人はなぜ宗教を必要とするのか
宗教はインチキだ、という反応は、しばしば宗教に対して食わず嫌いになりがちです。宗教、とりわけ「創唱宗教(引用者注:キリストなどの特定の神を定めている宗教)」は、人類が培ってきた大切な叡智だといってよいでしょう。その叡智と無縁に生涯を終わるのはいかにも残念だ、というのが私の思いなのです。
先日読んだ本と同じ著者で、前作と対をなすような位置づけらしい。前回と同じく、読む前に自分が感じていたところと大筋は同じ主張で、それの裏付けとなる歴史的な背景や著名な宗教家の言葉を引きながら書かれていた。
「生老病死」という言葉があって、生まれること、老いること、病に伏せること、死を迎える事というのは、人間がその人生において逃れることが出来ない四つの苦悩という意味らしい。生はよく分からないし、老いはまだ経験しておらず、それほどの病に伏せったこともないが、死が苦況だというのはここ数年の近しい人の死でなんとなく理解できる。
個人的に、宗教は「よくできたフィクション」だと思っている。なので、神とか仏とかそういうのがいるとは全く思っておらず、むしろ嘘だと思っている。でも、嘘と分かった上で積極的に肯定している。人類が誕生したときから存在しており、何世紀にもわたって廃れることなく受け継がれている「よくできた物語」だと。
自分の死は分からないが、身近な人の死というのは結構こたえる。虚無感は時が過ぎれば薄らぐが、ほおっておいて完全に消えてなくなるというものではないと思う。おそらく、老いや、自分の力ではどうしようもない病なども、同じ性格のものだろうと思う。だけど、自分ではそういうことを経験するのは初めてかもしれないけれど、人類は過去ずっとそういう事を経験してきていて、それを解消するために編み出されたのが「宗教」だと思う。
誤解を恐れずに書けば、「生老病死」にぶち当たったときに、手っ取り早くそれを解消してくれるのが「宗教」だということ。僕の場合は、祖父が亡くなったときに「現代語訳 般若心経」という本を手に取り、「『生まれた』という認識も『滅した』という認識もありのままの実相ではなく、じつは脳内に現象した大雑把な『概念』に過ぎません。解けないほどに絡み合った関係性を、とりあえず無視してザックリ切った認識と見るしかないのです。」という一文に出会い、自分の中で何かがストンと腑に落ちた。
なので、おそらく、病だとか、うまくいかないこととか、そういうことで宗教を頼ったりはしないだろうし、自分以外の誰かにそれを押しつけることもしない。あくまで自分が生きていくときに糧となる「人類が残した精神の文化遺産」であって、それを使わせてもらっている。という位置づけ。だから「生老病死」という壁にぶち当たるまでは必要性を感じないだろうし、必要としない人もいるかもしれない。
ただ、「生老病死」の時だけ頼るにはもったいないほどの生きる上でのヒントが書かれているので、著者と同じく食わず嫌いするのはもったいないなぁと思う。そういう感じなので、そういうまっとうな宗教の部分と、政治介入している某教団のようなものがおなじ「宗教」というくくりになってしまっているのはとても残念だと思う。











