成果が評価に追い抜かれた。
そんな気がする。

風が強くなってくる。
少し広めの駐車場を歩いていたら強い風が吹いて、だんだん色づいてきた木々からたくさんの葉が舞い散る。
洗濯機みたいに、水の張った洗面台の栓を抜いた時みたいに、上から下に向かってクルクルと舞い散って、ちょっと前に見た「英雄(HERO)」っていう映画みたいだった。
昨年の冬にこの土地に来て、春がきて、夏が過ぎ、やっと四つめの季節が始まりました。

一度自分で設計したサイトを、分解し、再度設計書まで落とす作業を黙々とやる。
自分がサイトを作るときは、お客さんとまず大きな目的とかを共有し、それをユーザが得れるベネフィットに落とし込んだ後、それに関係する事やしない事も含めて自分がやりたい小ネタをいろいろ拾い集めて、その間を両方から詰めていって作る。デザインディレクターの川崎和男さんいわく、「デザインは、自分のわがままを元に、使う人への思いやりを加えていく」プロセスだとの事。
自分が作ったサイトをどんどんばらして細かい設計書を作る作業をしてみると、「あ、ここはこうすると最初から良かったのかも」とか、「結果的にこういうモノが必要になったから、今度は最初からそれを考慮しておこう」とか、面白いものが色々見つかる。「おおここは我ながらうまい事やったなぁ」とか、その逆とか。
今回はサイトだったけど、何かをやって、良い結果だったにしろ悪い結果だったにしろ、それを遡ってその理由を考えてみるのはいい事かも知れない。「出来たー、良かったー」で、思考停止をしない。
名古屋市内での街頭演説の本意について – 石原慎太郎公式ウェブサイト 宣戦布告
【記者】毎日新聞、合田です。一連の発言を撤回されるということでよろしいんですか。
【石原】撤回じゃないですよ。私の本意を説明したんですよ。
【記者】訂正ということでしょうか。
【石原】訂正じゃないんですよ。詳しく申し上げた。ただ、こういうことになって、非常に遺憾ですけどね。
石原慎太郎東京都知事と記者の「名古屋市内での街頭演説の本意について」の質疑応答。
記事の見出しが
・石原都知事が発言を撤回
・石原都知事が発言の本意を説明
となるので意味合いが大きく違う。思いつきだけど、たとえばこの場合なら「事実(質疑応答のやりとり)」と、「新聞社の視点・解説(発言を撤回したと見られる…延々)」を別々に分けて書いてくれる新聞とかあったら売れそう。
MTに限らず、BLOG自体が、この「美しさ」「更新しやすさ」「リンクされやすさ」という点で、理にかなっていることが直感的にわかります。
簡潔にまとまってます。あと、個人的に思う所としては、書かれてあるように目的や用途が明確になっているツールは直感的なわかりやすさが自然と出てくるのだなと。MovableTypeのインターフェイスにはMac OSのインターフェイスと共通するインターフェイスのツボがあるように思えて日々観察中です。
WebLogをあまり大げさに捉えずに色々考えていったら、タイトルの結論に。以下それに至るプロセス。
前提として、以下のような仮定と制限を設けて考えてみました。
で、MovableTypeという道具を使ってWebLogという媒体を作ると、
様な感じがします。
昔、AppleがMacintoshを「思想の自転車」と呼んでいた時代がありました。あなたの思考をカタチにするお手伝いをする道具になりますよ、と。WebLogはその今の時代に沿ったものではないかと。なので、とりあえず、MovableTypeでWebLogを作っていると、思想の自転車になるのではないかーと思いました。
WebLogを作ってから自分に起きた一番大きな変化は、
いい自転車です。結局、この変の事が一番おもろいというか、大事にしないと行けない事なのかな。逆に言えば、これが出来ればMovableTypeでなくてもWebLogでなくてもいいというか。
ビジネスでどうしたらblogをうまく活用できるか、というのはこれからも話題になると思いますが、社内のナレッジマネジメントのためだけに書き続けるというのは難しいような気もしますね。blogを書いていて何が楽しいかというと、やっぱり多くの人に読まれる快感というのが一つあると思います。見られることによってコメントが付けられたりTrackBackがついたり、要するに某かのステージの上にたっているという充実感があると思うんです。それがひとたび、社内に向けたクローズドになったものになったとしたら‥‥。会社からblogを書きなさい、と言われて楽しいですかね。業務命令で書くblogって、なんだかおざなりになってしまいそう。
なるへそ。仕事になると難しいのかも。
僕なら毎日書きまくるけどな。
本の中で、クビを言い渡された時の日本人と外国人の反応の違いを書きました。60分間話し合うとして、そのほとんどを「何とかなりませんか」という話に費やすのが日本人。一方、クビは動かし難い事実だという確認作業を5分で終えて、残りの時間を条件交渉に費やすのが外国人です。
(中略)
たとえば「英語力は足りないが外資系企業で働きたい」という人が面接を受けたとします。そこで採否を分けるのは–最初の面接の後、すぐにその足で本屋に行き、英語のテープを買うでも英会話スクールに入会するでもいいから、すぐに行動を起こせるかどうか–です。2度目の面接があった場合、「まだ何もしていません」という人は結局、何も変われない人です。
(中略)
こうした上で–たとえば年俸に関して-僕ならば、「今は1000万円もらっていますが、1200万円ください。その代わり、御社にもこんなメリットがありますよ」という人を採用しますね。「今1000万円の年収があって、800万円でもいいから雇ってくれ」という人は採用しないですね。
「「クビ!」論。」の著者へのインタビュー。
ふむふむ、と思ったがAmazon.co.jpの書評で「ロジックがなく、ましてや法律や社会制度が全然異なる外国のシステムを日本にそのまま持ち込んでワークするわけがない」と表されており、そっちにもふむふむ。
23時の回の座頭市を見て、飲んで(ノンアルコール)、こんな時間に帰る。映画は、期待していたより凄くて、何かの雑誌で北野監督自身が言っていた「たけしは今までちょっと変な映画ばっかり撮ってたけど、普通の映画もきちんと撮れるじゃんと思ってもらえるのでは」という読み通りの感想。
後半登場人物自身が話してたように「悪い人はみんないなくなっちゃったねぇ」というだけの話しなので、ストーリーがどうとかはとくに気にならず。タップや殺陣、今までとちょっと違う画面の取り方、全体の流れ方など、ほんとに、何から何までうまいなぁと言う感じ。途中の舞(?)のシーンは嫌われそうだけど、監督が役者の人に惚れ込んでいれたシーンなんだとか。
「めくらの方が人の心がよくみえる」と言った後に、「どんなに目をこらしても見えないものは見えない」と言ったり。その間に、タップダンスが入ったり。なんかよく分からないたとえですが理性(考え)と本能(感情)の両方を揺さぶられたような感じがする。
最近気付いたのが、この岩風呂を書き始めてからどこかに行ったり映画を見たりする事が少し増えた事。これも、WebLogのひとつの効果ではないかと。