Posts Tagged ‘人生’

タモリさんの弔辞

2008/08/07(Thu) Clip

個人的には、「医者から酒をやめろって言われたよ」と酒を飲みながら話していたおじさん、という程度の認識しかないのですが、産経新聞で読んだ弔辞の全文と、YouTubeにあがっていたタモリさんの語り口を聞いて、二人の関係が目に浮かぶようなこの言葉に少し感動した。

きっと彼は、この弔辞を読んだ後、いつものように笑っていいともで馬鹿話をして笑っていたのだろう。大げさかもしれないけれど、「これでいいのだ」とは、「色即是空」という事なのかもしれん。

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Bookカテゴリが200エントリ突破。

2008/07/01(Tue) *Pickup, Diary

気づけば、Bookカテゴリのエントリが200本になりました。ぼちぼちとでも続けば結構な量になるもんですね。最初のエントリは「なぜマネジメントが壁に突き当たるのか」。まったく20才のぶんざいで何て本を読んでたんでしょうか(恥)。2003年からの約5年で200本なので、1年あたりだいたい40冊程度読んだことになる。割り算すると1ヶ月3冊ということなので、だいたい2週間に1冊というペース。まあ、実際は読む時期と読まない時期の落差は大きいのですが。

これだけ読み続けられたのは、ひとえにこのブログのおかげだと思う。読み終わってから一度その内容を振り返り、印象に残った一節を引用し、自分の感じたところを書き記す。時々自分の意見についてのみんなからの感想がもらえる。アウトプットが設定されていないインプットに意味はないと誰かが言っていましたが、このブログに書き記すというアウトプットがあるから続いているような気がします。

200冊を読んだことで、自分に何か変化があったのだろうかと振り返ってみると、一つはいろんな人の人生や考え方を疑似体験できたことで、それらのうち印象に残ったいくつかが自分の考え方や生き方に影響を与えているという事ではないかと思う。僕は、過去の考えや選択が今この瞬間の選択をするときに与える影響が強い方だと思うので、どうしても見えている範囲がちいさくなりがち。そんな時に、自分では普通しないであろう考え方や行動をしている登場人物たちを見ることで、その選択の振り幅が少し自由度を増しているように思う。

僕は、本を読むときはその世界に入り込んで一気に読んでしまう方です。読んでいるうちにいつの間にか主人公と同化し、同じように楽しみ、悩み、感動し、傷つき、ひとつづつ物語を進んで終わりに到達する。そういうプロセスをいくつもいくつも経験することで、自分の中で感じる感情や表現する言葉が少しでも増えていたらいいなぁと、後付けですが思います。

あ、それからハズレ本にあたる確率が減ったかな。でも、最近客観的に読み過ぎている気もする。感動や物語の展開になれてしまっている気がするのが少し心配。5年で200冊、男の平均寿命は79らしいので残りの人生54年とすると、このペースで読んでいくとこの後死ぬまでに2,160冊ほど読める計算になる。まだまだ10分の一、もっといろいろ読んでみたい。

言葉

2008/06/23(Mon) Diary

言葉って、大切だよなぁと思うのです。「思いは言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣となる。習慣は人格となり、人格は人生になる。」とは僕の好きな言葉の一つですが、その始まりの部分「思いは言葉になり」というのは、始まりのカオスな状態であるが故に、双方に影響していると思うのです。「思いは言葉になる」けれど、「言葉が思いになる」こともあると思うのです。カオスであるが故に、無意識に。

なにも、綺麗な言葉だけを見聞きしなさいなんて事は思っていなくて、綺麗でない言葉を知っていることは、綺麗でない面も見ることは経験として大切だと思う。ただ、それを自分の口から、自分の指から紡がないようにしておければいいのだと思う。

ネットの中にはそれこそ「きたない言葉」がたくさんあって、僕も日々それを見たりしているけれど、このブログではあまり書いていないと思う。ネガティブな事はたくさん書いているけれど、きたない言葉は使わず、綺麗とは言わないまでも最低限平坦な言葉で書くように気をつけているつもり。口から出る方は、ダメダメなのですが。。。

「死ねばいいのに」とか「キモイ」とか、指をカタカタと動かせばいくらでも書くことは出来るのですが、普段からそういう言葉を使ってしまうと、自分が何かを見聞きした時に、自然と自分の中から生まれてくる感情を言葉にするときの選択肢として、それらの言葉が出てきてしまうと思うのです。

小説や人から聞いた言葉で自分の物事の表現を増やしていくことと同じくらい、きたない言葉を自分のよく使うところに置いておかないことも大切なのではないかと思う。それによって相手を無意味に傷つけないというコミュニケーション的な意味合いもあると思うのですが、なによりも自分が汚れないように。

そして、言葉は思いと結びついてこそ意味のある、魂のこもったものになるのだと実感をもって感じた。言葉はとてもなめらかで綺麗なのだけれど、思いが、魂がこもっていないことをすらすらという人と出会って、その言葉が全く自分の中に入ってこなかったという事があって、それを実感した。

誰でも発することが出来るからこそ。誰でも記すことが出来るからこそ。

アンフェアな月

2008/04/12(Sat) Book

アンフェアな月 表紙
アンフェアな月
刑事 雪平夏見
秦 建日子 (著)

「死を自覚することで、生も自覚できた。おかげで、残り短い人生を、それまでの数倍も充実して生きることが出来た。よかったよかった」という話だと男は分析した。

ものによっては、「だから、解釈のしようによっては、自分は病気になって幸せだったかもしれない」とまで、死にゆく主人公に語らせていた。

ミステリらしくないミステリでありながら、ふつうのミステリよりもおもしろい。前作の翌日からのお話で、テレビドラマとは別のストーリー。なので雪平の相棒安藤も元気に生きている。前作の内容はほとんど忘れてしまっていたのですが、それでも十分楽しめました。

スリリング、というよりもおもしろい。冒頭からそれだけで映画やCMのコピーになってしまいそうなハッとする、それでいておもしろい言葉や掛け合いが出てきて、ちゃんと本筋の事件も進んでいるのですが、横道のそのやりとりに気をとられてしまうほどたのしい。

そして、そっちに気をとられていたら、あれっという間に本筋のミステリがあっさり解決してしまって拍子抜け。と思ったら、きちんと最後にメインディッシュがあって、それがまたミステリと言うよりも哲学的な読後感を最後に残してくれる。

命、というものに、正攻法とは全く逆のアプローチで光を当てている。故に、普段見せられる命の形とはまた違った面を見せられて、なんとも言葉がない。引用した文章のような、ありきたりな命の価値観の描写ではなく違った面でその意味を問いかけられて、ぼくはなんとも答えようがなかった。

あしたの、喜多善男

2008/04/12(Sat) Movie

あしたの、喜多善男

あしたの、喜多善男
〜世界一不運な男の、奇跡の11日間〜

キャスティングや「世界一不運な男の…」というタイトルにはすごい期待したんだけれど、見るうちにどんどんつまらなくなっていった。。。視聴率が火曜10時枠のドラマとしては歴代最低というのも、残念だけど納得してしまう。思うに、長すぎるんだと思う。人生最後の11日間を11回のドラマで描くと1話では1日しか描けなくて、間延びしたように感じる。途中の宵町しのぶ関係のエピソードとか、本筋に関係なく数回割いていて、そのへんで興味がなくなってきた。そもそも、死のうと思い至った経緯も、それを撤回する理由もなんだかうすっぺらく思えてしまう。

とはいえキャスティングは個人的に趣味の合う人が多くて、喜多善男役の小日向文世の一人二役は、全く別の役者に感じてしまうくらいスムーズにみれた。小西真奈美はあんまり魅力が出ていませんでしたが、生瀬勝久が冒頭から平泉成のモノマネで登場して後半の回で平泉成本人が別役で出てくるあたり、生瀬さんどのドラマでもいい役もらってんなーと思ったり。

あしたの、喜多善男 ジャケット
あしたの、喜多善男
~世界一不運な男の、奇跡の11日間~ DVD-BOX(6枚組)
出演: 小日向文世, 松田龍平

ハケンの品格

2008/04/07(Mon) Movie

ハケンの品格

ハケンの品格

これも今頃見ました。大泉洋もいいですが、松方弘樹が以外といい。昔ながらの会社人間を地味だけどしっかりと表現している。自分の意志で派遣を選んだ篠原涼子演じる大前春子、それが唯一の選択肢で派遣になった加藤あい演じる森美雪、高度経済成長の中で会社と人生がイコールだった松方弘樹演じる桐島敏郎、その背中を追いつつも現実とのギャップに悩む大泉洋演じる東海林武。

それぞれがそれでいいのかと悩みながら生きる姿は、誰が善で誰が悪とかではなく、どの立場のキャラクタにも感情移入出来るストーリーに支えられ、常に変化する社会環境と、それに則さない企業と、その間で板挟みになる人間が抱えている気持ちが表れていて、少しだけ元気になれる。

ハケンの品格 DVD-BOX ジャケット
ハケンの品格 DVD-BOX
出演: 篠原涼子.加藤あい.小泉孝太郎.大泉洋

iwalog 2007年の振り返り

2007/12/25(Tue) Diary

そろそろ今年も終わるので、iwalogの振り返りなど。今年1年で232本(2日に1本ペース)の記事を書いたのですが、その中から主要カテゴリ毎にいくつかを選んでみた。

■Book(64件)
今年読んだのは64冊。年間でならすとだいたい1週間に1冊ペースですが、4?9月に集中していて年明けと10月以降はほとんど読んでおらず。身になったものもあればそうでないものもあり。全体的に小説が多く、「すべてがFになる」と「赤朽葉家の伝説」に出会えたのは大きかった。とはいえ、影響を受けたものはノンフィクションのものが多かった。

・01月14日 すべてがFになる
・06月10日 現代語訳 般若心経
・06月23日 僕はパパを殺すことに決めた
・06月28日 赤朽葉家の伝説
・09月02日 隠された風景

■Clip(51件)
結構Clipしてると思ってたけど、Bookより少なかった。要は時事ネタ批評コーナーなのですが、コメントをもらう数が一番多いのはこのカテゴリかも。小さい頃はなんで大人って新聞とか読むんだろうと思ってましたが、いつの間にか毎日主要5紙のサイトを巡回するようになってしまいました。

・08月30日 人柱
・09月17日 匿名の批判
・09月19日 安倍さんよりも悪い人
・11月12日 赤ちゃんポスト
・12月12日 好きを貫く人をつくる人。

■Diary(61件)
公私ともにいろいろあった1年。1年の間に事業の立ち上げと終了を経験することは、なかなかないかも。「たまには書評以外のことを。」で自分が書いていることを、忘れないように(いいこと書いてる)。

・01月19日 たまには書評以外のことを。
・06月09日 菊の花の中で
・09月14日 それは首相の辞任のようで。
・09月24日 打ち上げ花火を左右から見た僕と彼女の関係。
・11月14日 105年の人生の終わり

■IT(29件)
nanacoとかtwitterとか、もう全然使ってないな。。。nanacoはためたポイントのExitがしにくい。毎日使うのが数百円とかの少額なので、ポイントも全然たまらない。ポイントをためるメリットより、チャージしたお金がセブンイレブンでしか使えなくなるデメリットが大きいからかな。SUICAは使ってる。

・04月16日 twitterはじめました。
・04月23日 nanaco
・07月10日 W52SH
・10月17日 外付け500GBHDDを買った。
・11月05日 iPod touch

■Movie(13件)
とりあえず、ヱヴァの新作と序のDVDが待ち遠しいです。

・05月12日 ゆれる
・09月25日 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

思うに、書きたいときにばーっと書いて、それ以外の時は細々と、というペースが僕にはあっているようです。翌日にはもう忘れていそうな一瞬の感情も結構書き留めていて、後から振り返るといい教訓になったりするので、来年もこんな調子でやっていこうかと思います。来年もご愛読よろしくです :-) > 読んでくれているみなさま。

#ふと、このブログを読んでくれている人の中で、僕と面識のない人ってどれくらいいるんだろう、と思う。検索から飛んできて一瞬だけ見る人は置いておいて、RSS購読してる人だとほとんどいなそう。

僕らは「魑魅魍魎のIT企業」だったのか?

2007/12/20(Thu) Clip

ドロップシッピング業者相次いで撤退。

あせらない、あせらない。

あせるということは、事業に魅力がないのではないでしょうか?
売上が上がらなくても、
やり続けたいと思える事業は素晴らしいと思います。

僕は最近、人や企業を見る目が養われました。

100年経ってみて、何の意味もなさない事業をやっている
魑魅魍魎のIT企業がいかに多いことか。
こんな辛らつな日記は書きたくはありませんが
もう少し人類の幸福につながる事業をやられたら
考え方も変わるのではないかと思います。

人生で働けるのはたかだか50年。
死ぬときに、何か一つでも社会に貢献できたと言えるものを残し、
孫に自慢できるようなじじいになりたいものです。

僕が1年と数ヶ月携わった仕事は、何の意味もなさない仕事だったんでしょうか。僕がいたのは魑魅のように人を迷わせるIT企業で、そこで働いていた僕は魍魎のように人を化かす人間だったんでしょうか。僕は、人類の幸福に繋がらない事業をやっていたのでしょうか。

以下すべて、親会社の思いでも、会社の思いでも、他のメンバーの思いでもない僕個人の考えという前提で、署名には自分が誰かを明らかにする以外の意味はありません。引用元サイトの方がそれを明らかにしているのでフェアに。

撤退した事への批判は、真摯に受けとめています。期待してもらったのにそれに応えられなかったわけで、それについての引用元の批判はその通りだと思います。ただ、儲からないからやめるのかという話は、少し違うと思っています。儲かることは、事業をやる上での必要条件だと思うからで、同時に十分条件ではない事もそれと同じくらい思っています。

だから、「儲からなくても続ける事業」に、価値はないと思います。「儲け」とは具体的には「利益」の事で、「利益」とは、その「事業(=企業)の価値」です。1,000円で仕入れた木を加工して作ったテーブルを2,000円で売り1,000円の利益が残ったとき、それがそれを加工した事業=企業=人の価値の証です。なので、儲からない事業とは何の価値も生まない事業であると思います。

誤解してほしくないのは、今は「事業」についてを言っているのであって、ボランティアとかそういうことは含んでいません。儲からないことすべてに価値がないと言っているのではなくて、事業として行うからには儲からない事業に価値はないということを書いています。現に僕は儲からないけど、というか単純に見ると損をしていることも個人的にたくさんしてます。もっとも、意味のないことなんてそもそもあまりないんですが。

焦ると言うことは、事業に魅力がないという事ではないと思います。描いているものと、現状のギャップが大きいときに生まれるのが焦りであると思います。「描いているもの」というのは「目標」であり、それは約束をもって初めて意味を持つものです。今年の秋までにあった事というのは、僕らが親会社と決めたルールの中で、会社と約束した時間の間に、約束した「事業の価値」を作れなかったという事だったと個人的には思っています。他にもいろいろあるけどとりあえずこれに絞ります。

冒頭に戻ると、その事は「何の意味もなさない」事で、「魑魅魍魎」で、「人類の幸福に繋がらない」事なんでしょうか。DSというモデル自体は、引用元の方もやっている訳なので無意味ではないと思います。僕らは会社と約束をした。そしてその約束を守れなかった。その結果その事業を閉じる会社は「魑魅魍魎な企業」なんでしょうか。「人類の幸福に繋がる仕事」というのが少し漠然としているのでそれについては保留しますが、僕はそれは「魑魅魍魎な企業」ではなく「まっとうな企業」であると思います。ただ、まっとうである事がとてもつらい事である場合も時にはあるという事。

引用元の方が言わんとしていることはとてもよく分かります。その通りだと思う自分もいます。でも、これまで書いてきたことも間違ったことではないとも思っています。矛盾していると言われればそうなのだけど、僕は矛盾した思いが共存する事が悪いことではないと思っています。こういう事は書かない方がいいことは十分わかっていてるから閉じた時も何も書かなかったんですが、引用元の方のテキストだけがネットの中に残ってしまうのは、本意ではないので書きました。

105年の人生の終わり

2007/11/14(Wed) *Pickup, Diary

なぜか夜中何度も目が覚めて、浅い眠りのまま朝が来てしまった火曜日。異様に胃が痛いなぁと思いながら起きると、父方の曾祖母の意識がなくなったとの連絡。曾祖母はもう100才を超えているので、実は毎年夏の終わり頃になるともうだめかもしれないという連絡が何回も来ていて、今回も気軽に考えていたら本当に逝ってしまった。享年105才の大往生。

会社に行って昼から帰らせてもらうお願いをして、夏に母方の祖父が亡くなりこの前会社がなくなり、今回は曾祖母が亡くなりと、本当に厄年ってあるんだなと思いながら新幹線で福井へ(もう今回ので打ち止めにしてほしい。。。)。夜家に着くと、近所の人とか親戚の人が集まってる。前回と違い父方の親族なので、これまたむこうはみんな僕の事を知っているけれど僕はその人を覚えていない親戚のオンパレード。そういえば家についてすぐに犬の散歩に行ってこいと母に言われた。まだお焼香もしてないのにさ。

前回は通夜からしか参加しなかったけど、今回はその前から見る事になった。誰が通夜に来て誰が泊まって誰が葬式まで出て引き出物の数は何個で、焼香に呼ぶ名前は誰を先にして誰を後にして、あーあの人が抜けてるという終わりのない話し合い。その最中にも新聞社からお悔やみ欄の確認の電話が来たり、次から次へと親戚が来たり。。。(80歳代のおばあちゃんに曾祖母の娘だって言われるんだから、もうわけがわからん。)いろいろ終わって寝たのが朝の4時。そして今日が通夜。

祖父で「死」というものに一度触れているし、今回は年齢が年齢で覚悟も出来ていたし、僕自身の気持ちもいたって穏やか。まあこうやって曾祖母が寝ている隣でブログ書いてるくらいですからね。(最近の式場は無線LANが完備されているのですよ。)さっき通夜が終わったので、明日葬儀をして、火葬をして、最後まで見届けてから東京に帰ります。

中卒になるか、大学まで行くか。

2007/09/21(Fri) Clip

アルファルファモザイクより「中卒になるか、大学まで行くか。」

仕事に対して収入だけを求めるなら、素直に大学まで行った方が楽。どんな仕事にも情熱を持って一生懸命やれるなら中卒でもかまわない。収入だけを求めるわけでもなく、情熱もそんなにないなら、それも大学まで行った方が良い。

基本はその人が何をやりたいかで、そのために大学に行く事が必要なら行った方がいいし、そうでないのならそこにこだわる必要はないんじゃないかと思う。僕は中3から学校行かずにネット系のバイト初めて、仕事しながら通信制の高校を卒業したのでどっちかというと中卒の方を擁護してしまうのですが。以下それが前提として。

人生って不条理なもので、その人が何をやりたいかというのは、いろいろな経験を通じて人生の中盤とか後半に解ってくる事が多い。でも、人生の中の大きな選択というのはたいてい人生の前半にあって、それを分かる前に、自分が何者であるのかを知る前に判断しないといけない。

たとえば、現状は小⇒中⇒高⇒大⇒社会という流れだけれど、18才で高校までを義務化し、19才から29才までの10年間に働きながら自分の特性を知り、それを深めるために30才から5年間会社を辞めて大学に通い、改めて35才からまた働くという仕組みが社会的に認められていたらいいのにと、僕は思う。

今のところ高卒が原因で何かを断念したような事はないけれど、大卒なら得られたであろうチャンスを逃してる事はあるんだろうと思うし、それは僕からは見えない事なんだろうと思う。でも代わりに得たものもあるわけで、僕は今のところ得られた事の方が多いけれど、まだ先は長いんだからこれから先もそう思えるかは分からない。そう思いたいとは思っていますが。