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34歳。

Hand

こどもが産まれてはや8ヶ月。真夜中の電話には気づかず、朝方の電話でやっと気づき、そわそわしながら病院へ。昼過ぎに声を聞きその姿を見た時は、喜びや驚きももちろんあったけれど、安心という気持ちの方が大きかった。一番最初に、母となった妻に名前を呼びかけてもらい、ぼくも彼の名前を呼んでみた。あたたかい台の上で寝転んでいる彼と、ちょっとだけ目があったような気がしたのは気のせいか。

寝てばかりだったのが泣くようになり、起きて目を開けている時間が増え、腕や顔を動かすようになり。泣き声や動きが大きくなり、手には力がこもり顔には表情が出て、目で追っていたのが顔で追うようになり。うつぶせだったのが寝返るようになり、手や足をバンバンと動かすようになり、同じ場所でくるくると回転できるようになり。もうちょっとで、なにかしゃべりそうな気配。毎日同じようなことを繰り返しながらも、毎日ちょっとずつ変わっていっている。

あれをしてあげよう、これをしてあげようと思いつくことの多くが、ふと思い返すと自分が親からしてもらったことだと気づく。彼にとってもいつかそういう日がくるのかしらと気の早いことを考えたりもする。これまでの30年近くをかけて親にしてもらったことや自分でしてきたことを、今度は親の視点になって、また30年近くをかけて彼としていく。そういう繰り返しなのかなと思う。

どんな声で話すのだろう、どんな言葉を話すのだろう。なにを見るのだろう、なにを聞くのだろう。なにをするのだろう、なにをしてくるのだろう。僕が今している仕事は僕が産まれたときにはなかった仕事であるように、彼がこれからすることは今はまだ生まれていないことなのかもしれない。できることならそれを見つける手助けをして、なにをするのかを見ていけたらいいなと思う。親の子であり、妻の夫であった自分に、彼の父という関係が増えた。手を繋ぐ人が、離してはいけない手が、またひとつ増えた。