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福井新聞 – 越山若水 2009年02月12日

2009/02/12(Thu) Clip

福井新聞 – 越山若水 2009年02月12日

2009年02月12日

ブログとは、個人がネット上で日記や写真を公開するホームページ。そのブログに執拗な中傷や非難が殺到する現象を「炎上」と呼ぶ。閉鎖に追い込まれる例もある

先週、ブログ炎上に関して警察が動いた。殺人犯であるかのようなコメントや「死ね」「殺してやる」といった脅し文句を書き連ねた19人を摘発した

聞くところによると、彼らにそれほど悪質なことをした意識はなく、まして警察沙汰(ざた)になるとは全く思わなかったらしい。ブログ書き込みで一斉摘発した例は過去にない

まさに匿名性の負の部分があらわになった。相手に面と向かうわけでなく気遣いは無用。感情のブレーキが利かなくなり次第に別世界へと入り込み冷静さを失ってしまう

ネット普及の陰で、脅迫や名誉棄損に関する警察への相談が増えている。2003年は約3600件。07年にはその2.4倍、8800件を超え、1万件の大台も時間の問題である

ブログ炎上に限らず、中高校の学校裏サイトや自己紹介の携帯プロフでも暴力的な言葉のいじめが飛び交っている。それを苦に生徒が自殺した悲報も届いている

ネットは誰もが意見や反論を交わせる自由な空間だ。ただ明らかに公共空間であり単に鬱憤を晴らす場ではない。匿名性をいいことにルールなき無法地帯であれば、せっかくの自由性にもネット(網)がかけられる。

「匿名性の負の部分」じゃなくて「人間の負の部分」。匿名じゃなくても人は人を殺してる。「せっかくの自由性にもネット(網)がかけられる」なにこのうまいこと言ってやったぜ的な結び。公共広告機構の広告と自社広を純広で全部埋めてから言いましょう。

マスメディアの権威なんてもう無いんだから、時事通信だか共同通信だか知らないけど通信社からの配信記事で紙面を埋めるのではなく、地元のニュースで紙面を埋め尽くす取材力つけておかないと。よく見たら地元記事にひとつも記者の署名ないし、意味分からん。

さて、このエントリも「匿名性の負の部分」なんでしょうか?一応実名ブログなんですけど。ということで匿名でも実名でも人は言うよと言う話。

Web情報アーキテクチャ

2009/02/11(Wed) Book

Web情報アーキテクチャ 表紙
Web情報アーキテクチャ
最適なサイト構築のための論理的アプローチ
ルイス ローゼンフェルド (著), ピーター モービル (著), Louis Rosenfeld (原著), Peter Morville (原著), 篠原 稔和 (翻訳), ソシオメディア (翻訳)

情報アーキテクチャが優れていれば、テクノロジーがユーザに与える疎外感や圧迫感は減少します。それと同時に、人々の満足感が増強され、企業の利益も増加します。人々の満足感と企業の利益とを同時に増強できる職業は、非常に希です。是非とも楽しんでください。

今までコツコツ仕入れてきた知識が体系的にまとまっているので、復習と新たな発見もあっておもしろい。これを読んだからと言って何かが始まるわけではないけれど、外す訳にもいかんかなという感じ。

しかしまあどんな分野もそうかもしれませんが、インフォメーションアーキテクチャをやろうとするとウェブやデザインやテクノロジーや心理学系やそれこそ宗教まで、いろんな知識が必要だと感じるし、足りないなと痛感しますな。「広く深く」というアプローチは、「狭く深く」やっていくことで自然とそうなるような気もしてきた。

自分メディア

2008/11/16(Sun) Diary

という、どこかで聞いたことがあるようなものが、僕は今一番欲しいです。水樹奈々のDVDも、新しいMacBook Airも、本もいろいろ欲しいのですが、それはその「自分メディア」があってこそ欲しい、と言えるような気がします。自分メディアというのは、新聞が発するような社会性のあるニュースではなく、友達の誰がどこに行ったとか、何を考えているとか、何を買ったとか、そういう自分を中心としたごく限られた人の発する情報だけが集まったメディアです。メディアではないのかもしれないですが。

ちょっと話は抽象的になりますが、「自分」という単語やその存在というのは、「他者」があって初めて存在するわけで、もし地球上に人間が一人しか存在しなかったら「自分」という概念は存在しないわけです。あたりまえだけど。つまり、自分を構成している要素として「他者」というのは結構な割合を占めているわけで、その上での自分らしさとか、独自性とか、そういう話になるわけです。

で、そういう他者を通じて社会性とか、公共性とか、大げさに言うと政治とかそういう者に気づいていくと思うわけで。今のネットの時代、個人が発信している情報は結構あるんですが、全てが細かく分散してしまっていて、それの網羅性とか一覧性は全くなかったりする。

そこで冒頭の自分メディアという言葉に戻るんですが、そういう膨大に個人が発信している情報の中から、自分とその発信者個人という繋がりでのみ情報をフィルタし、一覧性を持たせることが出来るものが欲しいなぁと思っているのです。技術的には可能なはずなので。一番近いのはFaceBookなのですが、ソーシャル性はいらないと思う。すべての他者との間に双方向の理解があるわけではないので。

二人の盟友

2008/11/12(Wed) Society

筑紫氏の死去に対する久米氏のコメントが、「久米宏のテレビってヤツは!?」で流れていた。ラジオでちょっとコメントしたのは聞いたんだけれどあまり詳しく触れていなかったが、さっきのテレビでは目頭を熱くしながら語っていた。

番組での発言とか彼らのスタンスはちょっと横に置いておいて。同じ18年半という長い間、隣り合わせに近い時間帯で同じ報道番組をやれた彼らは、仕事仲間というか同士というか、そういう関係としてとても恵まれていたんだろうなぁと思う。

今のようにインターネットがなく新聞とテレビが権力をふるっていた時代に、罪悪は別としてそのメディアをある意味では利用し、制限はあるだろうが自分の言葉で自分の主張をすることは、とても意義のある仕事だったんだろうと思う。

「ご冥福をなんて言えない。冥福されちゃ困る。生まれ変わってもう一回筑紫哲也をやって欲しい。」と最後に久米氏が語ったけれども、きっと彼はその後に、「そして、僕もまた久米宏をやりたい。」と言いたかったのではないかと、勝手に邪推した。仕事仲間としての彼らの関係が、ちょっとうらやましかったので。

あまりにも無責任な最後の多事争論

2008/11/08(Sat) Society

まだ自分の中でも迷っていて確信はないのだけれど、とりあえず書く。筑紫哲也氏が逝った。NEWS23で放送された最後の多事争論のテーマは「この国のガン」だった。(WEB多事争論から閲覧できる)「政治とは世代の間でパイを奪い合うものだが、今この国はガンに陥っている。ガン細胞が出来ると本来使うべき栄養素をガンが使い果たしてしまい栄養素が体全体に回らなくなるように、日本という国のガン細胞がパイを全て食い尽くしてしまい、どの世代にも配分されていない。そういう問題ははっきりしているが、敵は大きい。」と。

それだけだ。それだけ言って逝ってしまったのだ。少し前の爆問学問の姜尚中の回で、爆笑問題の太田光が「現在の50才や60才、70才の人たちはこの国の仕組みを作ったが、いまそれがボロボロになっている。70才近い人は戦争も経験している。だが、それを一切解決していない。甘い汁だけ吸って、死んでしまう。それはあまりにも無責任ではないか。」と言っていた。僕は自分たちの世界は自分たちの世代でやっていくべきだと思っていたので、ちょっと新鮮だったけれど、半信半疑で聞いていた。

でも、今日のNEWS23では、筑紫氏がいかに文化人で、テレビというメディアを楽しみ、そして死んでいったかということを各界の人たちのコメントを積み上げながら、そういう筑紫哲也像を作り上げていった。そして、最初に書いた最後の多事争論の主張。「僕の出来る事は、こんな所です。後は頼みます。」とでも言わんばかりに死んでいった。

ガンなのは分かってる。でもそれを造り出したのはお前達じゃないのかと、自分の実感として思った。太田も言っていたが、なぜ他国の軍が駐留して自分たちの国を守っているのか、なぜ首相が靖国に行くか行かないかであれだけもめて他国に好き勝手言わせているのか、なにも解決していない。自分たちが生み出した問題なのに。なぜこれだけ不安定で孤立した社会の中で僕たちは生きていかなければならないのか。それはやはり、あまりにも無責任すぎるのではないかと、今は思う。まあ、彼らが責任を認めたところでどうせ数十年でこの世からいなくなるので、ガン細胞を取り除かないと行けないのが僕らである事には変わらないので、むなしくはあるのだが。

はてな村の人がいっぱい来た件

2008/09/08(Mon) Society

福田さんのエントリを書いたら、はてなブックマークが30件ぐらいついて、知らない人からもコメントが二つ三つついた。サイトへのアクセスも5倍くらいに跳ね上がってて、はてなってすげーとか思った。

ブックマークコメントにいくつか返答すると、「国民という言葉を使うのはいかがなものか」とか、「辞めろって言っていたのは国民じゃなくて野党やメディアなのでは」というのがあって、これが一番参考になった。「上から目線」というタグには笑ったけれど、こういう事を書くとどうしてもそう見られてしまうのはしょうがないと思う。でも、評論家やコメンテーターはこういう事は言えないはず。視聴者バカにして嫌われたらご飯食べれないから。

「何故に「国民」という書き方をして自分を埒外に置こうとするのか」というコメントもついていたけれど、そのつもりは全然無い。正直国民という言葉以外に適切なものが思いつかなかったんだけど、「政府や権力=悪と認識している人」とか、「投票権を放棄している政治に無関心な人」とか、「投票していても、自分の判断で選択していない人」とでも言うべきか。もっと適切な言葉があったら教えてください。

毎回毎回ウォッチしてここに書くつもりはないけれど、民主党は小沢代表を無投票で3選し、自民党は候補者を5人も6人も立てるという対照的な行動に出ている。11月初旬に衆院総選挙というスケジュールも出始めており、選挙があるのは間違いのない状況。なんか自民党が勝っちゃう雰囲気がするけれど、どうなるのでしょうか。

福田さんに首相の資格が無いと言う前に、国民に有権者の資格がない。

2008/09/03(Wed) Society

福田首相辞任会見要旨 福田首相退陣 – 朝日新聞

記者「『首相の会見がひとごとに聞こえる』という話があった。政権への影響は。」

福田首相「順調にいけばいいですよ。それに越したことはない。しかし、私の先を見通すこの目の中には、決して順調ではない可能性がある。その状況で不測の事態に陥ってはいけない。「ひとごとのように」とおっしゃったが、私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたと違う。そういうことです。 」

年明けに辞めると思っていたので今の時期辞めたのは予想外だったけれど、それに対する国民の反応は予想通りだった。「なぜ今辞めるのか」「首相の資質がなかったということ」「リーダーシップに欠けていたが、品があって落ちついた感じで嫌いじゃなかった」「任期途中で放り投げてしまって無責任な感じで残念」(朝日新聞より抜粋)

支持率が25%(8月30日付朝日新聞調査)となり75%が快く思っておらず、任期まで持たない、リーダーシップがない、早期退陣をとさんざん言っていたのは誰だと。国民の望んだとおりになったのに、なんで文句を言うんだろうか。どうせ続けていても、辞めろ辞めろと言っていただろうに。福田さんは予想が出るとそれを意図的に外してくる人だから、年明け以外の時期で一番影響が少ない時期を選んだのではないかと思う。「人ごとのようにとあなたはおっしゃいましたが、私は自分自身は客観的に見られるんです、あなたとは違うんです。」という言葉はメディアに対するいい皮肉だと思うのですが、メディアと国民は逆ギレといってあほみたいに喜んでる。そんなことやってるからこういう政治の状況なんだろうに。

何回首相の首を差し替えたって、何にも変わらない。福田さんが最高だとは言わないけれど、国民は、まるでボーカーのように何回も変えていればそのうちパーフェクトなカードが来ると思ってるんだろうか。一生やってろと思う。参議院の過半数を野党が押さえている時点で、いくら衆議院の解散総選挙をして与党が勝ったって、次の参議院選挙で議席改選があるまではどうしたってねじれのままなんだから、やれる事には限界がある。小泉さんに飽きて安倍さんバッシングしてそんな状況を生んだのは国民。去年麻生さんがなっていても、あんまり状況は変わらなかったのではないかと思う。

歴史(=政治)っていうのは、最善ではない、どちらかというと厳しい環境のまっただ中において、その時点の状況、その時点の人材で考えられうる最善のカード(≠ベストカード)を選んでいく作業だと思う。後からジャーナリストが当時の情勢を調べたりいろんな人にインタビューすれば、もっといい選択肢が出るのかもしれない。でも、当時の時間制限、当時の当事者達が見えていた視野には限界があるのだから、ベストな選択が出来るというのはまれな事。どちらかというと、ベストな選択よりもベターな選択をする事の方が多い。でもそれは仕方のない事。

自民党には実績があり、民主党には期待がある。ところが、自民党は最近長年のボロがでて、民主党は行くのか行かないのかよく分からない。どっちもどっちな状況ではあるけれど、次の衆議院選挙で一回民主党に政権を担当させて失敗してもらって、自民党には権力を失うという苦渋を味わってもらって、2010年の参議院選挙、その次の衆議院選挙と徐々に政権に復帰してもらい、過去の反省をふまえた政権をやってもらうというのはどうだろう。

しかしその前に、国民の頭の中をどうにかしたい。僕の考えが正しいとは言わないけれど、好きだとか嫌いだとかタレントを見るときと同じ思考回路で考えるのは辞めて欲しい。国民は首相を辞任させられても、政治家は国民を辞任させる事は出来ないんだから。民主主義は、国民に高い判断力がないと成立しない政治形態。言い換えれば、国民のレベル=政治のレベル。

08/09/08追記
ブックマークコメントへの返答を別エントリに少し書きました。
iwalog : はてな村の人がいっぱい来た件

Google 既存のビジネスを破壊する

2008/08/30(Sat) Book

Google 既存のビジネスを破壊する 表紙
Google 既存のビジネスを破壊する
佐々木 俊尚 (著)

つまり法や市場原理、モラルといった伝統的な制約だけでなく、ソフトウェアやシステムなどのアーキテクチャによっても人々の行動を制約し、規制することは可能なのである。そして、グーグルという司祭の権力は、まさしくアーキテクチャによって成り立っている権力システム以外のなにものでもない。

2006年の本だけれど、2年たった今読んでもその主張がおおむね現実に起こっているのはさすがだなと思う。アドセンスやGoogle Newsなどが既存ビジネスを破壊し、ネットの向こう側への依存度を高めることの功績と、Googleが神となり全てを統治してしまうことの危険性と、それだけの権力を手中に収めながらそれを司るGoogleの自覚の無さには基本的に同意。

人間は、見えているものについてはあれこれ善し悪しを語れるけれど、こと見えていないのもになると、それを意識することはなかなか難しいものだと思う。たとえば、今日の朝日新聞サイトにはCO2排出を半減する新技術開発の記事があり、CO2による温暖化のことを考えることが出来るが、そもそも今の地球温暖化が十年前くらいによく騒がれていたオゾンホール拡大を防ぐためにフロンガスの使用を規制しようという動きの結果として起こっていると言われている事は、それを訴える記事がないため気づきにくい。(オゾンホールがなくなれば当然温暖化は加速する。)

ネットについても当然それは同じで、GoogleかYahooの検索エンジンに引っかからなければそれは存在していないのと同じ。でも、それに気づく事は少ない。これは、情報の取捨選択をしている新聞やテレビメディアも、Appleがソフト開発者に開発できるソフトに規制をかけているiPhoneも同じで、これを完全になくす事は出来ない。ので、大事なことは「規制されている事」に気づく事であると思う。

個人的にも、1社のサービスへの依存はなるべくしないように注意している。メモはEvernote、写真はFlickr、メールはGoogle、メッセンジャーはYahoo・MSN・Googleの3つと利用するサービスの分散はもちろん、データそのものをネット上に預けてしまう事によるデバイスへの依存の分散も。まあとはいえ、適度に囲い込まれる気持ちよさはiPhoneで実感しているので、現状Apple依存がちょっと高いのが懸案事項だったりする。

佐々木俊尚さんの有料メールマガジンを購読してみた。

2008/08/11(Mon) IT

福井にも度々講演しているらしい(そのとき僕は東京にいた(涙))佐々木さんが有料メルマガ「佐々木俊尚のネット未来地図レポート」を発刊したので、少し迷ったが買ってみた。まだ2号しか読んでいないけれど、このクオリティが続くのであれば断然買いだと思う。

著者の本は「Google 既存のビジネスを破壊する」しか買ったことがない。しかも、1年以上前に買って未だに読んでいない(ごめんなさい)。なんでかというと、これは著者も言っているけれど、ネットで旬になってから書籍化までは数ヶ月かかるので、本が出るまでにはネットのニュースサイトや個人のブログで読み尽くしてしまい、本が出ることにはだいたい自分の頭が整理されているのでわざわざ買わない。買ったとしても、手に届いたときにはそのテーマへの興味が薄れてしまっていて、結局読まない。

1号のテーマはcookpadを例にとったマイクロインフルエンサーについて。2号のテーマは「ケータイ小説と地方のマーケティング」についてだった。ちょうど数日前のエントリで「恋空の映画が見るに堪えなかった」という事を書いていたのでタイミング良く読んだのだけれど、これを「ケータイ小説は若者のソーシャルメディアになる」みたいなタイトルの新書にしてると数ヶ月かかって旬が過ぎてしまうので、メルマガというメディアはちょうどいい。

そして、これは思わぬ効果だったけれど、お金を払っているので真剣に読む。まぐまぐから来るメルマガなんてさっと見てすぐ捨てるけど、著者のメルマガは元をとろうと読み返して租借するまで読んだ。メールに返信すれば著者にメッセージを送れる。月1,000円で4回届くから1通250円、新書はだいたい1冊800円程度。ボリュームだけを見ると少し高い気がするけれど、タイムリーなテーマ選定でカバーしてくれればむしろお得かもしれない。

佐々木俊尚のネット未来地図レポート

政治家の品格、有権者の品格

2008/08/06(Wed) Book

政治家の品格、有権者の品格 表紙
政治家の品格、有権者の品格
金 美齢

メディアはこぞって「政治が悪い」「政治家が悪い」と報じる。私はそれだけのせいだとは思わない。コモンセンスを持たない、私利私欲やブームで一票を投じる品格なき有権者が、政治家の品格を貶めている。

以前安倍総理が辞めたときに「国民が悪い」というようなことを書いたことがあるけれど、それと似たようなことを書いている。政治が悪いのは、国民のせいであるとはっきり書いてあって、その通りだと思う。

有権者が趣味趣向や私利私欲、ビジュアルで政治家を選ぶため、政治家も選挙に通るために志を忘れて大衆迎合する。メディアも、有権者の興味に合わせて不倫だなんだと報じまくるので、悪い循環が続いてしまう。

ちょっと変な理屈かもしれないけれど、安倍さんに期待していたのは、あの人の言っていたことに共感できたこともあるけれど、親から継いだ地盤があるので大衆迎合しなくても選挙を通ることが出来、自分の主義主張をまげなそうだ、という観点からだった。まあ結果的にはだめだったんだけど、またやるなら応援したい。