なんとかの一つ覚え。

さ、やるか。→ジョージア クオリティラッテ。
むむ、ちと疲れて眠い。→ダイドー デミタスコーヒー。
出来たー、一息つくか。→ジョージア クオリティラッテ。
(常時水分補給→出雲のからだにうるおうアルカリ天然水)

さ、やるか。→ジョージア クオリティラッテ。
むむ、ちと疲れて眠い。→ダイドー デミタスコーヒー。
出来たー、一息つくか。→ジョージア クオリティラッテ。
(常時水分補給→出雲のからだにうるおうアルカリ天然水)
works, today 0925/03 – altba | shinzo | shinzlog
別のプロジェクトの状況を確認するとデザインが進んでいない。なぜこんな簡単なことが出来ないんだよ、と、怒鳴りたくなるのを抑え、幾つかのアイデアを出し、簡単なデザインスケッチを起して送る。彼らは決めどころを欠きながらレイアウトをこねくり回して時間を浪費している。本当はここで横に座ってデザインのプロセスを教えるべきなのだが、僕も時間に終われている状況。しかし、その勘違いを指摘し、思考と作業の順番が違うことを言い続けながら育つのを待つしかない。デザインは感覚での作業の前に充分な考察が必要不可欠。思いつきと考えとは違うのだ。
今になってようやく思い始めたことであるけれど、怒ってもらえるのはありがたいことなのだなと。(怒られてる時は腹立ちますが。)
自分が怒る方になって分かったのは、怒るのってその人にとって凄いパワーと時間を浪費して、なおかつ難しいことなんだなということ。しかも、ただその人をけなす為に怒るのではなく、そうじゃないんだと分かってもらってがんばってもらうのは、なかなかできない。ていうか自分は出来てない。
以前「怒ったらそれ以上のものを出してきてくれるだろうという見込みがあるからお前を怒ってるんだ」と言われたことがあって、「ホントかよ」とその時は思ったけど、自分が怒る側になってみると、見込みがない人には怒ることもあきらめて他の人に頼んでしまう。自分がそうされたこともあった。
そんなことを思うようになったのは、自分を怒る人がいない環境に来てから。それはそれで、自分で自分を見張らないといけないので、精進出来る環境ではあるのですが。
works, today 0923/03 – altba | shinzo | shinzlog
何人か出勤していたが、集中していたせいか気がつくと会社にはすでに誰もいなかった。久しぶりに会社の電気を消し、戸締りをする。休日が作業スケジュールのバッファとして使われるのではなく、休日として休めるようになったんだなと思うと数年かかってワークフローを練り上げてきた甲斐を感じる。帰宅23時。
個人的には、バッファではなく翌日他のスタッフのスピードについて行く為の助走エリア(にしたい)のだけど、組織全体としては徐々に休日を休日とするスタッフが出始めないとな、と切に思う。でも、ここで満足なの?とも思う。この結論がいつも出ない。
さしあたり、個人的に書きためたアーカイブが少しづつ使えるものになってきたので、徐々に組織に浸透してもまれながら、次に入ってくる人や今いる人の、糧になればと。そこを続けてみる。
shinzo’s workshop Comment- altba | shinzo | shinzlog
いつも言っているように、コミュニケーションデザインというのは、複雑な状態のものを分類整理して、コンテキストをつけていくことが基礎になります。その文脈の作り方は、あるレベルまでは基本があって、その上に個々のデザイナーの感覚を乗せられる応用部分があります。そのへんが皆に見えてくるまでは基礎編を続けようと思ってます。
(中略)
高いレベルかどうかは別にして本当のノウハウは、プレッシャーのある状況、つまりプロジェクトの中でしか教えられないし覚えられないんですよね。でも、その時に、理解と考察に至るに必要な基礎だけは事前に教えることはできるんです。まぁそういう視点さえ持てれば誰でもどこにいても色々と学びようがあると思います。
何かを理解する時は、本とかでケーススタディのようなものやノウハウを知識として得てとりあえず「ふむふむ」という感じになって、実際仕事とかでそれをやる機会に遭遇して自分がやってみて、「なーるほど」と体得し、自分自身の知恵になるという段階を踏む事が多い。
山本五十六じゃないけど、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」を自分自身に対してやっているようなかんじ。

サイトマップを作るためのツール。
一度の情報入力で、図みたいにいろんなパターンのサイトマップを起こせる。
お客さん、エンジニア、デザイナー、ディレクター等、それぞれの立場によって使いやすいマップって違うので、こういうのはありがたい。
99,800円から。しかし、このツールを制作した野村総研てどういうつながりがあるんだろう。
久々の深夜勤務。
体力が減ったというよりは、リズムが崩れて不調。
各々300Km以上離れた土地での案件が3つ同時多発。
これが回せないという事は、自分のキャパもそれまでだという事か。若さでアタック。

いろんなWebLogを読んでいて感じる事。
「寒くなった」とかは、たぶんリアルの中では個々に感じている事なんだろうけどそれが文章のカタチになってネットに一斉に投げられると、群衆の移動みたいに目に見えるカタチになって感じられる。たぶんこのことをスマートモブズとかいうのでしょうか。
以前「iモード・ストラテジー―世界はなぜ追いつけないか」で鳥の群れにたとえて複雑系という考え方が紹介されていたけど、それと似ているような気がする。
works, today 0922/03 – altba | shinzo | shinzlog
19時。Web Creators誌のムック本のために、とのことでインタビューを受ける。最近、同様の趣旨の本が大流行のようだ。インタビュア曰く「この本のために沢山の制作会社からお話を聞いてきましたが、情報設計が重要ですという会社は多いのですが、信蔵さんの言うように、その上のコミュニケーションを目的とした上で、ウェブがあり、情報設計がありデザインがある、という会社はありませんでした。」とのこと。まだまだウェブサイトを作ることを目的にしている会社は多いようだ。
一概には言えませんが、Webにかける予算が小さいサイトではそういうパターンが多く、Webにかける予算が大きい案件ほどそれだけで済まなくなっているので、少しづつ二層化されているのかなと思います。
たしか17才くらいの時に信蔵さんに「自分の作ったサイトのデザイン見てください」なんて無謀なメールを出して、デザインのデの字もないサイトに対して、文字数は少ないけど、丁寧に書いてくれていたのが印象的でした。こんな人と仕事が出来たらいいなと。今は、自分のレベルを自覚し、目標大きな目標と目の前の大事な目標を比較しながら精進の日々。
信蔵さんと、フジテレビの木村太郎さんから返ってきたメールだけは大事にとっておこうと思ってたのに、今は無きNECのPC9821君が昇天し綺麗に消えてしまいました。
かつて、自分もこのようにして父親に見つめられたことがあるのだ、母親に抱かれていたことがあるのだ、という感覚が強いリアリティを持って身に迫る。若き日の父の顔が浮かぶようだった。生まれたばかりの僕を見ている父の顔。その瞬間、この小さな生き物を育てることが何よりも最優先なのだと僕は自覚した。
この生き物を一人前にするまでは、どんなことも些事でしかない、どんなことにも耐えられる……、そう心底から思った。覚悟を決めた。その子にどんな異常があったとしても、僕は親であることを逃げないだろうと確信していた。
この人の書く文章は、なぜか読んでしまう。なんでなんだろう。