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最高の涙-宮里藍との一四〇六日

2010/03/29(Mon) Book

最高の涙-宮里藍との一四〇六日 表紙
最高の涙-宮里藍との一四〇六日
安藤 幸代 (著)

「私は、勝つ準備は出来ています。」

ゴルフにも、宮里藍にも、あまり興味がなかった。でも、安藤幸代アナウンサーというこの本の著者には興味があった。たまにテレビに映るゴルフ中継には必ず映っていて、メインの解説の間に飛び込んでくる短いフィールドレポートをしている人という認識で、なぜこの人はこの道に進んだのだろうという興味があった。

本の内容は、安藤幸代から見た宮里藍についての話と、安藤幸代自信のことが半分ぐらいの割合で書かれているので、宮里藍目当てに読んだ人には物足りないと思う。だけれど、社会に出た一人の女性が、宮里藍とともに年を重ね、仕事に邁進する中で30歳を越えて自問自答していく物語の方が僕には興味深く、共感したり違和感を覚えたりしながら読み進めた。

初めての著書と言うこともあり、表現は浅い。ただ、その木訥な表現を読み重ねていくと、不思議と著者の視点に自分の視点が重なっていくから不思議。レポーターという仕事もいいけれど、こうやって時々文章という形でまとめていくことで、レポートの表現もまた豊かになっていくのではないかと、若干偉そうだけど思った。

「最高の涙」は、宮里藍の涙であり、安藤幸代の涙でもある。たぶん、著者は取材対象に入り込みすぎてしまうのだろうと思う。客観的な視点をあまり求めず、自分自身の主観的な視点で、自分と対象者を同化したようなレポートや文章になっている。それがいいのか悪いのかはよく分からないけれど、一読者としてはもう少し読んでみたい気になった。

寝ぼけた人たち。

2009/03/30(Mon) Clip

対ミサイル誘導弾、首都圏で展開開始 反対運動も – 朝日新聞

習志野演習場には、市民団体「パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会」のメンバーが駆けつけた。吉沢弘志代表は「今後、防衛省などに抗議していきたい」と話した。

「北朝鮮ミサイルの迎撃ない」 米国防長官 – 毎日新聞

ゲーツ米国防長官は29日のFOXテレビ番組で、北朝鮮が近く長距離弾道ミサイルを発射するとの見通しを示したうえで、米領域を標的としたものでない限り、「われわれが何らかの対応をする用意はない」と述べ、撃ち落とさない方針を表明した。

凄いなぁ。こういう人たちって危機が目前に迫れば目が覚めるのかと思っていたけれど、本当に無抵抗で死ぬつもりなんだな。もうここまで来たらアイデンティティの否定になるから変えられないってのもあるのかもしれないけど、仮に落ちてきて会のメンバーが死んでも同じ事言うんなら、速やかにどこかに別の国を作ってそこでやってもらいたい。

今回は弾頭積んでないからというのもあるけれど、結局アメリカは自国に脅威がない限り(=日本だけが攻撃されるなら)撃たないという至極まっとうな判断を明言したんだから、そろそろ世論が変わってもいいと思うんだけれど。自らの存在を否定する人たちまで守らないといけない自衛隊ってしんどいな。

おはよう、今日も元気です。

2009/02/08(Sun) Clip

れっかブログ 終了のお知らせ

私は日々、思う事や信じる事を私なりの観点でこのブログで書き綴ってきましたが、たとえば「それは書かなくてもよい」「それは言うべきではない」と私以外の人に判断されてブログを書くことには何ら意味を見いだしません。

こんな性格なので、政治的なこと、歴史的なこと、社会的なこと、もしくは施設や業者などの実名を挙げてのブログをさんざん書いてきましたが、それについても書かないことが望ましいと言われれば、もう書けることがありません。「おはよう、今日も元気です」それだけのブログならば、私が書かなくてもいいような気がします。

私にとっては、leccaであることと、自分のプライベートや信念には、なんら壁がありません。社会への憤りや不満、政治や宗教に関する考え、日々感じること全てが私の発言と行動、音楽へとつながっています。ここのブログを書くことの面白さも、日々音楽だけでは伝えきれない自分のメッセージを載せることができるというところにあったのですが、leccaとしてそれはやって欲しくない、とスタッフから言われたのでやめることにしました。ただし、私は口を封じられることも、自分の発言をなかったことにされることも断じて容認しません。いかにスタッフだとしても、私の過去のブログ記事を抹消して、私が深夜1、2時間かけてせっせと心をこめて書いた文章、それに全国から皆が移動中/休憩中/就寝前(ときには仕事中)などにせっせと入力してくれたコメントをなかったことにすることが断じて許せません。

結局いわゆる芸能人ブログに感じている僕の違和感ってこれなんだなと思った。今163件購読しているRSSの中に芸能人はほとんどおらず、過去に購読していた酒井若菜とかの何人かの芸能人たちはだんだんブログをやめていってしまう。(水樹奈々のブログは購読しているけどあれは写真を観たいだけで文章もコメントも読んでない(謎))。

注意してみないと分からないけれど著名人が仕事場であった著名人を撮影した写真の中には絶対に某事務所のタレントは写らないし、いわゆる「おはよう、今日も元気です」ブログをただ一方的に書いて、好意的なファンのコメントのみが掲載される。ネガティブコメントはなかったことにされる。

スマイリーキクチの件までいってしまったらそれは罰せられてしかるべきだと思う。酒井若菜も書いていたけれど、ファンとの交流と言えば聞こえが良いが、芸を生業にして生きている人間がその商業上の人格のままファンに暖かいコメントという許しを請うているような感じがする。商業上の人格を捨てた個人で書くのは好きにすればいいと思う。

商業上書けない事があるのは仕方ないとしても、芸能人として芸を生業として生きていきその人格でブログを書くのであれば、まっとうな批判コメントを正面から受け入れるべきだと思うし、それをする覚悟がなかったり商業上思想信条を公表するのが好ましくないのであれば、毎月の定期収入という甘い誘惑に負けずにテレビの中だけにいるべきではないかと思う。

変わるものと変わらないもの

2009/01/25(Sun) Diary

新聞もテレビも減収減益で、「マスゴミ」とか「クイズ番組ばかり」と叩かれて久しいわけですが。コンテンツとパッケージと分けて考えたときに、コンテンツ力は衰えていなくて、パッケージが古くなっただけなんじゃないかと思ったり。

ネットユーザが新聞を読まないと言っても、ブログで批評する元ネタは新聞の記事なわけで。アルファブロガーだネットジャーナリズムだと言っても、仮に新聞社が潰れた時にそのアルファブロガー達が社会保険庁や内閣に対して取材するかというとたぶんしないし、信憑性は新聞以上に怪しいわけで。

テレビも、この時代に毎週同じ時間にテレビの前に座れと言うのが無理な話なだけであって。ニコニコ動画でMADを作って遊んでいる元はテレビ局が作った番組やニュースなわけで、それが無くなったら成立しないのではないかと。あんだけ衛星だなんだでチャンネルを増やしすぎてコンテンツ制作力が追いついていないだけで、制作力そのものは腐っていないのではないかと。

新聞は販売店の食い扶持の事とか、テレビは業界規模がシュリンクしてしまうと思ってやりたがらないとは思いますが、新聞は無料公開しているネットサイトを月額固定有料制にしたり、テレビはすべて番組単位で購入できるオンデマンド形式にしてあげると、短期的には現状の下げ止まりを止め、中期的には復興するのではないかと。パッケージが腐ってきたからと言って、コンテンツまでだめだと言ってしまうと、最終的にユーザが不利益を被ってしまう。

戦争を起こさないために

2008/11/30(Sun) Society

今日のそこまで言って委員会は国会招致以来初のテレビ出演となる田母神氏(航空自衛隊前航空幕僚長)に加え、松島悠佐氏(陸上自衛隊元中部方面総監・阪神淡路大震災時の最高指揮官)、川村純彦氏(海上自衛隊元海将補)と陸海空の方々が揃って、90分全て使っての国防スペシャルでかなりおもしろかった。

議論は必然的に自衛隊の存在意義に進んでいくんだけれど、右派と左派(あまりこの言葉は好きではないですが)が「戦争を起こさないために」という共通の理念の元全く異なる主張を展開する。田母神氏など自衛隊経験者や右派は、抑止力としての軍隊を持つ事での相互抑止による実現を主張し、原和美氏(新社会党副委員長・次期衆院選出馬予定)を中心とする左派は「話し合い」による主張をし、まったくかみ合わなくなる。

原氏を含め左派の主張はどうも弱く完全に思考停止している。「なぜ『他国が攻めてきたら』という仮定の話をするのか。その前にそうならないための話し合いが重要。」という一点突破で理論を展開する。たしかにそれは理想だけれど、現実的には話の通じない隣国があるし、そこまで広げなくても左派と右派でさえ話が通じていないという現実の状況を理解していない。

よく使われる理論かもしれないけれど、原氏は自分の家に鍵をかけずに外出できるのだろうか。全ての人間が顔見知りの小さな村なら可能かもしれないけれど、国や世界というレベルではそれは不可能。そのために対国内用に警察があり、対国外用には軍隊がある。一個人としてみれば原氏は気のいい人なのだけれど、こういう人は国会議員になってはいけない。他人の命を預かる立場になってはいけない。

また、左派は「過去の反省」や「再び軍国主義になってしまう」という主張をよくする。たしかに過去は軍国主義だったと思うけれど、現在は間違いなく軍国主義ではないし、過去はほぼ全ての国が軍国主義だった。という話をすると「他人がやるなら自分もやっていいのか。悪いことは悪い。」という話が帰ってくるのだけれど、それは時代性を考慮する必要があって、悪かったからそれの反省を踏まえてシビリアンコントロールを働かせている現代がある。現に田母神氏は政治によってきちんと更迭されている。

個人的には、宮崎哲弥氏も言っていたけれど、憲法9条を改正して「自衛のための戦力を保持すること」、「戦力は他国への侵略や脅威の破壊には使用しないこと」、「核の保持と使用を「放棄しない」こと」を明記する方が、最高の案ではないけれども、一番現実に即した案だという考えに至る。

過去の反省を踏まえて、未熟だった「軍国主義」が今は少しましな「民主主義(相互抑止)」になったように、今後理想の「話し合い主義(完全武力放棄)」というような世界に移行できるのかもしれないという希望は確かに持っている。でも、「民主主義」というルールの世界で一人だけ「話し合い主義」のルールで動いていると、世界が「話し合い主義」に移行するまでの間に日本は消えてしまう。

告知せず

2008/11/17(Mon) Movie

夫「死ぬ準備をして待てって言うんですか。死ぬ日を、指折り数えて待てって言うんですか。あんたそれでも医者かよ。」

妻「もうやめて。先生に当たったってしょうがないじゃない。人間は誰でも、いつかは死ぬの。それが早いか遅いかってだけ。訳の分からないまま死んでいく人だっているのよ。でもあなたは違うわ。自分は何の病気で、何と戦えばいいのかちゃんと分かってるの。他の病院で見てもらいたいなら、そうしましょう。納得いくまで、ちゃんと付き合うから。あなたの思うとおりにすればいいじゃない。だから、ちゃんと戦いましょう。最後の最後まで、ちゃんと生きましょう。」

テレビ朝日で放送されたがん告知のドラマ。たまたまがんの緩和ケアについての本を読んだばかりだったので見たんだけど、号泣。ドラマ自体の話でいうと、滝沢秀明がちょっと浮いていて山田孝之とかの方がいいんじゃないかと思った。がんを患った高畑淳子が亡くなるシーンでも、なんで息子役の滝沢より見ている僕の方がわんわん泣いているんだ、とどうでもいいことを思った。

冒頭に引用したのは、自分の妻には告知せず自分の患者にがん告知をした渡哲也に対して怒りをぶつけた夫に、妻の高島礼子が語った言葉。その後、「先生、告知して良かったです。」と続く。人はいつか死ぬんだと開き直って、残りの人生を精一杯生きようというような考え方で、告知された大多数の人はそういう道を辿るのではないかと思ったりする。

それはたぶん端から見ると一番手っ取り早いプロセスに感じるんだけれど。ここからは完全に想像だけれど、人間は、年を取れば取るほど欲が増していく生き物なんじゃないかと思う。不老不死を願うわけではなく、子供の成長を見たい、孫の成長を見たい、出来うるなら可能な限り、それを見届けたい、という欲が大きくなっていった時期に、いきなり「残りの人生を精一杯生きる」という考え方に転換するのはかなりしんどいことなんじゃないかと、勝手に想像する。

自分はと言うと、ガンになったら告知されて何で死ぬのかをハッキリと認識して、そのプロセスを出来うるかぎりこのブログでも何でもに書き残していきたいし、自分に近しい人がそうなったとしても告知してしまいたいと思う。だけどそれは、自分一人だけではそういう重いものを抱えきれない事への逃げから来ている答えだと思うので、正直まだ分からない。

たまにはネットの話を。

2008/11/14(Fri) IT

なんだかブログに復帰してからのエントリが時事放談状態なのでネットの話。最近のネットはギークと呼ばれる人たちがウェブサービスを作るのがブームなのか何か知らないけれど、ポンポンと似たようなサービスが雨後の竹の子のように乱立していて、競争が激しくて結構なことだと思う。

ただ、ふつうに仕事をしながらネットをしている立場からするとちょっと飽和状態で、発信するためのツールだけあってもそんなに発信する情報とかないし、そもそも発信を全くしない受け身な人がマジョリティであるとおもう。テレビで慣れてるし。

アルファブロガーとかも結構な事だけれど、なんだかんだ言ってテレビのニュースキャスターが一言失言する方が遙かに影響力が大きい。OpenIDだインタレストマッチだっつったって僕を含む一部の物好き(アーリーアダプターですか)が追いかけてるだけで、正直実生活にはどーでもいい事だったりする(意義は分かってるけどあえて)。

と、なんかイノベーションを否定するような事を書いたけれど、別に冷めてるわけではなく、いろいろ高度な技術やアイデアを駆使してるけどそれって限りなく少ない人たち(それもほとんど東京在住)がネットの中で盛り上がってるだけなような気が正直する。なんというか、もっと実生活に根ざした事って出来ないもんですかね、と最近マジメに考えているのです。

二人の盟友

2008/11/12(Wed) Society

筑紫氏の死去に対する久米氏のコメントが、「久米宏のテレビってヤツは!?」で流れていた。ラジオでちょっとコメントしたのは聞いたんだけれどあまり詳しく触れていなかったが、さっきのテレビでは目頭を熱くしながら語っていた。

番組での発言とか彼らのスタンスはちょっと横に置いておいて。同じ18年半という長い間、隣り合わせに近い時間帯で同じ報道番組をやれた彼らは、仕事仲間というか同士というか、そういう関係としてとても恵まれていたんだろうなぁと思う。

今のようにインターネットがなく新聞とテレビが権力をふるっていた時代に、罪悪は別としてそのメディアをある意味では利用し、制限はあるだろうが自分の言葉で自分の主張をすることは、とても意義のある仕事だったんだろうと思う。

「ご冥福をなんて言えない。冥福されちゃ困る。生まれ変わってもう一回筑紫哲也をやって欲しい。」と最後に久米氏が語ったけれども、きっと彼はその後に、「そして、僕もまた久米宏をやりたい。」と言いたかったのではないかと、勝手に邪推した。仕事仲間としての彼らの関係が、ちょっとうらやましかったので。

あまりにも無責任な最後の多事争論

2008/11/08(Sat) Society

まだ自分の中でも迷っていて確信はないのだけれど、とりあえず書く。筑紫哲也氏が逝った。NEWS23で放送された最後の多事争論のテーマは「この国のガン」だった。(WEB多事争論から閲覧できる)「政治とは世代の間でパイを奪い合うものだが、今この国はガンに陥っている。ガン細胞が出来ると本来使うべき栄養素をガンが使い果たしてしまい栄養素が体全体に回らなくなるように、日本という国のガン細胞がパイを全て食い尽くしてしまい、どの世代にも配分されていない。そういう問題ははっきりしているが、敵は大きい。」と。

それだけだ。それだけ言って逝ってしまったのだ。少し前の爆問学問の姜尚中の回で、爆笑問題の太田光が「現在の50才や60才、70才の人たちはこの国の仕組みを作ったが、いまそれがボロボロになっている。70才近い人は戦争も経験している。だが、それを一切解決していない。甘い汁だけ吸って、死んでしまう。それはあまりにも無責任ではないか。」と言っていた。僕は自分たちの世界は自分たちの世代でやっていくべきだと思っていたので、ちょっと新鮮だったけれど、半信半疑で聞いていた。

でも、今日のNEWS23では、筑紫氏がいかに文化人で、テレビというメディアを楽しみ、そして死んでいったかということを各界の人たちのコメントを積み上げながら、そういう筑紫哲也像を作り上げていった。そして、最初に書いた最後の多事争論の主張。「僕の出来る事は、こんな所です。後は頼みます。」とでも言わんばかりに死んでいった。

ガンなのは分かってる。でもそれを造り出したのはお前達じゃないのかと、自分の実感として思った。太田も言っていたが、なぜ他国の軍が駐留して自分たちの国を守っているのか、なぜ首相が靖国に行くか行かないかであれだけもめて他国に好き勝手言わせているのか、なにも解決していない。自分たちが生み出した問題なのに。なぜこれだけ不安定で孤立した社会の中で僕たちは生きていかなければならないのか。それはやはり、あまりにも無責任すぎるのではないかと、今は思う。まあ、彼らが責任を認めたところでどうせ数十年でこの世からいなくなるので、ガン細胞を取り除かないと行けないのが僕らである事には変わらないので、むなしくはあるのだが。

悩む力

2008/10/16(Thu) Book

悩む力 表紙
悩む力
姜尚中 (著)

結局、愛というのは、ある個人とある個人の間に展開される「絶えざるパフォーマンスの所産」の謂なのであって、どちらかが何かの働きかけをし、相手がそれに応えようとする限り、そのときそのときで愛は成立しているのだし、その意欲がある限り、愛は続いているのです。

討論系のテレビに出て、勝谷雅彦とかがヒステリックに叫んでいる横で、聞こえるか聞こえないかくらいの落ち着いた小さな声で冷静に話し続ける姜尚中氏の本。売れているらしいので一応買ってみたが、「現代は、自由を手にした代わりに安定を失った社会である。その中では、真面目に考え悩み、自分の納得できる答えを一人ひとりが見つけるしかない」というような話と理解した。

ちょっと話が飛ぶかもしれないけれど、自由と同時に変化の振れ幅も大きくなった現代社会の中では、皇室・天皇家というのは価値が増してきているのではないかと思う。皇室は、変化しない事に価値があるのではないかと思っている。現代ではほとんど消滅した核家族と親族関係を未だに継続し、常に一定の価値観で、国民からも政治からも一歩引いたところにずっと居続ける存在。

現代社会が社会主義と民主主義でケンカしながら一気に資本主義に転換し、バブルで痛い目に遭ったはずなのに、また懲りずにレバレッジ金融を追い求め、またバカのひとつ覚えみたいにそれの全否定に走っている。その中で、常に変わらず存在し続けた皇室には、やっぱりある程度の価値があると思うし、男尊女卑といわれようが男系天皇で行くべきなのかなぁと思う。変わらない事に、価値があるとするのならば。

さて、この本の中でもちょっと浮いた存在の「愛」については、僕も一番分からないところかもしれない。愛とは普遍的な安定した「ゴール」ではなく、お互いの関係性の中で一瞬だけ訪れる「瞬間」じゃないのかなぁという程度は考えているけれど、さて、どうなんでしょうかね。