逆説思考
何かを発明することのほうが、それを利用したり、利用が将来に及ぼす影響を見越すことより容易である
ドナルド・ジョハンソン(生物学者)
たとえば、認知症の老人が増加して、老々介護のような深刻な問題が発生していることは、すでに種々のテクノロジーのおかげで人間が本来の生物学的限界を超えて長生き「させられて」しまっていることの証拠であるが、いつかかならず開発されるであろう認知症を根絶できるテクノロジーは、きっとそれ以上の難問を人類につきつけることになるにちがいない。
常識を捨てこんな考え方で生きると楽しいよという本なのですが、そのハウツーよりもその考えから生み出されるいろんな枝葉の方に興味が行った。常識を捨てる、というか無意識だった常識が見えてくるという意味では「99.9%は仮説」の方が効果ありだと思う。
自然環境に対しては脆弱であるくせに、知能と文明をを持ったことで、逆にどんな環境でも生きる事になった人間。シロクマは人間が裸では暮らせない北極で生きることは出来ても砂漠では生きられないが、人間は文明により両方で暮らすことが出来る。ただ、その文明が高度化していくうちに、自然への適応は出来るようになったがその文明内での様々な縛りが生まれてくる。
極限まで高度化した人工環境のうちには、核兵器や地球環境破壊など、まさしく文明の自爆装置がふくまれているのであった。
という一節で、文明とは高度化する宿命を持ち、同時に自滅することもまた宿命ではないかと説く。
歴史の天才達についても、ホーキングについて、
文章を書く能力を失い、もはや紙の上で代数的な数式を使って研究することが出来なくなり、心の目で思い描くことができる幾何学的な手法を使わざるをえなくなったのである。それは、彼の古い代数がけっして解明することが出来なかったものの見方をホーキングに与えたのである。
と「障害を持っているにもかかわらず天才になれたのではなく、障害を持っていたからこそ天才になることが出来た。」という仮説を立てる。
そして旧石器時代が終わると、洞窟壁画のように写実的な絵画が全く描かれなくなったことから、ハンフリーはこう推測する。すなわち、そのころから人類の言語活動が急速に発達し、それと反比例するように視覚イメージの操作能力は急速に失われていった。そして、たどりついたのが現在の人類の脳だというわけである。だとすれば、逆にこのように言うことも出来よう。ダ・ヴィンチやアインシュタイン、またサヴァン症候群のひとびとは、脳が旧石器時代に先祖返りすることによって、その異常な才能を開花させるのだ、と。
われわれの観念は、われわれがいなくてもやっていける。われわれが観念をもつのではない。観念がわれわれを持つのだ。
文化の情報を持つミームという仮想の遺伝子があるとするならば、結局の所人類とミームの関係は「ヤドカリ(=ミーム)とヤド(=人間)」であって、ミームが人類という入れ物を窮屈に感じた時、ミームは人類を捨て別の何かに乗り換えていくのではないかと。本の中ではそれは生物でさえないコンピュータではないかという仮説を紹介している。
と、こんなことを書きながら品川から東京に向かう新幹線から見える東京という文明を眺めていると、帰省する前とはまた違った風景に見えるから不思議である。
