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逆説思考

2008/01/15(Tue) Book

逆説思考 表紙
逆説思考
自分の「頭」をどう疑うか
森下 伸也 (著)

何かを発明することのほうが、それを利用したり、利用が将来に及ぼす影響を見越すことより容易である
ドナルド・ジョハンソン(生物学者)

たとえば、認知症の老人が増加して、老々介護のような深刻な問題が発生していることは、すでに種々のテクノロジーのおかげで人間が本来の生物学的限界を超えて長生き「させられて」しまっていることの証拠であるが、いつかかならず開発されるであろう認知症を根絶できるテクノロジーは、きっとそれ以上の難問を人類につきつけることになるにちがいない。

常識を捨てこんな考え方で生きると楽しいよという本なのですが、そのハウツーよりもその考えから生み出されるいろんな枝葉の方に興味が行った。常識を捨てる、というか無意識だった常識が見えてくるという意味では「99.9%は仮説」の方が効果ありだと思う。

自然環境に対しては脆弱であるくせに、知能と文明をを持ったことで、逆にどんな環境でも生きる事になった人間。シロクマは人間が裸では暮らせない北極で生きることは出来ても砂漠では生きられないが、人間は文明により両方で暮らすことが出来る。ただ、その文明が高度化していくうちに、自然への適応は出来るようになったがその文明内での様々な縛りが生まれてくる。

極限まで高度化した人工環境のうちには、核兵器や地球環境破壊など、まさしく文明の自爆装置がふくまれているのであった。

という一節で、文明とは高度化する宿命を持ち、同時に自滅することもまた宿命ではないかと説く。

歴史の天才達についても、ホーキングについて、

文章を書く能力を失い、もはや紙の上で代数的な数式を使って研究することが出来なくなり、心の目で思い描くことができる幾何学的な手法を使わざるをえなくなったのである。それは、彼の古い代数がけっして解明することが出来なかったものの見方をホーキングに与えたのである。

と「障害を持っているにもかかわらず天才になれたのではなく、障害を持っていたからこそ天才になることが出来た。」という仮説を立てる。

そして旧石器時代が終わると、洞窟壁画のように写実的な絵画が全く描かれなくなったことから、ハンフリーはこう推測する。すなわち、そのころから人類の言語活動が急速に発達し、それと反比例するように視覚イメージの操作能力は急速に失われていった。そして、たどりついたのが現在の人類の脳だというわけである。だとすれば、逆にこのように言うことも出来よう。ダ・ヴィンチやアインシュタイン、またサヴァン症候群のひとびとは、脳が旧石器時代に先祖返りすることによって、その異常な才能を開花させるのだ、と。

われわれの観念は、われわれがいなくてもやっていける。われわれが観念をもつのではない。観念がわれわれを持つのだ。

文化の情報を持つミームという仮想の遺伝子があるとするならば、結局の所人類とミームの関係は「ヤドカリ(=ミーム)とヤド(=人間)」であって、ミームが人類という入れ物を窮屈に感じた時、ミームは人類を捨て別の何かに乗り換えていくのではないかと。本の中ではそれは生物でさえないコンピュータではないかという仮説を紹介している。

と、こんなことを書きながら品川から東京に向かう新幹線から見える東京という文明を眺めていると、帰省する前とはまた違った風景に見えるから不思議である。

左手にダイコン、右手にソースカツ丼。

2008/01/13(Sun) Diary

マサテルさんとゆうちゃんとdemuさんとでご飯。マサテルさんとゆうちゃんとは去年の秋頃に飲んだけど、demuさんとは初めて。とても渋い声をした丸メガネの似合うハンサムさんでしたが、残念ながら服を着ていました。今度は着ていない所を見たいです。

マサテルさんから会うなりダイコンをもらう。しかも駅で。なかなかないシチュエーション。demuさんも加わり話をしていると、昨日のメンバーもそうだけど、結構独立している人が多いことに気づく。つまり、確固たるやりたい事、出来ることをもって仕事をしている。前はそういうのを見るとなぜか焦ったりしたんだけど、今は幅を広げる時期な気がするので、そういうことは考えないでおいた。

家のこととか、仕事のこととか、福井の環境のこととかいろいろ話していたら、なんとなくだけど、「福井で働き、暮らす。」という事への自分のイメージがずいぶんポジティブなものになっていることに気づく。東京に着たばかりの時は東京にしか目がいっていなかったけれど、しばらく東京で暮らすことで福井での上手なというか、楽しい暮らし方が見えてきてるという感じ。

解散後、駅の近くに吉野家みたいな感じで「ソースカツ丼」を売っている店を見つけ、においにつられて思わず買ってしまう。家についてタクシーから降りた僕は、左手にダイコン、右手にソーツカツ丼を持ち、眠い目をこすりながら家のドアを開けた。

今週末、福井に帰ります。

2008/01/08(Tue) Diary

12日(土)夕方福井について、15日(火)夜に東京に戻る予定でいます。
お時間ある方は声かけてくださいー。メシでも。

なぜ原因以外のものに発散するのか

2008/01/06(Sun) Clip

商店街で5人に切りつける 容疑の16歳少年逮捕 – 朝日新聞

5日午後3時25分ごろ、東京都品川区平塚2丁目の「戸越銀座商店街」で、「男が包丁を振り回している。けが人がいる」と通行人の男性から110番通報があった。女性2人が男に胸部を切られるなどして軽いけが。ほか男女3人が服を切られた。警視庁は、都内の私立高校2年生の少年(16)=品川区=を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。調べに対し「誰でもいいから皆殺しにしたかった」と供述。病院の精神科への通院歴があった。

「人間関係でトラブル」 逮捕の高2 – 朝日新聞

東京都品川区平塚の「戸越銀座商店街」で5日、男女5人が切りつけられた事件で、殺人未遂容疑で逮捕された都内の私立高校2年の男子生徒(16)=同区=が警視庁の調べに対し、「人間関係のトラブルで悩んでいた」と話していることがわかった。同庁は動機や事件に至る経緯を調べている。

年明け早々迷惑というか、大馬鹿者の話なのですが。「人間関係のトラブルで悩んでいた」という供述は無差別系の事件でよく出てくると思うのですが、それが主因かどうかは判断着かないけど、仮にいじめとかだと仮定して。なぜその発散が関係ない所に飛び火するのか。そして、関係ない所に発散してそれは解決されるのか。

おそらく、それそのもには立ち向かえないのかな。そこに立ち向かっても結局屈服されるだけで、発散できない。故にその矛先がそれ以外の、自分より弱い所に向く。そして、それをやっても解決しないのは目に見えているのに、それはもう自爆みたいな境地なのでしょうか。

こういう事件に遭遇してしまうリスク、こういう事件を起こす子の親になってしまうリスク。そしてこういう子が親になっていく数十年後。犯罪学について流し読みしていたら、刑法は犯罪が起きることを異常ではなく平常な事として捉えているのだとか。たぶん、こういう事件は尽きないんだろうな。

葛飾区亀有の回転寿司店で爆発

2008/01/06(Sun) Clip

おそらく日本中がある一つの想像をしたであろう事故。

【2ch】ニュー速クオリティ:葛飾区亀有の回転寿司店で爆発

1 :養鶏業(三重県):2008/01/03(木) 19:25:26.97
1日午前11時50分ごろ、東京都葛飾区亀有5の回転ずし店「平禄寿司亀有店」の調理室で爆発があった。従業員2人が顔や腕にやけどを負ったほか、通行人の男性(20)が爆発音で耳を痛め軽傷。亀有署の調べでは調理用ガスバーナーのボンベが爆発したらしく、原因を調べている。

現場はJR亀有駅の北約50メートルの繁華街で、5階建てテナントビルの1階。2階の漫画喫茶にいた男性(29)は「突然ドーンと大きな音が下から響いた。店内が揺れた感じで地震かと思った」と驚いていた。

3 :探検家(埼玉県):2008/01/03(木) 19:26:05.61 ID:UihzZNc70
まーた両津のアホかぁ

18 :留学生(樺太):2008/01/03(木) 19:29:10.05 ID:B2KYEULiO
両津の新商売が失敗したのか

48 :留学生(樺太):2008/01/03(木) 19:34:49.82 ID:B2KYEULiO
中川とか麗子「あれ、先輩は?」
部長が背中向けたままで「両津なら○○島に研修に行った」
このパターンのオチが好き

104 :産科医(神奈川県):2008/01/03(木) 20:05:18.44 ID:naMKw5Ye0
このニュースの大切な部分は漫画喫茶にいた男性(29)だな

110 :ねずみランド(樺太):2008/01/03(木) 20:08:51.64 ID:nXXwah0KO
>>104
本田か

謹賀新年

2008/01/01(Tue) *Pickup, Diary

-日に三度 身をかへりみし いにしへの
  人のこころに ならひてしがな-

あけましておめでとうございます。

今年で三回目になり、自分的にはこれがないと新年を迎えた気がしなくなってきた明治新宮に参拝。途中の渋谷駅でスクランブル交差点が見えたけど、ほとんど人がいなくて、みんなきちんと横断歩道を渡ってる。でも福井の大名町交差点よりは断然多いというこの日本の極端さ。

毎年夕方ぐらいに行っていて、拝殿まで2時間ぐらいかかってたんだけど、今回午後一に行ったら1時間ちょいで着いた。今年も神楽殿にあがり、後厄のお祓いをしてもらう。今年はなんだか式次が短くなっていたように思う。自分の名前を読み上げてもらい、舞を見て、ようやく新しい年が始まったという気持ちに切り替わる。

冒頭は、今年引いたおみくじ(明治神宮のおみくじには大吉中吉とかがない)。人はうぬぼれがちであるが故に、「人のために忠実か」、「友と交わって信実か」、「修養を怠っていないか」と毎日三度我が身を反省する事。という意味。

年々年が過ぎるのが早く感じてきました。今年は25才になります。あと何年東京で過ごすのかは分かりませんが、最後にやり尽くしたと充実して福井に帰れるよう、おみくじの言葉を忘れず、後悔のないよう過ごしていきたいと思います。

不束者ではありますが、今年一年も皆様宜しくお願いいたします。

年の瀬に。

2007/12/31(Mon) *Pickup, Diary

28日に仕事納め。終わった瞬間、どっと力が抜けて、28日の夜と29日は爆睡。29日になってあわてて大掃除を始めるも、今年はちょこちょこ綺麗にしていたので、ゴミをまとめて掃除機とクイックルワイパーをかけるだけで完了。その後PCのデータ整理とバックアップとか、本の整理とか、ついつい時間がかかって今も続行中。あと、ブログのリニューアルもちょこちょこと。

年の瀬に、という事ですが、今年の事についてはもういろいろ書いてきたので、今更特にまとめて書く事もないなぁという感じ。心境だけ記録しておくと、早く追われ早く追われと思いながらやってきてなんとか滑り込みで年末まで持った感じ。今年ほど疲れだけが溜まった年もそうはなかった。

とはいえいつまでもこのままではいられないので、そういうのは今年で終わりにして、来年どうするかを考える日々。仕事の事、家族の事、自分の事。年始に後厄のお払いに行ってからゆっくり考えようと思いますが、安定した土台をつくれるような年にしたいなとぼやっと思っています。

今年もいろいろな人にお世話になりました。東京の人、今年いろいろつながりが増えた福井の人、逆にあまりあえなかった新潟の人。ありがとうございました。自分の中ではこの3つがキーになっているように思います。それから、このブログを読んでくれた人、ありがとうございました。来年は25才。来年の年末は、どんな記事を書いているのでしょうか。よりよい一年に、なっていますように。それでは、皆様良いお年を。

「知っている」と「分かっている」の違い

2007/12/04(Tue) *Pickup, Diary

サーバーを教えてくれている人と話していて、「知っている」のと「分かっている」のは似ているようでだいぶん違うよねという話になった。発端は技術の話だったのだけど、何にでも言える事だなと思った。

僕が最近一番実感したのは「人は死ぬ」という事。もちろん知っているし、今まで読んだ本や見た映画で死んでいった登場人物はそれこそ千を越える数だろう。ニュースサイトのトップページを開けば必ず1本は誰かが死んだという記事があるし、今日も東京では人身事故があって交通機関が混乱した。

でも、実際に身内が死んでそれに最後まで付きそうと、いろいろ分かる事がある。僕もこのブログで何個かそれについての記事を書いたけれど、それを読んでくれた人だとしても、近しい人が死ぬという経験をしていなかったら、いくら僕の記事を読んでも「分かった」とは違う。僕の言葉がつたないという事もありますが、それは言葉で表現できる事ではないし、だからこそ体験してみないと「分からない」。

とはいえ、この世にあるすべての事を「分かる」には生きられる時間はあまりにも短すぎるし、自分が見えている範囲だけを取ったとしてもそれを分かるには足らないだろうと思う。最近、人は自分が見えている範囲の全てを理解する事は出来ないし、ましてやすべてをフォローしたり助けたり出来るわけではなく、見逃したり見ないふりをしてしまわざるを得ない事がたくさんあって、だからこそやれる事をきちんとやらないと、なと思う。

霧の中

2007/11/19(Mon) *Pickup, Diary

10代の頃に、「若いうちから働いていると、25才くらいで行き詰まるから気をつけなよ」と誰かに言われた。今24才、仕事を始めて8年目で、本当にそうなってしまった。仕事にいまいち打ち込めていなかったり、今年はいろいろあったから、余計な事を考えているだけかもしれませんが。

最近、いまいちネットに興味が持てなくなってきた。以前ほどネットサーフしなくなったし、RSSもどんどん減ってるし、新しいサービスをみてもふーんという感じ、というのが一つ。いままでいろんな仕事をやってきたけど、デザインやプログラミングやディレクションといった、きちんと形になって身につけたスキルがないなというのが一つ。

今後福井に帰りたいという思いはあるけれど、今までやってきたことが福井で活かせるような道筋を描いているわけでもない。逆に、福井に帰ったらこれをやりたいから、今東京でこれをやっているというわけでもない。なんだろう、足場がふらついていて、とても不安定な感じがする。

「1ヶ月くらい海外旅行でも行ってきたら?」とか「なるようになるんじゃない?」とか「ぜんぜん違う事をやってみたら?」とも言われる。仕事が面白くなれば、全て解決するような気もする。それどころか、一晩寝れば忘れてしまうような気もする。えらそうな言い方ですが、30才・40才と年を重ねていったときに、まわりの状況がだんだん変化していく事が少しだけ見えてきたけど、その時の自分の姿が見えないから、少しだけ不安になっているのかもしれません。とりあえず今は答えが見えません。あーなにやってんだろー。

105年の人生の終わり

2007/11/14(Wed) *Pickup, Diary

なぜか夜中何度も目が覚めて、浅い眠りのまま朝が来てしまった火曜日。異様に胃が痛いなぁと思いながら起きると、父方の曾祖母の意識がなくなったとの連絡。曾祖母はもう100才を超えているので、実は毎年夏の終わり頃になるともうだめかもしれないという連絡が何回も来ていて、今回も気軽に考えていたら本当に逝ってしまった。享年105才の大往生。

会社に行って昼から帰らせてもらうお願いをして、夏に母方の祖父が亡くなりこの前会社がなくなり、今回は曾祖母が亡くなりと、本当に厄年ってあるんだなと思いながら新幹線で福井へ(もう今回ので打ち止めにしてほしい。。。)。夜家に着くと、近所の人とか親戚の人が集まってる。前回と違い父方の親族なので、これまたむこうはみんな僕の事を知っているけれど僕はその人を覚えていない親戚のオンパレード。そういえば家についてすぐに犬の散歩に行ってこいと母に言われた。まだお焼香もしてないのにさ。

前回は通夜からしか参加しなかったけど、今回はその前から見る事になった。誰が通夜に来て誰が泊まって誰が葬式まで出て引き出物の数は何個で、焼香に呼ぶ名前は誰を先にして誰を後にして、あーあの人が抜けてるという終わりのない話し合い。その最中にも新聞社からお悔やみ欄の確認の電話が来たり、次から次へと親戚が来たり。。。(80歳代のおばあちゃんに曾祖母の娘だって言われるんだから、もうわけがわからん。)いろいろ終わって寝たのが朝の4時。そして今日が通夜。

祖父で「死」というものに一度触れているし、今回は年齢が年齢で覚悟も出来ていたし、僕自身の気持ちもいたって穏やか。まあこうやって曾祖母が寝ている隣でブログ書いてるくらいですからね。(最近の式場は無線LANが完備されているのですよ。)さっき通夜が終わったので、明日葬儀をして、火葬をして、最後まで見届けてから東京に帰ります。