警察があるから犯罪が起こる
警察があるから犯罪が起こるいう人はいない。
消防があるから火事が起こるという人はいない。
でも自衛隊があると戦争が起こるという人がたくさんいる。
「たかじんのそこまで言って委員会」11月16日放送分で志方俊之(防衛問題評論家 元陸上自衛官)が、差別をテーマに議論する際パネリストが感じている差別は何かという問いに対して、「自衛隊への差別」と答えた時の発言。統制された武力や兵器を持っている自衛隊と警察を同列に語るのはちょっと違和感はあるけれど、なるほどと思ったのも確か。
警察があるから犯罪が起こるいう人はいない。
消防があるから火事が起こるという人はいない。
でも自衛隊があると戦争が起こるという人がたくさんいる。
「たかじんのそこまで言って委員会」11月16日放送分で志方俊之(防衛問題評論家 元陸上自衛官)が、差別をテーマに議論する際パネリストが感じている差別は何かという問いに対して、「自衛隊への差別」と答えた時の発言。統制された武力や兵器を持っている自衛隊と警察を同列に語るのはちょっと違和感はあるけれど、なるほどと思ったのも確か。
自分は今がんではないし、身近にがんの人がいるわけではないのですが、そういう状況だからこそ客観的に読めるのではないか、と思って読んでみた。客観的に読み過ぎて全然実感は得られなかったんだけれど、切迫した状況の中で読んで考えが偏ってしまうよりはいいんじゃないかと思った。
本の中では、緩和ケアが積極治療の放棄ではないということを繰り返し主張していて、積極治療によって正常な細胞までダメージを受けたら緩和ケアでいったんダメージを回復させまた積極治療に戻ることや、初期の段階から緩和ケアと積極治療を共存して進めていくことなどを提案している。
ただ、現状だと医師の側が緩和ケアに患者を引き渡すことは医師としての敗北だというような変なプライドがあったりして、緩和ケアをネガティブなイメージでとらえまた患者にそのようなニュアンスで伝えるため、本来の緩和ケアが目指すところが実現されていない、という実情も紹介している。
まあ人はどうあがいても死んでしまうわけで、そうなると大切なのはそのプロセスなのかなぁと思う。そうなると、当人が一番納得できる、後悔しないと考えていることを実現してあげるのが最良なのかなぁと、一般的な結論になってしまった。
という、どこかで聞いたことがあるようなものが、僕は今一番欲しいです。水樹奈々のDVDも、新しいMacBook Airも、本もいろいろ欲しいのですが、それはその「自分メディア」があってこそ欲しい、と言えるような気がします。自分メディアというのは、新聞が発するような社会性のあるニュースではなく、友達の誰がどこに行ったとか、何を考えているとか、何を買ったとか、そういう自分を中心としたごく限られた人の発する情報だけが集まったメディアです。メディアではないのかもしれないですが。
ちょっと話は抽象的になりますが、「自分」という単語やその存在というのは、「他者」があって初めて存在するわけで、もし地球上に人間が一人しか存在しなかったら「自分」という概念は存在しないわけです。あたりまえだけど。つまり、自分を構成している要素として「他者」というのは結構な割合を占めているわけで、その上での自分らしさとか、独自性とか、そういう話になるわけです。
で、そういう他者を通じて社会性とか、公共性とか、大げさに言うと政治とかそういう者に気づいていくと思うわけで。今のネットの時代、個人が発信している情報は結構あるんですが、全てが細かく分散してしまっていて、それの網羅性とか一覧性は全くなかったりする。
そこで冒頭の自分メディアという言葉に戻るんですが、そういう膨大に個人が発信している情報の中から、自分とその発信者個人という繋がりでのみ情報をフィルタし、一覧性を持たせることが出来るものが欲しいなぁと思っているのです。技術的には可能なはずなので。一番近いのはFaceBookなのですが、ソーシャル性はいらないと思う。すべての他者との間に双方向の理解があるわけではないので。
なんだかブログに復帰してからのエントリが時事放談状態なのでネットの話。最近のネットはギークと呼ばれる人たちがウェブサービスを作るのがブームなのか何か知らないけれど、ポンポンと似たようなサービスが雨後の竹の子のように乱立していて、競争が激しくて結構なことだと思う。
ただ、ふつうに仕事をしながらネットをしている立場からするとちょっと飽和状態で、発信するためのツールだけあってもそんなに発信する情報とかないし、そもそも発信を全くしない受け身な人がマジョリティであるとおもう。テレビで慣れてるし。
アルファブロガーとかも結構な事だけれど、なんだかんだ言ってテレビのニュースキャスターが一言失言する方が遙かに影響力が大きい。OpenIDだインタレストマッチだっつったって僕を含む一部の物好き(アーリーアダプターですか)が追いかけてるだけで、正直実生活にはどーでもいい事だったりする(意義は分かってるけどあえて)。
と、なんかイノベーションを否定するような事を書いたけれど、別に冷めてるわけではなく、いろいろ高度な技術やアイデアを駆使してるけどそれって限りなく少ない人たち(それもほとんど東京在住)がネットの中で盛り上がってるだけなような気が正直する。なんというか、もっと実生活に根ざした事って出来ないもんですかね、と最近マジメに考えているのです。
「裁判員です」話していいのは…家族○、匿名ブログは△ – 朝日新聞
法律では「何人(なんぴと)も」とあるので、自ら公にしてもいけないし、知人が選ばれたことを誰かに話すのもダメだ。裁判員が事件関係者から危害を加えられないよう保護するための規定とされる。
最近はやりのブログ。日々の身辺雑記をつづる人も少なくない。筆者の素性が分からない場合は大丈夫そうだが、匿名のブログや会員制サイトでも、他の公開情報と照らし合わせて筆者が簡単に特定できる場合は危ない。
もっとも、この規定に罰則はないため、違反しても、罪に問われることはない。
以下、なるべく調べて書いていますが、誤りがあったらごめんなさい。約1年前に「斎戒沐浴」というエントリで裁判員制度に触れましたが、この制度については結構注目していて、日本の世論形成に大きな影響を与えるのではないかと思っている。
ちなみにこのブログは実名で書いているので、仮に選ばれても僕はこのブログでは裁判員に選ばれたということも、実際に裁判に参加して裁判員同士でどういった議論があったかも書いてはいけないことになる。でも、たとえば2chで書くとしたら一応書き込みだけでは個人を特定されないので大丈夫なのかな?
ただ、裁判自体は一般に公開されており傍聴することも出来るので、どういった裁判が行われ、裁判官・被告・検察の間でどういった議論があり、どういった判決が出たかを書くこと自体は問題ないはず。問題なのは、裁判官と裁判員の間でどういった議論が行われたのか、を書いてはいけないということらしい。
一年前のエントリでは「人を裁く」という負荷に民間人が耐えられるのかなという疑問を書いた。それはそれで今も感じている懸念なんだけれど、この制度にひとつ希望があるとすれば、この制度により民間人が社会や司法に参加し、一人ひとりが国や社会について関心を持つことで、この国の政治がより活発なものになるのではないか、という事。一方に流れやすいこの国の世論が複雑多様化することで、多少精度を上げて安定性が増すのではないかと願っているんだけれど。
筑紫氏の死去に対する久米氏のコメントが、「久米宏のテレビってヤツは!?」で流れていた。ラジオでちょっとコメントしたのは聞いたんだけれどあまり詳しく触れていなかったが、さっきのテレビでは目頭を熱くしながら語っていた。
番組での発言とか彼らのスタンスはちょっと横に置いておいて。同じ18年半という長い間、隣り合わせに近い時間帯で同じ報道番組をやれた彼らは、仕事仲間というか同士というか、そういう関係としてとても恵まれていたんだろうなぁと思う。
今のようにインターネットがなく新聞とテレビが権力をふるっていた時代に、罪悪は別としてそのメディアをある意味では利用し、制限はあるだろうが自分の言葉で自分の主張をすることは、とても意義のある仕事だったんだろうと思う。
「ご冥福をなんて言えない。冥福されちゃ困る。生まれ変わってもう一回筑紫哲也をやって欲しい。」と最後に久米氏が語ったけれども、きっと彼はその後に、「そして、僕もまた久米宏をやりたい。」と言いたかったのではないかと、勝手に邪推した。仕事仲間としての彼らの関係が、ちょっとうらやましかったので。
今後も小浜市はオバマ大統領を応援するとともにオバマ大統領の故郷、ホノルルやシカゴとも姉妹都市協定を結ぶ計画もある。また、多種多様なオバマ大統領の関連クッズを販売しており、小浜市の地域おこしにつながっている。
オバマ本人は麻生太郎首相との電話会談で「(小浜市のことは)よく承知している。小浜市に行ってみたい」と述べている。
松崎市長は「オバマ氏に特別名誉市民になっていただくことも検討したい」と話し一層の友好関係構築への期待を表明。
個人的には小浜市を今すぐ独立させて福井県から外して同じ福井県民ととらえられないようにしたいくらいなのだけれど、この勢いを増長させて奇跡的にオバマ氏を小浜市に来訪させ、その瞬間に「オバマ候補を勝手に応援する会」の全員が突如豹変して、事前に準備していた小浜市の拉致被害者地村さんと麻生総理の前にオバマ氏を引きずり出し、日本の拉致問題に対する協力と具体的な施策をまとめさせたりしたら福井県を小浜県にしてもいいくらいだと思うけれど、悲しいぐらい彼らはそんなことを考えてないんだろうな。
まあ少し真面目に書くと、勝手会が応援するのはよしとしても、それに行政府の市長がのっかるのはさすがにマズイと思う。判断力が全くないとしか思えない。地域興しになったとしても、その代わりとても大切なものを失ってしまう。
榎本の名刺は、サイバーエージェントのコーポレートIT室内に残っていた。この名刺が、今回の案件を任せるITベンダーを探していた安在の目に留まる。それで榎本に声が掛かったのだ。
内容は全然いいんだけど、この無駄にプロジェクトX風な描写がなんかうける。

空白の宰相 「チーム安倍」が追った理想と現実
久江 雅彦 (著), 柿崎 明二 (著)
「チーム安倍」は崩壊していない。はじめから実態として存在していなかった。それが、一年で幕を閉じた安倍政権の断面を取材、検証した率直な印象である。
道路特定財源、公務員制度改革、日本版NSC、防衛庁(当時)事務次官人事、松岡農水大臣の自殺など、安倍内閣が取り組んだ様々な理想とその現実の裏側を追いながら、「理想は高いが実行力のない安倍総理」を描き出している。中に出てくる細かい政治家のやりとりの真偽のほどは定かではないけれど、結果から見ると当たらずとも遠からずといった所なのかな、という感じがする。
壊してばかりでは何も進まないわけで、そういう総理の後に国の根本となる憲法と教育を持ち出してきた安倍元総理には、直近数人の総理の中では一番期待していた。歴代議員の家系であることも、安定した地盤があるが故に現実直近の課題にとらわれずに長期的な政策が出来るのではないか、と期待していた。まあ結果はあの通りなんだけれど。
直近のエントリで文民統制(文民(=政治家・国民)による軍隊の統制)について触れたけれども、文民統制よりももっと深刻なのは、文民による官僚の統制が出来ていないことなんだろうな。あからさまな死者数というのが出ないので軍隊に比べて目立たないけれども、軍隊によって亡くなった人の数と比べた時、官僚の無策や失策によって亡くなった人の数や遺失利益というのも、相当数あるんじゃないかと思う。
公務員制度改革のあたりで、「公務員の天下りや待遇をなくしてしまうと、優秀な人材が集まらなくなる」という官僚の言葉にはちょっと呆れて笑ってしまった。あなた達の言う優秀な官僚が集まって「このザマは何なんだ」と某知事風に言ってみる。政治家が無能だとでも返してくるのかな。
SDIM1472
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