかで調べて使い始めたらちょくちょく勝てるようになってきました。それらをベースに、自分がこう指したら相手がこう指して…と考えるのは結構楽しいもんです。DSのゲームって結構簡単に飽きてしまうんですが、(自分が弱いこともあって)このゲームは長く遊べそう。

ニンテンドーDS LiteとマリオカートDSを買った。

2008/04/30(Wed) IT

ニンテンドーDS Lite
ニンテンドーDS Lite

マリオカートDS
マリオカートDS

任天堂の決算発表を見ていたら、いつの間にか買っていました。買った後になんでまたゲームを見てとかではなく決算発表を見て買ってしまったんだろうと考えたら、会社の掲げている理想にとても共感でき、実際の数字でもその結果が伴っているので、その製品に触れてみたかったんだろうと思う。

ゲームをちゃんと買うのも(PSPを借りたことはあるけれど)プレステ1以来。家にテレビを置いていないので、一緒にテレビも買わないといけない据え置きを買うのがおっくうなので、どうしても携帯型になってしまう。Wiiもほしいけど。

DS本体はガジェットとしてはいい形をしているけど、正直ちょっと使いにくい。お弁当箱みたいな形なので、両方の人差し指で触るLとRのボタンが押しにくい。AやBのボタンや十字キーも、全体的にちょっと小さくてしっくりくる感じがしない。でもインターフェイスや全体的なわかりやすさはさすが。

マリオカートは、スーファミでやった以来。全体的に難易度は低いけれど、どこまでもやりこめる工夫がある。それからWiFiコネクションを使ったインターネット対戦がおもしろい。レースゲームなのでそんなにあれる要素がないからかもしれないけれど、友達と隣で一緒にやっているような感覚で楽しめる。今後ドラクエの最新版もDSで発売されるみたいだし、ソフトもちょこちょこ買いそろえていこうかな。

ウェブ時代をゆく

2008/04/25(Fri) Book

ウェブ時代をゆく 表紙
ウェブ時代をゆく
いかに働き、いかに学ぶか
梅田 望夫 (著)

本書には、「社会はこうあるべき」と虚空に向け提案を放り投げるような言説は一切含まれていない。個に「自助の精神」さえあれば追求可能な新しい可能性やその方向性を考え続けた。志向性を拠り所にできさえすれば、仮にこれまでは「自助の精神」を発揮できなかったとしても、これからはできるのではないか。その一点に期待をかけ、それを直接、一人ひとりの読者に伝えたいと思いながら書いた。

ウェブ進化論以来梅田さんの本は多数出ているのですが、その中でも前編書き下ろしでウェブ進化論と対をなすという説明に惹かれて買ってみた。ウェブ進化論が新しい「あちら側」であるネットの世界と「こちら側」である現実社会について解説した本ならば、この本はその世界で可能になってきた新しい働き方を説いた本。

僕はちょっと前まで、梅田望夫という人がよく分からなくなっていた。ウェブ進化論はたしかに大いに勉強になったけれども、それ以降は橋下大阪府知事の言うところの「机上の空論」というか、抽象的なことばかり言ってぼかされているような気がして、なんというかちょっと敬遠していた。もちろん、僕がきちんと彼の文章を読んでいないのかもしれないが。

ところが最近読んだ「おもてなしの経営学」の筆者中島聡さんと梅田さんの対談の中で、梅田さんのしたいことは新しい形の教育だという下記の一文を読んでから納得し、彼が何をしたいのかがよく理解できたので、この本を買った。

福沢諭吉が明治の少し前に慶應義塾を作ったとき、同世代の人たちから見れば彼が何をやっているのかさっぱりわからなかった。今でこそ慶應義塾大学は有名校だけれど、昔はただの私塾だものね。だから僕も、同世代には分からなくても将来的に「あのとき、あいつは新しいことをやっていたんだな」と言われたい。

(中島聡著 おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由)

僕が印象に残ったのは、インターネットにより学ぼうと思えばどこまでも学ぶことが出来る個人の知が高速道路化された現代の中で、どうやって「好きを貫いて」生きていくことが出来るかという著者なりの答え。正攻法でそれを扱う大企業に入ってという方法の他に、「けものみち」と表現される総合志向の自由な生き方。

自由とは言いつつも、そこで生きるためには「際限のない好奇心」と「終わりのない学習」といった自立性が強く求められるため、決して自由に好きなことだけしていくといった生やさしいものではない。そして、自分の好きなことは何かと極限まで自分自身に問い詰める作業が必要となる。

その助けとなるのが「ロールモデル思考法」。ロールモデルとは、お手本となる人を見つけてそれを指針にするという最近よく言われている方法だけれど、それを複数の人から共感できる部分だけを参考にするという方法はなるほどと参考になった。

たとえば、イチローのハングリーさ、古田のロジカルな考え方、みのもんたの時間の使い方、みたいに、それぞれの共感できる一部分だけを参考にする。この方法だと確かに参考にする部分を見つけやすく、自分にあった目標=好きなことが見つかりやすい。今後の自分の仕事を考える上でとても参考になり、自分なりのロールモデルを考えてみて、今後が少しすっきりした。