Posts Tagged ‘社会’

最高の涙-宮里藍との一四〇六日

2010/03/29(Mon) Book

最高の涙-宮里藍との一四〇六日 表紙
最高の涙-宮里藍との一四〇六日
安藤 幸代 (著)

「私は、勝つ準備は出来ています。」

ゴルフにも、宮里藍にも、あまり興味がなかった。でも、安藤幸代アナウンサーというこの本の著者には興味があった。たまにテレビに映るゴルフ中継には必ず映っていて、メインの解説の間に飛び込んでくる短いフィールドレポートをしている人という認識で、なぜこの人はこの道に進んだのだろうという興味があった。

本の内容は、安藤幸代から見た宮里藍についての話と、安藤幸代自信のことが半分ぐらいの割合で書かれているので、宮里藍目当てに読んだ人には物足りないと思う。だけれど、社会に出た一人の女性が、宮里藍とともに年を重ね、仕事に邁進する中で30歳を越えて自問自答していく物語の方が僕には興味深く、共感したり違和感を覚えたりしながら読み進めた。

初めての著書と言うこともあり、表現は浅い。ただ、その木訥な表現を読み重ねていくと、不思議と著者の視点に自分の視点が重なっていくから不思議。レポーターという仕事もいいけれど、こうやって時々文章という形でまとめていくことで、レポートの表現もまた豊かになっていくのではないかと、若干偉そうだけど思った。

「最高の涙」は、宮里藍の涙であり、安藤幸代の涙でもある。たぶん、著者は取材対象に入り込みすぎてしまうのだろうと思う。客観的な視点をあまり求めず、自分自身の主観的な視点で、自分と対象者を同化したようなレポートや文章になっている。それがいいのか悪いのかはよく分からないけれど、一読者としてはもう少し読んでみたい気になった。

年の瀬に。

2009/12/31(Thu) Diary

今年は、とにかく仕事のことばかり考えていた一年だったように思う。年明けに今の会社に入ってちょうど1年たって、会社から求められること、やりやすいこと、やりにくいこと、数名のスタッフの中での自分の立ち位置みたいなものが、1年かけてようやくつかめたという感じ。それはおそらく、会社も同じだったのではないかと、勝手に思う。

実感としては、思ったよりもハードだなという事。それは決してネガティブな意味ではなくて、同じ規模の会社なら福井で転職しようとは思わないし、今の会社を去るとしたら、会社からもう必要ないと言われるか、一人になりたいと思うか、またもっと大きな会社で働きたいと思うようになった時のような、違う働き方をしたいと思った時ぐらいではないかと思う。先のことは分かんないけれど。

常に頭にあるのは、今の会社でどう働いていこうかと言うこと。それは、自分が何が出来、何をしたくて、何が出来なくて、クライアントが何を求め、競合が何が出来、何が出来ないかを見極め、会社から求められる事にどう答えるかという事。それに加えて、最近は時流というか、今後社会や福井がどう変わっていくのか、ということも考えるようになった。

他のメンバーは福井で10年近く仕事をしている人たち。僕も仕事は10年近くやっているけれど、福井で仕事をするのは今年から。その人たちと並べられて同じスピードで、いや若いんだからその人たち以上に早く走れと言われるのは、なかなかハードな事。特に人生経験や人脈の面で。でもまぁ、そんな歳になったのかもしれない。でも、来年は、同年代の仲間ともっと出会えたり深くつながっていきたいと思う。

今年お世話になった皆様、ありがとうございました。
来年が、今年よりもいい年でありますように。

天皇論

2009/08/15(Sat) Book

天皇論 表紙
天皇論
小林 よしのり (著)

天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)

質問の中にある「皇室」と「伝統」、そして「次世代への引き継ぎ」ということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事及び祭祀とも、昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また、皇室が過去の伝統と共に、「現代」を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように思います。

伝統と共に生きるということは、時に大変なことでもありますが、伝統があるために、国や社会や家が、どれだけ力強く、豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。

また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。WBCで活躍した日本の選手たちは、鎧(よろい)も着ず、切腹したり、ゴザルとか言ってはおられなかったけれど、どの選手も、やはりどこか「さむらい」的で、美しい強さをもって戦っておりました。

陛下のおっしゃるように、伝統の問題は引き継ぐとともに、次世代にゆだねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。

読む前は、皇室はずっと続いていってほしいと思っていて、読んだ後もそれは変わらなかった。個人はもとより、企業や政治家でさえ近視眼的になり右に行ったり左に行ったり自由主義に行ったり保守主義に行ったりと右往左往しがちな日本や世界の中で、唯一変わらない存在が同じ国の中にどっしりと座っているというのは、それだけで価値のあることではないかと僕は思う。

天皇陛下に何かを願うわけではないし、皇室があれば日本が守られるとも何も思わない。逆に何か直接的なことをしてしまうとそれは具体的になるということであって、時代と共に変わることを余儀なくされるので、今のままの間接的な立ち位置で国民から少し離れた距離を保っている方がよいとさえ思う。

変わらない、直接的に何かをするわけではない存在に価値があるのかと言われると僕はあると思っていて、たとえばそれがあることで日本がいまどの立ち位置にいるのかということを諸外国との相対的な位置ではなく皇室を基準とした絶対的な位置で把握することが出来るだけでも、またそれが歴史の中の事実ではなく現存しているものと比較できるということだけをとってしても、価値のあることだと思う。

戦争との関係を考慮してか、学校ではあまり皇室について学ぶことはなかったと思う。皇室に詳しい人も、あまり多くを語らないか平易に語りすぎてよくわからない場合が多い。その配慮は何となくわかるし、週刊誌の題材になるような下世話な話題ばかりも嫌だけれども、もう少し広く日本人が知ってもいいのではないかと思う。その手始めとしてこの本が適切かと言われると、微妙だけれども。

生きるために学んだ

2009/03/23(Mon) Clip

生きるために学んだ「余命5年」57歳女性、関大卒業 – 朝日新聞

難病の原発性肺高血圧症、肝硬変、髄膜腫を患い、余命宣告されたのは00年春。主治医は服部さんに「5年くらいかな」と言ったが、夫には「長くて3年」と伝えた。

人生が残り少ないと覚悟したとき、思い立ったのは、父の病気と家計への気兼ねであきらめた高校進学だった。通信制高校に入り、05年に関大文学部をAO入試で受験。面接で志望理由を聞かれ、「生きるため」と答えた。

生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること、なのかな。最近、学ばなくなるということは社会性という観点から見るとの人間の死ではないかと考えることがあったので、人生の終わりに改めて学びの道に入ったこの人の生き方はとても美しいと感じた。

26歳。

2009/03/16(Mon) Diary

26歳になりました。毎年誕生日にはブログを書いてると思ってたんですが、23歳を最後にここ2年ほどは書いてなかったみたいです。でもまぁ、最近ブログあんまり書いてないので、考えている事を整理がてら残しておくことにします。たぶん散漫でまとまりがない文章になると思いますが。

今の自分の頭の中で漠然と思っているのは、福井で暮らしながら、福井のクライアントと生活者のために、チームとしてはコミュニケーション、いわごろ個人としてはインフォメーションアーキテクチャを軸に、顔の見える個人に向けて一つ一つ丁寧に仕事をしていきたいなぁということです。これまでこのブログに書いてきたいくつかの目標の中から、こぼれ落ちている物(ex.技術)もあれば変わらずに持ち続けている物(ex.ウェブ)もあり、いろいろ形を変えながらではありますが、今に至ります。

なんとなくではありますが、思い通りになる事よりも、思い通りにならない事の方が最近増えてきたように思います。そのおかげかどうかは分かりませんが、以前に比べるとだいぶん寛容になったと思いますし、どうせいろいろこぼれ落ちてしまうのだからと自分の考えや想い自体は以前にも増して刺々しくなっているようにも思います。

また、自分を壊そう壊そうと意識的に動いていたりもします。今までの自分が作りそうな物をいったん否定してから物を考えていくようにしたり、新しい分野になるべく顔をつっこんでいろいろなことを覚えたり、これまで得たことを学び直したりということも意識的にやっています。若干散漫な感じもしていて、フォーカスがゆるんでいるという風にも思っていたりはしますが、仕事でもスケジュールやクオリティを守れる範囲であえてカオスにカオスになるようにしています。今後のためには、無駄なことではないだろうと思って。

僕が仕事をし始めたときの初めての上司というか、先輩的な人と僕が初めて会ったとき僕は17歳でその人は26歳くらいだったように思います。1・2歳間違ってるかも知れませんが、まあその人はそのぐらいの年でした。その人みたいになろう、なんて事は今は思っていませんが、これまで仕事をしてきた中で、26歳になったときに、26歳の時のその人を超えられているだろうか、みたいなものが心のどこかにずっとありました。

超えるも何も時代や社会の環境も違うし、何をもって超えたとするのかという明確な基準があるわけでもないです。そしてその人はそのときから8年くらい経ってまたどんどん先を走っていっているので、永遠に追いつくことはないでしょうし、距離が縮まっているのか、差が開いていっているのか、それさえもよく分かりません。

ただ、けして縛られているという意味ではなく、これからもずっとどこかでその人の影を追いかけていくような気がしています。向こうにしたらはた迷惑な話かも知れませんが、個人的にはその人のような羅針盤的な人と出会えたことはとても幸せなことだと思うし、僕が言う話ではないと思いますが、東京でどんどん先を走っていって欲しいと勝手に思ったりしています。僕もその背中を追いかけて、若干向かう方向は違うのかも知れませんが、福井で走っていきたいと思っています。ちっぽけではありますがこれまで蓄えてきたスキルと経験と17歳の時の初心を両方忘れずに、明日もまずは目の前のことをきちんと形にしていきたいと思います。不束者ですが、26歳になったいわごろを宜しくお願いします。

器の小さい人の話。

2009/02/16(Mon) Diary

相手の言っていることが本心なのかどうかは、聞いてる方はもちろん判断するのは難しいし、言っている本人でさえ明日・明後日・明明後日には変わってしまうかもしれないのだから、誰にも分からない。自分の思った事をそのまま口に出し、聞く方も行間を読んだりせずその言葉のまま感じたとしても、その言葉の感じ方が人それぞれなのだから、「ありがとう」という一言をとってもその重さは千差万別になってしまう。

結局それを確認する手段は、その人の言葉と行動のずれを見ていくことで、相手が言葉に込める重さやその言葉について相手と自分が感じるもののずれを知る事しかないのかもしれない。そのためには時間がいるのだろう。時間と言ってもただ闇雲に時が過ぎればいいのではなく、様々なことについて話し合ったり、同じ事に取り組んだりする時間ということなのだろう。

後悔したことはあまりないのだけれど、反省したことは多々ある。その反省事が増えれば増えるほど人は判断に迷うようになるのだとしたら、今回は前回よりもいいものでありたいという思いから迷っているのであれば、迷う事そのものはそんなに悪いことではないのかもと最近思った。「若い人は勢いがある」という事が、反省事そのものが少なく必然的にそこから来る迷いが少ないということならば、僕は間違いなく若くはないんだろうなと思う。

「空」の概念を若干間違えて解釈してるのは分かっているんだけれど、僕は社会における僕という存在は他者からの承認によって成り立っているのだと思っている節がある。そして、それは無理に全ての人に承認して欲しいのではなくて、自分を必要としてくれる人だけで構わないと思っている。なんだか矛盾しているのは分かっているんだけれど、「承認してくれる」ことが「僕が相手を承認する理由」になっている。なんとも可愛げのない、器の小さい奴だこと。

巧告。

2009/02/11(Wed) Book

巧告。 表紙
巧告。
企画をヒットさせるために広告クリエイターたちが考えること
眞木 準 (著), 副田 高行 (著), 中島 信也 (著), 山本 高史 (著), 京都広告塾 (編集)

「表現」という営みに参加しているぼくたちが達成すべき目的は何なのかといえば、それはやはりコミュニケーションをつくることではないでしょうか。

会社の人に借りて読んだ本。会社の環境上広告系の、これまで自分が買おうと思っていなかった本がいっぱい転がっているので、ちょくちょく本棚を覗かせてもらっては借りている。

最近よく言っている言葉だけれど、ウェブを作る人は、まあウェブの知識も必要なんだけれどそれはあくまで最低限やるべきことなので、それ以外にグラフィックデザインとか広告とか認知社会学とか宗教とか、そういうウェブ以外の知識を仕入れた方が良いと思う。本でも映画でも人に会うのでも良いけど。

ウェブの人は、どうも思想を持っている人が少ない。たまにいるのだけど、そういう人はたいていどこか違う分野でそういった思想を確立させてからウェブに来ている人が多いように思う。じゃあお前は持ってるのかと言われれば持ってないのだけど、持とうとしてるからもうちょっと待って。

以下返してしまうので付箋を付けたところの書き出し。

クリエイティブディレクター 山本高志
・受け手の言って欲しいことを言ってあげる。
・大きな声を出すこと、相手の知らないことを言ってあげること、受け手が言って欲しいことを言ってあげること。
・ふつうの人であること。
・世界最小最軽量のバカ
・「20本のバラからのぞく妻の顔は20年前の笑顔でした」これははっきり言ってしまえば嘘です。

アートディレクター 副田高行
・写真、タイポグラフィ、イラスト、タレント

CMディレクター 中島信也
・「あなたは頭は悪いが足が速い。コースは私が考えるから、そこをつっ走れ。(佐藤雅彦)」
・「表現」という営みに参加しているぼくたちが達成すべき目的は何なのかといえば、それはやはりコミュニケーションをつくることではないでしょうか。
・「すぐれた才能にすごい努力を掛け算して、さらにそこに「悪」を掛けてしまえば、社会にとって役に立たないどころか、その仕事は社会に対して悪い影響を与えるものになってしまいます(稲森和夫)」

コピーライター 眞木準
・キャリアを生かした社会貢献は、当然の責務だと考えているからです。

おはよう、今日も元気です。

2009/02/08(Sun) Clip

れっかブログ 終了のお知らせ

私は日々、思う事や信じる事を私なりの観点でこのブログで書き綴ってきましたが、たとえば「それは書かなくてもよい」「それは言うべきではない」と私以外の人に判断されてブログを書くことには何ら意味を見いだしません。

こんな性格なので、政治的なこと、歴史的なこと、社会的なこと、もしくは施設や業者などの実名を挙げてのブログをさんざん書いてきましたが、それについても書かないことが望ましいと言われれば、もう書けることがありません。「おはよう、今日も元気です」それだけのブログならば、私が書かなくてもいいような気がします。

私にとっては、leccaであることと、自分のプライベートや信念には、なんら壁がありません。社会への憤りや不満、政治や宗教に関する考え、日々感じること全てが私の発言と行動、音楽へとつながっています。ここのブログを書くことの面白さも、日々音楽だけでは伝えきれない自分のメッセージを載せることができるというところにあったのですが、leccaとしてそれはやって欲しくない、とスタッフから言われたのでやめることにしました。ただし、私は口を封じられることも、自分の発言をなかったことにされることも断じて容認しません。いかにスタッフだとしても、私の過去のブログ記事を抹消して、私が深夜1、2時間かけてせっせと心をこめて書いた文章、それに全国から皆が移動中/休憩中/就寝前(ときには仕事中)などにせっせと入力してくれたコメントをなかったことにすることが断じて許せません。

結局いわゆる芸能人ブログに感じている僕の違和感ってこれなんだなと思った。今163件購読しているRSSの中に芸能人はほとんどおらず、過去に購読していた酒井若菜とかの何人かの芸能人たちはだんだんブログをやめていってしまう。(水樹奈々のブログは購読しているけどあれは写真を観たいだけで文章もコメントも読んでない(謎))。

注意してみないと分からないけれど著名人が仕事場であった著名人を撮影した写真の中には絶対に某事務所のタレントは写らないし、いわゆる「おはよう、今日も元気です」ブログをただ一方的に書いて、好意的なファンのコメントのみが掲載される。ネガティブコメントはなかったことにされる。

スマイリーキクチの件までいってしまったらそれは罰せられてしかるべきだと思う。酒井若菜も書いていたけれど、ファンとの交流と言えば聞こえが良いが、芸を生業にして生きている人間がその商業上の人格のままファンに暖かいコメントという許しを請うているような感じがする。商業上の人格を捨てた個人で書くのは好きにすればいいと思う。

商業上書けない事があるのは仕方ないとしても、芸能人として芸を生業として生きていきその人格でブログを書くのであれば、まっとうな批判コメントを正面から受け入れるべきだと思うし、それをする覚悟がなかったり商業上思想信条を公表するのが好ましくないのであれば、毎月の定期収入という甘い誘惑に負けずにテレビの中だけにいるべきではないかと思う。

変わるものと変わらないもの

2009/01/25(Sun) Diary

新聞もテレビも減収減益で、「マスゴミ」とか「クイズ番組ばかり」と叩かれて久しいわけですが。コンテンツとパッケージと分けて考えたときに、コンテンツ力は衰えていなくて、パッケージが古くなっただけなんじゃないかと思ったり。

ネットユーザが新聞を読まないと言っても、ブログで批評する元ネタは新聞の記事なわけで。アルファブロガーだネットジャーナリズムだと言っても、仮に新聞社が潰れた時にそのアルファブロガー達が社会保険庁や内閣に対して取材するかというとたぶんしないし、信憑性は新聞以上に怪しいわけで。

テレビも、この時代に毎週同じ時間にテレビの前に座れと言うのが無理な話なだけであって。ニコニコ動画でMADを作って遊んでいる元はテレビ局が作った番組やニュースなわけで、それが無くなったら成立しないのではないかと。あんだけ衛星だなんだでチャンネルを増やしすぎてコンテンツ制作力が追いついていないだけで、制作力そのものは腐っていないのではないかと。

新聞は販売店の食い扶持の事とか、テレビは業界規模がシュリンクしてしまうと思ってやりたがらないとは思いますが、新聞は無料公開しているネットサイトを月額固定有料制にしたり、テレビはすべて番組単位で購入できるオンデマンド形式にしてあげると、短期的には現状の下げ止まりを止め、中期的には復興するのではないかと。パッケージが腐ってきたからと言って、コンテンツまでだめだと言ってしまうと、最終的にユーザが不利益を被ってしまう。

障害は個性か?

2009/01/24(Sat) Clip

向き合って 歌手・今井絵理子さん(25) (下) – 産経新聞

SPEEDのボーカル、今井絵理子さん(25)は重い聴覚障害をもつ長男、礼夢(らいむ)君(4)に言葉を教えるため、ともに口話法や手話を学び始めました。同じ立場にいる母親たちとの交流で「障害は個性。個性を認め合える社会になってほしい」という思いを強くした今井さん。息子の障害を公表し、音楽活動を通して、メッセージを発信し続けています。

障害は個性ではないだろう。障害は、その名の通り「身体の器官が何らかの原因によって十分な機能を果たさないこと。また、そのような状態。」であり、「物事の成立や進行の邪魔をするもの。また、妨げること。」という意味以上でも以下でもないと思う。「障害は個性」だとか、「その子を育てられる親の元に選ばれて生まれてきた」とかはただ美化して目を背けているだけなので止めた方がいいと思う。

個性という言葉は、「個性を伸ばす教育」とか「個性を潰している」という文脈で使われるポジティブなものであって、もし障害が個性だというなら、「耳の聞こえない子供が欲しい」とか「片腕のない子供が欲しい」とか、「肝機能障害のある子供が欲しい」という親がいるはずだけれど、そんな親は聞いたことが無く親の願いは常に「五体満足で健康に生まれてくること」。障害を軽く見ているわけではなく、きちんとネガティブな物だと認識せずに、個性だなんだと美化していると子供本人が不幸だと思う。

障害を持った子供の親は、つらいがまず「害」であることを認め、治療やリハビリで可能な限り正常な状態に戻すか、それが不可能であればその障害が影響しない道を示してあげる事こそがきちんと向き合うことなんじゃないかと思う。仮に自分の子供が障害を持ったら、そうするだろうと思う。そうしてもらって、感謝しているし。

障害を持っていると、それを明かすにしても、隠すにしてもしんどい。明かすと変な奴だと言われるか、障害を持っていてもがんばっていると言う人が大半で(全てではない)、そんな風に言われるのはしんどい。しかし隠すと、なんで誰でも出来る事が出来ないんだと言われたり、見た目が変だと言われ、それはそれでしんどい。綺麗事抜きで、障害を持って生まれて良かったと思っている人なんていないんじゃないだろうか。

障害を持った当人は、「障害があったから、人を思いやる気持ちを持つことが出来た」とか、「障害があったからそれをバネにしてがんばれた」と強制的に自分を肯定することが最善の策ではないかと思う。当人があまりに障害のことを気にしすぎると、今度はその当人を産んだ本当は何の落ち度もない親までが「自分のせいで…」とネガティブなスパイラルに落ちていってしまう。

この方法も目を背けていると言われてしまえばそれまでなのだけれど、僕が今考えつく最善の方法は、可能な限り正常な状態に近づける事を試みた上で、強制的に自分を肯定して障害が障害とならない道を探し、また、肯定しているように周囲に思ってもらう事ではないかと思う。と、読み返してみると、今井絵理子は美化する方向に向かい、僕は無視する方向に向かったというだけで共に現実から目を背けていて、本質的な所は同じではないかというような気がしてきた。