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いわごろ的 Life Hack(PC編)

2007/03/22(Thu) *Pickup, IT

というわけでいわごろ的 Life Hackです。

【Life Hack】
効率良く仕事をこなし、高い生産性を上げ、人生のクオリティを高めるための工夫。

既に知ってることもあるかと思いますが、いわごろのやっていることや使っているソフトをご紹介。ちなみにいわごろはPC・ネットワーク原理主義者であることと、At Your Own Riskということで。

【PCはノート型を】
コンパクトなことはもちろんですが、停電の時にバッテリーで動いてくれるからデータ消失リスクがないことはあまり気づかれてない気がする。それと、ノートPCのコンパクトなキーボードは、日本人の小さな手に合っている。キーボードが小さいと、指を移動する距離が小さくなるので、一日中使っているとかなりの省力化になっているハズ。

いわごろが個人的に使っているのはVAIO T
VAIO T


VAIO typeT

【マウスにはお金をかけて】
おなじくマウスも一番多くの時間使うもの。ホイルスクロールがあるのはもちろん、手になじむ大きさであることや、ワイヤレスであることも結構大事。いわごろが使っているのはMX™ Revolutionです。これは充電式なので、電池を替える必要もなく、09:00?26:00まで使っても翌朝まで充電しておけば全然問題ない。MAX徹夜して39時間連続使用しても問題なかったですが、3日連続徹夜する可能性のある職業の方にはオススメしません。>福井の誰かさんへ

MX™ Revolution

と、とりあえず大きな所から入りましたが、今後各論へ。

Sony Style(ソニースタイル)

有限と微小のパン

2007/02/10(Sat) *Pickup, Book

有限と微小のパン 表紙
有限と微小のパン
THE PERFECT OUTSIDER
森 博嗣 (著)

-彼女の父親も母親も、娘に何も託さなかった。
  彼らは自分たちの人生を生き、その人生の中で娘を愛したのだ。-

物語の流れとしては、「すべてがFになる(iwalog:すべてがFになる)」があり、この「有限と微小のパン」があり、「四季(春・夏・秋・冬)(iwalog:四季(春・夏・秋・冬))」と帰結していくのだけど、僕は「有限と微小のパン」を読まずに「四季」に行ってしまった。ミステリーとしては特に面白い物ではなかったけど、四季のストーリーの最後のピースを埋める物語としては、価値があった。868ページ、読了に9時間。

森達也 「ドキュメンタリーは嘘をつく」

2007/02/02(Fri) Movie

いわごろの感想は動画の下にありますが、とりあえず見てから読んでください。


最初の部分でこの番組の趣旨とその造りと訴えたいことが分かってその後の映像を見ていながらも、最後の女の子のセリフはズシンとくる。アーレフがこの番組に出ている意味も、よくわかる。

僕はもう久しく、たぶん18くらいからだから約6年間家にテレビがない。もうすぐ24才なので、人生の4分の1はテレビがない生活をしている。物心が付いて情報を得るようになってからと考えると、その比率はもっと上がる。

今は、もうテレビ、特に報道系はもう見れない。その番組がその映像を通して視聴者にどういう印象を与えようとしているかがひしひしと伝わってきて、拒否反応を起こす。今は、読売・産経・日経・毎日・朝日という5紙のネットニュースサイトで情報を得ている。さらに、そのページにソーシャルブックマークを付けたユーザのコメントというメディアと逆の視点の情報を同時にみれるようにFireFoxを改造してそれらサイトを読んでいる。とはいえ、完全ではないことは分かってる。

べつに、視点を定めて訴えたいことをシンプルにすることを否定はしないし、それがないと報道は出来ないと思う。でも僕は、まず事実(=起こったことだけという定義)を知り、その時の自分の感情をまとめてから、それに関する多くの報道という名の解釈を見て、そのギャップを計る。もちろん、どんなに幅広い媒体を見ても伝えられていない事実があると意識しながら。そして、この番組そのものも、ドキュメンタリーや報道には真実や客観性がないという意図を持って作られていることも意識しながら。

タイプ別性格判断

2006/12/05(Tue) Analyze

タイプ別性格判断

ISFJ型:義務感が強い
このタイプは裏方に回りたがる。
敏感、のんき、几帳面、従順、義務感が強い。

活力の源が内面にあり(I型)、五感で受けとめたものを現実としてとらえ(S型)、その活力をおもてに表すときは、もっぱらほかの人のために(F型)、きちんとタイミングよく(J型)使う。

人に尽くし、人を喜ばせることに人生の意義をみいだす。

ISFJ型にふさわしいイメージは頼りになる防波堤で、いつも黙って出番を待っている。

J型なので、干渉されると愚痴をこぼすが、結局は義務感が強いので、やるべきことをやる。

ISFJ型は、仲間や友人から、人のよさにいつもつけこまれていると批判される。

もっとも、当の仲間や友人もそういいながら、同じように人のよさにつけこんでしまって悪いと思うことがある。

実際、ISFJ型は約束や義務を真面目に考え、ほかの人にそんなところを利用されるがままでいることが多い。

ISFJ型の男らしさや女らしさの問題は、男性の場合は複雑で、女性の場合は単純すぎる。

SFJ型の特徴は、ほぼ型にはまった女らしさにあるーおとなしい、控えめ、優しい、落ち着いている、依頼心が強い、気配りをする、貞節、従順、きれい好き、きちんとしている。

実際、ISFJ型の女性は、ほかのタイプの女性の行動が「女らしく」ないと、口には出さないが批判している。

日ごろから女らしさの「イメージ」どおりに振舞うので、年をとって、女らしくない行動をとったりすると、まわりの人をびっくりさせるだけではなく、反発されてしまう。

ISFJ型がいわゆる女らしいタイプだとすると、ISFJ型の男性のやさしく、気配りがきき、おとなしく、従順という資質は、典型的な「男らしい」行動とは正反対である。
その結果、もっと男らしく振舞うために、本来の行動を無理やり抑え付けかねない。

その場合、やりすぎてしまうことがあり、必要以上に男性的に振舞ったり、酒や煙草を飲みすぎたり、男らしさを「証明する」ためにやたらと闘争的になる。

親子関係
ISFJ型の親もまじめに親の責任を生涯、果たそうとする。

一般に、勤勉で、さまざまな親の務めを我慢強く果たし、子どもを保護する。
こうした特徴はすばらしいのだが、それが極端になると、子どものために自分の欲求を抑えることが多くなる。

すべての仕事が終わらないとくつろがず、レジャー活動もスケジュールを組む。
レジャーといえど義務のひとつなのだ。

自分に課された仕事や責任や要求に愚痴をこぼし、だからといって誰かがそんな苦労をさせまいとすると、狼狽してがっかりする。

たとえば、パーティーのごちそう作り、年とった親の世話、同窓会の幹事などをすることになると、あれこれ文句をいったり愚痴をこぽす。
だが、誰かが助け舟を出そうとすると、心外に思い、罪の意識にさいなまれる。

ISFJ型の子どもは、喜んでひとり遊びをするので、比較的手がかからず、きちんとしているし、従順である 総じて、よく勉強するし、模範的な子どもになる。

ISFJ型は子どももおとなも意外に頑固なところを見せることがある。
だが、相手の権威や役割意識や責任感を認めると、折れて頑固さをひっこめる。

あたっているようないないような。
…って2年前にやってた!

事実と解釈

2006/11/16(Thu) Clip

思い込みを捨てれば楽に生きられる – 宋文洲の傍目八目(日経ビジネスオンライン)

ご存じのように発明家トーマス・エジソンは、お母さんから学校に行かなくてもよいことを教えてもらいました。今風に言えば、エジソンは登校拒否の問題児だったかもしれません。しかし、エジソンの例をみてもおわかりのように、一時は“問題児”であっても、最終的に社会に貢献する例はいくらでもあります。

昨日の「人生の素敵なことは、だいたい最後のほうに起こる。」に少し補足すると、自分にとってネガティブコンプレックスでしかないと思えたことが、ある時それがあったからこそと思うようになる事もある。嫌悪感しか抱かなかったものが、愛おしくなることもある。その時はもう耐えられないと思ったことが、後から見れば忘れてしまうこともある。華やかな舞台の裏には、その上演時間の何倍ものきつい練習があったりするものですし。もちろん、ネガティブコンプレックスが全て解決されるわけではないけれど、クリティカルな物ではなくなる。薄まる、という感じかもしれない。

学校に通うことを当たり前に考えてきた人たちにとっては、理解しがたいことかもしれません。でも、モンゴル草原を走る遊牧民の子供たちは、常に家族と家畜と共に移動生活をしています。教育も、学校ではなく衛星テレビやラジオで受けています。モンゴルの子供たちは、ほとんど家族だけの接触で大人になっていきます。その子供たちを、我々は「社会性を身につけてない」と断じることができるでしょうか。

ここまで大きくなくても、会社を変わると、出会う人間関係が変わり、価値観・カルチャーが変わる。どれが正しいかはなくて、どれが自分に一番合うか、があると思う。そして、会わない環境=悪い環境ではなく、成長できる環境であったりもする。自分を肯定してくれる環境でこそ発揮できる能力もあるし、自分を否定される環境の中で肯定されようとして発揮できる能力もある。

集団になって同質性を確認しながらする仕事もありますが、仕事の本質は群れることではありません。社会と接点を持つことは決して大勢と協調することではありません。どうしても家から出られないならば、しばらく家にこもって仕事をすることもあると思います。

気の持ちよう、ではどうにも変えることが出来ない事も確かにあるけれど、自分が他者に比べて劣っているからと言って悲観しても、自分より劣っている他者を見つけても自分の絶対位置が解決するわけでもない。割り切る出もなく、忘れてしまうでもなく、いったん受け入れて、その中で出来る事を思いこみを外して考えてやっていくしかないと思うんだけど。

人生の素敵なことは、だいたい最後のほうに起こる。

2006/11/15(Wed) Clip

別に自殺の話じゃなくても、このコピーはステキだ。
あひるくんがかわいい。

心にナイフをしのばせて

2006/10/07(Sat) Book

心にナイフをしのばせて 表紙
心にナイフをしのばせて
奥野 修司 (著)

-高1の息子を無惨に殺された母は地獄を生き、
  同級生の犯人は弁護士として社会復帰していた!
   追跡!28年前の「酒鬼薔薇」事件-

「たかじんのそこまでいって委員会」で宮崎哲弥さんがこの本に言及していて、はてなのnaoyaさんが読後感想を書いており、興味が湧いて読んだ。興味のある人は、これらのサイトからリンクされているドキュメントを全部読んで欲しい。

1969年に川崎市のサレジオ高校で起きた同級生殺人事件についてのルポ。入学して間もない男子生徒が同級生を刺し殺し、首を切り落とした。被害者の家族は、母親は記憶障害・精神不安定になり、妹はリストカットをし、父親はじっと耐えやっと訪れた小さな幸せを味わうまもなくガンで死ぬという崩壊の一途を辿った。一方加害者は私立大学・大学院を卒業し、現在は弁護士となり、謝罪もせず、賠償もせず、会うことも拒んでいる。少年法が謳う立派な更正例であるが、少年法の持つ矛盾も強烈に訴えてくる。

ネット上ではこの本の問題点が多々指摘されている。ノンフィクションのルポであると謳いながら、内容の多くは被害者家族のモノローグで占められ、被害者感情に比重が置かれ、加害者の言動の追求具合に比べると曖昧な記述が多いこと。引用されている「精神鑑定書」の引用方法が本来の意味合いからは違った意図で引用され、加害者の凶悪性を増していることなど。鑑定書の引用方法法は実際読み比べて僕もその違和感を実感した。

その点をふまえて、この本から少しでも何かを得ようと考えたときに見えてくるのは、少年への罰則と、被害者保護のバランスの悪さであると思う。僕自身の経験も含めて、今はどんな年齢でも社会に参加する方法は多々あり、少年だからといって何かが免除されるというのはあまり意味をなさないと思う。同時に、今の被害者保護はどう見ても軽視されており、納税者としても加害者更正より被害者保護に税金を使って欲しいと思う。この本には加害者のことはあまり書かれていないが、個人的には、加害者がどういった事件後の人生を辿ったにせよ、成人であれば法律によって裁かれるべき事を犯した人間が、その後その法律の運用に携わっている事への違和感は、消えない。

神はサイコロを振らない

2006/09/17(Sun) Book

神はサイコロを振らない 表紙
神はサイコロを振らない
大石 英司 (著)

-もしこの奇跡が、この世に何かの幸いをもたらすとしたら、
  彼のような、あの事故で人生を狂わされた者への福音であるべきだと思った。-

テレビドラマは見てないですが、10年の時を越えて行方不明になった飛行機が再び現れるという設定以外は、キャラクタも再び消えてしまうまでのリミットも、だいぶ違うみたいですね。登場人物の多さのわりに一人一人の描写が少ないことや、その割に本筋とあまり関係しないエピソードが多いことへの不評がネットでは多かったですが、僕は結構いい本だと思ってます。

10年の時を越えて帰ってきたフライトアテンダントの葛城が、自分のことを好きだという黛を好きになれない理由、また葛城の母がその彼のことを良く言う理由が、父に似ているからであろうと気づいたときと、その後の選択。10年後の未来は、当時描いていた理想とあまりにも遠くかけ離れた現実であったと知った後藤。事故で一人息子を失い大きく人生が狂った黒木とその妻。

行方不明になった飛行機に搭乗していた人たちは抱いていた理想とその10年後の現実のギャップに、事故で家族や親を失った関係者はその失った生活に、それぞれとまどい、選ぶ様々な道。僕らが一日一日という積み重ねの中で感じ・選択しているそれを、10年と3日という時間の中に凝縮した物語。そんなふうに僕は読みました。

最後の選択はいまいち腑に落ちませんでしたが、また後日読むと違った風に感じるのかもしれません。

彼女たちの時代

2006/09/06(Wed) Clip

「人生は上手くいかないから面白いんだ。」

そんなふうに言う人がいる。

確かに、そうかもしれない。

私たちの悩みなんて、本当にちっぽけな、悩みなのかもしれない。

ありふれた、よくある、後で振り返ればどうってこと無いものなのかもしれない。

私たちの悩みなんて、確かにちっぽけかもしれない。

でも、私たちにとっては、世界が滅びるのと同じくらい大きなことなのだ。

(彼女たちの時代 第4話 前向きに生きていますか? / 1999年 / フジテレビ / 岡田惠和)

私が発言すると社内の議論が止まった

2006/08/31(Thu) Clip

僕がソフトブレーンの会長を辞める理由 – 日経ビジネス オンライン

創業当初は、時に社員に見下され、取引先からは怪しいやつと思われ、そして様々なつらい場面に遭遇しても、自分が先頭に立って壁を乗り越えてきました。ほかの人がどう思おうと、自分はリーダーであるという自覚があったからです。

ダイエーを創業した中内功さん(故人)は、カリスマ経営者と呼ばれた1人です。その中内さんは引退する記者会見で涙を流しながら「私が発言すると社内の議論が止まった」「人生に楽しいことはあまりなかった」と述べられたと記憶しています。追い風が吹いた時にはカリスマと呼ばれ、その風がやんでしまえば、急に世間から冷たく扱われる。カリスマが最後までカリスマでいられることなど、皆無に等しいかもしれません。

僕は決して特別な存在ではありません。非の打ちどころがない経営者どころか、世間の常識から考えるとおかしいと見られるような経営判断も、したかもしれません。自分では大した経営の才覚などないと思っています。経営の才がない分、ほかの人より少しでも世の中の変化や空気に対して敏感でありたいと努力してきました。今回の決断がこれまで努力してきた甲斐になるよう、今後も謙虚の気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。

以前、なにかの記事を読んでいて、「お?なるほど?」と勉強になったので著者名を見たら、宋さんでした。おつかれさまでした。