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死刑 – 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。

2008/01/19(Sat) *Pickup, Book

死刑 表紙
死刑
人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。
森達也 (著)

死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「何故、国民は死刑を支持せざるをえないのか」です。(光市母子殺害事件被害者 本村洋からの手紙)

今すぐ買った方がいい、と断言できる本。

danさんのブログで見つけて、お急ぎ便を躊躇なく選択して一瞬で買った。少し前のブログに書いた「自分の命をかけてまで子供の命を守ろうとした一人の人間が、同時に一人の人間に死んで欲しいと願うという事。」への解に出会えるのではないかという期待で。読み終わって思うのは、僕の一番好きな「赤朽葉家の伝説」は興味を持った人だけ読んでくれればいいと思うけれど、この本は興味のあるなしではなく、知らないといけない事だと思う。

ところで、僕は何故こんなテーマばかりに興味を持つのだろうか。mixiの新着日記に「死刑 – 人は人を殺せる…」なんて日記があがってしまうことをたまに申し訳なく思ったりもする。その理由の一つは、「ドラクエクリアしたよ!」という日記を上げる時より、こういう事について書く方が自分の頭をフル回転させないといけないという事。このブログを自分を知る為の鏡として使っている面もあるので、これは一つ大きな理由。そして、もう一つの理由は、本書が明確にしてくれた。

どちらも今のこの世界だ。僕らが暮らすこの世界と地続きに、煌びやかなテレビスタジオがあり、ホカホカと湯気を立てる山海の珍味があり、飢えと寒さで衰弱しながら死んでゆく子供たちがいて、そしてあの薄暗い処刑場がある。
その末端に、僕がいる。そしてあなたもいる。

僕は目を背けられない、見てしまったのだから。

死刑についての僕の考えは、過去にも書いたことがあります。

iwalog : 自分が生きるために。

確かにその通りだと思う。人には人の命を殺める権利などないと思う。そうだとするならば、汲み取るべき事情がある承諾殺人(人の承諾を得てその人を殺害する=介護疲れによる息子による親の殺害)など一部を除いて、人が人の命を殺めた場合、その人はその時点で人権を行使する権利がないのではないか。

ものを盗んだ場合、そのものか相当するお金でもって償う。そして、抑止の意味も含めて金銭以外の懲役などの罰をもって購わせる。はたして、自分たちが声高らかに主張するもっとも高貴な価値観である人権を侵害された場合、何をもってすれば償いになるのだろうか。それは、その人自身の人権ではないのだろうか。(もちろん、原因の究明は必ず必要という前提で。)

何もしていない人を死刑にするわけではなく、罪を犯した人を死刑にするのであるということ。これは本書を読んだ後だと、被害者の側面ばかりが報道されて、加害者遺族や死刑囚のその後を知るすべがなかったから故の発想だったと気づく。この考えは、本書の中で紹介される加害者遺族や死刑囚と刑務官のかかわりを読むことで、ある意味では変わるのだけれど、ある意味では変わらない。

また論理の面では、現行法を前提とする場合、現行法で死刑に値する人間を無期懲役などで処理した場合、多くはないとはいえ再び社会に出てくる事になる。現に酒鬼薔薇聖斗は社会復帰している。彼らは更正するかもしれない。でも更正しないかもしれない。更正しなかった場合のリスクをあなたは受け入れますかと言われたら、僕は受け入れたくない。これは本書の中でもオウム事件以降の過剰な厳罰主義・治安強化主義の結果もたらされた日本社会の傾向であると論じられている。

本書では、森達也は悩む。そして自ら悩みたがっているかのごとく、死刑廃止論の安田弁護士(光市母子殺害事件加害者側弁護士)、死刑判決が確定した元オウム真理教幹部の岡崎死刑囚、「モリのアサガオ」という死刑囚と刑務官を描いた漫画を書いている郷田マモラ、死刑確定後判決が覆って無期懲役となり出所した人物、犯罪被害者の側から取材をしているライター、存置から廃止に考えが変わった被害者、池田小学校事件の宅間守死刑囚(2004年9月14日死刑執行)の手紙、死刑があるからといって犯罪発生率が下がるわけではないというデータ(死刑が犯罪抑止力としては機能していないという趣旨)、冤罪の場合取り返しが付かないこと、冤罪は現在も続いていること、実際に執行する刑務官の苦悩、更正した死刑囚、更正しなかった死刑囚、更正など求めておらず被害者が生き返ることだけを求めている遺族、死刑囚とその家族の最後の別れなど様々なものに触れる。

そして、光市母子殺害事件遺族の本村洋とも手紙を交わし、本書の最後の方でその事件の加害少年とも接見し、結論を出す。結論も、その課程も、必読の価値がある。

僕の結論。読む前と変わらず、死刑は必要であるということと、被害者保護にもっと手厚くなるべきであると言うこと。でも読む前と変わったのは、その執行は慎重であるべきで、現行の死刑制度をもっと改良すべきであると思うようになったこと。

被害者感情を考えた時に、死刑という「選択肢」は必要であると思う。しかし、冤罪もあるし、死刑囚にも家族はいるし、更正する人もいる。でも、再犯のリスクもある。それらを考えると、社会制度としての死刑はやっぱり必要で、撤廃か存置かを議論するよりも、その運用の改善に目を向けた方が、幸せになる人の数が増えるのではないかと思う。

3人以上だと話せない

2008/01/07(Mon) Clip

1対1の会話と、3人以上のグループによる雑談は、本質的に異なるものなのでは – toruotの日記

1対1の会話だと話せるが、3人以上の「グループ」になったとたん黙り込む人(はい僕です)についての考察。

では、なぜあいつらは雑談できるのか。

それは、自分が「興味」を持っていることを「話題」にするのではなくて、「話題」になりそうなことに「興味」を持つからなのだ。

自分にとって興味深いことを優先するか、話題にできることを優先するか。自分の興味を優先すると、濃いんだけど、3人以上のグループに入っていけなくなる。話題にできることを優先すると、ヌルいけど、グループに入っていけるようになる。

まさに自分のことだなと納得。そもそも家にテレビがない時点で共通の話題から大きく漏れてる。ネットのニュースはよく見ているけれど、それが世間全体の興味でないことは、ネット系の会社にいても感じる。

とはいえ、「話題になりそうなことに興味を持つ」なんて事はとても出来そうにない。そもそも、特にみんなのグループに入りたいとも強く思わない。そりゃシカトされるレベルはきついけれど、「入っていない」のと「外される」のは大きく異なる。「話題」になりそうなことに「興味」を持つ人って、それが楽しくて好きでやってるのかな?それともグループに入れなかった時の焦燥感なのかな。

「大人になったジブンへ」を見てまとまった、今興味がある事。

2007/12/03(Mon) Clip

広告って何でしょうね。最近技術系の情報と同じくらいマーケティングについても読み漁っているのですが、その中で「広告は企業や商品をいかに知ってもらうか。知ってもらわないと何も始まらない。」という事と「インターネットは(テレビなどのマス媒体に比べて)コミュニケーションコストがもの凄く安いメディア」という事が印象に残る。僕らがやっているような広告媒体を、クライアントがどう考えて使っているのか、逆にどう使われているのか。

クライアントがどういう目的を持ってマーケティングをして、その中の一つの手段として僕らのいる広告媒体がどう使われて、その媒体はどういう考えを持って運営され、どういう技術でもって最終的に生活者と接するのか。その一連の流れがどうなってるのかを知って、そもそもどうあるべきかとそれをどう実行するかを知りたい、というか実感として理解したい。「なんで?」と聞かれても、「何であの子が好きなの?」という質問と同じくらい、答えようはないのですが。

踊るエヴァンゲリオン

2007/09/22(Sat) Diary

最近本を全然読んでいないのは、某動画サイトで「古畑任三郎」やら「踊る大捜査線」やら「エヴァンゲリオン」やら「弁護士灰島秀樹」やらを見まくっているから。踊るを見た頃はエヴァを見ていなかったので気づかなかったけど、踊るってエヴァのオマージュが結構あるのね。タイトルの出る所とか、歳末スペシャルでの第九と最後の青島がみんなに囲まれて拍手されているシーンで終わる所とか。そもそも音楽もエヴァ使ってるし。真下が撃たれるシーンは何度見ても涙が。。。テレビは何も考えずにぼーっと見られて、何も考えなくていいからこういう時はいいね。本を読むと、いろいろ考えてしまう。

安倍さんよりも悪い人

2007/09/19(Wed) *Pickup, Clip

星野仙一のオンラインレポート

民意、民意というけれど、今の日本の「民意」というのはメディア、特にテレビが作っているものじゃあないのか。10年ちょっと前に民放の報道局長が「政局はわれわれテレビ局の人間が作っている」というような発言をしてクビになったことがあるけれど、テレビが繰り返して流すものによって無定見な大衆が誘動されるという今の時代。民意というものはなんなのかと、いつもそう思ってテレビのニュースを見ている。

僕はどうも民意とずれているようで、自民党が大勝した小泉総理の郵政解散では民主党に、逆に大敗した今年の選挙では自民党に入れていて、当たったためしがない。あ、東京都知事選では当たったか。でもあれは選択肢がなかったもの。

別に国民が何も考えていないとは思わないけれど、自分で考える前にメディアに一方的に考えを流されて、とりあえずそれと同じように答えておけば自分の意見を持てるから楽なのでしょうか。それとも、メディアとはバイアスがかかっていて、特定のメッセージを民衆に伝えようとしているという前提が無いのでしょうか。別に今回の件だけではなく、たとえばコムスンだって、利益を追求していいじゃないかと思う。利益が出なければ、サービス提供することさえ出来なくなるのに。

ブログでも何でも一度文章を書いてみると分かるけれど、その内容には伝える人の意思が強く影響される。ある事を自分が訴えたいとき、それに都合のいい情報はたくさん引用するけど、答えにくいことは引用しないという情報操作はすごく簡単。だからあくまでもソースとして見て、しかもひとつの意見をいろいろな媒体で見て、ある媒体では書いてるけどある媒体では書いていないという「書かれていないこと」にも目を向け、その媒体がどういう意図を持って書いていて、「で、あんたはどう思うの?」というステップをはさむべき。それをはさんでソースと同じ意見になることは、問題ではない。

総理には常人より厳しい職責が求められるものだから、安倍さんを擁護するつもりはないけれど、小泉さんはみんなあんなに大好きだったのに、安倍さんはみんなそんなに大嫌いなのだろうか?拉致問題の時は大好きだったのにね。カッコイイ人はタレントでいっぱいいるのだから人気取りはそっちでやってもらって、政治家は未来に目を向けた全うな人を選ぶべきで、時には批判ではなく支えることも大切だと思うのだが。今回の場合責められるべきは、安倍さんではなく国民だと思う。

集合知を多数決で作るのは間違い。 : ひろゆき@オープンSNS

普通の人が知識を超えた質問をされた場合に、
「わからない」という発言をしてくれればいいのですが、
「竹中直人は好きだから、正しいと思う」とか、
「モー娘はカワイイから嘘をつかないと思う」とか、
ギリシャ人と同じような感覚で評価したものが、
多数出てきたりします。。

そうすると、みんなが言ってるのだから、
真実であると誤解してしまう人が出てしまうのですね。

笑いもの

2007/09/05(Wed) Clip

橋下弁護士は「業界の笑いもの」なのか?

母子殺害事件の弁護士は、懲戒請求を行った人たちについて「橋下弁護士にそそのかされ、被害者的な面もある」として、現段階では提訴しない方針だという。ただ橋下弁護士の言動については、「業界内では笑い話になるくらいとんでもない話。しかもブログやテレビの主張もころころ変わって何を思っているのか分からないし、どういった反論が返ってくのか量りかねている」と述べている。

弁護士業界が世間から笑われていますよ。結局業界内のルールで動いていて、世間の基準とずれている事を見事に証明していると思うのだが。

「わたしたちの教科書」ってどう?

2007/09/04(Tue) Diary


家にはテレビを置いていないので、ここ最近ドラマには興味もないし何やっているのかも知らなかったのですが、最近気になっているのが今年の春にやっていた「わたしたちの教科書」というドラマ。「世界を変えることは、できますか?」と広げた風呂敷を、どう畳むのか見てみたい。

菅野美穂と酒井若菜が出ていて、音楽が岩代太郎でというのを見てますます興味が。ノベライズもあるけど、やっぱりDVDで見てみたい。が、まだ発売してないし高い。とりあえずノベライズで買おうかな。。。迷う。野島伸司的なのだろうか、君塚良一的なのだろうか。

木村太郎からの返信

2007/07/14(Sat) *Pickup, Diary

その昔、僕がグレて(?)学校に行っていなかった時、僕はフジテレビのニュースJAPANをよく見ていました。安藤さんと川端さんが司会で、木村太郎がコメンテーターとして出ていました。ある日の特集で、「不登校」を取り上げていました。自分でも社会的に自分がそのカテゴリに入れられているのだろうという自覚はあったので、興味津々で見ていたら、いろんな不登校の子が出ていて、それは不登校という一つの結果で語るにはあまりにも複雑で多種多様な理由を持った人たちでした。

今はもう何を言っていたのか忘れてしまいましたが、木村太郎が僕の心にグサッとくる一言を言っていて、ぼくはいてもたってもいられずその当時ニュースJAPANのサイトで公開されていたアドレスにメールを送りました。たしか、僕も不登校なのですが、僕の感じていることととても近い内容で、木村さんこれからも頑張ってくださいとか、そんな内容だと思う。たぶん当時15才とかそれぐらいだったんじゃないかと思う。

数日経ったら木村太郎から返事が来て、メールをありがとうということと、そういってくれると放送して良かったということと、君もこれから頑張ってくださいとかそういう事だったと思う。そのメールに返事をしたけど、それには返信はなかった。

なぜ突然こんな事を書いたかというと、とある本を読んでいたら、あとがきにファンレターには必ず返事を返しますと書いている作家がいたので、そういえば昔木村太郎が返事をくれたなと思い出したからで、そのメールはWin95のブルースクリーンにより抹消されてしまったのですが、僕の記憶にはしっかり残っているし、あのとき福井で不登校だった僕はいろいろありましたが東京でなんとか頑張っていますよと、木村太郎に伝えたくなったからなのであった。あれからもう10年です。

本の虫

2007/06/27(Wed) Clip

404 Blog Not Found:怠翻 – 読書を一生の習慣にするための14の心がけ

気になる話題なので少し。

1.Set times – 時間割りに読書を設定する。
僕の場合本を細切れに読むと全然理解できないので、土日にまとめて読むようにしています。特に全5巻とかの本は、朝から気合いを入れて一気に読んで夜ぐったりとか多々。

3.Make a list – リストを用意しよう
他の人のブログで紹介されていたり、ランキング上位に出ていた本はとりあえずAmazonのウイッシュリストに。その場では買わず、ちょっと間をおいてからいらない物を外して買います。いっぱい本を買ったせいか、つまらない本に引っかかる確率が減ってきました。

5.Reduce television/Internet – TVとネットは控えよう
たぶん僕が本をいろいろ読むようになった一番の理由は、テレビを置かなくなったから。なくて困ることは何もないし、話題のドラマは後でDVDになるし、おもしろい番組はYouTubeに上がるから、最低限は押さえられる。

12.blog it – 読書の結果をblogしよう
まさにこのブログ。読書録をつけるようにすると、まとめるためにもう一度さーっと本を読み返すことになるので、記憶に残りやすい。これで書評からアフィリエイトの売上げがあって本代をカバーできればいうことないのですが。

森達也 「ドキュメンタリーは嘘をつく」

2007/02/02(Fri) Movie

いわごろの感想は動画の下にありますが、とりあえず見てから読んでください。


最初の部分でこの番組の趣旨とその造りと訴えたいことが分かってその後の映像を見ていながらも、最後の女の子のセリフはズシンとくる。アーレフがこの番組に出ている意味も、よくわかる。

僕はもう久しく、たぶん18くらいからだから約6年間家にテレビがない。もうすぐ24才なので、人生の4分の1はテレビがない生活をしている。物心が付いて情報を得るようになってからと考えると、その比率はもっと上がる。

今は、もうテレビ、特に報道系はもう見れない。その番組がその映像を通して視聴者にどういう印象を与えようとしているかがひしひしと伝わってきて、拒否反応を起こす。今は、読売・産経・日経・毎日・朝日という5紙のネットニュースサイトで情報を得ている。さらに、そのページにソーシャルブックマークを付けたユーザのコメントというメディアと逆の視点の情報を同時にみれるようにFireFoxを改造してそれらサイトを読んでいる。とはいえ、完全ではないことは分かってる。

べつに、視点を定めて訴えたいことをシンプルにすることを否定はしないし、それがないと報道は出来ないと思う。でも僕は、まず事実(=起こったことだけという定義)を知り、その時の自分の感情をまとめてから、それに関する多くの報道という名の解釈を見て、そのギャップを計る。もちろん、どんなに幅広い媒体を見ても伝えられていない事実があると意識しながら。そして、この番組そのものも、ドキュメンタリーや報道には真実や客観性がないという意図を持って作られていることも意識しながら。